「月明かりだけに許された」
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「13階は月光だ・・・」
廃奥のような13階フロアの高層ビルディングから、
下弦の月光が、僕を照らして嗤っている。
そして、僕は、同僚の待つ階下へと向かう。
埃っぽい解体中のビルは、都市の死体みたいだな、と想いながら、
さっき、見たばかりの“夢”が、どんなだったかを、僕は、懸命に思い返した。
“夢”は、記憶情動のひとつなのだろうか?
今、僕が目の前にしている所謂“現実世界”は、
僕の記憶に基づく、情動を、映し出しているに、他ならない。
そう、ある脳心理学の本に書いてあった。
それが、もし、本当ならば、僕が見た“夢”の世界を、
しっかりと記憶に刻み、それを、僕自身が、“現実”と認めさせすれば、
その“夢世界”が“現実世界”へと繋がっていく可能性は、あるのだろうか?
と、普段は、ROI=投下資本利益率しか計算しない僕の脳ミソで考えてみる。
これとて、解答などでるはずのない“妄想”と強く認識しながら、
その“壁”を乗り越えられたら、どんなにいいか、と溜息がでる。
新宿の買収したビルディングの外に出るとそこはすぐスクランブルの交差点で、
無数の人間が、携帯を手に歩いている。
彼らは、どんな外部世界と通信しているのだろうか?
「ああ。もう大変だよ」
と彼の口癖を耳にすると、隣に同僚が、立っている。
「何してたんだ?また会長(じいさん)が。無茶苦茶、言って、大変だよ」
そう話しかけてくる同僚も携帯を手にしている。
ウチの会社のドンは、もう75歳を過ぎているが、社内の誰よりも、革新的なアイデアを指示してくれる。
使いっぱの僕たちには、それは、荒唐無稽の無理難題に聞こえてしまうが、
それが、このサバイバル・レースと化した“現実世界”で生き残る為に、
とても、大切な事であった、と、いつも、僕らは後から気付くのだ。
まさしく「良薬、口に苦し」である。
僕は、この同僚と接待のネオン街に身を埋めて逝く。
まるで、さっきまで居た13階フロアの廃奥(=死体)みたいな顔して笑い、酒を口にする。
味はほとんど、わからない。
しかし、頭の中では、さっき見た“夢”の内容を、想い出そうと頭の中がぐるぐる廻る。
そう、これさえ、明確に記憶に刻めれば、夢が現実化するのに・・・、と。
◆◇◆◇◆
そう、僕は、きっと【ROMANCE】で、誰か他人に、僕の傷跡を残したいと感じたの、だ。
掴みどころのない、この流れる“現実世界”に、
仮想のナニカを創り上げるのが、“妄想”であるなら、
僕の自我(エゴ)は、それと映し出す鏡として、他人の密室を必要としたのかも知れない。
完全に僕自身のエゴイズム(我儘)と言い切れる。
他者の承認こそが、僕自身を僕たらしめる証拠となる、と知ってしまったからだ。
◆◇◆◇◆
2005年3月2日、シングル「ROMANCE」がリリースとなる。
記念すべき結成20周年を迎えるBUCK-TICKの一年が、この「ROMANCE」と共に胎動を始める。
天使と悪魔の繰り広げる物語の背景には、いつも濁った色の月がある。
そして主人公の胸にナイフが深く突き刺さったとき……。
ああ、すでにアタマのなかで妄想が騒ぎ始めている。
もちろん、その要因は「ROMANCE」と題されたBUCK-TICKのシングルである。
さらに同年4月6日に登場したアルバムに冠せられた『十三階は月光』というタイトルにも、
脳を刺激せずにはおかないナニカが存在した。
櫻井敦司と今井寿。
彼らはこの妄想の根源でもある。
名付け親の今井寿にすれば、
「ええ。それ風なものにしたかった。
もうホント、タイトルについてはイメージというか記号というか。
演劇風ないい言葉ないかなって考えてただけなんで」
というような思い付きが、体現したモノなのかもしれないが、
