
■アルバム『memento mori』
01.真っ赤な夜-Bloody- (作詞 櫻井敦司/ 作曲 今井寿)
02.Les Enfants Terribles (作詞 今井寿 / 作曲 今井寿)
03.GALAXY (作詞 櫻井敦司/ 作曲 今井寿)
04.アンブレラ (作詞 今井寿 / 作曲 今井寿)
05.勝手にしやがれ (作詞 櫻井敦司/ 作曲 星野英彦)
06.Coyote (作詞 櫻井敦司/ 作曲 今井寿)
07.Message (作詞 櫻井敦司/ 作曲 星野英彦)
08.Memento mori (作詞 今井寿 / 作曲 今井寿)
09.Jonathan Jet-Coaster (作詞 櫻井敦司/ 作曲 今井寿)
10.スズメバチ (作詞 今井寿 / 作曲 今井寿)
11.Lullaby-III (作詞 櫻井敦司/ 作曲 今井寿)
12.MOTEL 13 (作詞 櫻井敦司/ 作曲 星野英彦)
13.セレナーデ
-愛しのアンブレラーSweety- (作詞 今井寿 / 作曲 今井寿)
14.天使は誰だ (作詞 今井寿 / 作曲 今井寿)
15.HEAVEN (作詞 櫻井敦司/ 作曲 今井寿)
■初回生産限定盤 (BVCR-17074~5) \3,990(tax in)
【初回生産限定盤特典】
・抽選特典応募券封入
(2008念武道館ライヴ・フォトパネルを50名様にプレゼント)
・特典DVD付(レコーディングドキュメンタリー収録)
・SHM-CD仕様(一般のCDプレイヤーで際せできる高音質CD)
・スペシャルパッケージ仕様
■通常盤 (BVCR-11127) \3,059(tax in)
さて、【ROMANCE】を書き始めて初めてのアルバム・レヴューを書いてみようと思う。
これまでアルバム・レヴューを書けなかったのは諸々僕個人の感情によってだ。
ひとつ予め逃げ口上を言っておくと、
アルバムも書籍と一緒で、聴く側の心理状態や感情、
または外部からのバイアスによって解釈が変化していくということである。
こうしているウチにも、刻々と変化するということは、アルバムは生き物であるとも言えよう。
・・・というのは、すべて僕の言い訳である。
1. 真っ赤な夜-Bloody-
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
「お前の肌に触れるのさ 永遠が指を掠める
狂おしいほど濡らすのさ 永遠が零れ落ちてゆく」
先行第1弾シングル「HEAVEN」のカップリング楽曲である。アルバム・ヴァージョンにアレンジが施されて収録に至った。櫻井敦司の発言によると、このカップリング楽曲でアルバムの幕を開けるという意外なアイデアは、マニュピュレーターの横山和俊の発案であったらしいが(Bay FMでの清春『ミッドナイトフィールド』で櫻井敦司と星野英彦が出演した時のコメント)、今井寿の発案であったという説もある。
恐らく、この二人の意見によって「真っ赤な夜」と「セレナーデ―愛しのアンブレラ―」の収録が、決定したものと思われる。
これまでのBUCK-TICKアルバムは、印象的なSEか、オープニング・ナンバーでも、イントロがインスト的な導入部分を採用することが多かったが、今回は、いきなり先制攻撃的な激しいソリッドなギター・カッティングで始まりを迎えている。ここが、このアルバムの原点回帰と言われた大きな要因のひとつであろう。
相変わらずのダークな世界観に一気に引きずり込まれる。彼らは、本当にこういった焦燥感のある楽曲を演出するのが上手い。バックには途中のコーラスを反転して挿入している。
“-Bloody-”のサイドネームは今井寿に付けられたが、まさしく血の匂いのするハード・アレンジで、いかに、このアルバムの内容が、生身の感覚で、肉体的であり、それが官能的に駆け巡ることを、この一曲で示唆することになる。
考えると、オープニング・ナンバーに、これほど適した一曲はなかったであろう。櫻井敦司のソウルフルなヴォーカルが炸裂して、最後まで息切れをせずに、聴けるだろうか?という不安が一瞬脳裏を過るが、それが杞憂であったことは、『memento mori』を通して聴けば納得出来る。ヤガミ&U-TAのハードロック・テイストのリズム・セクションもかなり激しいビートを創り出す一因であるが、今井寿&星野英彦のラウドなツイン・ギターは、前作『天使のリボルバー』のロックンロールを軽く凌駕してしまうほど尖りまくっているのが印象的だ。
極めてラウドなギター・ハードロック・ナンバーであるが、それが決してへヴィではないことが、BUCK-TICKの不思議なポップ性にあろうことは、この疾走感で証明されている。
そして恐らく、櫻井敦司は、その血の“赤”で、本気で、この時間を止めようとしているに違いない。そんな5人の圧倒的な迫力を感じる一曲だ。
…さあ、ともに真っ赤に染まるんだ。
2. Les Enfants Terribles
(作詞・作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
