スポンサーの意向に左右されない個人が発信するX(旧Twitter)は、偏向報道を繰り返す既存メディアと違って情報に偏りがなく、現代における情報の中心となりつつある。ネットを通じて人々が真実を見極めるようになれば、これからの日本は少しずつ良い方向へ向かっていくはずだ。
テレビの不誠実さは昔から変わらない。例えばあるプロ野球選手の報道では、本人が言ってもいない高圧的な言動に捏造されたり、普段「僕」と話す選手なのに、テレビのナレーションでは『ワイがやったるで』等勝手に荒々しい口調へ改変されたりしていた。また最近のクマ出没に関しても、テレビは単に「ドングリの凶作」と説明するが、そんなものは昔からあったはずだ。真の問題は、山を削って風力や太陽光発電施設を強引に建て、クマの生息地を奪ったことも理由だろう。メディアはこうした不都合な真実を語ろうとしない。パンダパンダと騒いでいないで、日本のヒグマやツキノワグマをもっともっと報道しないのは何故だろう。
こうした現象の背景には、現代文明全体の「必要以上の肥大化」と「安易な快適さへの依存」があると感じる。それは乗り物の装備にも表れており、例えばバイクのオートクルージング機能などは「快適」と謳う反面、ライダーに必要な緊張感を奪い、かえって危険を生む。生身で走るバイクに求められるのは、快適さではなく絶えざる緊張感なのだ。
この「緊張感の欠如」は教育や医療の現場でも懸念される。看護師のように人の命や運命を左右する職業において、努力不足で退学になるなら自業自得で済むが、勉強不足や再試続きの学生をうやむやに進級・卒業させて現場に出すことこそが最も恐ろしい。責任と緊張感が伴うからこそ高い対価(給料)が発生するのであり、適当な甘やかしは現場や患者を苦しめることになる。
技術の過剰な発達、真実を伝えないメディア、そして責任感を曖昧にする社会構造。こうした時代の歪みに惑わされないためにも、テレビは天気予報と株価などの客観的データを確認する程度に留め、自分自身の目で本質と緊張感を持って生きることが大切だと感じている。
