(かつて自身のブログで書いた文章が友人の間で評判が良かっので

こちらもご挨拶がわりにリライトしてお披露目させていただきます💓)

 

私は自分自身が決して恋愛体質だとは思っていない。

けれども多分、2度離婚していて3回目は婚約破棄をし

現在も好きな人がいることから

『恋多き女』なのだろうというまわりの思い込みにつながっている。

 

ただ、時々ものすごい恋愛体質の人に出くわすことがあり

そういう人は常に恋愛話を求めているので

一言でも今の恋愛事情を話してしまったら最後

目を💗にして、次から次へと質問攻めに遭ってしまう。

 

楽しんで聞いてもらえるのはありがたいが

その場にいるみんなが恋愛話を好む人ばかりな訳でもなく

まるで汚いものを見るように

「いい歳して、まだ恋とか言ってるの?」

そういった冷ややかな目線を送られることもある。

 

いやいや、好き好んで話している訳でもないんだけれどなぁ

そんな時は「もらい事故」気分でいっぱいになる。

 

でもふと考える。

 

恋愛話って、その人の価値観を嗅ぎ分ける

リトマス紙みたいなものじゃないかな。

 

自分が恋愛や結婚で満たされている場合は

人の幸せについても寛大だけれど

そうでない場合は「それってさー」と言ったように

人の恋愛にも難癖をつけたくなったりする。

 

案外、仕事でも人間関係でも同じなのかな。

 

自分が満足できる一定の結果を手元に持っている人ほど

人の成功を祈り、応援し、サポートするし

若かりし頃想定した、自分の将来の姿に対して

今の自分の姿が若干でも劣っていると

自分に厳しい点を与え、まわりにも優しくなれない。

そんな感じなのかもしれない。

 

私自身はどうだろうか。

私は人の幸せな恋愛話はもちろん、失恋話

離婚相談、人間関係のトラブルなどの話をよく聞く

そして、想定外の話を持ち込んでくる人には

必要以上なリアクションをとってしまう

(新婚さんいらっしゃいの椅子から転げるやつくらい)

 

そして恋愛だけじゃなくても

自分に大変なことがあった時に思うのは

「この経験がいつか誰かの役に立つかもしれない」

なぜかふとそう考えてしまう。

 

アドバイスなんておこがましい

そういうことがしたいのではなくて

その衝撃がいかほどのものかを測って

一緒に考えてあげることはできる

そんな程度の話なのだけれど。

 

人には、人の助けが絶対に必要。

 

その助けは、何も労力やお金じゃないかもしれない。

それは「寄り添い」だったり「言葉」だったり

「発想の転換」につながるヒントだったりする。

 

話を元に戻そう。

「いい歳して、まだ恋がしたいの?」という冷ややかな目線の主は

満たされないながらも、それをオープンにすることも

ままならない人の可能性が大である。

攻撃(口撃)は満たされていないことの証なのかもしれない。

 

だからこそ、単に嫌なその発言で嫌な気分になってしまうよりは

本人、結構辛いところ抜けてきているんだなーと

一歩引いて、できればその人の話を聞いてあげられたらいい。

 

そう心のどこかで思いながらも、

結局は恋愛体質な友人と恋愛話をワイワイ楽しんでしまう私は

 

やっぱり恋愛体質だって認めないといけない、かもね。