偶像破壊。
馬鹿者の目には見えない特別の布で織った衣装を纏って行進する王様を見て、
男の子が叫ぶ。
「なんで王様は裸なの?」
アンデルセンの童話では、それを切っ掛けに群衆は笑いに包まれ、王様は赤っ恥をかくことになっている。
しかし、現実には、こんなことは起こらない。
童話の世界の出来事だ。
そんな特別な布が、実在する訳がないということではない。
周囲の良識ある大人たちが男の子を叱りつけ、何事もなかったかのようにパレードは続くだろう。
パレードを止める事のデメリットを計算するからだろう。
知的社会に、偶像破壊など、無意味だ。
健全な社会には本音と建前が必要だ。
選挙の投票率が五割を切っても「民意」は常に正しい。
たとえそれが「はだかの王様」であっても、
良識ある人々は、近代社会の理想を否定してはいけないのだ。
『TABOO』は、そんな本音と建前が、反転したようなアルバムだった。
それまで、アイドル・ロック・バンドだったBUCK-TICKが、
すべてのデメリットを真っ赤に染める覚悟をした。
彼らのマグマが沸きほとばしるように、それは、噴火した。
その象徴こそが、「ICONOCLASM」である、と盟友の“J”も語る。
2008年の【THE DAY IN QUESTION】のアンコールに、
そのアイドリングを確かめるようなファンクラブ限定ライヴ【FISH TANKer's ONLY 2008】でも、
演奏された「ICONOCLASM」が、アンコールにエントリーしている。
12月29日の日本武道館公演アンコール2の「真っ赤な夜」に続いての
【破壊】の黙示録「ICONOCLASM」。
この全員参加の手旗ダンスが、2008年のケリを此処、日本武道館でつけろ!
とばかりに、渾身の想いを込めてオーディエンスからバンドへ捧げられている。
例年と違うのは、これが、一年の終わりを意味するものではなく、
これから生まれる新しい一年への祝福への破壊であることだ。
トリが先か?
タマゴが先か?
という不毛の議論が、必要な人間は、此処には居ない。
まるで、それが【死】と【誕生】、
もしくは【生】と【死】や、【愛】と【死】を意味することと同じことのように、
【破壊】こそが【創造】の必要条件であり、
逆に【創造】には、【破壊】という宿命が宿されていることを、
この日本武道館で、今夜も、BUCK-TICKが証明しようと、している。
Apple社CEOスティーブ・ジョブズが
スタンフォード大学の2005年6月12日の卒業式でこう語っている。
「天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために
死にたいとは思わない。
にも関わらず【死】は我々みんなが共有する終着点なんだ。
かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。
そしてそれは、そうあるべきことだから、
そういうことになっているんですよ。
何故と言うなら、【死】はおそらく【生】が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからです。
それは【生】のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して
新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。
今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。
しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって
一掃される日が来る。
とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。
君たちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない」
イントロの金属音が日本武道館に鳴り響く。
今井寿の真っ赤なマイマイが、この金属音にあわせるかのように、
ギター・リフを奏で始めると、星野英彦の傑作カッティングが、
それまで創り上げられたモノに楔を打ち込み亀裂を広げていく。
樋口“U-TA”豊の蠢くようなグルーヴがスタートすると、
ヤガミ“アニイ”トールのダイナミックなドラミングで、
世界を踏み潰していく。
これが、世に言うインダストリアルの極みだろう。
「Hurry up iconic from beyond the desire」
いつ頃からであろうか・・・。
この「ICONOCLASM」の英語歌詞に櫻井敦司の麗しいファルセット・ヴォイスが加えられ、
絶品のライヴ・ナンバーとして、一心同体のバンドとファンのアクションが可能になった。
まさしく神業と化した星野英彦のフェルナンデスのカッティング・プレイに身を許しながら、
すべてをこのロックバンドに捧げてもいいと感じるようになったのは、
この「ICONOCLASM」の所為かも知れない。
【破壊】を【創造】への道筋を知り、【破壊】そのもの美しさと楽しめるようになったのも、
彼らの所為だ。
「Hurry up iconic from beyond the desire」
「急げ!人生は短い」
その欲望を使い果たすのに、この人生は短すぎる。
無駄に人生を過ごしている時間などないのだ。
スティーブ・ジョブスに言われるまでもなく、
我々はそれをBUCK-TICKに教わっていたのかも知れない。
「One for the Money 」
別に教訓めいたことを言いたい訳じゃない。
この世に命より大切なものはないが、アフリカ南部では飢餓のため一日一万人の子供が死んでいく。
資産の額に多寡はあれ、ビル・ゲイツも新宿中央公園のホームレスも平等な人権を持っている。
そして、ビル・ゲイツも名を捨てたホームレスも、ともに、“一度生まれ、一度死ぬ”。
それは、【死】はおそらく【生】が生んだ唯一無比の、最高の発明品だからかも知れない。
同じように、新たなる【創造】には【破壊】が必然。
それは、紛れもない現実で、童話のお話ではない。
「Two for the X 」
同様に、金融業界では、株式投資をギャンブルの一種と見做すのはTABOOだ。
賭博は勝敗が偶然に左右されるゼロサムゲームだ。
