皆様こんにちは。





今日はブログ書くぞー
今日こそはブログ書くぞー


毎日そう思っているけれど
気がついたら一日が終わっております。










一日ってこんなに早かったです?






もうさ
なんか言葉にしたい思いは
日々の中で色々と湧いてくるのだけど

なかなか書き留められなくて


でもそうやって
なんか立ち止まるべきところを素通りしてしまっているような気がしてるのよね、最近。


それがなんだか嫌だなぁ。なんて思って





だってきっと
その通り過ぎようとした私の心をぎゅっとしたりザワザワさせた瞬間って絶対この世の誰かと共感できる瞬間だと思うから





わかるよーって言ってもらえるだけで

あーわかってくれる人いたーって思ってもらえるだけで


なんかちょっと救われるんじゃないかなぁ
なんて思います。










というわけで

私も気がつけば乳がんになって六年目。




だんだんとあの不安と恐怖に押しつぶされていた毎日も時間とともに日常を取り戻して、色々と薄れていて


まぁもちろん疾患前とはちょっと違うけど
それでもありがたいことに

病気のことを忘れることもありつつ過ごせております。







とはいっても

再発防止の治療は続いているし

あのとんでもなく衝撃的な出来事は
なかったことにはもちろんできない。





一日に一度は
あの日々を思い出して
突然とんでもない恐怖と不安に襲われたりもする。











いつ再発するかわからない。









この思いは
常にといってもいいほど
心の真ん中にどーーんと居座っていて




それが時に
色んなことを感じやすくしてくれて

小さなことにも心が動いたり
日々を大切にしなきゃいけないなと思わせてくれたりもする、今やなんだかちょっと大切なものだったりもするんだけど








だけど

なんだかその感じが


周りとの温度差、みたいなものを感じさせたりするのよね。






まぁそれは仕方がないっちゃあ
仕方がないのだけど










例えば





体調が悪そうな人に
ちゃんと病院て見てもらった方がいいよ、なんて言うと



私長生きなんてしたくないからいいの
なんて言われたりとか






雑談の中で


病気になっても抗がん剤なんて絶対したくない
なんて言う人がいたりとか






年配の人で

もうさっさと迎えがきてほしいよ
なんて冗談交じりで言ってたりとか







若い子でも

歳取りたくないから歳とるまえに死にたいです〜
なんて言ってたり









なんかさ
そういうのはさ


やっぱり今もとっても気になってしまうのよね。








いや
わかる。




私も癌になってなかったら多分
そういうこと、言ってたと思うのよ。





だし、そんな深い意味はないんだと思うのよ。










でもさ

そんな言葉聞くとさ










じゃあその命

生きたくても生きれない人にあげてよ













そう思ってしまうのよ。









そんな何気ない会話の中でさ



急に

じゃあその命ほしい人にあげてよ!!
なんて私もさすがに言わないけれども









その時

心がぎゅって

ぎゅぎゅぎゅーーーもやもやもやーーーー


ってなってんのよ。












とるにたらないようなさ

本当に些細なやりとりの中でも
本当にそういう温度差を感じることって

たくさんあるのよね。









でもいちいちさ





あの!私癌になって日々死の恐怖に怯えてるんですけどー!!
なんて言えないしさ




なんかもう別に隠すつもりはないし
私は結構バンバン言うのだけどね





でも

なんかそれを言うとみんな









あ、、






って雰囲気になっちゃうじゃない?





もうそれ言われたらなんも言えませんわ。さーせん。
みたいなさ?







別にそんな雰囲気にしたいわけじゃあないから

私も
ちゃんと、ヘラヘラしてるけどもね








だって
経験していないんだから
わからなくて当然だもん







だからさ

しかたないの。








でもそういう

温度差を感じることは
とっても悲しいから



なんだかだんだん人がいる場所に身を置くのが
辛くなってきちゃうのよね。









こんなんでも一応大人だから



言わないってことはできても





思わない

感じない



ってことは
どうやったって無理だもの。









今回の震災でもね








いやー私だったら耐えられない。
本当に可哀想だよね。










私はそんな言葉に
なんだかとてもモヤモヤするのよ。





いや私もね
震災にあった人の気持ちはわからないから
わかったふりするつもりはないのだけど




でもちょっとその病気を経験したわたしが
勝手に重ね合わせちゃうところがあって












わたしには耐えられない



って








じゃあどうするの?










私も病気したときに


ちーさんは強いね
私なら耐えられない。

って言われたこと結構あったのよね。










耐えれなかったらどうするの?
って思うのよ。






今そこに
耐えて耐えて踏ん張って生きようとしてる人がいるときに


私だったら耐えられないとか

可哀想。って言葉って




なんかちょっと違うような気がするのよ。







いや
わかる。わかるの。




その言葉が全て悪い意味を持つわけじゃなくて
それがちゃんと優しさを含んだ言葉をもつ時もあるのよ、絶対。




だけど






なんだかね







健康に生きてて


暖かい場所で
温かいもん食べながら

テレビ見て







可哀想よね〜
私なら耐えられないわ〜



なんて言うのはさ









なんか違うよ。って思うの。










それは別にね

じゃあおんなじ思いしろとか
そういうことじゃなくって



その人もその人なりに
心を寄せてるつもりだろうし


幸せなくせになんだよ、チェッ
って思ってるわけじゃないのよ。








だからなんだかうまく言えないのだけど



ただただ
日常が戻ってきた一方で

そういう違和感とか温度差みたいなものは
日々感じていて、それがちょっとしんどかったりもするんだよね。

っていう話なんですの。









誰かを責めたいわけではなくてね。









治療が続いていて
日々しんどいのがある意味当たり前になってて


いちいち毎日毎日
私体調悪いんですけどー!なんて言えないし


これは自分が背負った運命なんだな
なんて受け止めて耐えるしかないんだけど





でもそういうのがなんかさ

人との間に温度差を感じたり
心からわかり合えないような気になったりしてしまうのよね。








そうそう

これはさ
私はたまたま癌、という病気になってわかったことなだけで




この世の中で
みんなきっとそういう


人に理解してもらえない。


みたいな悲しさを心に持って生きてるんだろうなぁと思うのよね。






私もきっと
そうやって理解できてないことがたくさんあって

きっと誰かを悲しませたり傷つけたりしてる瞬間があるのよね。







考え出すと
なんだか繊細なことすぎて
どうしていいかわからなくなるけど





そこに愛があるか
そこにちゃんと正しい優しさがあるかを

考えながら言葉を渡したいな。
そう思います。











いや


って言いながらさ





機嫌悪いときとか
腹がたったときとか

とうとんでもないくらい口とか悪いんですけどね笑





完全に放送禁止用語ばっかりの

もうテレビならずっとピーーーーーーーーーーーってなってるくらいのヒッドイ言葉連発したりしちゃうんですけどもね指差し








でもまぁ

なるべくアンガーマネジメントもしつつ笑
優しくありたいなと思います。











なんだか長々と
色々偉そうにごめんあそばせです。



本当にいつも読んでくださって
ありがとうございます。









今日はこのへんで

失礼いたします。




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