2025年 仕事納めをしてきました。


 今年の漢字は「縁」です。


 豆富の移動販売から自ら魚の移動販売を始めた2025年、結果を出せなかったのは全て自分の力不足が招いたこと。


 いろいろとあったことも確かで、事実ではあるけども「人を見る目」と言う自分の力が足りなかった。


 いまは、その悪縁がもたらした良縁にも感謝している。


 1月の開業は大きな出遅れ。

 (何度も書いてきたことなので理由は割愛)


 2月、3月は1時起床で横浜中央卸売市場へ通い修行。先行きの見えない中で不安と悔しさをぶつける場所がなく毎日のように泣いていました。


 今日は、その泣きながら通った道を穏やかな気持ちで運転して横浜へ。


 元々、年末は回せないだろうから一緒にやろうと師匠から言ってもらっていました。


 11月末に悪縁断ちするために拠点を出た時も捌く場所を失った僕に1年の集大成だから一緒にやろうと声をかけてくれました。


 12月から始めた普段でも忙しい市場の仕事が、年末でさらに忙しく、予約取りも一桁にとどまりましたが、忙しいのを察して「取りに来るだけで良い」と商品は師匠が作り、用意してくださいました。



 おかげさまで睡眠時間を長く得られました。


 今朝も「年が明けたら、ゆっくり話す時間を作ろう」と提案してくださいました。


 最後まで、めんどうをみてやると言う思いを感じました。


 あてにしていた人との認識の不一致から藁をも掴む思いで「魚 移動販売」をネット検索して唐突に連絡をとった相手が僕にとっては太くて強い綱のような存在になるとはまさに「良縁」です。


 現在、東京都中央卸売市場 足立市場で職を得ましたが、そのキッカケも師匠が与えてくれたもの。


 三郷市を中心に移動販売をスタートしていた僕は横浜を拠点にすることはできずに、ホームとなる市場を探していました。


 松戸、柏、越谷、足立、豊洲と見て回りました。

 申し訳ないですが松戸、柏、越谷は活気に乏しく地方市場と言うことで対象外に…。


 豊洲は活気はあるけども足立に比べると往復で40分多く時間がかかるのと、買い出しに行く購買者なのに駐車場が有料なのもネックで、規模が大きく、魚と野菜の市場が離れており使い勝手が不便であった。


 ちなみに築地場外にも足を運んだけども、あそこは市場ではなく観光施設。

 なんでもかんでも高い。


 そうして残ったのが足立市場。

 でも、何も伝手がない。


 師匠からの助言は

 「とにかく毎日、1番に顔を出す。決して自分から値切りに行くな。そうしたら、アイツ頑張ってるなって必ず気にかけてくれる人が現れて力になってくれる。市場って、そう言うところ。それまでは我慢」

 

 右も左も分からないなか、師匠の言う通りに行動して1ヶ月。


 「あんた頑張ってるね」って声をかけてくれたのは鮮魚の移動販売を含めて魚屋を58年続け、販売車の故障廃車を機に市場で働き出したと言う70代後半ののちの「足立の師匠」


 横浜では捌く技術を足立では見立てる知識を授けていただいています。(まだまだ駆け出し、ずっと勉強)

 

