2009年2月11日(水・祝)。

ニューアルバム『memento mori』リリース直前のBUCK-TICKが出演したのは
音楽情報番組『最新ヒット ウエンズデーJ-POP』。
NHK衛星第2テレヴィジョンで毎週水曜日に放送されている音楽情報番組で、
東京・渋谷のNHK放送センター内にあるみんなの広場ふれあいホールより公開生放送される。

2006年4月5日に放送開始し、J-POPの新譜の多くが発売される毎週水曜日の夜に、
新曲情報をはじめ、一週間のライヴ情報や、最新ヒットチャートの紹介の他、
今最も旬のアーティストを迎えてのスタジオトークも交えておくる音楽情報番組である。

ナビゲーターはタレントのさくらが初回放送時から務めている。

番組タイトルは場合によって「ウエンズデーJ-POP」や
英文表記の「WEDNESDAY J-POP」と表すこともあるが、
正式タイトルに従えば「最新ヒット ウエンズデーJ-POP」のほうが正解であろう。

番組開始時から一貫して毎週水曜日に放送されており、
放送時間は当初夜23:30~23:59だったが、2007年1月10日から放送時間が移動、
及び10分拡大し、毎週木曜日(水曜日深夜)0:00~0:39となった。

2007年度までは非公開によるスタジオ収録だったが、
2008年度(2008年4月2日~)よりみんなの広場ふれあいホールでの公開生放送となり、
毎週水曜日18:00~18:39に放送されている。
また、同日深夜(木曜日未明)0:00~0:39に再放送している。

なお、2009年度(2009年4月8日~)より、放送時間が20:00~20:49に変更される。

また、BS-hiでも放送しており、2007年1月からしばらく放送を休止していたが、
2008年4月のリニューアルにより再開、毎週木曜日と金曜日深夜(土曜日未明)の2回放送されている。
海外向けのNHKワールド・プレミアムでも同日時差放送を行っている。

この公開生放送に、ヴィジターとして招待された観客は幸福である。

貴重なメンバー5名が、並んでトークをする姿だけでなく、
これぞBUCK-TICKポップロックといえる最新シングル「GALAXY」、
前作『天使のリボルバー』から、「モンタージュ」、
そしてニューアルバムのフィナーレを飾る感動的な「HEAVEN」のパフォーマンスを、
ライヴツアー前に拝めたのだから・・・。


そしてこの最新アルバム『memento mori』の二枚の先行シングル「HEAVEN」「GALAXY」。
堂々のシングル・ヒットチャートで2作連続TOP10入り、果たし、
メジャーデビュー22年目を迎えたBUCK-TICKの、
『memento mori』リリースを記念して、発売日である2月18日に、
都内某所とされていた【赤坂BLITZ】にて完全招待無料ライヴが決行された。

このライヴには、前述のシングル「HEAVEN」(2008年12月17日リリース)と
「GALAXY」(2009年1月14日リリース)発売に伴い、
両シングルのダブル購入者特典完全招待ライヴとして抽選1,400名のみが招待された。

この応募には全国から合計10,000通を越える応募があり(ハガキ応募のみ)、
一日限りの貴重なプレミアム・ライヴの実現となった。

その前哨戦ともいえる顔見世が、この公開生放送『最新ヒット ウエンズデーJ-POP』
であったのは言うまでもない。



テレヴィジョンに出演した他、ラジオ番組などにも頻繁に顔を出し、
アルバム『memento mori』について語るメンバー。
『MOZAIKU NIGHT~NO.1 MUSIC FACTORY~』
にも今井寿と櫻井敦司のコンビが出演して、新作アルバムの新曲について語っていた。



――『memento mori』というアルバムタイトルを最初に決めたんでしょうか?
このタイトルの言葉を意識して歌詞を書いたなんてことあるのかな?