それは、今井寿の記憶情動に、ソレが有り得たという事に、他ならない。
そして、その“夢”は、リスナーの頭の中の妄想で、次々と“現実化”していったのである。
『思考は、現実化する』は、全世界で3000万部を売り上げた成功哲学の金字塔で、
著者のナポレオン・ヒル(Napoleon Hill)は、成功哲学の祖とも言われ、
PMA・HSSなどの成功プログラムを世に送り出した人物として世界的に有名である。
バージニア州南西部のワイズ郡で生まれる。9歳の時に母が死去。
1908年、新聞記者として、
世界の鉄鋼王アンドリュー・カーネギーにインタビューをした事をきっかけに、
「20年間無償で500名以上の成功者の研究をして、成功哲学を体系化してくれないか」
と頼まれる。
彼は「やらせてください」と即答、
それから20年間苦悩の末、約束通り1928年にプログラムを完成させる。
そしてさらに、実践の場での有効性を調査し度重なる検討を繰り返した後、
1960年、PMAプログラムを完成させる。
ウッドロウ・ウィルソン大統領の補佐官、フランクリン・ルーズベルト大統領の顧問官を務めた。
1970年に87歳で死去している。
彼の深淵な思考に、凡人の我々が、どこまで“真理”に接近できるかわからないが、
僕は、この「思考は現実化する」という言葉は、
「思考がなければ、現実化するわけがない」が正しいと感じた。
すなわち、思考=妄想が、すべての“現実世界”のミニチュアであり、
今、ある“現実世界”は、それを描いた誰かの思考=妄想なのである。
凡人の僕でも、それが、僕の描いた思考=妄想ではないことは、理解出来る。
だから、そんなミニチュア世界を創ってみたかったのかも知れない。
見えない物の誤解の世界で。
そう、このネット上の“仮想現実の世界”で。
【ROMANCE】は、暴走する。
それも、タチの悪いことに、それは、自分ひとりでの出来事ではなく、
他者を引きづり込む垂れ流しの妄想=悪夢となった。
しかし、“夢物語”とは、得てしてそういうモノであろう。
「作風としては演劇的というか、架空のサントラというか……。
ゴス、ゴシック的な世界観みたいなものを、そういう手法でストレートにカタチにしたいな、と。
もう、それがすべてですね」
と語るトータル・コンセプトをカタチ取った今井寿。
偶然の妄想こそが、現実世界を捻じ曲げる力を有している事実に、
本人達も、驚いていた節すら感じるマジカル・ナンバー「ROMANCE」。
僕が、この楽曲を気に入っていてBLOGタイトルにしたのも、
大して、それ自体に意味がある訳ではなかったが、
今では、それ以外は、選択肢がなかったようにさえ想えてくる。
そういった意味で、特別の感謝と感情をこの楽曲に抱くようになった。
BLOG【ROMANCE】を書き始めて、最初に演奏された「ROMANCE」が、
この2008年の【THE DAY IN QUESTION】で、
嗚呼、まだ、彼らはこの「ROMANCE」を演ってくれるんだ。
と、意外にも、ものすごく過去の楽曲のように感慨深く感じたもの、だ。

2008年12月29日、日本武道館。
【THE DAY IN QUESTION】。
BUCK-TICKが、一時取り憑かれたように、パフォーマンスしていた
アルバム『十三階は月光』収録楽曲の中では、
唯一のエントリーとなった「ROMANCE」が、ここに登場した。
随分、久しぶりの“GOTH”だな、と正直思ったが、
相変わらずの美麗なる輝きは、BUCK-TICK唯一無二の存在感を示す一曲になった。
そう、今では、この傑作ゴシック・アルバム『十三階は月光』収録の楽曲を演らなくても、
彼らは、自然と、その影をその身体の背後に纏うようになった。
どんなに、ストレートなロックンロールを演っても、