「高性能 TOJO BABIES 豹変するのがCABALLERO
狂おしい アンファンテリブル 骨までしゃぶっていいかな」
真っ赤に幕を明けた『memento mori』の勢いは止まることを知らない。
二曲目の「Les Enfants Terribles」でその凶暴度は更に増し、真っ赤な血しぶきを撒き散らしながら疾走するBUCK-TICKをもう誰も止めることは出来ない。
今井寿によるとタイトルはフランスの文学家ジャン・コクトーが書いた小説『恐るべき子供たち』によるもの。1929年、ジャン・コクトーが40歳の時に書き上げた小説であり、彼の代表作の一つに数えられる作品である。この作品をアヘン中毒の治療のために入院している時に、わずか3週間足らずで書き上げたとされる。エリザベートとポールの姉弟2人だけで暮らす世界が、ダルジュロスという美しい少年との出会いで崩壊して行く物語で、コクトーは己の運命の受諾というテーマを訴えている。
この運命というヤツが、BUCK-TICKの【愛】と【死】というテーマにリンクするが、今井寿は、小説の内容と楽曲の歌詞には、関連性はないと発言している。恐らくは、タイトルから空気感だけを切り取り、今井オリジナルな作品に仕上げたということだろう。
ジャン・コクトーは、小説だけではなく、詩や小説・映画・批評など、あらゆるジャンルの文学に精通しているが、その中でも『怖るべき子供たち』は古典文学の悲劇を思わせる、最もコクトーらしさが出ている作品と言える。
櫻井敦司曰く、「ノリノリのイケイケで楽しんで下さい」というオーディエンスへのメッセージは、
この翳りゆく世界で、浮世色めくBOYS & GIRLSへの【ロマンスのススメ】である。この刹那だけでも、【死】を忘れ、歌い踊れ、と言わんばかりの疾走感で突っ走る櫻井敦司のヴォーカル・パートがAメロからBメロへ変わる途中の二小節目で今井寿にチェンジする。
今井寿曰く、「急に別の声が出てきたら面白いかと思って。1コーラス目の途中は俺が唄ってます」と、勢い満点の“ロケン・ヴォーカル”を展開してくれてた。むしろBUCK-TICKというよりはLucyっぽいテイストも感じさせるのは、作詞作曲を担当した今井寿色と言えよう。
ドカドカと豪快なヤガミトールのドラムが跳ねる曲調といい、心地よくラウドギターとループするU-TAのベースといい、サビで、盛り上がるポップ・センスといい、今井寿らしさがフンダンに盛り込められた一曲となった。仮想だが、Lucyの【ROCKAROLLICA】のライヴステージに、櫻井敦司始め、BUCK-TICKのメンバーが乱入して演奏しているかのような妄想を浮かべてしまう。
追加公演とも言えるライヴハウスツアーの【TOUR2009 memento mori―REBIRTH―】ではオープニング・ナンバーを務める一曲となる。
人生の時間は短い。
男の子も女の子も、色めき、もがき 歌歌い 踊り 愛し 恋を・・恋をしよう!
アルバムリリース時点では、BTメンバーからのライヴ【TOUR2009 memento mori】への招待状と言えるだろう。
水も滴るBOYS & GIRLS。とろけそうなロマンス。
浮世色めくBOYS & GIRLS!粋に狂い咲け!
水も滴るBOYS & GIRLS。足踏み鳴らせ!
浮世轟くBOYS & GIRLS!一気に駆け上がれ!
Oh Yaeh!
3. GALAXY
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
「君のその胸 ハートマーク踊る
濡れている羽震わせて 命キラキラ踊りながら」
先行シングル第2弾で登場した愛溢れるキャッチーなロックンロールが「GALAXY」である。
BUCK-TICKのキャリアの中でもベストと言えるクオリティを持つ楽曲で、彼らのシングル・ナンバーのポップ性を追求した上に完成した、非常に純度の高い“愛の結晶”と言えよう。「JUST ONE MORE KISS」から「Alice in Wonder Underground」までのシングル・ナンバーがこの楽曲を聴いていると次々と脳裏を巡る。
3曲目で早くも「GALAXY」が登場することで、アルバム『memento mori』に、一分の妥協も入り込んでいない姿勢が伺える。2009年の2月にリリースされたこのアルバムであるが、3曲目にして、「ああ、もう、これが2009年のベスト・アルバム決定だ」という確信を我々に与えてくれる。
タイトル通りキラキラとした星屑輝く銀河の螺旋を上昇していくように、サビの「真夜中~」へ向かっていく美しいメロディは、過去のどのシングルと比べても見劣りしない。「これだから、BUCK-TICKは、辞められない」と再認識させられるのと同時に、この先のBUCK-TICKの「行く末が気になってしょうがない」という感情にさせられる。今井寿のセンチメンタルなギター・ソロは、我々の胸の深い部分に浸み渡り、人生の素晴らしさを構築するするものが何であるかを教えてくれる。【愛】と【死】という人間の本質に迫るようだ。かといって、けっして難解なわけではなく、シンプルな構成でそれを魅せつける彼らは、本当に、希有な存在であると言えよう。