櫻井「アルバムタイトルは決まってなかったから
出来あがってきた曲の持ってるキャラクターにはまる言葉を探してた感じ。
今井が、生きるって意味で…“memento mori”という…なんだろ、
なんとなくキーワードとしてあったから…“memento mori”ってどうか?って。
だから…どこかで意識してはいたと想う。

(今回だけじゃなく)自分の好きな世界観っていうと、割と・・・なんというか
怖いもの見たさが入ってくるっていう。
だから、どう転がっても結局はこの地点に到達してしまう、という」

――今回のアルバムはバンドサウンドが凄いですが
意思確認というか…「バンド感重視で行こうぜ」とか皆で話し合ったりする?
「今回は俺は嫌だ」とか、言い出すメンバーはいないの?

今井「そんな奴は…いない・・・」

櫻井「俺くらいかな?…そんなへそ曲がりは・・・(笑)」

――前作のアルバム『天使のリボルバー』から17ヶ月期間を置いてのリリースだけど、
このくらいのアルバムのペースってはどうなのかな?期間としては。
制作の期間はどんな感じに感じた?長いものなの?

今井「うん。春。まだ寒いなって頃から始めて、暑いなぁを通り越しちゃった位の頃に。
ちょっと長いかな、と。
それで、ちょっともう寒いじゃんて思って。
なんだ、ま~だ、スタジオにいるって感じで。
まったく夏を満喫してなかったですね」

――その甲斐あるアルバムになった?気に入ってる?

今井「ま、楽しんで聴いて貰えれば、と」



――それでは一曲目から訊いていきたいんですが、「真っ赤な夜」!もちろん二人は夜型ですよね?

櫻井「最近そんなことないですよ。まあ、夕方頃、起きて・・・」

――って、おいっ(笑)

櫻井「それまで逆さにぶら下がったり…(笑)。

――蝙蝠かっ(笑)!相変わらず夜は強いんですね?

櫻井「まあ、朝9時から5時までのお仕事じゃないので・・・。どうしても仕事柄、夜型」

――レコーディングも夜から始まるの?

今井「スタジオは昼からやってる。
昔は夜になっちゃってる時があったけど…最近はない早いですよ」

――今井さんが登場するにしてはって事じゃなく?
昔、今井さんのラジオで昼の収録が夜になった事があったの思い出した」

櫻井「あーあー(笑)」

――先月の収録も生放送だと思わないで来たんですよね?

今井「なんかこう…なかなか始まらないなぁ…遅いなぁ、とは想って(笑)」

――だからそんな時間に録音しないですって(笑)
前回の収録では、曲については特にないって言ってた(笑)

櫻井「おいおい・・・」

――次の曲のタイトル「Les Enfants Terribles]
ジャン・コクトーの小説『恐るべき子供たち』ですか?
そういう曲や映画や本から影響されることってのはある?

今井「ま、その小説タイトルからですけど、
(内容は)特別ジャン・コクトーと関係なくて…
入る時に「こういう感じ」ってのはあるけど…始まっちゃうと人の曲とかCDとか聴かなくなるんで」

櫻井「ん~特に意識してはしないけど、
日常的に映画や本は・・・そですね。常に毎日なんか本は読んでるかも。
歌詞のために、とかそういうのじゃなく参考にしようじゃなくて、
そうやって暇つぶししてる感じです」





――「Message」。メッセージですね。
人生が終わる瞬間。死ぬ前の最後の言葉はなんて言う?

今井「なんだろ?普通に“ありがとう”的なそんな感じかな。
なんか思い詰めると、面白い感じになっちゃいそうで(心配…)
“俺、最後に何言ってんだろ”みたいな。
ってなっちゃうよりはフツ―に、そんな感じで」

――櫻井さんは?

櫻井「……“死にたくないよ~っ”て(笑)」

(大爆笑)

櫻井「いや…最後“こんなもんか”って感じかも。
弱味をみせたくない相手とか周囲にいたらと違ってくるかも。

――じゃあ周りにいるのが…例えば(BUCK-TICKの)メンバーだったとしたら?