この影が、彼らから離れる事は、恐らく、ない。
ヤガミ“アニイ”トールのスティック・カウントから、
今井寿と星野英彦の珍しいユニゾン・プレイで奏でられるイントロで、鳥肌が立つ。
そして、この夜の“月夜の花嫁”は、早くもニュー・アレンジが施されている。
今井寿は、赤マイマイではなくブラック・レッドのサンバーストで、
「ROMANCE」のニュー・フレーズの調べを奏で出すと、
星野英彦のフェルナンデス・ホワイト・バーニーも、
まるで、宝飾品のような煌めきを、その音色で表現し出すのだ。
そして、気付くことは、このゴシックの至宝とも言える楽曲は、
ヤガミトールと樋口豊の重厚なリズム進行で、ほぼ成り立ってしまうという事実だ。
イメージ的には、ラウドなグランジ・ロック「唄」のドグマとも言える
生命の息吹を、濃厚に響かせた後に、やや、幻想的な演出で、始まった「ROMANCE」。
メランクリックに、シャレコウベのステッキを抱き抱えるように、唄い始める櫻井敦司。
このステッキも、定番の「Alice in Wonder Underground」では登場せず、
この「ROMANCE」と「極東より愛を込めて」で活躍することになる。
こういったシャレコウベとのパフォーマンスは、のちのライヴツアー【memento mori 2009】で、
大々的に演出に導入されることになるが、
これは17世紀画家ドメニコ・フェッティ作「メランコリア」の憂鬱からくるものだろうか?
と、想わせてくれたのも、この【ROMANCE】を読んでくれるあなたのお陰だ。
この時期、メランコリーは死と結び付けられ、
無常観(Vergänglichkeit)の色の濃い作品が多く登場する。
頻繁の登場する小道具の数々、シャレコウベ、蝋燭、砂時計はいずれもそのシンボルである。
「メランコリーの響き」というメランコリーと音楽を結び付けた題材も頻繁に登場する。
憂鬱性をまぎらわすのに、音楽には古くから重要な癒し効果があるとされていたらしい。
音楽療法という概念は旧約聖書のサムエル記にすでに示唆されている。
こういった“GOTHIC”なアイテムが、“memento mori”の増幅装置として、
BUCK-TICKのライヴ・アクトにも登場することになる。
“髭”もそのキャラクター展開のひとつ言えるだろう。
が、まだ、この時、櫻井敦司が、まさか、髭を生やしてステージに登場することなど、
想像していた者は居なかった。
1628年に血液循環が発見されたことにより、
「メランコリックな人間は体液が黒いからだ」
という考えはもはや意味をなさなくなるが、
「メランコリーは芸術における創造の源泉」、
「天才と狂気は紙一重」という古代からの考えは、
18,19世紀の芸術美学に強い影響を及ぼすことになる。
「ROMANCE」のヴィデオ・クリップで見せた櫻井敦司伯爵の黒い血を、どうにも連想してしまうのは、
止められない“妄想”と言えそうだ。
「幸福とは快楽の充足であり、社会全体の快楽の増大がすなはち善である」
神なき時代に幸福を定義しようとすれば功利主義に拠って立つしかほかない。
人間が神の玉座を占める社会では、法に従う限り、欲望を満たすあらゆる行為が許されている。
もっともベンサムは自分勝手な行動を勧めたわけではない。
人は一人では生きていけない。
自分が幸福に生きるには共に生きる人にも幸福でいて欲しい。
夢見る現実主義者ベンサムは功利主義が共同体への貢献に繋がることを期待していた。
幸福のカタチに諸説あっても「自由」が幸福の条件であることは異論のある人はいないだろう。
奴隷が幸福になれないのは自由を奪われているからだ。
我々は自分が自身の支配者であり、誰もその権利を侵すことはできない。
ヒトは一匹の動物として生まれ、成長し、老い、死んでいく。
この世に生を受ける前に親や社会を選ぶことはできない。
