松本隆の世界 | 不可思議?

不可思議?

不定期に面白い不思議ネタを書けたらいいな。

【作詞家50年】松本隆「僕が出会った天才作曲家たち」 筒美京平、松任谷由実、大瀧詠一 、細野晴臣…… という松本隆さんのエッセイを読んで、その曲を検索してあらためて聴いて、ドキドキしながら、いろいろ考えたので、感想がてらちょっと書いてみます。

ご本人が挙げている各作曲家との名曲を1曲ずつの短評ですが、ぜひそれ以外の曲も検索したり、家の戸棚から引っ張り出したり、購入したりして聴いてみてください。日本の音楽や文化が豊穣だった時間を感じられると思います。(敬体ここまで)

筒美京平「綺麗ア・ラ・モード」



2008年と比較的近年の曲。聴くとわかるが、これほど日本語の曲で韻が上手くいってる曲も珍しい。松本隆といえば「はっぴいえんど」で、「はっぴいえんど」といえば日本語ロックの草分けであるわけで、その前にはそれがビートルズでも、ヤードバーズでも、はたまたモンキーズでも英詩があって、それらは伝統的な韻を含んでいる。
でも、日本語は文法的に頭韻も脚韻も難しい。だが、この曲において松本隆はその持ち味であるリリックな情景を殺すことなく、呪文のようなM音の畳み込みを使ってくる。
そこから音のアクセントに母音が強い単語を置いて、しかも散らして来る。「ア」から始まり、「イ」「オ」「ウ」「エ」(登場順)と五母音を網羅して、「M音」と母音のグルーヴを作りながら、最後に「吸い込む」と締める。
絵画的なリリックの世界に、呪文としての音韻のグルーヴを盛り込む。うわぁ新境地ってなるべき名曲。


細野晴臣 「ガラスの林檎」



これは松本隆の真骨頂である、だんだんと脆くて儚い世界へ、遠景から近景へ、そして心情へという引き摺り込み技法の見本みたいな曲。
ご本人も書いているが、コードも旋律も、日本の楽曲の拍感を変えた細野晴臣のその拍感も、決してアイドル向けではない。
先日、松任谷由実と麗美について


書いたが、松任谷由実が麗美の歌唱に10代後半から20代前半の揺れと儚さの絶妙(理想系)をみたのは、自身の歌唱の仕方以外に案外とこの達成があったからかもしれない。
この曲が1983年。麗美のデビューアルバムが1984年なのでないわけではない。
グルグル回りながら転変していくゆったりと地味に聴こえる曲調を、松田聖子の媚態と引っ掛かりのある、尻上がりの歌い方(アイドルでこれ全部できる人は少ない。しかも表情と振りもそれにつく)を自然に聴かせるのは実に素晴らしい。
当然「林檎」は禁断の果実であり、薄いガラス細工の壊れやすさを含んでいる。
多少、詞の世界から逸脱すれば、松本・細野の世代として齧られた青リンゴは想定されるべきで、2人の聖人「ヨハネとパウロ」の後期の達成がベースにあって、乙女の純情と悪意によって噛まれた指からの鮮血が成熟させてゆくのだ。


