誰にとっても、18才から22才までの期間というのは特別な時期であると思う
交遊範囲が爆発的に広がり、いろんな価値観と触れ合って触発されたり、学習したり、ありあまる時間を使って、読書をしたり、音楽を聴いたり、あるいは友人達と出口のない議論に熱中したり、とにかく後で振りかえると、自分の今までの人生の中で、人格形成に最も影響を与えた5年間ということは間違いない
そしてその時期を一緒に過ごした女の子は、やっぱり今でも俺にとってスペシャルな存在だ
別れたあと一度も会っていないのにね
今でも俺の理想の女の子は、その時期付き合っていた女の子、礼子なんだと思う

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そんな礼子との付き合いは22才の夏に、一方的に俺のせいで終わってしまった
そのあと今まで一度も会ったことないし、電話・メールさえないんだけど、近くまで行ったことが2回だけある
1回目は別れた翌年の春くらい
共通の知り合いから彼女が入院していることを聞いた
どういう訳か病名はわからなかったんだけど、とにかく入院している病院を聞いてお見舞いに行くことにした
船橋の病院だったと思う
その頃西荻窪というところに住んでいたから、電車で一時間半くらいかなぁ 駅からも結構離れていたから、随分遠かったような記憶がある
駅前で、彼女が好きだった、バラの大きな花束を買った 大きな花束を持って歩いていくのは結構恥ずかしかったなぁ
そうだ 思い出した
病院近くの喫茶店によって手紙を書いたんだった なんで家で書いて行かなかったんだろう?大きな花束を持って喫茶店に入るのも、なんか変だよね
別れて一年近く、全く接触がなくていきなり行くんだから、きちんと手紙を書こうと思ったんだろうなぁ
長い手紙を書いたような気がする

花束と手紙を持って、病院に行った
ナースセンターに行って、彼女が入院している部屋を聞いた
ナースセンターのすぐ近くだった
ドキドキしながら部屋の方に歩きだした

でもダメだった

家を出てから2時間以上、彼女に直接会うべきかどうかずっと考えてたはずなのに、答えを先延ばしにしてとりあえず行動してたんだと思う
直前まで来て、やっぱり会わないほうがいい 会っちゃいけないって思った
ナースセンターに戻って、そこにいた看護婦さんに花束と手紙を託した

『お名前は?』って聞かれて、何も言わずに首を振って帰ってきたのを覚えてる
この時会わないことにした判断が正しかったことが、十数年後にわかることになる

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バンドをやっていたこともあって、周りにはたくさん女の子はいたけど、新しい恋愛をする気になれないまま、2年が経った
いろいろ考えた結果、25のときに長崎に帰ってきて就職した
その会社にいた女の子と恋に落ちて結婚して、娘が3人できた
『恋に落ちて』なんて仰々しい書き方したのは、本当にそうだったから
初めて出社して、初めてその子を見た瞬間、『礼子に似てる!』って思った
顔はもちろん、髪型や服装のセンスや、身長体型まで
もうこれはいくしかないって思って頑張ったなぁ
今となってはすっかり忘れてしまっているけど(笑)
(正確に言うと、今は家族として大切にしているけど、当時の熱情はないって感じかな)
とにかく、彼氏がいたのに何とか付き合うことになって、当然それまでは、いろんなことあったんだけど、ここでは割愛
付き合いだしてから、昔の彼女に似てるって話をして、写真まで見せて大もめにもめた話も割愛(笑)

お見舞いに行って十数年経ったある夏、仕事で東京に行った

東京には時々行ってたんだけど、いつもスケジュールぎちぎちで余裕がなかったのに、その時は昼間に数時間、時間が空いていた

不意にそれまで考えもしなかったことが、頭に浮かんだ


礼子の両親に会いに行こう!

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その日は19時まで空いていた
まだ13時、6時間もある
汐留から秋葉原まで移動して、とりあえず荷物をコインロッカーに入れた
そこで総武線に乗り換えて、西船橋に向かった
十数年ぶりの西船橋駅は、すっかり変わってしまっていたんだけど、方角には絶対の自信があった
間違えるはずがない
こっちだと思う方向の出口から出て、歩き始めた
あまりにも変わっていたから段々不安になって来たんだけど、直感を信じて歩き続けた

国道沿いのマンションということだけ覚えていた
風景がすっかり変わっていて、マンションがたくさん建っていた
前は確か1棟か2棟くらいだったのに
駅からの距離で、もうそろそろだと思うんだけど、記憶にある建物がない

これかなぁ?

初めて気になるマンションがあった
エントランスに入ってみる

いやこれじゃない

また歩き出して、そろそろ駅から15分くらい経ったとき

あった!