誰かが儲かれば誰かが損をする。
ダイスの目は「13のゾロメ」で最後まで勝敗はわからない。
よく投資と投機(賭博)の違いについて語られるが、その内容に、ほとんどの場合意味はない。
今日の勝者が、その理論の正当性を主張しても、翌日には、その勝者は地に落ちる。
または、その可能性がある。
「Um ... Skip a three and four」
たしかに主張はあるだろう。
投機のそれに対して株式市場では、企業の経済活動で得た利益が株主に還元される。
経済規模が拡大されればすべての投資家が恩恵を被るから、こちらは、たんなる富の移転ではない。
資本主義経済は好、不況の波を繰り返しながら成長する。
株で大きな果実を手にしようと思えば目先の損得に囚われてはならない。
1929年の「暗黒の木曜日」直前に株を買った投資家も30年後には十分な利益を手にした。
人類の経験は長期投資こそ素晴らしいと教えている―――。
これが、いわゆる「バリュー投資」というヤツだ。
ここまでの理屈に非の打ち所は、ない。
たった一つ問題があるとすれば、ほとんどの投資家がこの教えに従わないことだ。
「Five for Japanese Babies」
100年に一度の金融危機が訪れても、(しかし、誰も100年前と同じ思考回路の人間はいない)、
一時は8,000円台を割った日経平均株価もドン底から回復し、株式市場は廻る。
まるで、これが、“輪廻”だと言わんばかりに“見えざる手に”よって廻る。
この金融恐慌が始まる前の相場の主役はネット証券で信用取引を行う個人投資家だ。
なかには一日に数十回を繰り返すデイトレーダーもいる。
彼らは持続的な経済成長から果実を得ようと考えているわけではない。
わかってる。
短期売買は、ゼロサムゲームで、投資ではなくただの投機だ。
勝ち負けがすぐにわかるからこそギャンブルは面白い。
30年も待てばどんな興奮も萎えてしまう。
「Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash 」
世の中に長期投資家しかいないのなら、手数料商売の証券会社はとうに経営破綻しているだろう。
彼らの利益の源泉はギャンブラーの払うテラ銭だ。
相場が上昇すると素人博徒打ちが増え、胴元が儲かる。
だが、良識ある大人はこんなことは言わない。
株式市場が健全に機能するためには美しい嘘が必要だということを、皆、知っているからだ。
「Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash 」
しかし、今井寿は警笛を鳴らす。
この美しい嘘ってヤツが曲者だ。
運動会の種目から徒競争を外した小学校ある。
一等からビリまで足の速さに序列をつけるのは不平等だからだと言う。
ゴールの直前で立ち止まり、最後はみんなで手をつないでテープを切る学校もある。
人間は平等だという美しい虚構を信じていることで近代社会は成立している。
民主制(デモクラシー)を支持する以上、私たちは虚構を受け入れなければならない。
納税額によって一票の価値に差をつければ。近代以前の階級社会に逆戻りしてしまうだろう。
・・・だが、美しさ限度を超えると醜悪になる。
星野英彦の芸術的なカッティングで、日本武道館が揺れる。
今井寿もギター・フレーズの合間に、アイコノ・ダンスを観衆に求める。
そして、櫻井敦司も・・・。
「One for the Money 」
資本主義は反民主的な制度だ。
民主制は一人一票だが資本主義のルールは一株一票であり、
金持ちは市場から株式を買い集め会社の支配権を握ることができる。
一株の価値は持ち株数によって序列化される。
株式会社では株主が企業を支配する建前になっているが、ほとんどの個人投資家には関係ない。
株主総会に出席して反対意見を述べることはできるが、
結論は発行株式数の五割超を保有する大株主の意向で決まり、少数意見が尊重されることはない。
「Two for the X 」
零細株主の権利の蹂躙が許されるのは、株式が利益の請求権に過ぎないからだ。
株主の提案が拒絶されても人格や人間性が否定されるわけではない。
すべての株式に平等の権利を認めれば、株式会社は統治能力を失って迷走するだけだろう。
資本主義経済では、あらゆる市場参加者がたった一つの目標に向かって行動する。
弱者救済や世界平和実現のために株式投資をする人はいない。
「Um ... Skip a three and four」
人生の複雑さに比べれば、ゲームのルールはとても単純だ。
起業家は株主から有限会社で出資を募り、自らの事業に資本を投入する。
やがてそこからキャッシュが吐き出され、それを経営者、従業員、株主で分配する。
会社の価値は投入した資本からどれだけのキャッシュが産出されたかで決まる。
株式とは配当が業績に連動する債券のようなものだから、
将来の利益がわかれば株価はほぼ自動的に確定する。
だが投資家は事業というブラックボックスの中身を正確に知ることはできず、
不確実な未来を占い、予想に金を投じるしかない。
「Five for Japanese Babies」
資本主義では、手法を問わず、法の許す範囲でより多くの金を稼いだ者がゲームの勝者になる。
結果は貨幣の増減で表わされ、敗者は退場を言い渡される。
すべてを金銭に還元して評価し、序列化する資本主義には一片の偽善もない。
だが、正しさも限度を超えると耐えがたくなる。
夢だけを見て生き抜いていくわけにはいかない。
真実だけを突きつけられる世界は息苦しい。
だから・・・。
「Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash 」
どうやら・・・
社会を支える相反する二つのルールと上手に折り合いをつけるところに、
人生の知恵は生まれるのだろう。
それが大人の意見と言える。
でもそんな処に【ROMANCE】はない。
だから・・・真っ赤に染まったら・・・。
現在を壊してしまおう。
新たな始まりを求めて。
「Iconolasm Teaching of Angel
Clash and Clash 」
偶像破壊こそが天使たちの“いいつけ”だ。
「コワセ!コワセ!」とロックンロールの天使たちが叫ぶ。
20年前、この「ICONOCLASM」を始めて演り始めた時もそうだったじゃないか!?