 足立の師匠には現在の職場も繋いでもらいました。

 足立の師匠に出会えたのも「良縁」


 仕事は忙しいですし、僕自身が要領が良い方ではないので、他の人より場数は必要にはなりますが社長をはじめ職場の方々にも温かく見守っていただいています。


 最近は仕事の流れも少しずつ理解してきて、チョットはお役に立てているのかな?と思えるようになったことで、自身の申し訳なさが薄れ居心地が良くなってきてしまいました。


 00:30出勤で時給に深夜割増が発生するのはありがたいし、新鮮なお魚を社員割りで購入できるのも大きい。


 僕は鮮魚部門で働いていますが、マグロ部門の方々にも良くしていただいており、いまの会社に入れてもらえたのも「良縁」


 また、買出人として市場に通っていたので顔見知りの方も多く楽しくさせてもらっているのも「良縁」


 烏滸がましいですが、これまで僕は人に恵まれて生きてきたと思っています。


 もちろん悪縁もありましたが…。


 包丁などの刃物をプレゼントすると「縁」って切れるんですって、横浜の師匠が言ってました。


 今回、拠点を引きあげる際にいらない包丁を2丁あげてきました。


 技術がないんだから安い包丁でいいんだ、余計な金は使うなと言われて最初に購入した安い家庭用の包丁。

 こう言う言動(まな板もカビ汚れの先代のでいいとか)からも教える気はないんだなと感じてしまった所以。


 で、のちにプロ用に買い替えたので、家庭用は不用になりそれこそ余計な金になりましたが、結果的にプレゼントしたようなものですから「悪縁」は断てたと信じています。


 豆富屋の時のお客様は7割が消えましたが、残った3割の方とは良縁が続いています。


 7割消えたのも僕の力不足です。

 

 「俺のせいだと言われる」と、とある方から申し出がありましたが、そんな記述はした覚えはないし、それこそ烏滸がましい。


 豆富屋の看板が思いのほか大きかったのと、素人が捌く魚への信頼感がなかったのでしょう。

 1月は師事できる方が不在で、僕自身が不安そうな顔で売ってましたからね。

 仕方ない。


 だからこそ、残ってくださった方への思い入れは強く、ビジネスと言うよりは近所の魚屋の兄ちゃん(ご高齢の方が多くお客様からみたら47歳は兄ちゃんかと)になってしまい、利益を追求できなかったのかも…。


 今後の展望としては、足立の師匠の伝手で業務用のストッカーは無料でいただけることになったので、市場の調理場を安く使わせてもらって移動販売復活を前提でいますが、焦ってはいません。


 不安そうな顔で売っていたのは事実ですが、物価高の影響もあると思います。


 僕が豆富屋を辞めて自分で始めたのは、本部から与えられた商材ではなく、お客様が欲しい物を届けたいと思ったから、その根底には病床で毛蟹を欲していた母の願いを叶えることで死期を悟られるんではないかと行動できなかった後悔からきています。


 なので、ご高齢の方の一助になれたらと活動してきましたが、実際は食べたくても食べれないと言う現状があるのかもしれません。


 冷静且つ客観的にみて、残ってくださったり、新たにお客様になってくださった方々って、お大臣なんて言われている地主さんだったり、比較的多く年金を受給しているだろう公務員上がりの方、大きく会社をやっている方、70代80代でもなおご商売されている自営業の方、息子さん娘さんと同居されているけど、息子さん娘さんは仕事が忙しいなんて方なんですよね。


 足が悪くてお買い物が大変でも移動スーパーの1品プラス¥20の価格を高く感じて時間を使って店に買いに行く話に驚愕したことがありました。


 20品買ってもプラス¥400

 それを浮かすのに往復2時間使う方がいいって話。

 時給¥200の仕事じゃないですか?


 そこをどうにかするのは魚屋じゃなくて、政治家の仕事ですから、僕には変えられない。


 いま買ってくださっている方も5年後に存在しているかって言ったらねぇ…。


 悲しいかな、生きとし生けるものには寿命がありますからね。


 確率的には5年後52歳の僕はまだまだ生活して行かなければならない状況にあると思うので、それでは困ってしまいます。


 だから、現役世代の魚好きも巻き込みたい、巻き込まなければならない、豆富屋で培ったノウハウでは日中不在の多い現役世代は確保できないし、売るだけで良かった豆富屋とは違い、仕入れ、加工に販売を1人でやって、さらにピン押し営業では効率が悪くて実際に頭打ちになった。


 そのことを踏まえると考えるより先に行動もいいんだろうけど、落ちついて冷静に焦らず地盤を固めたいと考えています。


 2026年4月からは、自転車に青切符が導入されます。

 罰則がある、ないに関わらずなのですが、飲酒運転は危険です。自分が傷つくのは自業自得でも下校時の児童の列に突っ込むなどの事案が起きた場合、無限の可能性を秘めた子供が犠牲になります。


 飲んで乗る奴はもちろん、自転車で来ていることを認識しているにも関わらずアルコール、場所を提供するのは如何なものであろうか?


 個人的な感情だけではなく、明確に社会のルールから逸脱した行為であり、モラルを問われる問題でもある。


 事故を起こさなければいい、バレなきゃいいの時代ではない。


 パナソニック製のエンジ色の電動自転車、白髪の赤ら顔には要注意です。



 最後に、2025年、大変お世話になりました。

 みなさま、良いお年をお迎えください。