こんにちは。
瞳子です。
 
 
 
 
 
 
私が出雲で一人暮らしをしてたとき
1Kのアパートに住んでました。
 
 
トイレとお風呂が別々で
8帖の部屋に小さなクローゼットが付いてて
とても気に入ってた部屋。
 
 
当時の私はおしゃれにこだわりがなく
春夏秋冬全ての服を入れても
小さなクローゼットの中はスッカスカだった。
 
 
お気に入りのジーパンに
雑貨屋さんで買った白いリネンシャツ
 
 
冬はお気に入りのベロア素材のジャケットを
真冬でもずっと着ていた。
 
 
気に入ったものを
ダメになるまでずっと着る。
フランス人みたいな感じ🇫🇷
 
 
 
洋服屋さんに行くのはごくたまに。
 
 
 
駅前に「あそこに行けば必ず何か見つかる」
と信頼していたお店があった。
 
 
 
でもお洒落な店員さんに気後れして
恐る恐る洋服を手に取り
「試着してくださいね」と言われると
何故か逃げるようにお店を去ったりしていた。
 
 
 
 
 
 
 
そんな私がお洒落に目覚めたのは
夫のおかげだった。
 
 
夫を追いかけて札幌に移住して
無職になったわたし。
 
 
追い討ちをかけるように内膜症が見つかり
治療薬で心が不安定になった。
 
 
いや、薬の力を借りて
夫に私の闇を見せたかったんじゃないかと
今は思うんだけど。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
当時は夫の収入も少なくて
切り詰めた生活。
でも札幌という都会に暮らして
デパートを歩くだけで楽しかった。
 
 
東京に住んでた学生時代は
デパートに行くことなんてほとんどなく
近所の商店街の古着屋さんで
50円の服を何着か買って着まわしていた。
 
 
大人になって都会に暮らしてみると
もうさすがに古着屋には興味はなくて
デパートの洋服に興味を持つようになった。
 
 
だけど「これ可愛い!」と思っても
即買い出来るメンタルはなかった。
 
 
夫は「買ったらいいよ」と優しく言うけど
今の経済状況で服にこんなに使うなんて!と
大きく抵抗した。
 
 
それでもどうしても欲しい服に出会ったら
「今度来たときに残ってたら買う」
なんて運命論者になって
やっとこさ自分の服として迎えたりしていた。
 
 
 
 
 
 
 
 
 
私たち夫婦はとても仲良しで
私も夫も札幌に友達がいないせいもあり
休日はいつも2人で一緒にいた。
 
 
私は温泉が大好きだったから
休みの度に少し遠出して
見晴らしの良い場所にある温泉を巡った。
 
 
それ以外はケーキ屋さん巡り。
チョコのモンブランがとても気に入って
たまの贅沢として2人で分け合って食べた。
 
 
そして洋服屋さんに行くと
夫がいるおかげで試着をする気になり
私が優柔不断で決められないでいると
夫はいつまでも待ってくれた。
 
 
でもこの頃は
値段を見て妥協をして買うことも多かったし
良いなと思っても「私なんかに」と
試着さえしないでいたこともあったから
なんとなく不完全燃焼感があった。
 
 
 
札幌で2年暮らして
島根にまた戻ってきたら
夫の収入がドンと増えた。
 
 
 
生活に余裕が出来た私たちは
これまでの鬱憤を晴らすかのように
広島に行って買い物をするようになった。
 
 
 
広島の商店街やデパートを歩いていると
夫の憧れの時計が置いてある時計屋さんがあり
「じゃあそれ見てみようよ!」と私が言った。
 
 
 
雑誌でしか見たことのなかったそれを
キラキラした瞳で見つめる夫。
私は複雑な気持ちになった。
 
 
 
私というお荷物がいなければ
夫はすぐにでもこれを手に入れることができる。
 
 
 
そう思って
私なんていなきゃ良かったのにね、と
心の中は真っ黒になった。
 
 
 
実際、そういう発言をして喧嘩になったのは
一度や二度ではない。
 
 
 
 
 
 
 
 
夫の素晴らしいところは
そんな喧嘩をしても
自分が欲しいものに一切妥協をしないとこだった。
 
 
 
「これが買えないならいらない」
そういう潔さと意志の強さがあった。
それは私にはない強さだった。
 
 
 
