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社長から今日の東スポさんの一面になったとのご報告写メと、監督からは読売新聞の夕刊に「がむしゃら」の記事が掲載されてるという連絡を頂きました。
何から話したら良いか分かりませんが、まずは私のドキュメンタリー映画「がむしゃら」の話をしましょう。
28日に公開が控えている映画「がむしゃら」は、心の悩みや、人間関係に悩む子や家族の方に、少しでも悩みを解決するための糸口、または励みや活力になって貰えたらなと思い、高原監督に「撮らせて欲しい」と言われた時に、
「私の母校や、施設をまわってくれるのならば」
それを条件にドキュメンタリーのオファーを受けた映画でした。
私は、高校三年生の春からは普通の学校ではなく、三年生の授業を受けながら二年生の時に受けるはずだった授業をレポートで提出するという、通信制学校でした。
でもその学校はちゃんとクラスもあり、制服もあって部活もある学校でした。詳しい内容は映画の中で話していますが、とにかく楽しかった。学校ってこんなに楽しいんだと思えた。体育祭、修学旅行、部活動。
今、学校に行けていない子達には「こんな学校があるんだよ」って教えたい。未だにその学校に私は行っていて、演劇部に顔を出したりします。顧問が教頭先生だったのもあり、映画が出来たらまずは母校で講演会して良いと、まあ口約束ですが、つい最近教頭先生がお見舞いに来てくれた時にもしました。
まずそれが一つ。
そして、私は三歳の頃に白内障の手術をしてレンズを剥がしているため、物心ついた時から片目で物を見続けていました、目のためか言葉を発するのも遅い子だったそうです。バセドウ病だと知ったのは三年前でしたが、結構前から病状は出てたらしく、私はとにかく何をしても人よりトロく不器用でした。それでも元気で高い所が大好きなお転婆娘でしたが(笑)
大きくなるにつれて人間関係に悩むようになってきました。まあこれも映画で語っていますので、ここで全て話しちゃうと映画の意味がないので少しはぶきますが、
色んな事が重なって重なって私は自分の人生を自分で終わらせようとした時期がありました。若かった。と言えば若かった。でもその頃のわたしにとってはドン底だった。そして目覚めた時には病院でした。
窓から光が差していて、最初に見たのは青い青い窓いっぱいの青空でした。そこから医師に言われた一言。私の人生の1度目の転機。2度目の転機が高校三年生での転校(さっき言っていた卒業した高校)、そして自分の幼い頃からの夢『闘う人間』を追い女優の道へ、それでも身体が思うように動かず、疲れやすく痩せていく身体に悩まされていた頃に出た舞台でのプロレスへのスカウト。それがスターダム。第3の転機。そこからの闘う人間へ向かうための身体作り。病気の発覚。治していく事についてくる筋肉。42キロからの60キロ。動かない身体が動く喜びだけでなく、チャンピオンにまでなれた喜び。
『為せば成る、為さねば成らない』『ピンチはチャンス』
そして
『活きて生きる!』
これは、若い世代の子達ではなく、幅広い世代の方々に伝えたい事。
なんとかなるんです。確かに簡単ではないかもしれない。鍛えるためには吐いたり、泣いたり、凹んだり、そりゃマイナス思考になる事も勿論ありました。でもマイナス思考があるからこそ、プラス思考が生まれるんだと思うんですよね。だからこその
『マイナスはプラスへ』
ありがとうございます。って思います。活きてて良かったって思います。今、現時点で母に長い文章代筆して貰ってます。ごめんなさい、ありがとうお母さん。ドキュメンタリーを取ってくれた高原監督には、監督なのにマネージャーみたいな事して貰ってすみません、ありがとうございます。大山先生やミッドブレスの支配人、木村さん、ゆず季さんや、スタッフ、スターダムの皆にはお見舞い含めてリハビリを手伝ってくれて、笑わせてくれてありがとうございます。社長や風香さんななえさんには会社にご迷惑かけた事、申し訳なく、それでも治療費や今後の事を配慮してくれて感謝の気持ちがいっぱいです。そしてよしこさん、お話しがしたい。
私達はリングで色んな方にご迷惑をおかけしました、だからリングで起こした事はリングの上で。よしこさんと再戦したい。そのためには私は身体作りをし、待ってます。再戦出来た日が初めて、あの日会場にいたお客さんや業界の方々に改めて謝罪できる日だと私は思っています。
今、このブログに書いてある言葉は、母に私が喋ってる言葉をそのまんま、そのまんま書いて貰っています。だから私の言葉を、このブログを見て色んな意見があると思いますが、それでも私はこの文章をアップします。偽善者と受け取ってくれても構いません。映画の広告だろと思ってくれても構いません。実際なってます。
でも、それでも良いのです。私は私ですから。安川結花も安川惡斗も安川祐香です。根本は変わらない。私は私のしたい事をしたい。マイナスはプラスに変える活き方に、私は誇りを持っています。
人間の心はパズルのピースみたいだ。自分の人生を一生かけて埋めてくみたいに、一枚一枚探しながら
人生を築いていく。
そのパズルの一枚を簡単にはめれる時とかなり時間がかかって、やっと埋めれる時がある。
だから私は
諦めないで、せっかく映画も出来た事だし『がむしゃら』と共に、
一歩前に進んで、また一枚また一枚とパズルのピースを埋めて活きたい。
たまにとても怖いけれど、
そんな時は私の背中を支えてくれる家族や仲間、そして応援してくれる方々に、背中を押して貰いたいです。
皆さん、いつも私の背中を押して下さり
ありがとうございます。
私のパズルはまだまだ作りかけ、まだまだ三分の一も完成してないだろうな。
でもいつかは必ず完成させて
私のパズル。
できたら
あの日、病院でみた
青空だったら
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良いな!
誰かの全てを
私独りで変えられるなんてまったく思わない、だけど私は
誰かが一歩前に踏み出すための小さな勇気、一枚のピースに
ひとかけらに
少しでもなれていけたら
幸いです。
長々と長い文章すみません!読んでくれてありがとうございました。
以上、安川でした!!
安川祐香より(代筆、母)