先日(←ってだいぶ前笑い泣きまもなく3日目、4日目がくる)のマスターコースで習った、小さい頃の自分を抱きしめるワーク。


この手のワークが苦手で、今までなんとなくやらなくなっていたんだけど、最近思い出した時にやるようにしています。


そのワークをやっているとき、ふとわいてきた言葉が、

誰かの価値観に合わせなくていいでした。


マスターコース中に、小学6年生の時の担任の先生から言われた嫌だったことをなんとなく思い出して。

もうすぐ卒業、というときに、
6年間の思い出発表会、と称してそれぞれの学年で歌った思い出の歌を発表することになりました。

私は確か司会的なポジションだったのだけど、発表する子たちが、私が「次は◯年生の担当の人お願いしまーす」とか言う前に勝手に出てきて歌い始めて、その流れで私は仕切ることなく終わりました。

終わった後に、担任からそれを注意され、私はものすごく責められた気がしたんですよね…


今となっては責めたのか、ただ感想として言ったのかわからないけど、少なくとも私は責められたと感じました。


マスターコースで思い出したときは、
うーん、なんかよくわからないなぁ(*´-`)
嫌だったことではあるけど、ものすごーく嫌だった?のかはわからないなぁ?
他にもっと嫌だったことあると思うんだよなぁ…

な感じ。

イマイチ腑に落ちてなかったけど、ある日のワークでタイトルの言葉を自分にかけてあげたかったなぁと思って。

誰かの価値観(この場合は担任の先生)に合わせなくていい。

司会がなくても、進んでいった発表会。

多分、みんな私が性格的に司会とか無理なのをわかっている。

だから、自主的に発表していったんだと思う。

思いやりの心?からだったのだと思う。

そして、私も司会で仕切るとか無理、と、やりたくないことをやらなかっただけ。


担任の先生はきっと、

司会は司会らしく、ちゃんと仕切って、みたいな価値観なのだと思う。

多分、普通はみんなそうだと思う。

けど、そうじゃなくてもいい。と大人になった、今の私は思った。


多分、先生に限らず、
父、母、他の家族、友達、エライ人…

たくさんの、私じゃない人の価値観に合わせてきた人生だったと思う。

私の思ってることはきっと間違ってる。

だから、◯◯さんの言うことに合わせなきゃ。
嫌だけど。

そんな風に生きてきたと思う。


もう、合わせなくてもいい。

私の思ってることが正しい。

自信持って大丈夫。

そんなことを感じました。