東日本大震災 | 果しなき流れの果に

果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

 地震当日は、新潟に向かう新幹線の中にいた。地震が起きたのは、まさに高崎駅に到着しようとしていた時だった。激しい揺れに命の危険を感じた。もしもの事を考えて家族に電話を入れた。この時点では、東北地方にひどい被害が出ていることなど知らず、自分のいまいる場所で起きている事としか思えなかったからだ。その晩は結局、新幹線のなかで一夜を過ごし、翌朝早く、在来線に乗り、各駅停車の続くなか、夕方にようやく、自宅のある川崎までたどり着いた。

 一生のうち一度経験するかしないかの大惨事。でも、よく考えてみれば、この所日本では天災、人災が頻繁に起きている。もちろん、これほどまで大きな災害は稀有だが、何か日本全体が、本当に、真剣に何かを考えなければいけない、そのことを、天の神様は告げているように思えてならない。石原都知事の「天罰」発言の真意は、そういう事に違いない。

 今回、テレビ局の報道の仕方は、阪神大震災の時のようには醜くない。しかし、やはり必要以上に、津波の瞬間、原発の映像を、繰り返し流しすぎた。もちろん、これらも伝える必要はあるのだが、大切なのは、いま本当に伝える必要のある情報は何か、メディアに携わる人間として、自分は何が出来るか。いまもっとも大切なのは、被害に遭われた方の生活を守ること。被害のひどい地域にどれだけ貢献できるかを、世界中が考えてくれるように訴える事ではないか。

 知人に東京で暮らす電通社員の人がいて、その家族は九州の実家に非難したそうだ。こののち、関東にもひどい被害が及ぶのではないか、放射能汚染の影響を危惧しての行動なのだろう。もしかしたら、会社からそういう指令が出ているのかもしれない。そのあたりははっきりしないが、しかし、考えて欲しい。いま東京圏がどれだけ危ないか、と。もちろん安全でない事はわかっている。でも、自分たち以上に恐怖を味わい、現状、明日の生活も見えずに苦しんでいる人たちが大勢いるのに、なぜそうした行動が出来るのか。
 わからないわけでもない。自分も、そういう思いはよぎったりする。しかし、それよりも、同じ日本人として、この日本という国を救うために何が出来るかを、第一に考える事が大切なのではないか。少なくとも、いまの時点では……。

 とはいえ、自分に何が出来るかと考えたら、何も出来ない。家族を守る事しか、たしかに出来ない。でも、何かをしなければと思う。生活エネルギーを節約し、困っている人たちを助けられる何か手段があれば積極的に協力する。最低限、その事を心がける。その上で、むやみに非難することなく、いま自分がいる場所で何が出来るかを考える。考え続ける。とにかく、いまはそうしていこうと思う。