ちょっと前から「18÷0=0」の件が「X」で話題になっているらしい。

ネットニュースに出ている。


小学校3年生の算数の問題に「18÷0」が出て、それに対して「答えなし」と解答したら「答え=0」だとしてバッテンが付いたらしい。

そのことを親御さんが「X」に上げて話題になった。


「18÷0」の数学的により正確な解答は「ゼロで割る割り算は定義されない」みたいなことになるらしい。

つまり「答えなし」というのは適切な解答に限りなく近かったようだ。


この話題における問題は、小学校の先生がほとんど脳みそを動かしていないことであるように思われる。

おそらく「18÷0」の問題を前にした3年生のこの子は、脳みそをフル回転して考えたに違いない。


「18÷18=1」

「18÷9=2」

「18÷6=3」

「18÷3=6」

「18÷2=9」

「18÷1=18」


と、割る数が小さくなると答えもだんだん大きくなる。

その流れの中で「18÷0=?」となると、その答えは、気分としては1で割った時の18より大きくあって欲しいと思う。


ネットニュースには、この問題について東大生30人にインタビューして感想を聞いてみた、というのが出ていた。

30人のうちの多数が「どっちでもいい」だったらしい。

なんというか受験競争を勝ち抜いた人間ならではの合理性を見たような気がした、というのはわたしの勝手な想像。

東大生的には小学校の先生に対しても小学校における算数教育に対しても、そんなに期待はしていないよ、ということのような気もする。


それにしても小学校の先生は、割る数をだんだん小さくすると答えがだんだん大きくなる件について、全く疑問を抱かないのだろうか。

今なら疑問に思えばGoogleに「ゼロで割る割り算」とか入れて検索すればおおよその見通しが立つかもしれない、とか思わないのだろうか。


これも勝手な妄想だが、小学校の先生はあらかじめ決められた解答を決められた通りに教える、ということだけを訓練されて先生になっている。

それが学問的におかしな理屈でも、指導マニュアルに書いてある解答例が全て、という点について批判的な思考を「しないように」訓練されている。

そう思わざるを得ない。


わたしが小学校3年生なら、そういう先生に算数を教えて欲しくはない。

この場合は「ゼロで割る割り算は、大人になれば分かるかもね」くらいでちょうどいいような気がする。

全ての問題にはあらかじめ答えが用意されている、という立場でものを教えるのは絶対的にやめた方がいい。


まあ世の中の問題には答えのないものもけっこうある、ということにあらためて気づかせてくれたという点では、SNSのある世の中には良いこともあると思った。




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