制作の当初、今井寿による歌詞が付けられていたらしいが(…それも非常に気になるが)、今井が思い直して、櫻井敦司に歌詞を依頼したという経緯を経て、この楽曲は、誕生を見た。何かが、ひとつでも狂っていれば、実現しようのない名曲と言えるだろう。これが、名曲誕生の瞬間なのであろうか?すべての存在に感謝したい気持にさせられる。
櫻井敦司曰く「(愛や死がテーマは)題材としては出口の見えないものですし、とても心惹かれるものなんですよ。ただ、今回は楽曲や音楽に対するスタイルからの、すごく強いエネルギーが、バンドや僕個人を違う方向に押し上げてくれていると思う。テーマとしては今までと同じ様に【死】だったりするんだけど、ここではその表裏一体となる、背中の部分をかなり意識できる作品になったんじゃないかなと」ということで、かなり櫻井敦司も神がかり的なモノに突き動かされて、歌詞を書いた部分があるのかもしれないが、曲調、歌詞、双方ともベストの状態であった言えるだろう。シングル用に、恰好つけるだけでなく、分かりやすい表現を意識して書いたという歌詞には、彼の【愛】そのものが注入されていると感じる。
星野英彦のギター・カッティングとともに背筋にピンと衝撃が走り、囁くように唄い始める櫻井敦司のヴォーカルで、その後、一気に泡立つように全身に鳥肌が立つ。最高のヴォーカル・パートを独自の優しさを持って表現する姿に、本当のカリスマ・シンガーとなった櫻井敦司の実力を思い知らされる。
櫻井敦司曰く「今回は自分の場所がはっきりと用意されているというか、楽曲に占めるメロディの割合が大きくて、ヴォーカリストとしての責任感は結構感じましたね。まぁ、一人で背負いこまなくてもいいんですけどこれで歌がダメだったらガッカリな曲になっちゃうって」とヴォーカル収録に気合注入するなかに、愛しい者への“想い”が溢れ出るような歌詞は、間違いなく「密室」「FLAME」に並ぶラヴソングとも言えよう。
是非、愛する人に贈って欲しい、と感じる一曲だ。
こんな言葉が浮かぶ。
「私はまだ愛したことがなかった。愛さんとして愛していた。
私は愛することを愛して、自分の愛し得るものを探し求めていた」
(アウグスティヌス『告白』)
しかしながら、我々は「GALAXY」を聴くことで、真実の【愛】を、、、知ったのだ。
「GALAXY」をあなたの隣に居る人に贈ろう。
まだ、間に合う。そして言おう・・・
心から、ありがとう。あなたを愛してる。
4. アンブレラ
(作詞・作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
「嗚呼 熱い 燃える 灼けそうだ
嗚呼 もどれない 君に逢いたいよ
嗚呼 光の渦 風の色
嗚呼 綺麗だ 君に見せたいよ」
「真っ赤な夜-Bloody-」「Les Enfants Terribles」「GALAXY」と、寸分の妥協の隙もない展開に、早くも3曲でノック・アウトされたハートを、4曲目の「アンブレラ」は容赦なくヒットする。怒涛のアッパー・メドレーの総攻撃を受けている気持ちになるが、しかし不思議と疲労感は微塵もなく、この先への好奇心と期待感で胸は高鳴る。
恋をするとは、こういった情動の事を指すのではないだろうか!
結成20年を越えるバンドでこの楽曲を創りあげた彼らは「凄いと」本当に思う。今井寿も、お気に入りの「アンブレラ」は、ド歌謡センスが逆にヴィヴィットに響き渡る。心臓を直接ヒットしているかのようなダイナミックなスカ・ビートを刻むヤガミトールのタテガミが、左右に揺れるような気がする。タテからヨコに揺さぶり続けられる僕の心臓は、アルバムの最後まで持つだろうか?今寿の言うとおり最高に刺激的だ。
前半はスカビートでサビはGS風、楽曲自体がポップな為あっさりと聴いてしまうが、実は意外と凝っているリズムで構成されている。樋口“U-TA”豊とヤガミ“アニイ”トールのゴールデン・コンビによるリズム・セクションが、本領を発揮し出すのは、この楽曲からと言えよう。
そこに、なんとも言えないキャッチーな今井節全開のギター・リフがたたみ掛ける。音数も決して多くはないのだが、構成力が絶品と言えるだろう。
ギターや歌に寄り添うようなベースの樋口豊曰く「あの曲は最初もっとシンプルなベースだったんでうけどね。でもそのドッシリ感よりもっとギターに近づいた軽快感じのほうが合うかも、って思って変えたんです。なによりヴォーカルも軽快な感じだったし」ということだ。
「アンブレラ」…この一曲だけの為にアルバムを購入しても良いくらいだ。
歌詞は今井寿の手によるもので、これで、櫻井⇒今井⇒櫻井⇒今井、とバランス良く名曲が並んだことになる。
今井寿曰く「傘に恋をした蝙蝠のラヴソング」ということで、シングル「GALAXY」のカップリング曲「セレナーデ―愛しのアンブレラ-」と対を為す、ファンタジック・エモーショナル・ラヴ・ソングと言えよう。今井寿のキュートな一面が露見した一曲とも言えるが、ヴォーカルの櫻井敦司の表現力にも凄ざまじいものを感じる。ストーリー・テラーとしての櫻井敦司は下手な役者など吹き飛ばす深みがある。