人間はホメオスタシスによって自分のポジションを固定している。
恒常性=ホメオスタシスは生物のもつ重要な性質のひとつで、
生体の内部や外部の環境因子の変化にかかわらず生体の状態が一定に保たれるという性質、
あるいはその状態を指す。
生物が生物である要件のひとつであるほか、健康を定義する重要な要素でもある。
生体恒常性とも言われる。
このホメオスタシスが、人を知らず知らずのうちに自己規制してしまう。
この無意識に自己規制させているものを「バイオ・パワー」という。
「バイオ・パワー」はイギリスの哲学者ジェレミ・ベンサムの「パノプティコン」という概念が基になる。
パノプティコンとは一望監視施設のことで、
刑務所を一箇所から監視しようとする際、監視する側から刑務所が見えるけれど、
収監されている囚人からはいつ監視されているかわからない、というようなしくみにすると、
24時間監視されているように感じ、大人しくなるというものだ。
実際に監視しているかどうかではなく、監視しているかのように思わせることが重要なのだ。
いつ見られているかわからないということが、権力となるのだ。
マンションなどの監視カメラも同じ原理だ。
本当に泥棒を捕まえたいなら、こっそり撮影するほうが良いところを、
わざと目立つような場所に設置しているのは、その為だ。
監視カメラの目的も実際に犯人を捕まえることではなく、
24時間監視している、と思わせることで犯罪を抑制するのが目的だ。
現在はデジタル・カメラが普及したので本当に24時間撮影していると思うが、
ヴィデオテープ時代は、膨大なテープを使って、
さらに、それをチェックするということはしていない場合が多かった。
テープを回さずに、わざと目立つところに赤いランプを点け、
いつもこのカメラで監視しているから悪いことは出来ないよ、ということを示していただけだ。
フランスの哲学者ミッシェル・フーコーが、この概念を更に拡大して作った概念が「バイオパワー」だ。
“生権力”と訳される。
昔は国王や独裁者が一方的に持っていた権力であるが、
ある時からお互いがお互いを縛りあう権力が生まれ、お互いが監視し合うようになったのだ。
企業でも、電話の盗聴や従業員のメールを閲覧するなどして、不正を監視しているところもある。
また、資本主義ではカネの動きも監視される。
アメリカ人が全員持たされているUSIDは、購買記録が残るので、
電車でどこに行ったかというっことや、何を買ったかが調べればわかるようになっている。
これは対テロに必要であるというのが、合衆国連邦政府の理論だ。
バイオパワーでテロを抑制しようとする発案だ。
日本でも、収入や預金額は税務署によって見張られ、時々不正を告発して、
ちゃんと見ていることを示し、脱税を抑制することに利用されている。
これらは全部バイオパワーと言える。
また、「お天道様は見ているよ」といった迷信や宗教によっても、無意識に自己規制してしまう。
学歴社会もまさにバイオパワーだ。
隣の子はどこどこの有名私立小学校に合格した、とか、
あそこの家の御主人はどこどこ大学を出て、外資系企業に勤めているといったことを、
お互いに探りあい、それなら自分の子も進学塾に通わせなければ、と思うのだ。
テレビや新聞のマスメディアが伝える情報も、いつの間にか生活に忍び込み、バイオパワーになる。
バイオパワーは生活のいたるところに入り込んで、お互いがお互いを監視して、
そこからはみ出ることを許さないような規制を張る。
生活に忍び込み、あなたの自由を奪うバイオパワーの存在を知るべきなのだ。
知らないうちに忍び込んでいる権力によって、奴隷の夢を追い求める結果なってしまう。
【ROMANCE】は、まさしく、そういったものから自由を獲得したい、と妄想した
僕の仮想現実であった。
――今、なぜゴスなんです?
