ふと思い出したことなんだけど。




結婚してすぐの頃
よく喧嘩の種になっていたのは
携帯電話のキャリアの違いについて。


私はa社で夫はS社だった。
最初は、「家族割などがあるa社にしたら
かなり安くなるよ」と夫に提案していました。


でもそれを何故か嫌がる夫に
次第にこちらもムキになってきて
あらぬ疑いをかけたりして
この話になる度に喧嘩になるのでした。
(多分夫は面倒だっただけ


その争いが今更
パートナーシップ再構築の
大切な鍵を握っていたなと思い返します。


夫が作ってくれた美味しい鍋。(鍋の季節到来!!
以前は、私より美味しい料理を作ることにすら
腹を立てていたという(笑





違う文化を生きてきた人同士が
結婚というものを境に一緒に暮らし始めると
それなりにぶつかることってありますよね。


夕食は家族揃って食べなきゃ、とか
お互いの予定を共有しておくべき、とか
結婚指輪は付けるべきだ、とか
便器は蓋を閉めておくべきだ、とか
お金の使い方とかとか


何かしらの「こうしたい」がそれぞれにある。


ほんの些細なことでも
お互いの価値観の違いに驚き
戸惑うことってありますよね。


ちなみにうちの夫は
かつての私のように
価値観を押し付けることは無かったです。


でも自分を変えようとされることは
とても嫌がる人でした。
今ではそれが有り難いことだったなと思うのですが。




当時の私は、
a社に変更してほしくてたまりませんでした。
私がS社に変更するのは絶対嫌だった。


それはつまり
「私のルールに従え!」と
暗に言っていたようなもので
携帯のキャリアなんてその氷山の一角。


結婚生活という共同生活を営む上で
何か統一ルールみたいなものが必要だと
思い込んでいたんですよね。
そしてそれを私がコントロールしたかった。


そんな私の心の動きを
無意識のうちに感じ取っていたのか
夫はそれを拒み続けてました。



「携帯のキャリアなんてどうでもいいか」
とようやく思えたと同時に
夫に対してのコントロール欲を手放せました。


それが夫婦関係の流れが
大きく変わるきっかけでもありました。
私の中では。


私はそこでようやく
「夫婦といえども違う価値観を持つ者同士。
相手の選択をコントロールしようとすることは
越権行為だな」
と思い至ったのです。


そして夫はそんなこと
ほとんどしないことにも気づいた。


夫は私を尊重しているのに
私だけが夫を変えようとしていたんです。


何かを拒み続けるのも
とてもエネルギーを使うものです。
普通なら折れてしまってもおかしくない、
携帯のキャリア変更。


でもあそこで夫が私に従ってしまってたら
私の支配欲は
どんどんエスカレートしてたことでしょう(怖


だから頑なに拒み続けてくれた夫に
ほんとにありがとうね、と思うのです。


このことが私にとって
パートナーシップ再構築のプロセスの
象徴的な出来事であり
家族に対しての考え方も変えるきっかけに
なっていったのです。


つまりとても大切な気づきでした。


いつ諦めたのかは忘れたけど
2年くらいはしつこく言ってたような・・(⊃︎Д`。)ヒェー






もちろん、嫌なことは嫌と言っていいと思うし
理解出来なくて説明を求めるときもある。


でもパートナーの大事にしてることを
自分の価値観で勝手に裁いて
頭ごなしに全否定するなんてことは
百害あって一利なしだと思うんですよね。


どうにも理解出来ない趣味だって
「そうなんだ」と存在を認めてあげること。


一緒に楽しむことは出来なくても
「そうか、そういうものが好きなんだね」
「それがあなたを幸せにしてくれるんだね」


たとえ幸せそうじゃないにしても
「今それがあなたには必要なんだね」


と、思えるのか、思えないのか。


これ、
すごく大事なことだと思うんですよね。






先日のお茶会で
久しぶりにネクタイを締めた夫が
「すごく綺麗に締めれたぞ!!」と
とても嬉しそうだったけど
私にはその凄さがいまいち分からなかった(笑)


でも夫が嬉しそうだと私も嬉しい。
そういう世界があるんだね、と面白い。


この高級車の良さも
きっと夫ほどは理解出来てない。


でも幸せそうにしてる夫を見てると
「そんなにまで心が動くものに出会えて良かったね」と嬉しく思うし、
必ず買いたいと密かに私の夢にもなる。







ぢんさんの言うことと
夫の言うことはとても似ているのだけど
「ぢんさんがこう言ってて、感動したの!」
と報告すると、
「同じことを俺が言ってるのに聞かないよな」と
いつもがっかりしていた夫。
それでもぢんさんの講演会も付いてきてくれた。
ぢんさんのアップも沢山撮ってくれていた。。

居心地は決して良くなかったと思うけど(笑)

私の食い道楽にもとことん付き合ってくれる。
(うさこと一緒に


エビデンス重視の世界にいる人だけど
非科学的な話も決して否定しない。


「ないと立証できない以上、
そういうこともあるかもしれんよな」と。
↑真の科学者は決して頭ごなしに否定しない


だから私の奇想天外なアイデアも
「ほぅ( 'ω' )」と一応耳を傾けてくれる。
(その理屈はおかしいと論理的に意見されることも多いけど笑)


私の突拍子も無い行動も
「なんで反対しないの?」って聞くと
だってそれが瞳子には今必要なんだろう?と言う。
むしろ背中を押す。


あんなに夫に腹が立ってばかりいた自分が
今では謎過ぎる。
きっとそのときは
私が私を責めまくってたんだろう。




結婚しなかったら
知らなかった世界をお互いに知る。
まさに異文化交流ですよね、結婚て。


「そんなもの」と
よく知る前から拒絶していたら
決して出会えなかった世界が見れる。


パートナーを幸せにしてくれるものに
目線を向けてみるって大事だなと思います。


だってそれらの一つ一つが
その人らしさを表すものだと思うから。
相手を知ろうとするなら
好きなものを教えてもらうと早い。


お互いを見つめ合うより
相手の視線の先にあるものを
一緒に見つめてみる。


多分その方がお互いのことを理解できる。


見つめ合うと喧嘩になるのは
相手の中に自分自身の見たくない影を見てるから。


相手の目線の先を理解しようとするとき
パートナーシップは深まっていくんだと思う。





まあ、どうにも理解出来ないときもあるけど
「そうなんだね」という感じで
その存在くらいは認めておきたいものです。


だってそれはきっと
自分には分からないだけで
パートナーにとっては大切なものなのだろうから。


そしてそれがどうしても許せないってときは
自分に対して厳しい制限をかけて
自分自身が苦しいときなのかもしれません。


そんなときは思いきって
パートナーの価値観を受けいれてみると
自分のことも一緒に許せたりするから
不思議なものです。






パートナーは
自分の光も影も見せてくれる存在。


相手を見つめたときに
「この人ってこういう人」と感じるのは
実は自分の投影なだけかもしれないと思う。


パートナーシップは
自己統合ともいえるんじゃないかと思います。