こんにちは。さて昨日は、3年になり、卒論の第二段


として、概説レベル以上の専門書を読むにあたり、


じ内容について、異なる説・異なる視点から書かれ


専門書を読み比べ、自分の立ち位置を決めたという


をしました。





実は私はこの過程で、これから物事を考え、進めてい


く上で非常に重要なことを学んだのです。そして、言


葉にすれば簡単なことが、当時の私にはなかなかでき


ずに苦労したのです。





論文の骨組みを決める際、複数の専門書を読みながら


自分の考えをまとめていくのですが、その結果、自分


が論文の柱にするのはA説なのかB説なのか、または


会では主流になっている説に対して賛成なのか反対


のかを決めることになります。もちろん、内容・テ


マを設定した時点で自分なりの考えがまとまっており、


それを裏付ける説があるのが一番早いのですが、いか


んせん学生レベルの意見ですので、発想はともかく、


その根拠を突き詰めていくと、どうしても稚拙になっ


てしまうのです。でも、実はそこに気付くこと自体が


大きな意義なのです。





自分なりの発想を持つことも大事なのですが、それだ


けでは説得力に欠け、そこから先の深い議論にはなら


ないのです。でもそれは、そういう場面に遭遇しない


となかなかわかりません。そういう意味では、もうす


ぐ社会に出ようとする、まさにそのタイミングでこう


した機会を得ることは、今後の人生を考えるととても


いい勉強になり、人間としての深みも増すのです。





その際、大前提になるのは、あまりに稚拙な意見は論


外にするとしても、説得力のある根拠が必要で、その


ためには客観的な事実と、それに対する分析が大前提


だということと、A説にB説にも、賛成にも反対にも


それぞれの主張があり、それぞれに一理も限界もあり、


メリットもデメリットもあるということです。100


正しい、あるいは間違った説がないからこそ、考えを


深め、研究を進めていく意義があるのです。





ということは、最近の政治家や評論家によくいるよう


な、理想だけを語り、具体的にどうするのかを言わな


かったり、相手の意見を徹底的に叩き、さも自分が


100%正しく、相手が100%間違っているような姿勢で


論破したりするのではだめなのです。