終わりなき戦い | 果しなき流れの果に

果しなき流れの果に

文筆業を生業とする1970年生まれ。好き勝手ばかりしてきた20。人生について考え始めた30代。ここから先、40代は「誰かのために」をキーワードに書き続けます。弱い自分をさらけ出せる事を目標に進化前進。仕事の依頼も随時受け付けます。

 もう昨晩のことになるが、サンダーさんの試合に行ってきました。
 4年ぶりの現役復帰。
 結果は、カットによるTKO負け。
 1ラウンドから良い動きをしていただけに、もったいない試合でした。

 客観的に見れば「もう少し右ストレートにのびがあれば・・・」とか「もう少し、飛び込んでの左フックに工夫があれば・・・」とか、たくさん浮かびます。でも、ボクシング(ほかのスポーツも同じですが)は、このほんの少しの差が勝敗を分けてしまう。そして、どれだけ良い試合をしようが、負けは負け。それは、動かしようのない現実であり事実だ。

 自分の場合、福岡時代23歳で知り合った親友がたまたまプロボクサーだった。名前は越本隆志。なんとなく気が合い、誘われて試合の応援にいったのがきっかけでボクシングという世界の魅力を知った。

 隆志君はその後、35歳で史上最年長で世界王者になるのだが、僕らはチーム54(コシモト)という、隆志君をサポートするチームを作り、最後の日まで応援し続けた。
 仲間は、トレーナ、競輪選手、ミュージシャン、ファッションデザイナー、そして、物書きの自分といろいろ。みながそれぞれ出来る事を考えてサポートした。隆志君は最後、右肩の鍵が2本切れて、医者からは引退勧告までされながらも現役続行を決め、そして最後、35歳で奇跡的に世界にたどり着いた。あの時の感動は、一生忘れない。
 当時の事を書き出すととまらなくなるのでこのくらいにしておくが、僕はチーム54で活動していた12年間、隆志君の試合はすべて観た。細かい数字はいますぐ思い出せないが、年間平均3~4試合していたので、40試合前後は観た計算になる。その間にも、そこから付き合いが広がっていって、いま自分が所属する戸高会長、別の友人の山口圭司(元ジュニアフライの世界王者)を始め、仕事の関係もあり、少なく見積もっても、18年間で1000試合以上は、実際に会場に足を運んで観ている。
 そうやって考えれば、昨日のサンダーさんの試合も、1000分の1試合に過ぎないのかもしれない。もしサンダーさんと知り合いでなければ、数日もすれば内容すら思い出せないだろう。

 でも、僕にとってサンダーさんはただの一ボクサーではない。いつもジムでミットを構えてもらい、休憩時間は一風堂の話題で盛り上がっているジムの仲間だ。仲間の悔しそうな顔を見れば、こちらも悔しくなる。だから僕は、サンダーさんが試合後、自分たちの座っている観客席まで挨拶に来て泣いた時、逆に平静を装った。そうしなければ、こちらも泣いてしまいそうで我慢するにはそうするしかなかった。一生懸命、笑顔で話しているサンダーさんの心の中がよくわかっただけに余計辛かった。そして、もし、自分まで泣いてしまったら、サンダーさんは余計に辛くなったに違いない。そう思った。サンダーさんが僕らに頭を下げて泣いているちょうどその時、リング上では、メインイベンターとして戦った庄司君(戸高ジムの選手で、以前はサンダーさんがミットを構えていた選手)が、東洋1位のフィリピン人ボクサーに勝利し、喜びを爆発させていた。

 勝者と敗者のコントラストは、ここまでかというほど残酷に色濃く、そして、ふたりを比べるようにして、同じ時間の中に立たせていた。

 ただサンダーさん、一方でものすごく嬉しかったはず。一風堂の仲間たちがあんなに大勢集まってくれたのだ。決して奇麗事を言うわけではなく、仲間の力が、本当に大きな励みになったはずだ。それだけに、負けたときの悔しさも大きくなるのだが・・・。
 僕にとっては明日には忘れてしまうような試合はやまほどあるが、それらの試合もまた、ある人にとっては、人生を賭けた大一番だったりする。河原さんがいつも言う「誰もが自分の人生の主人公」という言葉を、昨日はあらためて深く受け止めた。どんな試合も、そのボクサーの関係者にとっては大切な戦いなのだ。