恐らくこれを聴いた男性のリスナーは、恋する「蝙蝠」に感情移入して、胸を掻き毟られる想いをすることだろう。逆に、女性リスナーは、水玉模様の「アンブレラ」になり、シンデレラ・ストーリーを楽しむのだ。しかし、一筋縄でいかないBUCK-TICKのラヴソングは、そこに【愛】と【死】を注入する。それが、物悲しくも、美しいファンタジック・ワールドを構成するファクターとなる。
蝙蝠は吸血鬼の変身した姿で物語られるのが定番でもある。
ここでは、童話版「ROMANCE」の焼き直しとも取れるストーリー展開をかいま見せる。神に反旗を翻すドラキュラが、この腐りゆく世界で、巨大な太陽=神に向かって翼を焦がす姿を神話「イカロスの翼」となぞって進行する櫻井敦司。そのダークな背景が、今井寿のポップ・センスと融合を見せ言葉に出来ない感情を奮い立たせる。
それは、今井寿のライフワークとも言える堕天使ルシファーの姿とも掛け合わされる。天空を底と看做す「底は雨降り」と「逆さ吊りの堕天使」として地底の王となったルシファー。
そんな異形の業を背負った存在:蝙蝠の覚悟。キュートな水玉模様が唯一の心の安らぎと知った時、蝙蝠は決意した。自分の宿命と哺乳動物と鳥類の間の中途半端な存在である己に別れを告げた。
真っ赤な【愛】を知った蝙蝠の決意は、愛おしき者のために、禁断の【愛】を貫いて、【死】に至る姿で物語られている。
「蝙蝠」のような、そういった宿命を持つ異形の者が、「アンブレラ」即ち人間の女性を愛してしまった美しいラヴストーリーである。せつなさを殺せないこの【愛】も、BUCK-TICK的美学に彩られた世界観も、『memento mori』という感情のるつぼで溶解し、新しい意味を得る。
それは出会いこそが【愛】の本質であると語る今井寿の高等なセンチメンタリズムである。
それを露見させた今井寿に、もう、恐れるものなど、な、い。
後は、ただ、【Climax together】の如く、“狂った太陽”に焼かれ、その【愛】を燃やし、真っ赤に染まることこそ、真実の【生】である。
真実。それは此処に居ても見えない。
それは【愛】の為に【死】に至ることが、幸福だ、ということと同義だ。
愛しきアンブレラよ。愛している。
それだけが、真実だ。
今、真実の手拍子が、高らかに鳴る!
だから……3つ 数えたら 行こう 3 2 1 GO!
真夏の朝陽に黒い花が散る!
5. 勝手にしやがれ
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)
「どんなもんだい そう私は生きているのさ
ここは私のステージさ 一緒に踊ろう」
“勝手にしやがれ”は、様々な作品のタイトルとして使用されている。
まずは南佳孝の楽曲にある「勝手にしやがれ」。1976年に発売したアルバム『摩天楼のヒロイン』に収録された。
また翌年1977年、日本の代表的グラマラス・シンガー沢田研二のシングル盤としてリリースされる。沢田研二としては4作目のオリコン1位を獲得し、「時の過ぎゆくままに」に次ぐセールスを記録した。タイトル元は1959年に公開された映画の「勝手にしやがれ』からでタイトルだけでなく、歌詞の内容もそれにちなんだものになっている。 発売されて2週間でオリコンのベスト10に初登場し、3週後には「時の過ぎゆくままに」以来4作目の1位を獲得する。一度は当時、人気絶頂だったピンク・レディーの「渚のシンドバッド」に明け渡すが、再び第1位に返り咲いた。年末の賞レースでも数々の舞台で独占するなど、まさに沢田研二の代表曲となった。第19回日本レコード大賞、第8回日本歌謡大賞、第10回日本有線大賞では大賞を受賞。第3回あなたが選ぶ全日本歌謡音楽祭でゴールデングランプリ、第6回東京音楽祭国内大会でもゴールデンカナリー賞を受賞した。同賞の世界大会でも銀賞を受賞している。
第28回NHK紅白歌合戦にも出場し、その際の衣装は黒いシルクハットと皮のパンツ、剃刀のピアスに手錠というパンクファッションで登場。さらに、右手にステッキを持ちながら歌った。
同じ1977年、英国のパンクロックバンド、セックス・ピストルズのデビューアルバム『Never Mind the Bollocks, Here's the Sex Pistols』の邦題も『勝手にしやがれ!!』である。結局、このデビューアルバムである同作品はセックス・ピストルズの唯一のオリジナルアルバムとなった。 全英チャートで1位を獲得。アメリカではトップ100にも入らなかったが、その後も売れ続け、1987年にはゴールド・ディスクに輝いた。
イントロの煌びやかで艶やかなギター・リフが印象的な星野英彦の三曲の中に一曲だ。「MOTEL 13」「Message」に続き、最後に作曲したのが、この「勝手にしやがれ」だ。
不思議な現象であるが櫻井敦司の“GOTHIC”なアプローチを感じる歌詞に吊られて、妖艶な空気感が、このアルバムのどの楽曲よりもBUCK-TICKらしい一面を現した楽曲で、星野英彦というコンポーザーの底力を感じる一曲だ。音色も非常にグラマラスなのだが、どちらかというとドラッグクイーン的な妖しさがある。それがヴォーカリスト:櫻井敦司の中性的なエロティックを引き出す事に成功した。
