皆様、いつもお世話になっております。

 

昨日は個人セッションでした。

今回は久しぶりに家族以外の仕事面の課題に取り組みました。

名前は伏せますが、ある提携先の行動に不満があり、そこに取り組むことにしました。

その行動とは。。

「庇護下にある人への責任を果たさない」ということ。責任を果たさないという課題は以前にもやったことがあるのですが、庇護下にある人というのがキーワードでした。中学生や小学生のようにまだ自分で選択することができない、そういう(社会的)弱者に対する責任放棄をたまらなく嫌悪していたのです。

さぁ、私はいつ「庇護下にある人への責任を果たさない」という行動をしていたのか。自分の人生を振り返っていきました。私はもともと虚弱体質なので、体調が優れなくて生徒や子どもが希望していてもサポートできないことも結構あります。私自身他意があるわけではありませんが、その庇護下にある生徒には責任を果たしていません。また、家族関係では体の弱っていた祖父母を老化を防ぐという目的であえてサポートしないということも多々ありました。80代を過ぎている庇護下にある祖父母に対する責任を果たしていないのです。確かに、私も同じように「庇護下にある人への責任を果たさない」というところがあるということに確信を得ることができました。

さらに、私が「庇護下にある人への責任を果たさない」ということで相手にどのような便益を与えているか、これも事例ごとに見ていきます。やはりキーワードは自立。私は生徒との信頼関係を築くことは比較的得意なことです。その反面、やはり生徒を依存させる傾向が強いという弱点があります。そこで、私が責任を果たさないということで生徒は私への依存度が下がり、私以外の人とも信頼関係を築いていくことができるようになっています。そもそも自立にあたっては特定の人だけとつながっているだけではなく、いろいろな人とコミュニケーションをとっておく必要があります。私は生徒の自立に一役買っていたのでした。また、家族についても祖父母は私がサポートしないということで自分の衰えを周囲に見せずにすむことができます。一般的に老化していても最後まで高齢者が失わないのが尊厳だと言われています。衰えを周囲に気づかせないということで私は祖父母の尊厳を守ることができているのでした。

相手に対する怒りだけでなく自分に対する怒りや罪悪感も解消することができました。

 

その解消のプロセスの中で気づいたのが自分自身が弱者を見守るということに価値を置いているということ。また、必ずしも手を差し伸べるということは重視していないということ。私は正直なところ人助けそのものはさほど重視していません。自分を助けるのは自分自身だと考えているからです。しかし、同時に自分一人では乗り切れないこともあるというのもまた事実です。その時のサインを見逃せないために相手を見守るということはかなり重視しています。私の中で助けると見守るということは別のことのようです。

 

いろいろなことに気づいたセッションでしたが、少しでも皆様のお役に立てばと思います。長文にお付き合い頂きどうもありがとうございます。