東京都知事選挙が始まっている。

ネットニュースに主要候補者のとある討論会の様子が流れていて、現職の小池さんは明治神宮外苑の開発に関連して開発業者にパーティー券を買ってもらったかどうか質問が出ていた。

蓮舫さんの質問だったようだ。

質問に対し小池さんはたくさん言葉を並べて、パー券を買ってもらったかどうか明言をしなかった。


それで、もう一人いた元安芸高田市長の石丸さんが「イエスかノーで答えて」と横から問いを出してきた。

小池さんはそれでもまたさらに言葉を重ねて、イエスともノーとも言わない。

司会の元テレ東の高橋さんが「それってイエスってことですか」と訊いたが結局小池さんは最後までむにゃむにゃ喋り続ける、明言を避ける。


というのは小池さんに限らず、また日本国の政権与党の政治家でも野党の人の場合でも、日常的に見られる光景。

政治家はテレビとかに出るととにかくたくさん喋る印象がある。

たくさん喋って画面に映る時間を増やすことが、近い未来の選挙に影響するということもあるのかもしれない。


しかしもうひとつ、公開の場で言質を取られたくない、喋り過ぎた勢いで言わなくてもいいことを言った場合に備えてのリスクマネジメントというのも大きいと思う。

たくさん喋ってテレビにたくさん映りたいが、喋る内容で揚げ足を取られたくない。

だからその喋る内容は、論理的な意味が極めて薄い言葉を並べることになる。

コンパクトに喋れば3秒で済むことを3分かけて喋る。


特に、政治家の先生はウソつき呼ばわりされたくないのだろう。

「あの時パー券を買ってもらったみたいなことを言っていましたよね」「そういうことは申し上げておりません」

後になって堂々とそういうやりとりができるように、いつでも布石を打っている。


人類の進化史的な視点から見ると、言葉の発明はウソの発明とほぼイコールなのだと思う。


わたしは以前、仕事の先輩から「たくさん喋るやつはほぼウソつきだから注意しろ」と教えを受けた。

いくつか例外はあるかもしれないが、多弁とウソつきの強い相関関係はほぼその通りだと思う。


人間は、ウソをつかないためには黙っておくに限る。

ただずっと黙っていると人間としてまともに生きていけない。

政治家に限らず、現代人にとってはその辺がけっこう難しい問題である。

ただやっぱり多くの政治家は言葉が多過ぎて、それがいかにもウソっぽくて、聞いていてちょっと疲れるなと思ったりした。






ウソをついた・つかれた

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