2008年12月29日、日本武道館【THE DAY IN QUESTION】。

この日のクライマックスとなる3回目のアンコールで登場したBUCK-TICKは、
京都会館第一、アクトシティ浜松、でフィナーレを飾った「RENDEZVOUS~ランデヴー~」
に続いて最新シングル「HEAVEN」をパフォーマンスした。

背景に舞い散る雪のような桜の花びらがブラックライトに浮かび上がるなか、
吊るされたチェーンが再び上昇し不思議な浮遊感を抱かせる。

神々しいまでのメンバーが“HEAVEN”という楽園を表現する姿は、
幻想的なエンディングで締めくくり、言葉に表すことの出来ない様だった。

メジャー・デビューして22年間一度もメンバーチェンジ無く、
常に時代の最先端の音を追求し続けるBUCK-TICKというロックバンド。
そんな彼らを、この日埋め尽くされた9,000人という超満員の笑顔を垣間見ることにより、
今後期待を持って追い続けても、裏切られることが無いという確信が持てた一日であった。

そしてグランド・フィナーレとなる最新シングル「HEAVEN」。

このラスト・エントリーが
BUCK-TICKの2009年2月にリリースが決定しているニューアルバム『memento mori』の
ラスト・ナンバーとしての役割を此処で示唆していたことを、
この時点で、それを予測した観衆は、少なかったように感じる。

それは、この時期、頻繁にオンエアされていたこの「HEAVEN」と「GALAXY」の
ヴィデオ・クリップを観て、
それ以上のイマジネーションを働かせるのは、難しかったからだ。

何か言い知れない大きなテーマを内包する「HEAVEN」と「GALAXY」の2曲のインパクトは、
すでに、我々の頭の中に充満し、それぞれのオリジナルなストーリーを、
勝手に膨張させ得る楽曲であったし、
それ以上に、収録楽曲のタイトルを先に発表していたアルバム『memento mori』の、
【愛】と【死】というモチーフが、峻烈にリスナーの妄想を増幅する点では、
アルバム『十三階は月光』リリース時を想わせた。


制作スタッフからも、名曲と評判であった「GALAXY」の第一弾リリースを退け、
「HEAVEN」を先行リリースした今井寿は、この楽曲を聴いて、
「意外なところで、グッときたんで・・・」と語っていたが、
その感覚をライヴでのスタビライザーでのシューティングで実行に移していたのが印象的だ。


「悲哀の敵 愛する事が 俺に出来るか」


という命題を投げかけたアルバム『極東 I LOVE YOU』。

「HEAVEN」のイメージで、当初、頻繁に語られた情景は、
まさしく、「極東より愛を込めて」後の戦地に於いて、優しい風が吹くイメージ。
この風こそが、“愛”のイメージといえるが、
「HEAVEN」が“愛”を示すのなら、それは、どんな“愛”なのだろうか?

愛があるから、戦争が起きるのだ。

人が人を愛することをやめたら戦争はなくなる。
自分の国の子供のほうが隣の国の子供よりも可愛いから、戦争が起きる。

そう唄いかける「極東より愛を込めて」が、
この年の【THE DAY IN QUESTION】のクライマックスと言える場面でエントリーすることで、
BUCK-TICKは、この最新楽曲「HEAVEN」で言わんとすることを示唆していたような気がした。

理論で考えれば、人は殺してはいけないし、人類は滅亡しないほうがいいことは当然だ。
でも、それをしてしまうのが人間なのだ。
その繰り返しこそが、人類の歴史とさえ言えよう。

言い換えれば、
この「愛」すなわち「愛欲」こそが、人類の進化を促進させる源であったのは、
紛れもない事実である。

自我(エゴ)は、己の愛する人の為に、犠牲的な行為を人類に与えた。
それは、もしかすると、野生のすべての動物界における種族存続の本能なのかもしれない。
それは、己の系譜の真っ赤な血を後世に残していくという使命感からの情動とも言えるだろう。



釈迦の言葉で「愛」とは「愛欲」の事を指す。
ほとんどの人が言っている愛は、この「愛欲」のことである場合が多い。
仏教では、情動的な愛は本来あってはいけないもの、
無ければ無いに越したことはないものとされている。

そして、それと相反する矛盾の密室の中に、愛が「慈愛」としてが存在するとしたら、
それこそが、人類の「イデア」=「理想」と言えるのではないだろうか?