 どれだけ強いボクサーでも、いつか必ず負ける日、グローブをリングに置く日がくる。
 ある意味、どんなボクサーも「勝つために戦っている」というよりは「辞めるために戦っている」といって良いのではないか。じつは勝つことよりも「どうやって辞めるか」、つまり、引き際をどうやって飾るかを決める事のほうがよほど難しい。それがボクシングだった。
 応援するほうもそれは同じで、自分の大好きな仲間がボコボコにされたり、血だらけになったり、顔を腫らして、時には命さえ落とす危険にさらされながら、それでも必死に戦い、でも負けてしまうかもしれない。そんな状況を見ているだけで、リングに上がっている間は助ける事は出来ない。こんな残酷な状況に耐えられるのは、よほどサディステックな人か変人だけだ。普通は辛い、辛すぎる。でも、本人が頑張っている、必死に努力しているから、応援するのだ。本当は辛いけど、彼があんなに魂を燃やして頑張っている。だから、自分は応援するのだ、と。
 本気でボクサーを個人的に応援するというのは、そういう状況を理解した上でないと出来ない。というか、してはいけないと思っている。だから僕は、ボクシングを自分が趣味でする分には好きだが、個人的な知り合いのプロのボクサーを本気で応援するのは、本当は好きではないのだ。心が毎回痛むから。
 
 昨日も、そんな事を考えながら後楽園ホールに足を運びました。

 昨日、サンダーさんはいろいろな事を考えてリングに上がったはずだ。

「もし、勝ったら・・・」

「もし、負けたら・・・」

 誰にも言わず、自分の中だけで決めていた答えはあるはずだ。
 今回は後者の「もし、負けたら・・・」のほうになってしまった。

 試合前、サンダーさんは、どんな答えを用意していたのだろうか。


 でも、身勝手な応援者の僕が思うのは、最初の答えに執着せず「いまの自分」が思う「いまの答え」を出して欲しい。それが例え最初の答えと違っていたとしても、やはり「いまの自分」が出した答えというのが一番正しいはずだ。僕自身はそう思っている。
 答えは、一週間でも二週間でも良いから、ゆっくり、一度ボクシングと離れた生活を送ってから出せば良い。冷静な自分になって、その上で自分自身と向き合い、誰に相談することなく、自分そして心の中にいるもう一人の自分と相談して。
「人生」というリングでの戦いは死ぬまで続くのだから。

 ちなみに、隆志くんは引退後、すぐジムの会長になった。そして、今度の選挙では民主党推薦の公認候補として戦う事が決まっている。
 決してそこいらのタレント候補や、元スポーツ選手候補といった名ばかり候補ではない。引退して5年近く、ボランティアで青少年育成のための講演会や、地域スポーツの普及活動などをしてきたことが評価されての立候補。しかも、引退直後のそうした話には、「まだまだ社会経験の少ない自分では役不足」と断った上での、今回の立候補だ。
 
 
 人生の戦いに終わりはない。

 
 ボクサーも、飲食に携わる人も、そして、文章を書く仕事をする自分も、それは同じだ。

 諦めたら夢は終わる。でも、諦めなければ、夢は終わらない。


 ただし、夢を諦めずに追える資格があるのは、本気の覚悟、本気の努力の出来る者だけだ。それが出来る人は、必ず夢はつかめる。その瞬間、その一試合は敗れたとしても、人生というリングでの戦いでは必ず勝利をつかめる。僕はそう信じたい。いや、信じている。

 僕らまわりの人間は、サンダーさんがどんな答えを出したとしても、もちろん責めたりはしないし、下手なアドバイスもしない。ただ黙って、いつもと同じように迎える。サンダーさんが現役ボクサーだろうが、トレーナーだろうが、はたまた、一風堂のスタッフだろうが、サンダーさんはサンダーさん。変わる事は何もない。ボクシングをしているか、トレーナーをしているか、一風堂で働いているか、ただ、それだけの違いしかない。

 今日は長くなってしまいましたが、昨日はどうしても書く気になれず、一日置いてから思いつくままにタイピングしました。なのでかなり乱筆乱文、意味不明かと思いますがそれはご容赦下さい。


 進化前進。万事感謝でみんな頑張りましょう!


 追伸

 昨日、初めてサンダーさんの下の名前知りました(笑)

 
 自分は、明日は夕方からジムワークしまっせ!
$~果しなき流れの果に~ 『博多一風堂』 店主 河原成美 取材記