男はつらいよ 純情篇(シリーズ第6弾)を観ながら書いております。
それにしましても、寅さんシリーズは、本当に私の心を鷲掴みにして離さないのでございますが、ハッと冷静に眺めたりなんか致しますと、なんとも複雑な心持ちになるのも確かなわけでございまして。
と言いますのも、私自身、日本のベビーブームと呼ばれた時代に生まれたこともあり、世は大家族離れがどんどん進み、集団よりも個の尊重をウンヌンカンヌン言われる時代に幼少期を過ごしたこともございまして、とかく身内や親戚同士の繋がりを毛嫌いする傾向があるのは確かでございます。
作り話の中の大家族や、濃密な近所付き合いに憧れはするものの、現実問題として実の親やご近所の人たちから、寅さん世界のような親密な絡み方をされようものなら、スッと心のシャッターを閉ざしてしまうかも知れません。
いやはや、人間というものはホントに勝手な生き物でございます。
私自身は兎も角、寅さんの世界は、いつでも親密で濃密な人間関係を保っていて欲しいのでございます。
そうしないとあの愛おしい可笑しさは成立しないはずですからね。
さて、今作でも寅次郎哲学は冴え渡っておりまして、妹のさくらに人間の感情と行動のチグハグさを一生懸命に説明しようとするシーン…
寅「いや頭の方じゃ分かっているけどね。
気持ちの方が、そうついてきちゃくれないんだよ、ねえ?
だから、これは俺のせいじゃねえよ」
さくら「だって、その気持ちだって
お兄ちゃんのものでしょう?」
寅「いや、そこが違うんだよ、早え話がだよ
俺はもう二度とこの柴又へもどってこねえと
そう思ってもだ、な、
気持ちの方は
そう考えちゃくれねぇんだよ、
アッと思うとまたオレはここへもどってきちゃうんだよ、
本当に困った話だよ」
という風に、自分の行き当たりばったりの言動がさも神秘に満ち溢れているかのように説こうとするわけでございます。最高ですよね。