それを知り得る手段として【死】という装置があるのかもしれない。

人が死ぬと困るという情動は、古い大脳皮質ではなく前頭前野で起きているという。
「愛欲」とは違う頭脳で感じる「慈愛」を【死】が思い起こさせてくれる。

「ああ、これが本当に“愛”か」と気付かせてくれるのが、【死】の正体かもしれない。



自分の子供でなくても、赤の他人の子供でも死ぬと嫌だという慈愛の心。
これが抽象度の高い愛。キリスト教でいう神の愛。戦争を起こさない脳の愛だ。
これは情動が起動しているので、論理を上回る地点に位置している。

脳内でいう脳幹の中心部で起きている現象が愛欲で、
前頭前野内側部で起きているのが慈愛である。

ならば!ならばである!


これが出来れば、世界は本当の愛(=慈愛)で満ち溢れ、
決して戦争の起こらない世界(=HEAVEN)が実現する。


そう、これが「HEAVEN」だ。

人類のイデア=「HEAVEN」を実現する為に、

「死を想え!」

だから、今井寿は

『memento mori』だって・・・。

そう言った。



$【ROMANCE】




BUCK-TICKは、2009年4月3日川口リリーアホールを皮切りに、
約一年四ヶ月振りの全国ツアーを開始する。

これは、【愛】と【死】が、イデアを起動させる伝道の旅であった
それが【TOUR2009 memento mori】である。

人間にはまず愛欲があって、その次に論理があり、いちばん高いところに慈愛が存在するのだ。

そしてその慈愛に満ちた楽園の姿こそ“HEAVEN”なのである。


この「HEAVEN」は、今井寿による「JUPITER」である。

「慈愛」の象徴たる聖母マリアをモチーフとした櫻井敦司と星野英彦の「JUPITER」。
この今井寿のすぐ隣に存在した究極の姿を皮肉にも、超えることこそ、
クリエイターとして今井寿のモチベーションになり得ていたのではないだろうか?

そして満を持して、今井寿は「HEAVEN」を描き上げ、
櫻井敦司がこの楽曲に神聖なる母性の血を抽入した。

櫻井敦司が、歌詞を描くことで「HEAVEN」は、そのポテンシャルを遺憾なく発揮することになる。
まさしく生命の息吹が吹き込まれる瞬間と言えるであろう。

この「HEAVEN」の歌詞を読んで初め感じたのは、「JUPITER」的な母性であった。
櫻井敦司は、「JUPITER」で死に往く母親への懺悔を描いた。
それを彼は、「わかってもらえると思ってないし、わかって欲しいとも思わない」
と、やや、皮肉屋の一面を見せて語った。
これは「JUPITER」リリース時の“若さ故”のアイロニーであったかもしれない。
しかし、実は彼が「わかって欲しい」と想っていることは、リスナーに充分伝わっていたように、
僕は想う。

彼が、絶望し、崩壊寸前のところから這い上がり、
【再生】=【REBIRTH】を完遂出来たのは、
紛れもなく、ファンの存在によるところがないとは言い切れない。

ただし、BUCK-TICKファンたちも、また素直ではない。
バンドと同じ性質を持ち始めたファン達には、黙って櫻井敦司の再生を祈るしかなかった。
かける言葉が偽善では、ないにしろ、何もなかった。
黙って見守るしか、手段がないという場面というものが、人生にはあるはずだ。
最後は愛と泣けるのだから・・・。

すべては“時”が、清算し、流して逝く。
それをBUCK-TICKというバンドも、ファンも待った。
逆に言うと、待つという度量があった。

そんな櫻井敦司が、その後、その詩作に垣間見せる母の想いは、
やがて、慈愛的なものへとループしていく。

櫻井敦司は語る。

――ステージ上で歌っている最中でも、そういった思いが頭をよぎったりすることがあるわけですか?

「ありますね。ただ、前よりはマシかな。
昔はそこで、そういう思いがよぎる、すごく醒めちゃってたんです。
しかも、それが、あらかさまに態度に出ていたかもしれない。
失礼な話ですけどね(笑)。
今は、あんなにギラギラした視線とか、拍手や歓声をもらうと、
“しっかりしろ!”という気になりますね、自分に対して。
“余計なこと考えるな!”という感じで」


時を待つことで得られた成果は大きい。
櫻井敦司は、シンガーとして、人間としても、偉大な人物に成長を見せたと言い切れる。
そんな櫻井敦司が描く「HEAVEN」。

この「HEAVEN」を櫻井敦司は、母親からの目線で描いているような背景まで感じる。
この母親が、櫻井敦司の母親か、もしくはイメージ上の人類の母親的な存在“聖母マリア”か。
それはわからない。

