こんにちは
井田やすひさです
すっかり春ですね🌸
卒業の季節
自分が小学生の頃を振り返ると、この時期は謝恩会とかあったな~…と
謝恩会で何をしたかは記憶がないですがww💦
給食のメニューに6年生だけお菓子が付いていたことは覚えています
嫌いなものも特になかったので、給食の時間は大好きでした
給食費も日本全国多少差はあるものの、およそ毎月5000円前後なので1食あたり250円👛
栄養面もしっかり考えられていて、この価格✨
共働きが多い時代ですしありがたいですよね!!
今回はそんな給食が始まった当初のメニューから現在のメニューまでどんなふうに変化してきたのか紹介したいと思います
1.学校給食のはじまり
まず日本で学校給食が始まったのは1889(明治22)年
山形県鶴岡町(現・鶴岡市)の大督寺というお寺の中に建てられた私立忠愛小学校で、生活が苦しい家庭の子どもに
無償で昼食を用意したことが、はじまりとされています。
その昼食は、大督寺のお坊さんが一軒一軒家を回って、お経を唱えることでいただいたお米やお金で用意したものだったそうです
1889(明治22)年の代表的な給食献立 おにぎり、塩鮭、菜の漬物
出典:独立行政法人日本スポーツ振興センター
2.全国で学校給食が奨励
1923(大正12)年、文部次官通牒「小学校児童の衛生に関する件」において、児童の栄養改善のための方法としての学校給食が奨励されだす。品数は少ないながら、ごはんにもお味噌汁にも野菜たっぷりでしっかり栄養取ってほしいという思いを感じますね
1923(大正12)年の代表的な給食献立 五色ごはん、栄養みそ汁
出典:独立行政法人日本スポーツ振興センター
3.昭和初期~中期の代表的な給食メニュー
昭和初期は太平洋戦争による食糧不足のため、学校給食は中止となる時期もありましたが、
1954(昭和29)年に「学校給食法」が成立、公布され、日本の学校給食は第二のスタート
現在は、捕鯨禁止のためメニューには出てきませんが、当時は捕鯨推進で、低カロリーで高たんぱくなこともあり、
鯨肉を使ったメニューが人気だったそう
飲み物は脱脂粉乳🥛独特のにおいがあるため、苦手な子どもも多かったようです
またアメリカから小麦粉が寄贈されており、主食はパンでした。
1952(昭和27)年の代表的な給食献立 コッペパン、脱脂粉乳、鯨肉の竜田揚げ、せん切りキャベツ、ジャム
出典:独立行政法人日本スポーツ振興センター
4.昭和中期~後期の代表的なメニュー
パンが主食でしたが、1976(昭和51)年に学校給食制度上に米飯が正式に導入されてから、ごはんも出てくるようになりました
飲み物も脱脂粉乳から牛乳🥛へ切り替わったようです。
1979(昭和54)年の 給食献立 ごはん、牛乳、がめ煮(郷土食)、ヨーグルトサラダ、チーズ
出典:独立行政法人日本スポーツ振興センター
ソフト麺のスパゲッティやカレーライスのメニューも出てきて、当時も人気メニューだったそうです
メニューが増えると日々の給食も楽しみになりますね!
引用:全国学校給食会連合会
5.平成・令和の給食メニュー
品数が増えている!!牛乳もビンじゃなくてパックになっている!!👀
平昌オリンピックのときは韓国料理が、G20サミットのときはイタリア料理やフランス料理のメニューが取り入れられるなどしたそう
カレーの際もライスではなくナンが出てくることもあるそうです。
給食を通して世界各国の料理を知って食べることができるなんて日本は恵まれていますね!
食の知識は小学生の子供のほうがあるかもですね💦
引用:全国学校給食会連合会
5.最後に
給食の歴史は130年くらいで大きく変わりましたね!品数にメニューのバリエーションがどんどん豊富になっていて驚きです
今後はどうなっていくかも気になりますね
安心安全を問われる時代、オーガニック食材メニューなんかも出てきそう(すでに出ているのかもですが💦)
今後も子供の成長とともに注目していきたいと思います
最後までお読みいただきありがとうございます。それではこのへんで🍀