私なら
「これは高くて買えないから、
二番目に気に入った安い方にしよう」
という選択肢があった。
 
 
 
でも夫にはそんな考えは微塵もなかった。
 
 
 
だから余計に私は嫌だったのかもしれない。
 
 
 
だって何にも買わない夫が
好きなものを買えない可哀想な人に見えて、
なんとか買ってあげたくて
たまらなくなるからだ。
 
 
 
それはかつて
お母さんに向けていた感情でもある。
 
 
 
あんなにキラキラした瞳を見たら
私の中の男性性が疼く。
だけど「買えばいいじゃん」とも言えない自分に
腹が立って仕方なかった。
 
 
 
そんな勝手な憤りのせいで
広島の商店街で派手に喧嘩したことも
何度かあった。
 
 
 
独身時代の金銭感覚が抜けない私。
夫は随分それに合わせてくれていたと思う。
 
 
 
そんなこんながしばらく続き
結婚して4年くらい過ぎた頃
私の金銭感覚に革命をもたらす出来事が起きた。
 
 
 
夫の仕事鞄がボロボロになってきて
新しいものを探そうと大阪に行ったときのこと。
 
 
 
梅田の男性向けデパートや
思いつく全てのところを廻ったけど
なかなか納得できるものに出会えない。
 
 
 
時間が無くなってきたので
二手に分かれて探したりもした。
 
 
 
もうヘトヘトになって
そろそろ諦めようかという空気になった頃
夫が切り出した。
 
 
 
「今すぐ欲しいわけじゃないけど
これいいなと思うのがあった。
でもほんとに今は買うつもりはないから
俺がこういうのが好きというのを
知っててほしいから、一度見てくれないか」
 
 
 
そう言われてあるハイブランドのお店に行った。
二手に分かれたときに見つけたらしい。
 
 
 
そしてそこで店員さんが
さっき夫が見ていたらしい鞄を見せてくれた。
 
 
 
それを見た瞬間に私の口が勝手に動いた。
 
 
 
「これしかないじゃん」
 
 
 
 
 
 
 
 
その鞄は当時の私の金銭感覚からすると
あり得ない金額だった。
 
 
 
それで何回焼肉食べれるの?
と喧嘩の種になるような金額。
 
 
 
だけど大阪という大都会で
隅々までお店を探しても
たった一つもこれというものが見つからず
夫の好みもよく分かってきた私には
値段よりも大切なことがあると痛く感じていた。
 
 
 
それは「これだ!」という感触だ。
 
 
 
その感触が無いものを
どれだけ持っていても仕方がない。
 
 
 
それは値段ではない。
お金があれば買えるものでもない。
それは「運命の出逢い」であり
天の采配なのだ。
 
 
 
それがヘトヘト状態になるまで
探し尽くしたことで腑に落ちた。
 
 
 
夫もまさか買うつもりはなく
「いつか買えたらいいなと思ってるだけだから」
と私のために(喧嘩にならないように)
言っていたけど
どれだけ探そうとこの人にはこれしかないな、
ということは、多分世界で私だけが分かっていた。
 
 
 
だから
「これ、買おう」と夫に言った。
 
 
 
そしてまだクレジットカードの
限度額が少なかった当時
2枚のクレジットカードを使って
店員に若干怪しまれながら
その鞄を買って島根に帰ったのだった。
 
 
 
高いからいいわけじゃない
安いからいいわけじゃない。
 
 
 
「これだ!これがいい!」
そう思えるものに出会えることの奇跡と幸せを
夫のおかげで知ることができた。
 
 
 
そして夫への許可が
私への許可にも繋がっていったんだと思う。
 
 
 
パートナーは鏡だと言うけれど
ほんとにほとんとだ。
 
 
 
自分には許せないことでも
パートナーには許せることがあって
それが後々自分への許しにも繋がる。
 
 
だからパートナーの嫌なとこは
思いきって許してみると
結局自分にそれを許すことに繋がって
お互いに楽になることがある。
 
 
 
 
 
 
 
 
これが私のお金の価値観を
大きく変える出来事になり
そこから私も私に
いろんなことを許せるようになっていった。
 
 
 
そしてそれがお金の価値観だけでなく
パートナーシップや親との関係
子供の頃のことへの癒しにも繋がっていたと思う。