昨日の晩、Amazonでスイミングキャップをポチった。
水泳用の帽子にはいくつか種類がある。
練習用のメッシュのやつとかレース用のシリコンキャップとか。
それで昨日ポチったのはレース用のシリコンキャップなのだが、3D構造で頭にピッタリフィットするタイプのやつ。
こういうタイプのシリコンキャップが存在するのをある水泳YouTubeを観て初めて知った。
もう20年くらい昔からあるらしい。
3Dで被った時にシワができないので滑らかになって抵抗が少なくなりタイムが上がる(かもしれない)という。
おまけに頭頂部周辺に抵抗を減らす謎のディンプル的な加工もしてある。
これは買わないわけにはいかない。
今、新潟でパリオリンピック代表選考会の陸上日本選手権をやっている。
田中希選手が相変わらず好調のようだ。
男子100mで桐生祥秀選手もがんばっている。
ネットニュースで桐生選手が準決勝を通過したと書いてあって、なんとなく気になって予選・準決勝のレースの模様をYouTubeで探して観た。
素人目に見た感じだが、2回走って2回とも、とても軽く調子良く走っているように見えた。
しかしふと考えたのだが、陸上の100mを0.01秒争うことにどんな意味があるのだろうかと思ってしまった。
走るのが一番早いアフリカのチーターの世界とかでは0.01秒を争うやつは居ないだろう。
とりあえず、獲物のインパラを捕まえるのに十分な速さで走ることができたらチーター的には満足すると思う。
しかし桐生祥秀の場合は、隣のやつよりたとえ0.01秒でも速く走ることを目指している。
昨日より0.01秒速くなったとして、人間としての本質が昨日とそんなに変わるわけでもなかろうに。
陸上選手の努力は、ある意味壮大な無駄な努力のような気がする。
本質的にはほとんど意味のないことを人生を賭けてやるのが人間という生き物なのかもしれないと思う。
だからわたしも、0.01秒でも泳ぐのが速くなるんじゃないかと思って3DのシリコンキャップをAmazonで買う。
わたしの場合水泳競技に人生を賭けるつもりは最初からないわけだが、そこは気持ちの問題。
それが人間のロマンというものだと思ったりする。