こんにちは。さてそろそろ卒論の話に戻りたいと思い


ます。入門ゼミが終わる2年終了時には、論文のだい


たいの方向性は一応つかめていたものの、問題はここ


からでした。つまり、設定したテーマについて、どう


仮説を立て、どう立証し、どう結論づけるかの骨組み


を作る過程が最も難しかったのです。





実際、これが決まらないと、そこから先に進めません。


でも、自分なりに決めた方向性について発表すると、


発表内容や展開、教官への質問内容などが「非常識」


と言われるくらい、指導教官的にはなっていなかった


のです。当時の私には、それらのどこがいけないのか


はわかりませんでしたし、こうしたことがあまりに続


くと、「何をやっても怒られる」という気持ちにしか


なりませんでした。





とはいえ、萎縮ばかりしてもいられません。そうした


叱責の内容や、それこそ他のゼミ生の発表及び、それ


についての教官の指導などを参考に、自分に当てはめ


て考え、何とか準備を進めました。





私の記憶では、そうした流れをかろうじて断ち切れた


のは、4年になってからのことです。ただ、自分で言


のもなんなんですが、それだけ怒られたことで、こ


から論文を書くにあたり、どう展開すれば形になる


か、何をしてはいけないのか、どういう発想だとま


いのかなど、いわば「ツボ」は徐々に押さえられて


たように思います。それでも3年まではよくいろい


言われてきましたが、明らかに以前の私がよく怒ら


てきたような内容のことを、他のゼミ生が遅ばせな


ら怒られるのを見るにつけ、「自分は早いうちに怒


られておいてよかった・・・」などと思うようになり


ました。





・・・ってそれじゃ本当はダメなのですが、当時の


はそこまで他のゼミ生に気を遣う余裕はなく、怒ら


たのが自分じゃなくてホッとするような自分もいた


して、あまり褒められたものではなかったです。





それはともかく、当時は教官の言い方などで「カチン」


ときたからか、必ずしも素直に受け止めきれなかった


ところもあったのですが、今思えば、怒られた内容そ


のものは、現在仕事をする上でも大いに役立つことが


多かったと思います。大変ではありましたが、卒論を


仕上げた経験は、私にとっては宝物です。