今の若者をZ世代と呼ぶのは、色々調べるとアメリカ発信の世代表現のようだが正直どうも好きになれない。

「Z」を考えたとき色んな意味にとれて、世界の足取りを見るに何か終わりの世代のように思えて仕方がない。

何故なら、Z世代の由来を調べるとここに行きついたのだ。

 

カナダのダグラス・クープランドDouglas Coupland(1961– )のベストセラー小説『ジェネレーションXGeneration X』に登場するX世代(1960年代半ば~1970年代半ば生まれ)や、次のY世代(1980~1990年代半ば生まれ)に続く世代という意味で、Z世代とよばれる。

 

ここで気になるのは、その前までのX世代なんて表現は日本ではしていなかった訳で「ミレニアル世代」やら「ゆとり世代」やら表現していたし、その前は「ロスジェネ世代」や「団塊ジュニア世代」と言っていたのが、いきなりアメリカと同じ表現表記にされてしまった訳で、まるで日本の独立の終わりの世代だと感じてしまうのだが、この感覚は私だけなんだろうか?
 

この夏、日本の先行きを気にしている人間が街頭宣伝していても、あまりに少ないのが恐怖でしかない。選挙権の行使をせずに政治に興味を持つことがいけない事の様にされてしまっている世代がZ世代ならばこの先の日本の明るい未来は見据えられない。

 

自由を謳歌しているようで、今日も駅前街宣の際見てしまったのだ・・・

何度も、リストカットを繰り返している後であろう若い女性の腕を、私はそれを見て何も声をかけてあげられなかった。

 

見た目以上に、心が痛かったのだ。若い人もそれぞれに問題を抱え死にたくなる様な世の中なのだ。私も何度もう死にたいと思った時が人生の中で何度もあったが、彼女は何回も自分を傷つけ、流れる血を見るたびに自分が生きている実感を痛みとともに感じているのだと思うと、私には彼女の心の内を覗き込む勇気が持てなかったのだと思う。

 

自分の生活が苦しいのは自分がいけないのだ、自己責任で生きていかなければならないのだとの思い込みを止めましょう。どうしても苦しくて苦しくて仕方ない人は日本共産党の門戸を叩いて欲しい解決できる問題は解決を、解決できなくても一緒に悩み苦しみ分かち合うことはできると思います。

 

生まれながら総理大臣になることが決まった家にたまたま、偶然に生まれただけで権力を継承できる世の中こそが異常なのだ。

 

それを止めるには諦めるのではなく、みんなが選挙に行き今の世の中はおかしい嫌だを明らかにしなければ変えられないのだ。

 

SNSでキラキラ感を出す投稿をして、セレブ感を出し私かっこいいでしょを見せて自己満足している層は今の世の中の継続を望む層なのだろう。

 

でも、その層が一般大衆の訳が無いのだみんなで一緒に一人でも多くの人が生きていきやすい世の中をつくって行こうじゃないですか!!

 

あなたの人生の主役はあなた個人でしかないのだから、本当の意味で自分が心の中からキラキラできる人生を送れる世の中をつくって行こう。

 

今のキラキラは一部の人だけで、誰かからそれは搾取したからこそ輝けるものなのだと金銭的に恵まれているから、時間的に恵まれているから、立場的に恵まれているからのキラキラは真に気持ちが良いですか?

 

私は、世の中に片隅に生きているのが辛い人があちこちにいる世の中なのに、それを出来たとしても見せたくないししたくない。それに対する嫌悪感しか抱けない。