どこかグラムロックというかブギーというか退廃的なニュアンスは、前作『天使のリボルバー』に収録される「La vie en Rose~ラヴィアン・ローズ~」の続編的なものを彷彿させるが、「La vie en Rose~ラヴィアン・ローズ~」がフランス・パリのバーラウンジを舞台にしているとすれば、この「勝手にしやがれ」はロンドンの“ダム・ドラの店”が舞台であろう。
このグラマラスなブギーがアルバム『memento mori』に収録される経緯を、「それは星野さんの方向性がロックンロールだからなんでしょうか?もしくはアルバムとして考えたときのバランスですか?」という質問に対して星野英彦は「バランスですね。アルバムごとにそこは考えてます。いろいろな曲が出揃ってきて“こんな曲が足りないから作ろうかな”みたいなときもありますし、自分で“あれがやりたいから作ろう!”っていうのもあるし。出てくるときはいろいろです」と返答している。
星野英彦のバランス感覚がこの最高傑作『memento mori』の豊かなバラエティ性に深みを付けているのは間違いないようだ。それは、ライヴで実証されることであるが、星野英彦楽曲が、BUCK-TICKというバンドのジャンルを押し広げているのがまざまざと魅せつけられることになる。
製作に関しては、星野英彦の作曲方法に忠実に作られた楽曲で、星野英彦曰く「これもイントロのギターから出来ました」ということで彼の作曲方法論を教えてくれる。
彼のスタイルは「ほとんどイントロで決まってしまう」「はい。イントロ、Aメロ、Bメロ、サビ……みたいな」など楽曲イントロの重要性を語っている。
その理由としては、「たぶんその方が見えやすいからですかね」全体的な楽曲のヴィジョンがイントロに象徴されているようだ。
「俺はサビが先っていうのはちょっと……ないかな。そうなると、後の展開がぎこちない感じになっちゃう気がして」として「うん。それで全体がガチッとハマればいいんですけど。自分がそれをやろうとしたら上手くハマらないことにハマりそうな気がする(苦笑)。それよりはイントロから作っていく方がいい。そもそも大体の曲ってイントロから聴いていくものですからね」と語り、星野独自に作曲哲学を実践した上に完成を見た傑作と言えよう。
「うん。やっぱり自分にはイントロで“あっ、キた!”って思えるものを作っていくほうがあってるんです」印象的イントロは星野楽曲のすべてを物語ってくれる。「イントロの中に何か、その曲のあるべきものが入ってるんでしょうね。それが見えてこないと作り出せない、というか」だから、「(逆にイントロさえ満足いけば)そこから広げて行ける「勝手にしやがれ」だったら、あのギターとベースの絡みが浮かんだところから曲が発展していったし」とこのインタヴューでのイントロ談義は尽きないが、そのイントロの妖艶なワンフレーズが、櫻井敦司のお色気湧き立つ歌詞を誘発したのだろう。
櫻井敦司という中性的なキャラクターを確立していったのが、一連の星野楽曲だったのではないか?ということに気付く。星野英彦が、いつも全く違った方法論で、BUCK-TICKに新しい風吹き込んでくれる。そのお陰で、天才;今井寿の自由度も増し好転換が“Loop”していく。この櫻井敦司×今井寿×星野英彦の最高のコンポーザーチームが存在する限りBUCK-TICKに終焉はないと確信出来る。
然して「ドレス」における淫靡的とも言える妖艶な“美”は、星野英彦なくしては発露し得ないことだろう。そして、やはり「Cabaret」。「愛だとか恋なら要らない」「帰るなら勝手にしやがれ」と退廃の世界に身を埋めながら【愛】と【死】の『memento mori』は、櫻井⇒今井の怒涛のアッパー攻撃を星野の強烈なアクセントで、転調を迎えることになる。
いつもそうだ。濃い香りが体内に充満していくような感覚である。貴方はダンスに夢中。涎を飛び散らせて。夜の底へと堕ちていくの。熱狂が欲しいだろう。もっと欲しいのかい。絶頂が欲しいだろう。もっと欲しいだろう。あのキャバレーの女装歌手は今でもお歌唄っているのだろうか?今夜貴方にお会いできたの本当に私は幸せ。この悦びこんな奇蹟に心から歌うわ。今夜貴方に見つめられたら本当に私は幸せ。その視線その唇に酔いしれて歌うわ!
吐き気がするほど甘く。毛穴という毛穴から。滑り込み狂わせるのさ。
もっと欲しいと叫べ。なんて可愛いんだい。与えるより奪う。なんて素敵なの!
星野楽曲の導き出す櫻井の「オネエ言葉」が醸し出す妖艶な煙に咽返りそうだ。
……いや、これで、いい。
ここでも、美しき野獣=櫻井敦司×星野英彦の濃厚な香りに咽返りそうになりながら、深く煙草の煙を肺の奥底まで飲み込むべきであろう。
死に場所をそう探して 。彷徨っている。
そうさ。ここが私の墓場さ。一緒に踊ろう。
人生とは、死に場所探し、なのかも……しれない。
如何に死ぬか、という命題だ。
文字通り“勝手にしやがれ”ってことだろう?