という質問に、答えて、
「いや、べつに……。
アイデア自体はツアー中にぽつぽつ出てきてて、
曲の断片みたいなものもなんとなく揃いつつあったんで、すね。
そこから自然にそういう流れになっていった感じですね。
最初、ゴシック云々というのは自分のアタマのなかだけにあって、
どっぷりそこだけをやろうって考えてて、それから各自ソロ活動に入って。
で、あっちゃんのライヴを観に行ったときに、ある意味で自由ではあるんだけど、
ちょっとなんかギクシャク感みたいなものを……。
ソロだから櫻井敦司発信ではあるんだけど、曲は作ってなかったりするわけじゃないですか。
そこでの違和感みたいなものをちょっと感じて。
で、そのときも、次にBUCK-TICKでやることっていうのをなんとなく観ながら考えてたわけですけど、
なんかぴったりハマるというか、いい流れだなと思って」
――ゴス云々以前に、
“櫻井さんのソロ作品を今井さんがプロデュースしたらどうなるのか?”的な発想でもあったわけですね?
「そうですね。思い切って言うとそういうことになるかもしれない」
と答える今井寿の構造はどうなっているのだろうか?
バイオパワーが効かない境地で、クリエイティヴに仕事を進める彼らにとって、
これは、ライフ・ワークであり、すでに仕事では、ないのかも知れない。
勿論、印税を含むギャラで、彼らが生活しているのは、現実であるのだが、
そこのホメオスタシスの制御の存在が、真っ白に消えてなくなるのは、
どう説明すればいいのだろうか?
まるで、外界の視線を無視するが如くに飛躍する彼らの姿に、
~しなければならない、という概念がなく、
~したいからするという、人間のゴール設定の至高を見るのは、有意義な時間であった。
そして、あらゆるものを“るつぼ”に溶かしこんでオリジナルを形成するBUCK-TICKが、
全く逆の発想で、自らのホメオスタシスを楽しむかのように、挑んだのが、
BUCK-TICKの“ゴシック”=『十三階は月光』であり、
純度の高い濾過された高貴なポイントに位置するのが、この「ROMANCE」という楽曲のイメージであった。
人間が人生のゴールを設定するときは、本当に自分がなりたいものであることが前提であるべきだ。
しかし、バイオパワーによって洗脳され、自分のゴールだと思い込まされている場合がよくある。
これは注意したほうがいい。
洗脳されたゴールとは、いい会社に入らなければならない、
出世しなければならない、カネをたくさん儲けなければならない、など、
自分の意思ではなく、世間的な先入観によって設定されてしまう。
~しなければならない、でゴールを決めてはならない。
これでやっているほとんどの事柄がバイオパワーの規制の中で生きている可能性がある。
もっと言えば、それは生活の中にひとつでも入ってはいけないものだ。
それをすべて消したところに【ROMANCE】は存在する。
金持ちになることを【ROMANCE】した人が金持ちになっても満たされていないことがある。
稼がなければならない、で働いているから、実はちっとも【ROMANCE】じゃないのだ。
自分の行動すべてを、したいからする、にすることが、【ROMANCE】には、とても重要なのだ。
こう言うと、月曜から金曜は~しなければならない、で働いて、
土曜と日曜の週末は、したいからする、で自分のしたいことをするために過ごしていいですか?と
訊く人がいるが、しかしそれでは駄目なのだ。
しなくてはならない、がひとつでもあれば、それはもう【ROMANCE】ではなくなってしまう。
自分の【ROMANCE】は完全に、したいからするだけでないと【ROMANCE】にはならないのだ。
人が物事を判断するときの判断材料は過去の記憶情動である。
バイオパワーが発揮されるのは、怖いとか、嬉しいという、この過去情動によって発揮されるのだ。
前に経験したとき怖かったからやめる、嬉しかったからまたやる、
というように過去の情動で判断してはいけないのだ。
では、理論的に未来のゴールから判断すべきかということであるが、