しかし、なにかそういう大きな包み込むような暖かさであったり、
自然の厳しさも同時に感じさせるような母性的「慈愛」の姿が見え隠れする。

「HEAVEN」=母性の“愛”。

当然、男性である櫻井敦司にそれを感じることは、おかしいかもしれないが、
「JUPITER」を描いた彼であるからこそ、それも極、自然の流れのように感じるのだ。

「JUPITER」では、最愛の母への「Message」と綴った彼は、
その母の視線から、「Message」を返しているように感じられる。

それは、どこまで大きな慈愛であった、と。

そして、そういった存在への憧れを示すかのように、
「HEAVEN」の歌詞の完成を見た今井寿の感性は、「これぞ!俺の求めていたイデア」と、
認知した瞬間に、この先行シングルは決定したのだ。


アイデアではない。イデア=理想だ。


この壮厳な自然の流れを表現するようなメロディに載った
神聖なる母(もしくはそれを象徴とするもの)から注がれる慈愛の精神。


幼稚園や保育所では、「母の日」に、母親にカーネィーションの花を贈る。

その際、子供の胸には、「赤いカーネィーション」が飾られるが、
母を亡くした子供の胸には、「白いカーネィーション」が刺さるという。

天空へ赴いた母親に捧げるカーネィーションは、弔いの“白”だ。
それを天空の母親は【SORA】から優しく見つめている。

「君は、この生まれゆく美しい世界で生きていくのだよ」

とまるで母親のような視線で、もしくはそれを象徴するものすべての視線で、
言葉をかける櫻井敦司。


「ごめんね。君のそばにいてあげられないことを赦しておくれ。

でも、天空から、君のことを見守ってるから、ダイジョウブ。
人生は【愛】と【死】。
君の【愛】と【死】を見つけてね。

それまでに、きっと、泣いたり、笑ったり、いろんなことがあるけど・・・。

それは、すべて必然なのだから・・・。
絶望だけは、しないでおくれ」


こんな櫻井敦司の母性は、「JUPITER」以来だろう。


そして、それを引き出す事に成功した今井寿は、自信を持ってこの「HEAVEN」を、
『memento mori』からのファースト・シングルに推した。

それは、この後に「GALAXY」が続くことで、
その楽曲の内包するイメージが、さらにはニューアルバム『memento mori』のモチーフであろう
【愛】と【死】が、
もっとダイレクトにリスナーに伝わると判断したからではないだろうか?

シャイな彼は決して、おくびにも出さないが、そんなセンチメンタリズムの持ち主が今井寿なのだ。

「HEAVEN」「GALAXY」ともに、長いBUCK-TICKのキャリアの中でも、
最高傑作といえる楽曲が誕生した。

それは、今井寿のセンチメンタリズムが引き出すことに成功した
櫻井敦司の母性の結晶・・・。

そういった意味でこの二曲は、究極のBTソングに数えられるだろう。

「JUPITER」や「鼓動」とともに・・・。



その目には蒼く映る【SORA】がある。
生きていることは、辛く哀しく、しかし、胸躍るような感情=たとえば恋をしたり・・・。
色々なことがあるのだよ。

君にわかるかな?

とやさしく我が血を継ぐ赤子に話しかけるように櫻井敦司は、話かける。


「金網越し交わしてるKISS
国境 抱き合うANGEL舞いあがる羽の 影は一つ」



まるでANGELのような赤子は、無邪気に親の顔を見て笑っている。

「君へ 生まれてくれて ありがとう
何も無い 闇の向こうから
たった独り 君はやって来た
儚い とても小さな翅(はね)を震わせ

見えるかい あれが戦争の灯
聞こえる あの祈りの歌
歌おう 静かに瞼閉じて 愛の歌

いつだって夢や幻 この腕すり抜けてゆく

君は見ている 今はここで
青空 君は命限り歌う
君を見ている ずっとここで
僕には七日目の朝来たよ

眠っている君は天使だ
目覚めた君小悪魔さ
夢見て 君は夢見ているの 夢中で

この手を離しはしない 世界が壊れようとも

君は見ている 今はここで
青空 君は命限り歌う
君を見ている ずっとここで
僕には八日目の朝来たよ」

そう、なにも恐れることはない。

ここは、君の世界だ。

そして、たとえ何が起ころうとも、僕は君を見守っている。

生きるんだ。

その【愛】と【死】を見つけるまで・・・。

「君は舞う 風と踊る
君は舞う 空いっぱい舞いあがれ」



$【ROMANCE】


これは櫻井敦司からのメッセージだ。


「この素晴らしき 狂いゆく世界で
桜咲く 風に吹かれて

この美しき 腐りゆく世界で
胸に挿した 白いカーネィーション

この素晴らしき 生まれゆく世界で
桜咲く 風に吹かれて

この美しき 翳りゆく世界で
胸に咲いた 赤いカーネィーション」






母亡き子も、母を愛する子も、
この【ソラ】いっぱいの“愛”を胸に舞いあがれ!