6. Coyote
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
「覗いたら駄目さ 二度と戻れないよ いいんだね
天国への螺旋 武者震いひとつ 行くぜ」
アルバム『memento mori』リリースまでに、散々、櫻井敦司がお気に入りとアナウンスした所為で、
まず、この一曲からCDを再生したリスナーも居たかも知れない。否、むしろ、BUCK-TICKファンであったなら、この焦らされる感じを楽しみつつ中盤に収録される「Coyote」を楽しみに聴き進めたリスナーがほとんどだろうか?殊、アルバム『memento mori』の楽しみ方は個人の自由であるが、この「Coyote」が同アルバムの見せ所一曲であったのは間違いないだろう。
「死に行くまでのさまざまな情景だったり、思い出だったりっていう断片を描いてる」と語る櫻井敦司の上記の歌詞の入りに、胸の鼓動が高鳴る。
まこと「二度と戻れない」のが人生と言えよう。そうやって自分の意思を確認しつつ人生は止まることなく進んでいくのだ。この天国への螺旋階段を登って逝くように。
長いロードムービーを観ているような錯覚を感じるのカントリーチック・アコースティック・ナンバーであるが、変化球の多い彼らにしては、珍しくストレートなアレンジの名曲である。前作『天使のリボルバー』でも一曲目の「Mr.Darkness & Mrs.Moonlight」ようなアメリカン・カントリー・テイストを更に煮詰めた上に成り立っている。こういう楽曲をカッコ良く決めるBUCK-TICKの長いキャリアを想い起こすと涙が出てくる。
樋口“U-TA”豊とヤガミトールは、こういったシンプルな楽曲でこそ、新しい試みに挑戦している。
たぶん、それが彼らの性分なのだ。U-TAは、初めてこの楽曲でアップライトベースに挑戦し、ライヴでもその腕前を披露した。「デモの時点では、凄くシンプルだったんで、“こういう感じならアップライト・ベースが合うんじゃないか?”って思ったんです。この曲ってアニイもドラムじゃなくて、段ボールみたいなの叩いてたし」と語る樋口豊は、アップライトに挑戦した経緯も教えてくれる。
「買ったのは2年ぐらい前なんです。『天使のリボルバー』の頃で、今井くんがロカビリーみたいな曲やりたがってたし、自分の知り合いの間でもアップライトが流行ってたので。ずっ5人でやってるわけだから、たまに何か新しいものを導入してもいいんじゃないかな?とも思ったし」
しかし、アップライトの演奏には、U-TAなりの努力が必要であったようだ。
「(すぐに弾けた?)いやいや(血マメが潰れたような指先を見せて)こんなになりました。ジャズみたいに弾くのはそんなに大変じゃないんですけど、ロカビリーのようにバシバシ叩いて弾くのは大変で。弦と手拍子しているような感覚なんですけどね」そして「(独学?)知り合いのロカビリーやってる人に聞いてやりました」と彼の向上心を物語っている。
一方、ヤガミ“アニイ”トールの重いグルーヴを紡ぎ合わせるような演奏はドラムキットではなく、段ボールのような篭るサウンドが欲しかったらしく、本当に様々な物を実際叩いて収録に当たったようだ。そんなアニイは「安定を求めれば、そこで約束のように必ずマンネリが生じてくる。そこは……常に闘いですよ」と語る。人生は終わりのない探究だ。
アルバム『memento mori』の“死を忘れるな”“死を想え”というテーマを今井寿から聞いたヤガミトールは、この「cyote」の情景のようなモノを思い浮かべたという。それは、ネイティヴアメリカンの生き様や死に際の哲学でもあったようで、今井寿の魂が込められた「coyote」の櫻井敦司の手による歌詞は、櫻井版「Memento mori」とも言えるものとなった。
今井寿が持ち込んだデモにも「coyote」という仮タイトルが付いており、歌詞を画くうちに内容にそったカタチでタイトルも変更する場合がある、とする櫻井もこの楽曲は、そのままのタイトルでリリースに至ることになったようだ。
タイトルはネコ目イヌ科イヌ属に属する哺乳類:コヨーテのスペイン語表記で「coyote」である。オオカミにも似るコヨーテは「歌う犬」を意味する。害獣として駆除されてきた経緯もあり、低リスクながら絶滅が危惧されているようだ。それが鼻摘み者のイメージとダブる。
北アメリカのネイティヴ・インディアンのほとんどの部族が、コヨーテをトリックスターとして崇めている。彼らの伝承では、コヨーテによって人間社会にもたらされたものはタバコ、太陽、死、雷をはじめとして、あらゆるものに及んでいる。コヨーテは単独またはペア、ときに小規模な群れで活動するし、適応力に優れていて、都市周辺部でも見られるらしい。
コヨーテはオオカミのようによく遠吠えをする。イヌ科ではイエイヌを除いては唯一いつも吠えるイヌであり、これが名の由来である。この遠吠えは明け方と暮れに行われ、一頭が吠え声を上げるとやがて他の個体も加わり、一~二分のコーラスになるという。
生息域が人間と接する、重複する地域では牧場や民家の庭に侵入し家畜やペットを襲うこともある。
そんなコヨーテのイメージは、「アンブレラ」の蝙蝠に近いのかも知れない。イヌのように人間に従順なわけでもなく、オオカミのように誇り高く己を貫いているわけでもない。…いつもどこか中途半端な存在である、が、コヨーテには、このサバイバルな現実世界を生き抜く知恵と実行力がある。イメージが良いえわけではではないのは、自分に素直で、不器用の所為かも知れない。しかし、そんな存在のコヨーテもこの狂おしい世界でもがき、あがきながら“生き抜いている”。
そんな姿を【ROMANCE】の読者の御一人がロッカーは、「オオカミではなくコヨーテのようだ」と例えていたのが印象的だ。
