渦中にいるときはわからない。
けど、今週はたっぷりと自分責めしていた一週間でした
(あ、他人責めも笑)
ことの発端は先日のこれ。
私はおしゃべり得意じゃない。
だから人気がない、話しかけてもらえない。
私だってがんばってるのに。
っていうループに一旦はまると、その証拠がどんどん集まってくる。びっくりするくらい
でも、おしゃべり得意じゃない=話しかけてもらえないって、イコールに見えてイコールじゃない。イコールって思ってるのは本人だけなんだよね。
それを「ん?それって本当?」って、手動で止める。と心屋では習います。
けどなかなか止められない
しまいにはお腹壊したわ
最終的に行き着いたのは、
私はなーんにも悪くない。
私は間違っていない。
私は、私のまんまでいい。
マスターコースで美世さん始め、アシスタントのようめい、ともぴ、めぐにずっと教えてもらっていたことだった。
ーーー
ごはんも食べず部屋にこもっていじいじしていた私に母はこんな言葉を放った。
「感情の波があるね。」
私、ブチ切れ!
波があって悪いのかあなたみたいにいつもご機嫌でなんかいられない
そしたら母は私に
お父さんにそっくりだとか、困ったの、だとか、だから水飲めだとか言ってきた。
(母は体にいい水素水でなんでも治ると思ってます)
(決して責める感じの言い方ではなかったけど)
私はそんなに悪いのか?
治さないといけないくらい悪いのか?
あ…
母の価値観だ。
と気付いた。
ぺちゃくちゃおしゃべりする子は好かれる。
あんまり話さない子は好かれない。
感情の波があるのはいけない。
いつも怒らずおだやかにいるのがいいこと。
悪いところはがんばって治すべき。
しらんがな。
母はがんばって克服したんでしょう。
おしゃべり苦手でもがんばって話せるようになったんでしょう。
でも私は治せなくて、そんな努力できない自分を責めてしんどくて心屋に行き着いたのだ。
がんばって話せるようになった母は、
人の話を聞かない。
私が話したいのに、いつも話をさえぎって自分の話をかぶせてくる。
私は悲しくなる。話す気がなくなる。
私の話は聞いてもらえないんだな、って思い込む。
余計しゃべらない子になる。
※話したいんだったら「そうじゃなくて!」とかとことん話したらいいやん、というのはここでは置いときます。
話したいというよりも、
否定しないでほしい。認めてほしい。
が本音なんだろうな。
そんな本音はまだ言えないのだけど(←おい)
私はなーんにも悪くなかったって言葉が昨日突然降ってきて、やっと楽になれました。
私は、その場のノリでおしゃべりするより、
ちゃんと話を聞いてほしいし相手のこともちゃんと理解したい、そんなタイプなんだ。
ふわふわと浮ついた言葉は発したくないんだ。
と書くとお茶会のハードルが上がりそうだけど^^;
けど、そんなことを大事にしたいんだなぁと思いました。