ご無沙汰しております。
いかがお過ごしですか。


私はほぼ引きこもって暮らしております。


といっても私はこの騒動の前から
外出することが少なかったから
あんまり窮屈には感じていません。


相変わらず本を読んだり
動画で新しいことを学んだりしていて
ここにきて生活が整いつつあります。
(時々昼夜逆転するけど…)


ここ数年で学んできたことが輪郭を帯び
それが実となり、収穫しては味わいつつ
また新しい人生のサイクルが始まったな…
という感じです。





巷では"自粛警察"なんて言葉があったそうですね。
(自粛してない人をパトロールしてる人のこと)


自分だって出掛けてるからこそ
パトロールできるんじゃないか!
と批判合戦も繰り広げられてるとか…


社会の中で生きる以上
周りからの目というのは避けられませんが
だからこそ抑止力が働くという面もあります。


他人の目は攻撃にもなれば、
時として守りにもなりますね。





自分は真面目に自粛してるのに
平気で自由に生きる人を見ると
腹が立つのは分からないでもないですよね。


みんなが自粛している中で
その人たちが外出して感染を広げたりしたら
そりゃあガッカリしちゃいます。


でも、攻撃的になってしまうのは
なんか違う気もする。


攻撃的になってしまうのは
現状に適応出来ず不安になっていたり
我慢してるせいだったりするのかも。


ひょっとしたら
常日頃から抑圧していたものを
コロナ騒動にかこつけて
怒りとして放出してるのかもしれませんね。


けど人に怒りをぶつけても
スッキリなんかしないし
余計嫌な気分になる気がします。




感染するのが嫌なら
君子危うきに近寄らず…しかない。


制限はかなり増えるけれど
だからって楽しく生きる方法はきっとある。


冬には冬の、
夏には夏の楽しみがあるように。


悲観するよりも、
これを機に自分の考え方、生き方を
見直してみた方が建設的な気がする。


むしろ、
この現状でも出来ることや楽しめることを
新しく探してみたら
人生を大きく変える事に出会えるかもしれない。


これまで出来ていたことが出来なくなったなら
その空いた隙間に新しいことが入る余地が出来る
ということでもあるから。


そういう意味では大きなチャンスとも捉えられるし
良いきっかけになるかもしれませんよね。





とはいえ
結局どれだけ自粛生活をしてても
どこで感染するかは分からないし
完璧な防御は難しい。


いくら買い出しを減らしても
たった一回の買い出しの時感染するかもしれないし
通販の段ボールで感染するかもしれないし
働いている人は職場で感染するかもしれない。


だからやれることをやって
あとは天に任せるしかありませんね。


そもそも人間は
いつどのようにこの世を去るのかさえ
自分でコントロールは出来ないのだし。




それにしてもコロナウィルスは
もの凄い感染力ですね。


人間は繋がってるんだなとしみじみ思わされます。


一生出会うことがないかもしれない全世界の人々と
「コロナ」という同じ問題を共有してる。


遠く離れた国の「誰か」が感染したウィルスが
その国でどんどん広がって
海を越えて日本にもやってきて
自分の住んでる町にも遂にやってきた。
考えてみたらすごいことですよね。


「バタフライ効果」を思い出しました。


「蝶が羽を動かしたら
遠くの国の気象に影響を与える」

というような意味ですが
まさに誰かのふとした行動が
ウィルスを全世界に広げ
今回のような大騒動に発展したわけですもんね。


縁がないと思っていた外国の方々も
見えない糸で繋がっているんですね。
人間だけでなく、動物や植物も。
ほんと運命共同体ですね。




核家族化が進み
結婚や出産をしない人も増え
働き方も生き方も多様化し
家族単位での幸せから
個人の幸せを追求するようになり
個人主義が主流になってきた現代の日本。


コロナ騒動を通して、
「人はみんな繋がっている」
「人は繋がりの中で生きている」
「そしてそこから逃れることは出来ない」


と、コロナウィルスから私たちに
示されたようにも感じました。


その個人主義の影響なのか、
自己責任という言葉をよく聞くけど
そうも言ってられない。


どんなに自己責任だと言い張っても
感染して重症化した場合は
病院で他者にお世話にならざるを得ないし
万が一家で亡くなったとしても
遺体から感染が広がるから
特殊な方法で葬ってもらわなきゃならない。


