おはようございます。

安村セモデラックスです。

 

今日は役所の仕事のリベンジと

吉方取りを兼ねて

壊れた時計の修理もあり

近場をバスで🚌移動している

安村セモデラックスです。

 

私は25年位前に韓国に1年半留学していました。

そのタイミングが「凶方」の「五黄殺」だった

お話を少しします…


もともと韓国語🇰🇷を専攻していまして

大学の先生に可愛がってもらってたので

そのまま大学で働くことを考えていました。

 

教授とかのタマではないし

結婚も子どもも想定していたので

非常勤講師として、複数の大学で

韓国語の講師をすることを

目指しておりました。

 

ただ大学で教鞭をとるには

最低限論文1本は必要

修士号も必須ということと

語学教師にとって留学は

必須だろうと考えていたので

韓国の大学院に進学することにしました。

 

ところが、遊び好き、お酒好きのアホな私は

お金を貯めてすぐに留学すべきところを

貯まったら使い、使っては働きという

ダラダラした1年半を日本で過ごし

今思うと年と月で「五黄殺」にあたる時に

韓国留学に出発することに

なってしまったようです。

(日にちまで揃ってたら怖いので

パスポートを見るの辞めます、泣)

 

そもそも大学在学中から

家庭教師や塾講師のバイトをし

長期の休みになると韓国の

「語学堂(オハクタン)」という

ランゲージスクールに4.5回行っていたので

韓国の地に初めて足を踏み入れる留学でなく

深く時期など考えていなかったのですが

本当に今思うとダメダメな時期に

たまたま出発したようです。

 

下宿したお家のお父さんは失業するわ

下宿屋のお母さんは、私は専業主婦だから

家にいつもいるから鍵はかけなくて大丈夫!

そう言っていたのに、ある時

「実家に帰らせて頂きます」状態で

鍵開けっぱなし、持ってけ泥棒!のまま

セモのパソコンは盗まれてしまいました。


勉強しないといけないのに

保険でパソコンを補償してもらうための

手続きに奔走したりするだけで

とんでもないロスタイムで

更に戻ってきた下宿屋の奥さんは

みる影もないくらいに痩せ細り

「何があったんですか?」と

日々愚痴を聞いてあげるしか

選択肢がない状況でした。

 

お父さんは日々スーツ姿で面接に行くのですが

40代半ばくらいの世帯主が欲しい額をくれる

会社はなかったようで

妥協して就職すべきだ

今妥協しても未来がないだろうと

就職話を皮切りに、最後は汚い言葉で

相手を罵り合うような

凄まじい夫婦喧嘩をする毎日.

(韓国人は血の気が多いんですよね)

家が落ち着かない場所になってしまったので

中学生と高校生の娘さん2人も

とっても可哀想でした。

 

単純に私が引っ越しをすればよかったのだけれど

なぜかその選択肢を思いつかず

トラブルに見舞われている家族と一緒に

私もドツボにハマったという感じですね。

 

私って、良い意味でも悪い意味でも

まわりに影響を受けてしまう人間なんです。

目的を見失ってしまうくらいに。。。

 

結果、身体を壊してしまった留学ですが

怪我の功名で韓国語はありとあらゆる分野の

厄介な言い回しを使えるようになって

帰国しました。

 

留学で強くなったこと。

それはメンタルと、お酒!です🍺

焼酎をストレートで「乾杯一気」を

繰り返すカルチャーの韓国留学1年半を通じ

言葉とお酒をマスターし

「飲酒留学」という留学スタイルを

確立しました。

誰も後は続いていませんけれども、ね。

 

帰国後、「セモの作る焼酎水割りは濃すぎ」

何度もこのクレームを日本で受けておりますが

当たり前、お水入れてませんから、笑!

 

今思えば、語学教師を目指すよりも

韓国料理を学ぶ留学に行き

日本にいち早く韓国料理のブームを持ち込めば

安村セモデラックスは

巨額の富を築いたかもしれません。

自分の七赤金星をその頃知ってたらなぁ。。。

 

学校は辛かったし、環境もハードでしたが

唯一の救いは、何を食べても美味しい

ローカルフードと

ソウルの象徴である「韓江」の

美しい夜景でした。。。🌃

 

美しい大河を見つめながら

自分で決めたことを頑張り切れない自分が

情けなくて情けなくて、泣いてばかりでした。

 

「泣いてる時間があれば予習せよ!」

(当時の専攻は広告学で、学校の教材は

英語で韓国語に訳しながら行う授業でした)

今の私から、当時の私に言えることと言えば

こういう感じかな。

 

とにかく私って…海外で通用するほど

賢くないということだけは

痛感して帰国しました。

 

それでも、未だに仲良くしている

韓国人の友人たちや学科の先輩後輩が

大好きなので韓国語学科に入ったことは

後悔していません。

 

血だらけになった韓国留学ですが

それだけの価値はあったと今も思っています。

 

外国に飛び出たいと考えている若い世代

若くない世代も含めて笑!

チャンスが目の前にあるのなら

是非とも掴んでほしいと心底思います。

 

海外での時間は、あなたを孤独にします。


でもその時間が、必ずあなたの

血となり肉となり

全ての思考の根本になる

物差しになると思います。

 

みんな、頑張って!

安村セモデラックスは全力で応援します♪