ライヴ【TOUR2009 memento mori】に於いて、自分でもどちらかというと「イヌ系というよりネコ系」と自己評価していた櫻井敦司が男らしい髭を蓄え、明らかにネコ系というよりイヌ系の風貌に変身して感動的なシーンを演出してきたが、その姿をオオカミの様と見た方も居たが、正確には、アレはコヨーテだったのかも知れない。
「貴方の名前 口遊む 屍踏みしめ ただ歩く」と唄う櫻井敦司は【愛】と【死】を背負った一匹のコヨーテだ。「俺の名前を呼んでくれ」と懇願するコヨーテは、その中途半端な存在の自分に言い聞かせる。
「天国への螺旋 武者震いひとつ 行くぜ」と。その天国には愛するあなたが待ち受けている。でも、すぐにはソッチに逝けそうもない。なぜなら、俺は、まだ、無数の屍を踏みしめて、生きているから…。この無数の屍は、自分が夢を実現する為に築き上げた城だ。それが螺旋階段のように連なっている。こんな中途半端な自分の宿命が、何であるかさえ確信はないが、命ある限り、生き抜く使命がある。それがコヨーテたる俺の生き様だ。
それにしても、ああ、なんて綺麗な夕日だろう。
ハイビスカスの髪飾りをしていたあなたが、映って見えるようだ。
なあ、待っててくれよ。
この【生】をまっとうしたら、必ずあなたのところへ逝くから…。
そう、自分に語りかけながら、男は、コヨーテは再び独り歩き出す。
その影は、あなたとKISSを交わしたあの日のように、“ひとつ”だ。
7. Message
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)
「この手を離しはしない 世界が壊れようとも」
空に舞って。降りそそいで。幾つもの 夢や 愛が 君の手に。
夜を待って。降りそそいで。幾千の 星や 愛が 君の目に
「命の誕生を慈しむと同時に嫌なこと怖いことも知っていかなければいけない。それを、夏に鳴く蝉の命にダブらせた物語」と語る櫻井敦司。
ドラマチックな「coyote」が印象深く胸にまだ響いているのに、…ここでピアノのフレーズが印象的なバラードに突入してしまう。切ないが微かな希望が残る歌詞も見事な間違いなく『memento mori』前半部分のクライマックスだ。
それはライヴツアー【TOUR2009 memento mori】でも同様だったようで、作曲者の星野英彦曰く、
「頭から飛ばして、どんどんアッパーになって一度(「Message」で)落とす。で、(後半の)「Memento mori」に進む、と。確かにキッカケにはなってましたよね」と語るお得意のアコースティック・バラッド。
「ピアノは後からなんですよね。最初アコースティック・ギターでデモ作って、それが出来上がったところでディレクターが“これ、ピアノあったらいいよね”って言って。そこで“ああ、なるほど”と思ってイントロのフレーズを考えたんです」と印象的なピアノは、筋肉少女隊の三柴理(みしば さとし)が担当している。三柴理はピアニスト・キーボーディスト・作曲家。愛称はエディ。ソロコンサートのみならず、ロックバンドでの活動やプロデューサー業などでも功績を残す。高等学校卒業まではクラシック音楽以外はあまり好んで聴いていなかったが、新東京正義乃士のメンバーおよび筋肉少女帯のボーカル大槻ケンヂやベースの内田雄一郎からキング・クリムゾンやEL&Pなどプログレッシブ・ロックバンドのレコードを聴かされ、ロックの知識を叩きこまれた。現在ではピアニストとしてそれらの曲を編曲してレパートリーとしている。編曲作品の中には『大江戸捜査網』のテーマまである。
クラシックピアニストへの道に進むため1989年に筋肉少女帯を脱退した後は、ピアニストの活動の傍ら山瀬まみなどのプロデュースを手がけるなど、テレビ、CM、映画の分野で活躍する。ロックバンド特撮、ザ蟹、三柴理Electric Trioを経て、現在はおもにTHE金鶴として活動、2006年に活動を再開した筋肉少女帯にもサポートとして参加している。
三柴理はこの「Message」の他にも、やはり、星野英彦楽曲の「勝手にしやがれ」でもハモンドオルガンで参加している。同世代の筋肉少女隊のメンバーであることから旧知の関係かと思いきや星野英彦とは、「ですよね。でも初対面だったんですよ。これもディレクターに紹介してもらって」と語る。「事前にイントロのフレーズだとかは伝えておいて、中身に関しては自由に弾いてもらいました。ほぼ一発(録り)でしたね。あ、ほぼというより“あ、一発でOKです”って感じで(笑)」とこの出来には満足している様子だ。そして、この「Message」だけでなく、BUCK-TICKは今回、強力な助っ人を迎えていた。
この三柴理を星野英彦に紹介したディレクターこそ、かつて櫻井敦司のソロ・プロジェクト『愛の惑星』のフィクサー:田中淳一である。
田中淳一は、BUCK-TICKデビュー当時の担当ディレクターでもあり、今回のアルバム『memento mori』製作にも全面的に関与している。これは、今井寿のリクエストによるものでもあり、田中淳一自身の意思によるものあるらしい。『memento mori』が最高傑作に仕上がった大きな要因の一つは間違いなく『愛の惑星』のディレクター田中淳一の功績も大きいとヤガミトールも語ってくれる。
「今回、田中さんという、ビクター時代に俺達のことを見出してくれた人、いわばBUCK-TICKがサウンド・イメージを確立するうえでの一端を担ってくれた人が、フリーランスのディレクターとして関わってくれていて。それで、今井やヒデとかそういう人間の負担は減ってると思うんですよね。ドラム・サウンドとかについても、これまでは今井やヒデからの要求を踏まえたうえでまず自分なりに作ってみて、それをまた作曲陣に聴かせてみて。そこで“う~ん”みたいな感じだったんだけど(笑)、今回は田中さんの側からいろいろアイデアを持ってきてくれたり」
誰よりもメンバー自身がBUCK-TICKサウンドを理解しているはずであるが、かつて一緒にBTサウンドと模索した人とは言え改めて合流したときに解釈のギャップはなかったのだろうか?