自分の人生、自分の命なのだけど
自分だけで責任を取ることは出来ない。


人は常に見えない糸で繋がっていて
どんなに孤独に思える人でも
必ずどこかで誰かの手を借りて生きています。


そもそも「自己責任」なんて
無理がある概念ですよね。


自分の人生の最期さえ
自分だけで完結することは不可能なのだから。


そう思うと
自分や他人をコントロールしたり
自力だけで生きようとすることは
不自然な生き方なのだと気づきます。





「powder」という映画がとても好きで
最近、その主人公の台詞をよく思い出します。


主人公はジェレミーという青年。
彼は生まれつき色素と体毛がなく
人や動物に触れると心を読むことができます。


そんな彼は気味悪がられ
人から避けられたり、虐められてしまいます。


そんな彼が心を開いた女性との会話です↓
(青字が主人公ジェレミー)





「人間の心ってどんな?」

「一人一人 別々の存在だと思ってる。
自分は自分だと」

「実際はどうなの?」

「違う。人は万物の一部だ。みんな繋がってる」

「みんな?私はこの木と一緒なの?犬のザックも?
だったら会ったこともないイタリアの漁師とか
死刑囚とも繋がってるのね?」

「信じないの?」

「とても信じられないわ」

(頭を指差しながら)
「ここのせいだよ、真実が見えないのは。
おばあちゃんたちも人は皆別々だと思い込んでた」

「そのつながりって見えるの?」

「人は皆美しい。隠し事をする必要はない。
誰にも嘘をつかずに話ができる。
皮肉を言ったり、騙したりすることもない。
真実をありのままに話せるんだ」

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この映画を25歳くらいに初めて観たとき
それこそ雷に打たれたような衝撃を受けました。


心理学を学んでた頃にも
人の無意識は繋がっているという説を知り
この映画の内容は案外真実ではないかと思いました。


子供の頃の私はジェレミーほどではないにしろ
とても素直で、純粋で、無邪気な子でした。
 

人を嫌いになったりすることもあまりなく
裏表なく、思ったことは何でも口に出して
いつもアホなことを言って笑ってる陽気な子。


勿論その無邪気さゆえに
沢山の人を傷つけてしまったかもしれません。


隠し事をされたり、嘘をつかれたり、怒られたり
皮肉を言われたりするとすごく凹みました。


そしてこのままの私じゃだめだ
と思うようになりました。
自分を守るためにも。


そして世の中に対して斜に構えては
もっと寂しくなることが増えた。


でもこの映画に出会って
なんだか懐かしくなり、嬉しくなったのです。


やっぱり私は対話を大切にしたいし
そこで違いを尊重し合いたい。
自分や他人を信じたい。
独りよがりで終わりたくない。
そう思ったのです。


傷ついたっていいから
素直に自分の気持ちを伝える


どうしても噛み合わない人とは
お互いを尊重する意味で距離を置く


そして目の前の深く繋がれる人との関係を
豊かにしていこうと思うようになった。


1秒でも多く大切な人と笑ってたいから。



個人主義はともすると
自分の正しさを他人に押し付けるようになる。


けれど、
粘り強く対話を重ね
違いを受け入れ合い
お互いの生き方を尊重し
それぞれの居場所を尊重する。


そして対極にいたとしても
時には協力し合う。


それこそがこれからの時代に求められる
個人主義の在り方だと私は思うのです。


家族との関係
友達との関係
職場での人間関係
地域社会での人間関係


あらゆる他者との関係でも
大切なことなんじゃないかなと思っています。







もしお暇なら
この映画を観てみてください。
今だからこそ響くものがあるかもしれません。

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また取り留めもなく書いてしまいました。
読んでくださってありがとうございます😊


季節はもう秋を感じますね。
紅葉🍁する町の景色が
今から楽しみで仕方ありません。


それではまた( ⸝⸝•ᴗ•⸝⸝ )੭⁾⁾