パートナーである夫自身に、発達障害と言われるASD(自閉スペクトラム)と、
ADHD(注意欠陥/多動性)の特性が見られることに気付いてから早10年以上。
夫自身も、息子の発達障害等から、自分もそうだったのだろうと言いつつも、
向き合うのが怖いとの思いから、現実逃避してしまっている。
ここ数年、夫の家族について度々話をしてきたのだが、両親共、
もしくは片方に発達障害の特性が見られ、そんな親が子を持つと、
子供に興味や関心がいかず、十分な愛情を受けて育つことが出来なかった夫。
自宅では、父親が毎晩のようにお酒を飲んでは世間に対する否定や、
人様の悪口を言い、物に当たり散らし、物を壊して器物破損していたという。
幼いながらに、そんな父の姿をカーテンの陰に隠れて怯えるように見ていた夫。
「父親が怖くて甘えられなかった・・・。」
一方、母親はと言うと、父の代わりにキャッチボールをしてくれたこともあった
というが、息子がこけて岩に頭を打ち付け、血を流して帰って来ても、
病院にも連れて行かず放置や、
親の言うことをきかなかったら、細長い竹の棒を頭目掛けて投げつけられた等、
微笑ましいエピソードは全くと言って出てこない。逆に恐ろしい・・・。
両親に共通して上得意なことが、息子を貶して奈落の底に突き落とす!!
「お前は甲斐性無(かいしょなし)だろうから代わりに家を建ててやった。」
「お前は穀潰し(ごくつぶし)」
→食べるだけでは一人前で、役に立たない人をののしっていう語。
家族団欒も無く、親子間の対話も出来ず、そんな家族でモヤモヤしながら育った。
家族会等に参加して、機能不全家庭だったということも分かった。
発達障害の特性だけに囚われず、本人の子供時代まで遡って家族背景を見てみると、
色んな事が見えてくる。愛着障害も絡んでいるのかもしれないが、
これって物凄く大切なことなのだとしみじみ思う。
両親には恵まれなかったが、友人には恵まれた。
→本当に心が豊かで包容力もあって素晴らしい友人の方々。
良い友人を持ってしても、それでも視野(世界)は広からず、
見捨てられ不安に認知の歪み、想像力の乏しさに感覚の違いから
共感することが難しい等、
夫の抱え持つ世界観に悩み苦しみながら、
私は今日も何とか息だけ吸って生きながらえている。