「まったくなかったですね。不具合みたいな物を感じることは全然なかった。やっぱりビクター時代、デビュー以来すべての作品に携わっていた人だし、当時からそういうギャップはなかったし、それ以降、直接的に関わっていなかった時期も、BUCK-TICKのことを見ていてくれていたという部分があるはずだし、さっき話しに出たスタッフというのも、実はインディーズの頃からずっと関わってくれてる人間で、彼なんかはBUCK-TICK以外の仕事を田中さんがするときに仕事振られて、他のアーティストのレコーディング現場に行ったりしてるんですね。でもやっぱりディレクションの仕方とかも、俺らの現場のときとは全然違うみたいで」
どうやら田中淳一は、ただ付き合いが古いというだけではなく、彼自身のなかにも“今のBUCK-TICKにはこうあって欲しい”というヴィジョンが存在していたようだ。
「ええ。結局『十三階は月光』なんかのときはアルバム自体のコンセプトがすごく明確にあって、敢えて枠を作ってたところがあったわけじゃないですか。たとえば今井が今回考えてたのは、それとは逆に、田中さんみたいな人がいる環境のなかで、昔みたいなノー・ジャンルな感じでやるってことだったんじゃないかと思うんですよ。方向性とかボーダーラインとか決めないで、思いついたらやってみる。そういう最初の頃みたいなやり方をするという趣旨だったと思うんです。もちろん田中さんに頼りきった作り方をするんじゃなく、一緒に何かを作るという感覚、それを楽しんだという感覚ですね」
つまりディレクター田中淳一の存在によって今井寿と星野英彦の精神的な負担が軽減されたというわけだ。もうBUCK-TICKサウンドは5人だけの夢ではなく、BUCK-TICKファミリー一丸となって成し得た偉業こそ『memento mori』なのだ。
「そうですね。そういう意味でラクになれたんじゃないかと思う。なにしろ相手はBUCK-TICKの兄貴的存在とも言えるわけなんで」
そう言うBUCK-TICKの長兄:アニイにとっても力強い兄貴的存在が田中淳一であった。
櫻井敦司も田中淳一の参加を大きく評価している。田中淳一は、実は、今井寿の華麗なる“嫉妬”が創り上げた傑作にも参画していたようだ。
「ええ。表立ったカタチではないこともありましたけど、実は以前にもやってもらっていて。『十三階は月光』とかでもヴォーカル録りに関わってもらっていたんです。田中さんはやっぱりすごく……変なんですよね(笑)。たとえば歌のチョイスとかにしても、僕が“これ面白くないなぁ”と思っていると、あの人も同じように感じていたり。上手く正確に歌えていても、自分ではつまらないなと感じることがあるわけですよ。そういうときにも田中さんは同じように受け止めていたり、そういうことが過去にも多々あったんで。ちょっと自分でも変化を求めていた部分もあったし」
田中淳一という理解者がいることで、櫻井敦司の独特の世界観を持つシンガーの真価が発揮された。理解者という存在の大きさが『memento mori』だけにあらず傑作ゴシック大作『十三階は月光』のカリスマ的ヴォーカルにも反映されていたのだ。これは非常に納得である。櫻井敦司の歌の真価が上手い下手ではない。彼をして、其処に存在する存在感そのものだからだ。そういった抽象度の高い地点での理解者。
「ですね。少々はずれ気味のものもわざと狙うというか。たとえば客観的に見て“これ、ちょっ音程まずくないですか?”というトラックがあったとき、当然ノーマルなものに差し替えてみるわけですけど、やっぱりそれだと面白くない。するとそこで“つまんないね”という意見が一致したりする。そういうところが今回、僕にとってはすごく刺激的でしたね」
すごく脱線したが「Message」星野英彦の天賦の才が、最も序実に反映される楽曲と言えよう。そこに櫻井敦司の【愛】溢れる歌詞が乗る。
これは、いや、これもというべきか?星野英彦楽曲の一曲。
シングル「蜉蝣-かげろう-」のカップリング楽曲「空蝉-うつせみ-」で魅せた櫻井敦司の父性のような感覚である。「HEAVEN」が櫻井の中にある母性的イメージを喚起するものであるなら、この「Message」では、幼い命を守るような父性を感じさせる詞が印象的だ。
この今、手にしている平和と、こんな自分に頼りきっている小さな手・・・。
それを守るためだけの為に生きたとしても、ひとつも後悔などしないだろう。
君は見ている。今はここで。青空 君は命限り歌う。
君を見ている。ずっとここで。僕には七日目の朝来たよ。
君は見ている。今はここで。青空 君は命限り歌う。
君を見ている。ずっとここで。僕には八日目の朝来たよ。
あの時、空蝉のような自分が感じた命のリレー。
これこそが【愛】と【死】の正体なのかも知れない、と。
この手には、握られた小さな手が、ある。