櫻井「メンバー?ん~“俺が先かよ”とか(笑)」

(大爆笑)

――あはは、じゃあ次の曲は「アンブレラ」。雨の日(予報)には、傘持って家をでますか?

今井「って!?普通、持ってでないっスか?」

――あはは。普通の人はね。(あなたたち)普通の人じゃないから。

今井「えっ……!?普通って持って…いきますよね?」

――(笑)だから!まず普通のことをしますか!?(あなたたちが!)本当に普段から傘持ってますか?

櫻井「折りたたみ傘。持って行きまーす(笑)!」

――(笑)だから!そんなイメージじゃないから!
だから!天気予報で今日50%(の降水確率だから)って持っていきますか?

今井「あ~~~!
(ウチに)そういう人は……いないッスね。……星野英彦くらい(笑)」

――ヒデさん!ヒデさんはそういう人なんだ?

今井「全然雨じゃないのに(笑)」

櫻井「はい。傘は……あんまり持ちたくないですね。
というか、あの、荷物持つこと自体が嫌いです(笑)」

――(笑)やっぱり!忘れ物は、する方ですか?

櫻井「ええ、もう、ボケてるんで。
いや・・・この間なんか、お財布をトイレに置いてきちゃって。
15分くらい経ってからあるかな~と取りにいったら、やっぱり無くって。
ああ、所詮この世の中こんなもんかって思ってたら…。
すごいんですけど、お店の人がちゃんと預かっててくれて(笑)。
世の中も捨てたもんじゃないなって(笑)。
それ以来、気をつけてますけども」

――はい。次は「Coyote」。
自分を動物に例えるとしたら?何?

櫻井「あ~良く、猫っぽいって言われますね。
犬か猫かって言われると、犬じゃない…ですよね?
ほっとくとひとりで勝手に寝ちゃたりする感じ…やっぱり…猫ぽいかも」

今井「俺…何だと思います?」

――う~ん?何だろうなって考えてた。
櫻井さんは(今井くんて)何だと思います?性格とか…?

櫻井「ん~と、、ですね…コアラ!!(笑)」





それではタイトルソング「Memento mori」です。
お二人が初めて【死】を意識したのっていつ頃かな?

今井「そうですね。多分、ふと、小学校の頃じゃないかな?
“いつか死ぬんだよな。死ぬ時って痛てーのかな”とか考えたり…
ガキの時、そういうこと 考えたりしません?」

――へぇ~子供の頃から考えてたんですね?櫻井さんは?

櫻井「僕はもう、(子供の頃から)いつもびくびくしてて。
(笑)今でもびくびくしてますけども」

――じゃあ、生きててよかったなぁ~と感じる時は?

櫻井「ん~。やっぱり…ライヴ終わった後とか。
さっぱりしますね。(ホテルの)部屋でシャ―ワー浴びたりして(リラックスする)時かな?
なんか、やっぱりホッとしますね。オヤジ臭いですけど。
で、よし!呑みに行くゾって(笑)」


――続きましては「Jonathan Jet-Coaster」。
ジェット・コースターって。
でも、この“Jonathan Jet-Coaster”って、ま、タイトルも含めて人名ですよね?

櫻井「そうですね」

――ジェット・コースターって乗ったことある?どうですか?

今井「もう…絶対無理です。絶対無理ですね」

櫻井「僕も…もう、できれば乗りたくないですね」

――あははは。でも「もう」ってことは乗ったことがあるんですよね?

櫻井「あるけど。
最後に乗ったのは20歳くらい?
友達……乗りたがる人に乗せられたんだけど…。
(乗りたがる意味)そういうのは、ちょっと、もう分からないですよね」


――(笑)じゃあ「スズメバチ」ということで。
世の中で、二人の怖いものは?ある?

