今日は毎年恒例の
松江城大茶会だった。



着物を着るつもりだったけど
寝坊をしてしまい
おまけに雨も降っていたので
あっさり諦めて洋服を着て行った。




ずっと前から
大茶会では着物を着よう!と決めてたのに。




「あの着物を着て夫と歩きたかったなぁ」




悔しく思いながら大茶会へ向かう。




今思えば、多少濡れてしまっても
多少出掛ける時間が遅くなっても
着て行けば良かった。



なんだか今更そう思う。



お気に入りのワンピースを着ても
全然嬉しくなかったし
結局一度も傘をさすことがなく
どんどん空が晴れていくのを見て
益々悔しくなった。



駐車場に車を停めて
会場に向かって歩き出すと
夫が後ろからシャッターを切る音がした。

「なんでこんな路地で?笑」



そう言うと、
「こういうところが案外良いんだよ」と言う。



帰ってから写真を確認してみると
確かに良い。




どこの流派とは言えないけど
あるお茶席に参加したとき
私たちは予約した回の開始前に到着したのに
その回がもう始まりかけていた。



予約をする際に
「時間通りに始まりますか?」と
念のため確認していた。

早く始まったりするときもあるから。



すると受付の人は
「時間通りに始まります」と答えた。



だから15分前くらいに待機席に座って
順番を待っていた。



なのに私たちが予約した回は
案内されることもなく
もう満席になってしまっていた。



スタッフの方に話しかけると
無理矢理席を用意してくれた。



でもその席はお点前をする方の真後ろで
説明する方も私たちにお尻を向けて話すから
何を話してるのか全く分からない。



(はぁ、まぁ仕方ないか…)と思っていると
私たちの真後ろに座ってた年配の女性が
突然大きな声でこう言った。





「全然聴こえません!!」




後から夫が言ってたんだけど、
その「聴こえません!」と叫んだ女性は
叫ぶ前からブチブチ文句を言ってたらしい。



その内容は聞くと、頷けるものだった。



客として
「大切にされていない」と不満を感じても
全くおかしくない対応のまずさへの指摘だった。



彼女は嫌味なわけじゃなく
ただ素直な人だった。



不満を押し殺すクセがある私は
その方が真後ろで文句を言ってることすら
気づかなかった。。なんか面白い🤣





数ヶ月前にお茶の先生と
出雲大社のお茶会に参加したときも
同じようなことがあった。



その茶会の説明や進行をしている女性の声が
小さ過ぎて全然聴こえない。



おそらくすぐ近くに座っている人にしか
聴こえないだろう小さな声。



会場には数十人の客がいたけど
ほとんどの人が聴こえてなかったと思う。



後ろの席の人は聴こえないせいか
堂々と雑談さえしている状況。
そんなお茶席は初めてだった。



(なんだこの状況…)と思っていたら
私の隣りの席の年配の女性が叫んだ。





「全然聴こえないんですけど!
もっと大きな声で話して下さい」






私はとても驚いた。




それ、言っていいんだ…



お茶の世界って
「慎ましく、謙虚に」という人が多いし
文句を語気を強めて言ってるのを初めて聴いた。



後で私の中の「謙虚な方代表」である
私のお茶の先生に聞いた。



「大きな声で叫んでた方がいましたね。
驚きました!」




すると先生は
「そうね。だって全然聴こえなかったものね」と
その行為に対して批判的ではなかった。
むしろ肯定的だった。




私はこっそり驚いた。




「そういう時もある」と
その状況を受けいれるのが茶道だと
勝手に思い込んでいたのだ。




(そうか…伝えてもいいことなんだ…)と
軽くカルチャーショックだった。




心屋や、家族、友達に対しては
当たり前だと思っていることが
茶道でも通用するということに
勝手に驚いていた。



















同じようなことに2回も遭遇し
茶道の世界は別だと考えている私に気づいた。



「お茶の世界は
相手のミスも見て見ぬ振りをして
素晴らしい部分に目を向けたらいい」



そう思っている自分に気づいた。



つまり、
自分の近しい人間関係以外では
自分の不満は押し殺しなさいと
自分に押しつけていたのだ。




でも
「言っていいんだよ」
「不満は不満として大切にしていいんだよ」と
そのおばさま方に教えられた気がした。



せっかく楽しみにしてきた茶会なのに
不満を自覚してしまうことで
ガッカリしたくない。



それに不満を表明するなんて
なんだかみっともない。 




私はそう思ってたんだと思う。




そうして私の中にうまれた不満が
浮かび上がってこないように押し殺していた。



みっともない自分を隠そうとした。



だから、出雲の茶会で
あのおばさまが叫んだとき
「そんな言い方しなくていいじゃない」と
少しムッとした。



私の不満とみっともなさを
炙り出されることが怖かったんだろうと思う。



でも今はあのおばさま、
天晴れだなと思う。



あの人は私の師匠なのだ。



早めに不満を伝えることで
その不満が解消して楽しめたりするんだから。



溜め込んでしまうと
不満探しになってしまいかねない。









そういうとこだよ、と思う。



そういう不満を見て見ぬ振りをするから
心にモヤモヤが蓄積されていって
自分の気持ちを見失うんだよ。



自分の中に確かにうまれた不満を
自分でジャッジして批判して
殺そうとするから
自分が分からなくなるんだよ。



夫や家族には
堂々と不満を表明するくせに
外ではまだ良い人やってる。



そのことに気づいた今回のお茶会。



というか、
2回も同じことが目の前で起きたのも
そこに受け取るべきメッセージがある
ということなんだと思った。





風通しの良い心で在りたいなと
改めて思った。





そして次からは
雨が降ってたとしても
寝坊してしまったとしても
着物を着たいと思ったのなら
着て行こうと思った。




夫を待たせるのは悪い
沢山の茶席に参加したい



それを優先したことは
間違いでもないし
今日はそれで良かったのかもしれない。



でももし次同じ状況になったら
もっと自分の気持ちを聴いてあげた上で
決めたいと思った。



だって一番大切だったのは
「夫と着物を着てお茶会に行く」
ということだったのだから。



朝一番の選択で
自分の中の本音を取り間違えると
不満な状況が次々起こったりする。



それをしみじみと感じた1日でした。






でもとても嬉しいこともあった。



お茶会のチケットを毎回くださる
夫の知り合いの先生が
進行をされる回に初めて参加出来たこと。





お気に入りの喫茶店が
営業再開していたこと。


よく話していた店員さんも
復帰していたこと。


悪いことばっかりでは決してない。






でも不満も大切にしていこうと思った。



嫌なものは嫌なんだから。