猛女
次は実母です

実母は
実は病弱で、、
子宮にやや病気があり
私を生むのも命がけになってしまいました
1ヶ月以上の早産でした。。50年近く前の早産ですから大変でした。

私は運良く、、育つ事ができました

しかし母はその後、、
私のきょうだいを流産してしまい、出血が酷く輸血をしたり

別の病気で再び20代で手術をしたり、
同じく若かった父までが十二指腸潰瘍が破裂して緊急手術したり、
小さい私を抱えてとても大変でした。私は親戚に預けられて数ヶ月暮らしました。
しかし母は必ず良くなると信じて、、マイナスな発言をせずに暮らしを立て直したそうです。

やっと体調が落ち着いた頃、
自営だった父が連鎖倒産しました。主要取引先が不渡りを出したのです。もちろん父も経営者として甘さがあったのでしょう。
その取引先は今、ある業界で大活躍しマスコミにもよく登場されているある方の実家ですが、そちらは事業を立て直し今では拡大事業しています。

父には倒産後何年も過ぎてから、その方が活躍するようになった頃に、マスコミへ(連鎖倒産のいきさつについての)事実を暴露してはどうか、、という話しがありましたが断固として断りました。
未だにあれは自分の甘さだと言って全く語りません。。だから詳しくは私も知りませんが、父の親しかった方からおおよその話しを私は成人してから聞きました。

失業と借金が重なった我が家は本当に大変でした。事業をたたむ手続きも大変そうでした。
自営を手伝っていた母も、外で働き父も就職を探し、、合間には日雇いをしていました。
私は高校受験でした。もしかしたら、昼間働いて定時制高校に行ったらいいのかなと悩みましたが両親は、yasumingの好きなようにしなさい、絶対に叶えるから、大学も視野に入れて勉強しなさいと励ましてくれました。

母は外で働き、私の世話をし、借金の返済や落ち込んだ父のフォロー、事業閉鎖の手続き等、、いつも動き回っていました。私の服も全く買えなくなったので、洋裁ができる母がオリーブやプチレモンを見て、母の服をバラバラにして縫ってくれました。
自分の手術をした持病の通院もあるのに、、、
あの頃、大変だったわぁーと今は笑って話しますが、、、落ち込んだところを私達には一切見せませんでした。いつも笑っていました。

今回の息子の闘病。
泣いて泣いて、、電話で話せない私を励ましてくれました。
母もとても悲しいはずなのに!大丈夫、あなたは生まれた時から運がある子だから、、自分を信じて進みなさい、、と いつも励ましてくれます。

祖母、実母。
私も二人の血が流れています。
だから、、つよく、、息子を支えられると信じて頑張りたい。