今井「怖いもの……?
怖いもの・・・飛行機!!
慣れないですね。毎回、毎回……前日から嫌になる」

櫻井「うーん。……無い、ですね」

――おおっ、カッコいいなぁ~。無い?

今井「無い!無い!(笑)大きくきた~!」

櫻井「怖いものは、ないっス!!」

――ハハハ、その言い方(笑)!人に言えないものってことだ?

櫻井「(笑)イヤ……いっぱいありますよ。
ん~~人が怖い。対人恐怖症……です。

今井「人に言えないことって…ひゃひゃ(笑)」


――では次は甘いです。「セレナーデー愛しのアンブレラー」
これは、ロマンティストですか?

今井「いや……それは、ない・・・」

――えっ!?違う?…なら、結構、現実的な…?

今井「ああっ!そう言われると…たしかにあんまり現実的じゃないかも」

――ですよね?ですよね?ですよね~!?(笑)
意外とサプライズとかしちゃうマメさとか?

今井「そういうマメさみたいのは・・・・・・(照笑)」

――櫻井さんは?

櫻井「はい。もう。ロマンティストだと、思い、ます。自他共に認める……。
吐き気がするほど…ロマンティストだと…」

――サプライズとか…しますか?

櫻井「まあ、形として花を贈るとかは、ありますけど…。
吃驚させてあげようてのは…逆効果だと思うし、そういうのはあんまり無いですね。
軽く、何もいらないよって感じで…」


――さて「天使は誰だ」。カッコいい曲です。二人の描く天使像は?

今井「おっきいの…」

――えっ!?今井くんより大きいの?

今井「はい4メートルくらいあるヤツで・・・。もうオッカナイ感じで(笑)」

――ええ?何色?天使は何色?

今井「んん…白くて、ちょっと透けちゃってる(笑)」

櫻井「そうですね。大きさは月並みなイメージですけど。
一般的なの小さいですよね?パタパタって翼があって…。
なんかいたずらするみたいな…キューピッドみたいな感じで…。
(妖精とか?)ああ、そう…妖精とか、そういう感じ」


――それは来ました「HEAVEN」ねぇ?天国ってあると思う?

今井「……どうだろ?なんか……何かがありそう・・・な感じ」

――やっぱ4メートルくらいな?

櫻井「そこは、天国じゃない(笑)四畳半とか!(笑)」

――櫻井さんは天国。あると思いますか?

櫻井「んん~、あると思いたい、って感じですかね。
あまり現実的なことは置いておいて。それぞれがイメージしてれば…あると思えばあるし…」

――「HEAVEN」を最後にもってきたのは?なにか意味があるのでしょうか?
シングルが最後なのは意外な感じで。やっぱ曲順とかは悩んだ?

今井「…結構。曲数が多いから。でもまあ「HEAVEN」が最後ってのは自然に決まりました」

――そう。アルバム15曲もあるからツアーでの選曲が大変じゃない?

櫻井「ええ。でも、まあ、なんとか・・・楽しく演ります。はい」




$【ROMANCE】$【ROMANCE】





◆◇◆◇◆




以下は、僕自身の備忘録として付録する。
『memento mori』の精神と“Loop”しなくもない。
興味のある方だけ、お読み頂きたい。



Apple社CEOスティーブ・ジョブズ氏が
スタンフォード大学の2005年6月12日の卒業式で行った、祝賀スピーチをお届けする。



今、僕たちは、2010年という新しい年を迎えるに、
いわば卒業式と同じような分岐点に立っているに違いない。

【生】について。
【死】について。
【愛】について。


  * * * * * * * * * * * * * * 

ジョブズの卒業祝賀スピーチ
2005年6月12日、スタンフォード大学
原文URL:
http://slashdot.org/comments.pl?sid=152625&cid=12810404