2008年12月29日、日本武道館【THE DAY IN QUESTION】。
アンコール3で登場し「RENDEZVOUS~ランデヴー~」を熱演したBUCK-TICKは、
ジャケットを脱ぎ捨てフリルシャツ姿の今井寿が、
シューティング・スター用のスタビライザーを構え最後の「HEAVEN」へと突入していく。

この完璧とも言えるラストシーンにオーディエンスは、まるで吸い込まれていくようだ。

少し力を抜いて舞い上がるように歌う櫻井敦司。

「HEAVEN」でのグランドフィナーレは、いつのどのBUCK-TICKとも違う。

まだ、今井のスタビライザーが鳴き声とあげているうちに、
この年、最後の櫻井敦司の挨拶が始まる。

櫻井は手を大きく振りながら、

「ありがとう。
また、逢いましょう。
おやすみ。よいお年を・・・。

BYE BYE !!!!!」

そして、日本武道館の袖へと去っていく櫻井敦司は、
まだ、スタビライザーから慈愛にビームを放ち続ける今井寿のおしりを叩いてエールを贈る。
櫻井の後を追うように、星野英彦が、樋口豊が去っていく。
ヤガミトールもお約束のスティックを客席に投げ込むと、
今井寿がひとりステージに残り、翌年のライヴツアーでは定番となった
長目の【HEAVENアウトロ】をパフォーマンスし続ける。

これは今井寿によると櫻井敦司のリクエストであったようだ。

「やっぱり、キレのいいところで終わらせるのと、
スッと終わってそのまま去るんだとちょっと違うかなって。
それで、櫻井さんのリクエストで俺がずっとガァーッとやってっていう、演出というか……。
そういうところから出てきて、あそこは俺のお任せにだんだんなっていったという」

「そうですよ。
延々とグチャグチャ弾いて長い日もあれば、
シンプルなフレーズをただ淡々と繰り返して弾いてる日もある」

と今井寿のギタリストとしてインプロヴィゼーションが呼び物のラストシーン【HEAVENアウトロ】は、
この【THE DAY IN QUESTION】から受け継がれている。

最後、鳴り響いたままスタビライザーは、フロアに寝かされ、
今井寿のステージを去る。

いよいよ『memento mori』が動き出す。




2008年という年が【死】を迎え、新しい年の【愛】が生まれる。




さあ2009年だ!




$【ROMANCE】


PS
a Happy BrithDay!!!

and Happy Bran-New Year!!!


$【ROMANCE】
$【ROMANCE】


HEAVEN (5:22)
(作詞:櫻井敦司 作曲:今井寿 編曲:BUCK-TICK)



ラララ・・


その目はCRAZYでLOVELY BLUE BLUE SKY
生まれ 泣き叫び 笑い 愛し 恋を・・恋をしよう
金網越し交わしてるKISS
国境 抱き合うANGEL舞いあがる羽の 影は一つ


君は舞う 空を染めて
君は舞う 空いっぱい舞いあがる


この素晴らしき 生まれゆく世界で
桜咲く 風に吹かれて
この美しき 翳りゆく世界で
胸に咲いた 赤いカーネィーション


ラララ・・  ラララ・・


その目はCRAZYでLOVELY IN THE SKY
もがき 歌歌い 踊り 愛し 恋を・・恋をしよう
銃声 眠れない夜も終わる
雨に濡れた君 まつ毛甘く震わせて 蝶に成ったよ


君は舞う 風と踊る
君は舞う 空いっぱい舞いあがれ


この素晴らしき 狂いゆく世界で
桜咲く 風に吹かれて
この美しき 腐りゆく世界で
胸に挿した 白いカーネィーション
この素晴らしき 生まれゆく世界で
桜咲く 風に吹かれて
この美しき 翳りゆく世界で
胸に咲いた 赤いカーネィーション


ラララ・・


胸に咲く 赤いカーネィーション


$【ROMANCE】
$【ROMANCE】