確かに、その後、バンド解散か?というトラブルを巻き起こした彼ら。
しかし、そのお陰で、随分と世の中の真理が見えるようになった。
もう一度言うよ。
【破壊】は、悪いことじゃない。
【創造】への序章なんだ。
「Hurry up iconic from beyond the desire」
100年に一度の金融ショックが、どうやらやって来たようだ。
米国ネオコン帝国主義は、ITバブルの渦中に生まれ、
日本円とのキャリーレイト・バブルの崩壊の中で沈んでいく。
ついに来るべきものが、来たといえよう。
国営化されたAIG(米国の保険会社)が破綻して、金融保険も地に落ちた。
CEOのグリーンバーグは空恐ろしいほどの独裁者で、グローバリゼーションの象徴だ。
彼の周りには太鼓持ちと宦官しか存在しなかった。
とはいえ、彼は無能な独裁者ではない。
天才的なアイデアで、金融力学をフル回転させ、
他人のやらない難しい保険、例えば地震保険などを率先してやり始め、高いプレミアを取ってきた。
また、外に対しては支払い渋り、それでキャッシュフローを稼いでいた。
「Hurry up iconic from beyond the desire」
クレジット・デフォルト・スワップ(CDS)もグリーンバーグが始めた保険で、
高いプレミアムが期待されていた。
このCDSとは、流行り始めていたアセットバック証券(サブプライムがそれだ)の損失回避のために、
それらがデフォルトした時の保険である。
AIGはこのCDSを総額で約50兆円、保険していた。
これらの証券のデフォルトがパラパラとやってくるなら、問題はない。
しかし、今回の金融恐慌ではアセットバック証券そのもののマーケットが消えて失くなってしまい、
この50兆円の支払いがいっぺんに襲ってきたのだ。
AIGに払うカネはなく、国有化されることが決定した。
「Five for Japanese Babies ・・・」
2007年夏以降の事態を見ていれば、こんなことは容易に予測はつくのだが、
グリーンバーグ失き後のデクの坊たちは、見て見ぬふりをして、
漫然と成るがままに任せていたわけだ。
こうしてCDSの損失はこの世界中にバラ撒かれることになった。
このツケは全世界の金融システムが尻拭いすることになる。
新しい本格的な経済システムの構想が要求される時代となった。
第二次世界大戦中に、ケインズがブレトン・ウッズ体制を構想したように、
おそらく、今回も現時点の恐慌を踏まえて、ヨーロッパから新しい構想が提出されてくるだろう。
それまでに、我々が今を【破壊】出来るかどうかが問題だ。
「Five for Japanese Babies ・・・」
偶像なんか壊しちまって、早く、次の場所に行こうぜ!
時は、そう、僕らを捲くし立てる。
「いけるかな?ファイヴ・フォー・ベイビーズ?」
「いくしかないだろ!アイコノクラズム!」

ICONOCLASM
(作詞・作曲:HISASHI / 編曲:BUCK-TICK)
Hurry up iconic from beyond the desire
Hurry up iconic from beyond the desire
One for the Money
Two for the X
Um ... Skip a three and four
Five for Japanese Babies
Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Iconolasm Teaching of Angel
Clash and Clash
One for the Money
Two for the X
Um ... Skip a three and four
Five for Japanese Babies
Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Iconolasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Iconoclasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Iconolasm Teaching of Angel
Clash and Clash
Hurry up iconic from beyond the desire
Hurry up iconic from beyond the desire
Five for Japanese Babies
Five for Japanese Babies ・・・