間違いない このマンションだ

あれから十数年、両親はまだ住んでるのかな
あの頃は週に何度もご飯ご馳走になったりしたけど、俺のことわかるかな

郵便受けで名前を探す

確か7階か8階だったはずだ

あった!

704号室

部屋番号はさすがに覚えていない
706くらいだったような気がするんだけど、でも苗字だけだけど、名前が書いてあるから間違いないだろう

行ってみよう

エレベーターで7階まで上がって、704号室の前に立った
インターホンを押す

はーい どちら様ですか?

すぐに若い女の人の声がした
誰だろう?礼子じゃないのは間違いない
ここで我に返った
なんて言えばいいんだろう えっとぉ どうしよう 何も考えてなかった!

そのまま言うしかない

『私○○(苗字)と申します』

『はい』(突き放した感じだった)

『あの、私十数年前に礼子さんと親しくさせていただいてました』

『はあ』(なんか怪しまれてる)

ここで表札を見たら○○敏之って書いてあった
あれ?敏之ってお父さんの名前じゃないような気がする

『あのぉ 敏之さんって礼子さんのお兄さんですよね?』

『どちら様ですか?』

『○○と申します』

『フルネームを言ってください』

『○○ ○○です』

『えーー!!○○君?!』



ドアが開いた

見たことのある女の子が立っていた

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リビングに通された

相手してくれたのは、礼子のお兄さん夫婦
驚いたことに、お兄さんは、いとこのりえちゃんと結婚していた
俺と同じ年のりえちゃんは、当時礼子の家に下宿していた子で、よく会っていた 
その子が数年後お兄さんと結婚して、その後礼子の実家のマンションの、2件隣が売りに出されたのを購入して住んでいた
礼子の実家は706号辺りだったという記憶は正しかった

ずっと気になっていたことを聞いた

『礼子さん入院しましたよね?』

二人は言いづらそうに口を開いた

『○○君と別れてから、しばらく拒食症みたいになって・・・・』

責める感じでは全くなかったけど、それでもさすがに言いにくそうだった

『入院したんだけどなかなか治らなくて・・・・』

『一時は危なくて、親戚集めてくださいって言われるところまでいったのよ』

『・・・・・そうでしたか・・・・』

いまさら謝るのも変だし、うなだれているしかなかった
お見舞いに行ったとき、会わなくてよかったと思った
病気を悪化させてしまうところだった

『でもね、2ヶ月くらい入院して、元気になって退院したのよ』

『・・・そうでしたか・・・よかった・・・』

その後礼子の現況を聞いた
俺の一年前に結婚して、今は群馬に住んでるらしい
男の子が二人いるそうだ
幸せそうだと聞いて安心した

2時間くらい経ったとき、りえちゃんがちょっと待ってといって、部屋を出て行った
しばらくして戻ってきた

『○○君、お母さんたちも会いたいって』

部屋を出て行くときに、テーブルにそっと名刺を置いてきた
・・・これで繋がっている

2件隣の部屋に行って礼子のご両親と会った
すごく喜んでくれた
お母さんは泣いていた
俺も泣きそうになった
玄関先で30分くらい話しただろうか
多分この先会うことは二度とないだろうと思うと、なかなか切り出せなかったんだけど、思い切って帰ることにした

『今日は突然お伺いして、失礼いたしました』

『ううん、胸の奥のつっかえが取れたみたい 来てくれて本当にありがとう 嬉しかった』

ご両親の笑顔に見送られて、部屋を出た

エレベーターのところまで歩いて、大きくため息をついた

魂が直接ダメージ受けたような、魂が揺さぶられたって言葉がぴったりな、そんな体験だった

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一時期は確実に一緒に人生を歩んでいくと考えていた人と別れて、十数年後にその人の人生を振り返って聞かされるというのは、なんだか不思議な感覚だった
想像していたことが、急に現実感をもって現れた感じ
現実と非現実が交錯した感じ

それと同時に、改めて、人生には取り返しの付かないことがあるということを、再認識させられた
反省はするけど後悔はしない
昨日より今日、今日より明日の方が絶対よくなるから、人生のピークはまだまだ先にある
日頃そういう風に考えていて、当然今の生活、環境、立場に責任を感じている俺が、ほんのちょっとだけ19才からやり直せたらって考えた
ほんのちょっとだけ

もうこの先礼子と接点を持つことはないだろう
一生交わることのない別々の直線の上にそれぞれ乗って、二人別々の人生を歩んでいくことを、改めて残酷なくらいはっきりと自覚した、ある夏の日の話でした