朝に母親からメールが来た。
家族みんながみんな自分の人生に忙しい家なので用がない限り連絡をしないのが我が家の暗黙のルール。

要は連絡ないのが元気な証拠だということ。

春が来て、子供が産まれたらもう何年も会っていなかった秋田の祖母の家に弾丸で遊びに行こうと急に思いつき、航空券のチケットを見ていた昨日。

そんな祖母は今日亡くなっていた。

ここ数年病気だったのかも体調が悪かったのかも何も知らなかった。

『暖かい日になりましたね。』の母親からのメール文に続く訃報があまりにも自然過ぎて三度見した。

あぁ思えば15年前秋田の祖父の時もそうだった。
初めての一人暮らしに慣れてきた夏の終わり。
遊びに疲れ果てて朝帰りした部屋のタイルはやけに冷たくて気持ち良かった。
地べたに寝ていた自分の顔に携帯が降ってきた。
不思議な事に携帯が降ってきた。
不機嫌に投げつけられたような携帯の重さを頭に感じ、痛みで開かない寝ぼけ眼で携帯を開くと姉からのメールだった。



『秋田のおじいちゃんが亡くなりました。至急、支度をして秋田に来るように。』



全国に散らばっている親戚が急いで秋田に集結しようとする中、グースカ寝ている孫にきっと少しばかりじいちゃんがイラついて携帯を投げつけたのでしょう。



1月に秋田に帰省した際の話を年始にしれっと帰省した事実だけを語り何も話さなかった母。
あなたのことだからどうせもうなんとなくわかっていたのでしょう。


祖父が亡くなった際も昨日みんなが集まる前に沢山泣いたから、と子供がいる前では一切涙は見せなかった。

普段と何も変わらない母だった。

今から旅行に行く気分よ、そんな調子で送信された朝の訃報メール。
親には勝てないなぁと未だに思うわけです。
急すぎて自分が葬式にも出られないなんて、、、

物理的距離は絶対埋める事はできないからこそ会いたい人には時間作って会いに行くべきだと強く思う。

歳をとれば取るほどみんな動きたくなく連絡を待つようになる。
だから、様々な覚悟や決断を勇気を持ってやっていく。

ばぁちゃん、ごめんな。
今日の葬式は両親の言う事聞いて欠席します。 
一番早く6月なんだ。もすこし待っててね。

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今年も沢山の桜と共に新しい出会いが溢れますように。

昨日、仕事の合間に何故か歌が歌いたくなった。
思い出すよりも前に口が動いた。
普段絶対そんなことしないのに何故か歌を撮ってた。
不思議な事は重なるもんです。



普段歌わないこの歌はきっとばあちゃんへの餞の歌だったんだと思う。
来月あなたのひ孫が産まれたら夏が始まる前に会いにいくね。

ありがとう。
どうか天国でもじいちゃんと仲良く。

涙そうそう/夏川りみ