大瀧詠一 「さらばシベリア鉄道」




聖人「ヨハネとパウロ」について書いたが、聖人が聖人になるには賢者がいる。この場合の賢者とはフィル・スペクターのことで、フィル・スペクターといえば大瀧詠一である。
この賢者は通臂猴のような、常人の3倍長く10倍よく動く腕を持っているので、懐が沼のように深い。通臂猴「大瀧詠一」とぬらりひょん「井上陽水」は論じ難い代表選手だ。
この曲でいえば、巷間「霧の中のジョニー」との比較が言われる。原曲もそうだが、それを日本語の詞で歌った克美しげるバージョンを聴くと、似てると思う。
がしかし、実は似てない。原曲がウエスタン調のギャロップ感に終始しているのに対して、この曲は明らかにロシア民謡臭い。出だしに当てられているピアノのトレモロは、明らかにバラライカの音を意識している。
忘れてはいけないが、存命なら73歳のこの偉大な音楽家が基礎教育を受けた時分には、国語の教科書にガルシンの『信号』やトルストイの児童文学の翻訳が載り、音楽の時間でもロシア民謡や赤軍合唱団の歌が受容されていたはずで、それは身に染みているはずなのだ。想像以上に。
この曲を先入観を抑えて聴けば『霧の中のジョニー』以上にロシア民謡に原曲を探したくなるくらいにロシア臭い。タイトルどおりに「シベリア鉄道」なのだ。オーケストラでソビエト赤軍合唱団のテナーがソロ歌ってても違和感がない。
しかもギャロップ感のあるバックに高いテケテケなシングルノートのギターソロが中盤入る。これはまごうことなきベンチャーズである。原曲では低い音のアメリカンなフレーズなのに、南洋のそれを入れてくる。
と、ここでやっと詞の話だが、この曲は太田裕美のシングル曲である。太田裕美といえば『木綿のハンカチーフ』であり、作詞は松本隆である。
対話式の手紙文を歌詞にするという斬新な作りであった。この曲もよく見ると対話式の詞になっている。
まず、振った女の独白、次に振られた男の独白を2つで展開している。そして女のいる場所は極北の地シベリア、男は南洋のアメリカンな島にいるのだよ。発表年は1980年。80年安保も米ソ冷戦もマジもんだった時代。極めて政治的で対立的な構図を使っているのだ。これは。
そうして、男が振られた理由は優柔不断な踏ん切りのなさ。抱きしめてもくれなければ、結婚も申し込まない。男はそれを優しさだと思い、女は限りないこの極北の地よりも冷たい仕打ちと嘆く。そうして女は「行先さえ無い明日に飛び乗った」わけだ。略奪愛に従ったわけだ。そう思うとこの「明日」は「バス」に聞こえ、まるで映画「卒業」のラスト、ダスティン・ホフマンとキャサリン・ロスのあのシーンのように微笑んでいる。
すると男は、「疑うことを覚えて/人は生きて行くなら/不意に愛の意味を知る」のだよ。自己完結の優柔不断さは愛ではないと悟るわけだ。
実に深い。南洋の12月に男は凍りついて、愛を叫ぶしかない。しかも米ソのようにそこにはシベリア鉄道というベルリンの壁が冷たく隔てを作る。だから「さらば」しかないのに、愛を叫ぶ。
楽曲も詞も手が混みすぎている。


松任谷由実「袋小路」



松任谷由実の音楽がクラシックの素養にあることをしみじみと感じさせるバッハ風のイントロが印象的な佳曲。

これって実は松任谷由実(荒井由実)の『海を見ていた午後』のアンサーソング(おおよそ1年後)と『さらばシベリア鉄道』の祖型(5年前)になっている。

「山手のドルフィン」のような具象はないが、松任谷由実独特のフォーカスが緩い遠景を、フォーカスがクリアなリリックを持ち味にする松本隆がカバーしている。

「ドルフィン」がヒルトップの有名なカフェであるのに対して、この歌のカフェは無名で、ビルの谷間にある。見ているものも下に見える貨物船ではなく、見上げるタワーになっている。

しかも、『海を〜』が振られた女の歌なら、この歌は自分といるのが辛いという優柔不断な冷たさを持つ男を振った女の、後年の歌になっている。

曲調もボサノバ風が、バッハ風になるといった、複層的な対置が行われている。

女が男を振ったのは、その曖昧さと自家中毒的に辛さを見せつける男に「ひとつまみのやさしさ」や「マッチ一本のぬくもり」が感じられなかったからで、おそらく女は「卒業」のキャサリン・ロスのように固く微笑んでいる。もっといえば、この店を出れば、私を奪ったパッショネイトな男の待つ家に帰る。

起こらなかった過去を遠く眺める視線に映るのは、曖昧なフォーカスの遠景ではなく、実にクリアな現実なのだ。薄ぼけて見えるのは女がかけた紗であり、袋小路を抜け出した先に、離別から数年後の愛されているという現実がある。

ひたすらリフレインされる「袋小路をぬけだせたのに」は、抜け出した女だけに言える言葉なのだ。しかも松任谷由実が詞に描かなかった音「椅子のきしみ」を明確に入れることで、女は明確に過去を手のひらの上に、しっかりと自覚的に置く。

捨てられた女の恨み節では決してない。この「きしみ」で松本隆は完全に模倣から自分の詞の世界で作品を構築する。しかも男性による女性目線の、女性が勝る詞だ。これは当時とすれば画期的な位置どりなのだ。

つまりは、男を捨てた女の回想という、ものすごくエポックな位置で書いている。しかも直接それを書かない。更にいえば、ここにあるのは両者の葛藤ではなく、女の満足だけなのだ。

「はっぴいえんど」解散から3年、当時これから時代を背負うことになる作詞家の極めて冒険的な作品で、自身の代表作と推す理由はここにある。

このエントリを松本隆さんが読むことなどないだろうが、もしあるなら、かなしいエピソードのある「君は天然色」冒頭のピアノの4拍は、大瀧詠一氏の、妹さんへの点鐘ですか。と聞いてみたい。

ご自身の素敵なエッセイの一つのピリオドとして。