夫婦関係の悩みを聴いてると
最近よく思うことがある。


それは
「理想の夫婦像を捨てた方がいい」
ということ。


夫婦関係だけでなく、嫁姑や親子、
あらゆる人間関係においても
これが突破口になる人も多いんじゃないかと思う。


仕事に関することなんかも
同じかもしれませんね。


「理想を捨てる」
「理想の形を諦める」

おもむろにうさこ登場




私は結婚するまでは
家族以外の人間関係で悩まなかったのは
ハードルの高い「理想」が
そこに無かったからだと思います。


友達は気の合う人が数人いたらいいし
いつも一緒にいなくていいし
群れは苦手だと分かっているから
あまりそこに入ろうとしない。
なのでマイペースに飄々と生きてきました。


そういう自分を「問題だ!」と思うと
それは問題になるし、
そのことを考えると悩み出してしまう。


でも「そういうのは私はしたくない」と
自分の気持ちが分かっているから
悩まなかったんですよね。


例えば、船に乗ってたころ。
船内の日本人のホテルサービスクルーは
20人くらいだったのだけど(8割がフィリピン人
日本人の中で派閥みたいなものがありました。


でも私はそういうのに全く興味がなく
いつも一人でデッキでぼーっとしたり
全く関係のない甲板部のおじさま達の
集いに参加したりしてました(笑)


部署内で上司が対立して
同期が巻き込まれて揉めまくってるときも
傍観者として眺めてる感じ。


で、同期に派閥に関する悩みを相談されると
「派閥めんどくせ〜〜」
と思ってたものでした。


「そこから外れちゃえばいいのに」と言っても
なんでかそこに留まろうとする。


なんとかその中で揉めずにやってこうと
頑張ってみても
そもそもその上司たちは仲良くやってくことを
ゴールにしてないのは明確なわけで。


理想の人間関係があったんだと思うけど
それはみんなが同じ理想を持ってない限り
そうなることなんてない。


結局はその派閥争いに巻き込まれた子は
しんどくなって追い詰められて
次々と辞めていくのでした。


そして残るのは派閥争いの当事者たち。
彼らは素直に生きてるからしぶとい(笑)
きっと「揉めること」を問題と思ってない。


「どちらの派閥に属するか」
という選択肢の前に
「どこにも属さない」
という在り方もあって
そういうタイプの人は
人間関係で悩んだりしてませんでした。


私はそういうタイプだったから
新人いびりで有名な上司からも
何故か可愛がられたりしてました。


気の合う人を嗅ぎ分ける能力は
結構あったので
「うわっ」と思うと近づかないけど(笑)


みんなとうまくやろうとすると
大抵うまくいかないけど
好きな人とだけ深く関わると決めると
意外と平和になるのです。







私の場合は結婚してから
夫婦関係、家族関係に悩み出しました。


そこには私の理想がありました。


夫婦とはこうあるべき、という
自分の在り方とは正反対の理想。
だからとても苦しかった。


揉めに揉めて離婚した親を見て
あんな風になりたくないと思ってたのだと思う。


けど、その理想を一旦全捨てしたんです。


そりゃあもう怖かったです。
捨てられるんじゃないかと(笑)


ご飯も気が向いたときしか作らない。
それまでNGにしてた外食をOKにする。


掃除や洗濯もノルマにせず
自分が必要だと思ったらやる。


マスターコースの受講料も夫に出してもらい
家事を放棄し、友達と遊ぶために遠征したり。


最初はビクビクしながらやってました。
夫は何にも言わないのに。


ついでに夫への理想も捨てました。


そのためにとても有効だったのが
夫の愛情表現と自分の愛情表現を
再確認することでした。


マスターコースの中で
そういう宿題があったおかげです。


そのとき夫に
「私への愛情表現は?」と尋ねると
「瞳子の生態観察」と言ったのには
驚きました(笑)


あれは夫なりの愛情表現だったのか!と。


それからは
寝相の悪い私、お菓子を頬張る私、
あくびをする私を夫がカメラで撮るのが
むふふと嬉しくなった。
(前は恥ずかしくて嫌だった


理想の愛情表現じゃなくても
愛情を感じるようになった。


そして結局、
夫は私の自然な在り方に
ぴったりの人だと気づいたのです。


で、私の夫への愛情表現の一つは
ワイシャツにアイロンをかけることだったのですが
それも書き出してみて気づいたことでした。


だから、その愛情表現は
めんどくさいときでもなんとか頑張ってやる。
(時々サボるけど笑


理想の形を捨てて
私たちオリジナルの関係性を
大切にすることにしたのです。


そうしたら喧嘩はほとんどない。
あるとしても私が一方的に噛みついて
自己分析して、謝って終わる(笑)




世間で良しとされている
家族像みたいなものって幻想ですよね。


カウンセリングでお話聴いていると
みんなオリジナルで面白い。


別居しててもいいんだし
会話がなくてもいいんだし
セックスレスでもいいんだし
子供いなくてもいいんだし
親と疎遠でもいいんだし
妻が韓流オタでもいいんだし
夫がアニオタでもいいんだし
部屋が散らかっててもいいだし
外食ばっかりでもいい。


そうやって一旦理想を手放してみると
「ここはやっぱりこうしたい」が出てくる。


そしたらそのときは
「私がこうしたいからやる」と決めたらいい。


それぞれの家族観があっていいと
私は思います。


これは他のこともそうですよね。


一生独身でいいんだし
離婚していいんだし
シングルマザーでいいんだし
親バカでいいんだし
彼氏いなくてもいいんだし
ニートでもいいんだし
会社員でもいいんだし
自営業でもいいんだし
不安定な仕事でもいいんだし
安定を最優先にしてもいいんだし
収入が少なくてもいいんだし
専業主婦でもいいんだし
専業主夫でもいい。


自由って実は自分が自分に与えられる。
「ま、いっか」と許すだけ。


「描いてた理想とは程遠いけど
まあこんな自分でもいいか」


すると、心が風になる。






問題があるときは
何かしらの「こうあるべき」が見えてきます。


それを見つけて
「実はそれでもいいのかも」
と思ってみたとき心がざわつくのなら
それを手放そうというサインなのかもしれません。


何かの枠に自分を閉じこめようとすると
それが本来の自分に合わない場合
どんどん苦しくなっていくし
やがては強制終了となるんだと思います。


なかなか手放せない!
というときは
それを手放せてる人と会ってみる。
その人と関わっていく。


これがほんとにおすすめです。


私は人を鏡にして自分にかけた沢山の制限を見つけ
それをえいやっと手放してきました。
まだまだ道半ばですけども。
そのプロセスも面白いから好き。


瞳子さんってぐるぐるしてますね、と
言われたりもしますが(笑)
それでも今の自分の在り方は好きです。


前よりずっと安心しているし
自分の気持ちに気づけるようになったから。
ぐるぐるしてても楽しいよ(笑)


そしてそんな私を分かった上で
今、周りにいてくれる人たちが
大好きでたまりません♡






理想に縛られてるうちに
人生の時間はどんどん流れていく。
明日死ぬかもしれないのに。


理想に向かって鞭打って頑張るより
自分と愛する人をそのまんま慈しむ。
そんな在り方が心地良い。


今日はステーキ食べたい!
と決めてスーパーに行ったものの
めちゃめちゃ美味しそうな鰹に遭遇してしまい
小さめのステーキと鰹を両方買った私。


メインが2つ(笑)


空腹でスーパー行くと
こうなる確率が高いのだ。


そんな欲深い私を面白いと笑いながら
ステーキを焼いてくれる夫が大好きです。


(安定のノロケ〆)