ずっとずっと怒られるのが嫌いだった。


物心ついた時には主に父に。
保育園からは先生に。
社会人になれば上司や先輩に。

友達にも悪く言われたり、
嫌われたりするのが怖くて、
当たり障りのない会話しか
してこなかったな悲しい


それどころか、
何か言われたとき
怒られた訳じゃなくても
怒られたと思ってきた私の人生…




小学校で、クラスの子に
持ち物を隠されたときがあった。

連絡帳に「こういうことがあって、どうしたらいいでしょうか」と書くと、先生からは
(この前に何か書いてくれてたけど忘れた)
「これはつげぐちではないのですよ」とお返事。つげぐちみたいな悪いことじゃない、だからどんどん言って欲しいということを書いてくれたんだと思う。



それなのに小学生の私は
「つげぐちは直接言う事だから、書いて伝えるのはダメなんだ」と捉えたのです悲しい


今思えば思考回路が❓❓❓ですね…


日柱(小さい頃)の私は偏印・養
無邪気に、善悪も気にせずやっちゃう人。
怒られたり周りとの関係が悪くなったりしながら、最低限の善悪を身につけ、またやっていく人。

なんだけど。



私の中では怒られる=嫌われた、だから
嫌われるのが一番怖いこと、なんだろうなぁ。

私は怒られたり嫌われたりするのが怖くて、
自分で自分らしさを封印したのだと思った…悲しい



そこに気づいた私。
さあ、どうする?


自分らしさを出すことも選べるし

今まで通り怒られないよう、嫌われないよう、
縮こまって生きることも選べるよ。




2024  甲辰

あけましておめでとうございますスター