6年生の息子は「今日から俺は!!」が大好きです。オンタイムの頃も見ていたし、今やってる深夜の再放送も録画して見てるし、映画の地上波初放送があった時には小躍りしてました
我が子達はとっても面食いでして、息子は橋本環奈ちゃんにメロメロ
はしかんちゃんと伊藤君のバカップルっぷりは「うわームリだーこんなカップル本当ムリだけど、はしかんはかわいい!!」と毎回悶絶してるので、思春期よのぉ…と眺めております
そんな息子からの質問。
「ママの高校もヤンキーいた?こんな感じだった?」
ちょっとちょっと!ママは昭和生まれなだけで、高校生の時は平成だったのよ!!
こんな高校同士でタイマンみたいなこと無かった無かった!!ヤンキーだって…と言いかけて思い出した同じクラスだったヒサくん。
いたなぁ…ヤンキー
中学時代の不良達は、みんな同じ小学校だったので、全然怖くなかった私にとって、ヒサくんは初めて見る怖い人でした。
入学式から金髪だったような気がします。
うわーマジか!!本物のヤンキー初めて見た
同じクラスなんだって驚いたし、その後も部活少女だった私との接点もないので話すこともありませんでした。
そして数週間経って、最初の席替えでまさかの隣りの席になったのです
えーどうしよ話すことなんか思い付かないけど、どうしよって思ってた私に、ヒサくんが話しかけてくれました。
「ねーyasugoさんて、チャックさんの娘?」
え?どういうこと?
なんで父親のこと知ってるん?
さっきまでビビって話しかけられないってやってたのに、あまりの衝撃にもちろんタメ語で聞き返してました
私の父は高校生ぐらいからチャックと呼ばれていました。全然外国の家系ではないのですが、父は私が物心付いた頃からチャックだったし、私はチャックの娘と呼ばれてました。
ルパンの娘みたく言ってみたいわけじゃなくて、本当に妹と私はチャックの娘って言われてました
おっちゃん達、ちょっとしないと名前を覚えられないから久しぶりに会うと忘れちゃうし
名前の由来は諸説ありますが、お喋りが過ぎてお口にチャックか、社会の窓の開放率が高かったのどちらかだと思います。
どっちもどっちだけど
ヒサくんがなぜ父と知り合いなのか?というと、ヒサくんの中学時代の友達が、父の親友の子ども達(双子)でした。
同じ歳だったので、小さい頃は一緒にスキーに行ったりして遊んだことがある子達だったのですが、中学から部活を初めて疎遠になっていました。
私も妹も忙しいので、父は親友の家に1人で遊びに行っては、ちょっとやんちゃな親友の子ども達とその仲間達の中に入って行って遊んで貰ってたそう
チャックさん面白いよね?
そりゃあなた他人だからそう思うんじゃない?
父親だったら大概よ?
初めての会話がそんな話で、ヒサくんとは一気に打ち解けられました。
ヤンキーだったことも忘れちゃうくらい普通のクラスメイトになれたのは良かったです
そういえば、私が中学に入ったぐらいから、
「お前がグレても俺はお前の味方だぞ!!」
みたいな何の話よ?ってことを父はよく言っていました
あの話は、ヒサくん達に繋がっていたのか…
家に帰って、父にヒサくんの話をしたら、
「あの家は不良の溜まり場だから、お前らあんま悪さすんなよ〜って声を掛けるのは大人として当然だろ?」
絶対それだけじゃないだろうけど、本当のことを聞くのも怖かったので、あまり深掘りはしませんでした
「ちょっとグレて警察にお世話になっても、俺はいくらでも迎えに行くぞ」
「大丈夫だ。ちょっとぐらい横道に外れても、立派に更生して頑張ってる人はいっぱいいるから!」
「悪さしても、大体のことはやり直せるけど、人を殺しちゃうのだけはやり直せない。その人は死んじゃったらおしまいだから。だからそれだけはカッとなってやるなよ?」
みたいなことを酔った時に延々と言ってたことがあったので、尖ってる若者達に刺激を受けちゃっていたのでしょう
なんてことを思い出したら、高校の友達は元気にしているかな〜と懐かしくなりました
息子のワクチン効果が期待できるようになる頃に、地元に2泊3日の里帰りを計画しています!
雪が降るとお墓参りに行けない場所にあるので、渡米前にやることリストを実行するべく、準備中です
緊急事態宣言が解除になって、全国の感染者数が激減はしてきたものの、会いたい人全員に会うのが難しいのが残念なところ…
それでも、できることになったありがたさを噛み締めてまいります!!
突然の「昨日食べたデザート」の写真
中にあったコーヒーゼリーが良いアクセント!
見えてないやん!
モンブランがあまり好きではない息子は、モンブランクリームを私に多めにくれました
2人で1個はなかなか良い量。
夕飯の後にもう1種類食べても罪悪感もない
控えめに言って最高です