最近「わたし」がひらいてきたなと
すごく感じています。


だけどきっと
また閉じるときもあると思うし
今でもふと悲しい気持ちにもなる。


で、それでいいと思っています。


というのも、私は先月までの半年
かなり閉じてたんですよね。


セクシュアリティスクールのみんなが
キラキラしてるように見えて
行くたびに気後れしていたし


SNS越しに見る心屋の人や友達が
眩し過ぎてしょっちゅうモヤモヤしていたし


いっそのこと
カウンセラーのお仕事さえも手放してみようか
なんて刹那的に考えたときもある。


スクールでは何度も孤独感を感じて
なんだかいたたまれなくなり
「なんで私はこんなに不器用なんだろう」と
ガッカリしながらホテルに帰ったこともある。


だけどセクシュアリティの世界は
私の根っこのところを
グラグラと揺さぶってくるし
少しずつひらいていく自分もいた。





孤独感に苛まれた懇親会のときに
私はもう誤魔化すのをやめようと思いました。


寂しい人だと思われないように
誰かに無理矢理話かけたり 


塞ぎ込んでるくせに
誰かの話に笑って応えたり


そんなのもうやめようと思った。


みんながワイワイ楽しそうに
話してるその輪の中で
無表情で黙々と空腹を満たした。


みんなが盛り上がってる隙に
こっそり大好物の中トロと大トロを
何個も食べた(笑)

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講師や仲間から「寂しい子」「暗い子」
と思われるかもしれない。
取っつきにくい子と思われるかもしれない。


でももうそんなのどうでもいいと思った。


こういうときにうまく立ち回れない私も
私の中に居ていい。


そう思った。





私は高倉健。
私は北の国からの吾郎(笑)


不器用な私をもう許そう。


ごめんね。
ずっと無理させたね。


どうしていいか分からなくて困ってるのに
「それじゃダメ!」と
いつまでもイジメてたね。


もういいんだよ。
私と一緒にいよう。
楽しいときだけ笑おう。
話したいときだけ話そう。
お腹空いたから中トロ食べよう。


そのまんまで居ていいよ。


そんな風に自分に語りかけた。


講師に気に入られるとか
仲間と仲良くなるとか
今まで散々それをやろうとして
思うようにいかなかった。


けど結果的には
孤独なわけでもないし
大切な仲間もいる。


だからもう頑張らなくていい。



そう思うとホッとしたんです。









懇親会やスクールで
ダメだと思ってた自分から逃げてたら
きっと私は似たような場面で
取り繕って生きていってた。


だから逃げなくて良かった。
私は私のまんまで
そこに居たらいいということを
体感出来たから。


だからこそ私はスクールという形で
セクシュアリティを伝えたいなと思うのです。
体感することが大切だと思うから。







ぐーっと閉じた時期も
やはりあって良かった。


ちゃんと閉じたから
ひらいたのかもしれないと思う。


高くジャンプするときに
一度しゃがむように
ひらきたいときは逆に
一度閉じてみるのもいいと思う。


「ひらきたい」とやたらと願うときは
閉じてる自分を捨てようとしてるのかもしれない。


そしてほんとは
閉じたいときなのかもしれない。


閉じたときにこそ
自己と深く対話できる。


そしてそこでした対話が
ひらくときの燃料になる。


無理にひらこうとしてしまうときは
グッと閉じてみよう。


そしてそこで
「バツをつけてきた自分」が見えてきたら
その自分を閉じたまんまで迎えに行く。


その子を抱きしめたら
なんか知らんけど 
勝手にひらいていく気がする。


閉じててもひらいてても
どっちの自分も私なのだと思えるから。


それはつまり
どこにいても、誰といても
素のままの自分を
受け容れられる私になった証。


まさに自己受容。








そういえば
2年前にぢんさんと遭遇したとき
私はマスター生で
みんなのように自分をひらけないことに
悶々としていた時期だった。


だけどあのとき
それをぢんさんに話して
一気にひらいたんだった。


あのときは相当閉じていたし
かなり滅入ってた時期だったけど
それが逆に追い風になった気もする。


そしてそのあと
卒業の2ヶ月前には
カウンセラーとして活動を始めた。


少しずつやりたいことをやり
少しずつやりたくないことをやめ
私のための人生を生き始めた。


(2年周期で転機が訪れてるな、面白い)






そういえばカウンセリングも
一旦ぐーっと閉じた後に
パッと花ひらく人も多い。


潜って潜って
捨てた自分を迎えに行き
浮上したときはもう
前の自分とは視点が変わる。


それを繰り返すと
薄皮を剥がすみたいに
少しずつ変わっていく。


どこへ行くのかは分からないけど
純粋にこのプロセスは美しいと思う。


捨てた私と再会して
それを拒否したりしながら
やがておかえりと迎え入れる。


そのプロセスを知らなかった頃に
もう戻りたくないなと思います。







今、自分が閉じてるなと思う人は
ひらこうとしなくていいと思う。


今の気持ちをしっかり感じてください。


その上で
「あなたはどうしたいの?」と
自分に語りかけてあげてほしいです。


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閉じてるときの私とも
じっくり付き合ってくれる人もいる。


楽しいとき、ひらいたときは
行動的になり人間関係が広がる。


けど閉じたときにも
付き合える関係って私は大事。






「ひらく」って
キラキラ女子になることでも
誰とでも仲良くなれることでも
いつでも自己開示できることでも
笑顔いっぱいになることでもない。


悲しいときは悲しい
嬉しいときは嬉しい
寂しいときは寂しい
楽しいときは楽しい
 

自然と沸き起こる感情と
共に生きられるようになること。


閉じてるときの自分とも
仲良く暮らせること。


私はそんな風に思うのです。






昨夜は早めに寝たのだけど
ふと真夜中に目が覚めてリビングに行くと
なんだかとても悲しい気持ちになりました。


特別な理由も見当たらないし
ただなんとなく悲しい。


そんなときはこの動画を観たくなります。
そして多部さんと一緒に泣きます。



悲しいときは
悲しい曲を聴くと癒される。





ひらいたらひらきっぱなしじゃない。


閉じたりひらいたりを繰り返してこそ
味わい深い人生になるんだと思う。