※ 妻の乳がんステージⅣから始まって、いまも癌と闘う男の闘病記です。

〇 4度目の髄膜炎

1度目は、結婚して間もなく。

20数年前だったと思います。

その時妻は、極度のうつ病を患ってて、

結婚したばかりにも拘らず会話も少なく、

わたしから積極的に話しかけ

ただただ妻を支えるのが精一杯でした。

そんな中、頭痛と40℃超の発熱で

わたしが早退して部屋のベッドで寝てた時、

 

18時半ごろに帰宅した妻がわたしのあまりの異変に気付き

「家庭の医学」を引っ張り出して

症状から”髄膜炎”ではないか?と心配になり、

救急車を呼び夜間診療のある病院に行き、

そのまま入院となりました。

ちなみに、「家庭の医学」には、”死ぬこともある”という一文があったそうです。


病院では、深夜にも関わらず腰椎穿刺(ルンバール)を行い、

後日検査に出したところ髄膜炎だということが確定しました。

話しは前後しますが、

わたしが診療室に担ぎ込まれたころ、

妻は医師から今晩が山だと伝えられると

即わたしの実家に電話して状況を

説明し来てもらったと聞きました。

父親は枕元で号泣し、

母親は私の手をさすっていたのを

うる覚えながら記憶にあります。

その後、1カ月の入院期間を経て、

後遺症もなく無事退院しました。

幸いにして、ウィルス性だったので大事に至らなかったようです。

その後、5年後に2度目を、

そして、その6年後に3度目を経験してたので、

体調には十二分に気を付けてたのですが、

まさか4度目の髄膜炎に見舞われるとは思ってもいませんでした。

余談ですが、
いきなり訪れた1度目の髄膜炎のおかげで、

妻のうつ病は一気に改善されました。
ショック療法なんでしょうね。

その後は、なんでうつ病になったのか?と、

本人も不思議に思うほどに元気になり、

毎日面会に来てくれ頼もしく、

そしてさらに大好きになりました。


〇 2週間が経った頃

2019年1月に
わたしが、大学病院に入院してから2週間が経った頃、

妻の表情に異変が起き始めてました。

それは、

顔が真っ青になることがあったのです。

妻は、仕事が忙しいうえに、当然、家事や犬の世話、

そして、毎日のわたしのもとに面会に来てくれて

疲れてるんだと言ってましたが、何か変です。

たしかに、前月の12月に妻が通院した際に担当している女医さんから

赤血球の数が少し減ってることを伝えられたとは聞いてましたが、

日に日に真っ青になっていくさまが怖くなってました。

それでも、毎日会社帰りにわたしの病室に立ち寄って、

夕食を一緒に食べてから帰宅するという日課はやめませんでした。

ある日、

わたし : 毎日ありがとう。

      でもね、体調が悪そうだから、週末は家でのんびりして。

妻 : でも、寂しいんだよ。

わたし : それでも体調が心配だから、たまにはゆっくりして。

無理してでも面会に来るだろうと思い、妻へははっきりと言いましたが
それでも面会に来てしまう妻に呆れてしまう反面、

すぐにでも抱きしめたくなるほど感謝してました。



当初2週間と聞いてた入院が、

1週間の延期、

そしてまた1週間の延期となって、

合計約1か月間の入院を経て、

2月の初旬に無事退院しました。
 

実は、それでもある一定の数値まで落ちてなかったので医師はしぶしぶでした。

わたしはウキウキでしたけど。




実は、わたしが罹った髄膜炎は序章に過ぎず、

衝撃の2月へと突入するとは、

その時は想像もしてませんでした。