私は未熟児で、家の中で産まれました。

祖父母がとてもかわいがってくれました。

段ボールの中に布団、を敷き詰めて、暖めながら、

脱脂綿にミルクを含ませて飲ませてもらいました。

祖父母のつきっきりの育児のおかげで、生きていたのかもしれません。

 

ですが、母は、子供を、祖父母に盗まれたと、恨んでいたようでした。

 

そう言う嫁姑とかの争いの中で育った私は典型的な内弁慶でした。

家では、普通におしゃべりできても学校では無口でおとなしい子でした。

 

そんな私を、母は、「あかん子」と、名付けていました。

 

謙遜が美学だった時代と言っても、自分に自信は育ちませんよね。

 

だけど、学校の先生からは、「いつまでも今のように優しいあなたでいてください。」というお言葉をもらいました。

 

それに対して母は、「他に褒めるとこ無いから」とか言ってました。

 

そうです、私は、活発とか、元気とか、明るいタイプに憧れていたから。

 

母も実は私に似ていて、そのコンプレックスから、褒めることの出来ない人かもです。