これは可能であれば行えばいいが、実際問題として、
実際の情動を理論でコントロールするのはほぼ不可能だろう。
正しいやり方は、未来側の情動のリアリティを、過去の記憶情動より高めればいい。
すなわち、仮想現実=【ROMANCE】の構築だ。
あなたの現実を、あなたの【ROMANCE】で塗り固めるのだ。
そうすれば、或いは、“夢”が“現実化”すること、ある、かも、しれない・・・。
僕は【ROMANCE】に書いた。
「ROMANCE」、ひいてはアルバム『十三階は月光』のコンセプトは、
この増田勇一の言う
「ゴス云々以前に、“櫻井さんのソロ作品を今井さんがプロデュースしたらどうなるのか?”的な発想」
に尽きるのではないだろうか。
今井寿は、こうも語る。
「BUCK-TICKは、……やっぱり、あっちゃん。あっちゃんなんだよ」
当時、各雑誌メディアでも頻繁に引用されていた「今井寿プロデュース/櫻井敦司ソロ作品」が、
この「ROMANCE」の正体であったのかも知れない。
誤解を恐れずに言えば、ソリッドで個性的な音の立った星野、樋口、ヤガミの演奏も、
そして、コンポーザーである今井寿本人すら、
出来得る限りその個人の自己主張を抑え、月影に包み込むように、
すべてを、櫻井敦司の「ROMANCE」に“献身的”に捧げているように映る。
やはり、この『十三階は月光』の一連のプロジェクトは、
これまでのBUCK-TICKキャリアとは、まったく、違った輝きを放っていた。
そして、それは、奇しくも結成20周年という節目と重なったが、
その後の、BUCK-TICKとも、また、違った“色”を放ったと言える。
在りそうで、無いもの。
そんな、身近な存在の価値に気付く瞬間。
人間は、測り知れない“飛躍”を達成するのかも知れない。
そこに、在ったBUCK-TICKの姿は、ソソリ立つ個性の激突による、
それまでの、苦悩する魂でもなければ、疾走するミュータントでもなかった。
不純物を全て削ぎ落とし、ギラリと鈍く光る。
神々しいまでに、完成し尽くされた世界。
ヒトなるものの情動の入り込む隙間すら存在しない。
完璧なるBUCK-TICKの世界が、そこには、 在った。
2009年12月29日。この夜もBUCK-TICKは、バイオパワーの入り込む隙も見当たらない
【ROMANCE】の真っただ中に、在った。
「ROMANCE」の旋律が鳴り響く中、膝間づく、ひとり櫻井敦司は幻影を追い求め・・・
崩れ落ちていく・・・。
ああ、なんと・・・麗しい・・・。
彼らが闇と一体となる瞬間に、なんの不純物もない。
これは、すでにヴィラド伯爵すら、無に消し去ってしまう境地に至る【ROMANCE】だ。
その時、僕は、絶望ともいえる無力感に全身を奪われる。
これが“陶酔”というヤツか・・・。
「嗚呼 今夜も血が欲しい闇をゆき闇に溶け込む」
薄れ逝く、意識のなか・・・こう、想う。
嗚呼、あの13階フロアに、まだ、月光は差し込んでいるの、だ、ろ、う、か?

ROMANCE
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
月明かりだけに許された
光る産毛にただ見とれていた
眠り続けている君の夢へ
黒いドレスで待っていて欲しい
ああ 君の首筋に深く愛突き刺す
ああ 僕の血と混ざり合い夜を駆けよう
月夜の花嫁
天使が見ているから月を消して
花を飾ろう綺麗な花を
ああ ひとつは君の瞼の横に
ああ そしてひとつは君の死の窓辺に
闇夜の花嫁
ああ こんなに麗しい跪き祈りの歌を
ああ 今夜も血が欲しい闇をゆき闇に溶け込む
ああ こんなに麗しい跪き祈りの歌を
ああ いつしか腐りゆく跡形も無く消えてゆく
ROMANCE
ああ そして最後の場面が今始まる
ああ 君のナイフが僕の胸に食い込む
そう深く・・・さあ深く
ああ こんなに麗しい 跪き祈りの歌を
ああ 今夜も血が欲しい闇をゆき闇に溶け込む
ああ こんなに麗しい跪き祈りの歌を
ああ いつしか腐りゆく跡形も無く消えてゆく