 PART 1 BIRTH

ありがとう。世界有数の最高学府を卒業される皆さんと、
本日こうして晴れの門出に同席でき大変光栄です。

実を言うと私は大学を出たことがないので、
これが今までで最も大学卒業に近い経験ということになります。

本日は皆さんに私自身の人生から得たストーリーを3つ
紹介します。
それだけです。
どうってことないですよね、たった3つです。

最初の話は、点と点を繋ぐというお話です。

私はリード大学を半年で退学しました。が、
本当にやめてしまうまで18ヶ月かそこらはまだ大学に居残って
授業を聴講していました。

じゃあ、なぜ辞めたんだ?ということになるんですけども、
それは私が生まれる前の話に遡ります。

私の生みの母親は若い未婚の院生で、
私のことは生まれたらすぐ養子に出すと決めていました。

育ての親は大卒でなくては、そう彼女は固く思い定めていたので、
ある弁護士の夫婦が出産と同時に私を養子として引き取ることで
手筈はすべて整っていたんですね。

ところがいざ私がポンと出てしまうと

最後のギリギリの土壇場になってやっぱり女の子が欲しい
ということになってしまった。

で、養子縁組待ちのリストに名前が載っていた
今の両親のところに夜も遅い時間に電話が行ったんです。

「予定外の男の赤ちゃんが生まれてしまったんですけど、
欲しいですか?」。

彼らは「もちろん」と答えました。

しかし、これは生みの母親も後で知ったことなんですが、

二人のうち母親の方は大学なんか一度だって出ていないし
父親に至っては高校もロクに出ていないわけです。

そうと知った生みの母親は養子縁組の最終書類にサインを拒みました。

そうして何ヶ月かが経って今の親が将来私を大学に行かせると
約束したので、さすがの母親も態度を和らげた、
といういきさつがありました。

               ◆◇◆

 PART 2 COLLEGE DROP-OUT

こうして私の人生はスタートしました。

やがて17年後、私は本当に大学に入るわけなんだけど、
何も考えずにスタンフォード並みに学費の高いカレッジを
選んでしまったもんだから労働者階級の親の稼ぎは
すべて大学の学費に消えていくんですね。

そうして6ヶ月も過ぎた頃には、私はもうそこに何の価値も見出せなくなっていた。

自分が人生で何がやりたいのか私には全く分からなかったし、
それを見つける手助けをどう大学がしてくれるのかも全く分からない。

なのに自分はここにいて、親が生涯かけて貯めた金を残らず使い果たしている。
だから退学を決めた。全てのことはうまく行くと信じてね。

そりゃ当時はかなり怖かったですよ。

ただ、今こうして振り返ってみると、あれは人生最良の決断だったと思えます。

だって退学した瞬間から興味のない必修科目はもう採る必要がないから、
そういうのは止めてしまって、その分もっともっと面白そうなクラスを
聴講しにいけるんですからね。


夢物語とは無縁の暮らしでした。

寮に自分の持ち部屋がないから夜は友達の部屋の床に
寝泊りさせてもらってたし、

コーラの瓶を店に返すと5セント玉がもらえるんだけど、
あれを貯めて食費に充てたりね。

日曜の夜はいつも7マイル(11.2km)歩いて街を抜けると、
ハーレクリシュナ寺院でやっとまともなメシにありつける、
これが無茶苦茶旨くてね。

しかし、こうして自分の興味と直感の赴くまま当時身につけた
ことの多くは、あとになって値札がつけられないぐらい
価値のあるものだって分かってきたんだね。


ひとつ具体的な話をしてみましょう。

               ◆◇◆

 PART 3 CONNECTING DOTS

リード大学は、当時としてはおそらく国内最高水準の
カリグラフィ教育を提供する大学でした。

キャンパスのそれこそ至るところ、ポスター1枚から
戸棚のひとつひとつに貼るラベルの1枚1枚まで
美しい手書きのカリグラフィ(飾り文字)が施されていました。

私は退学した身。

もう普通のクラスには出なくていい。

そこでとりあえずカリグラフィのクラスを採って、
どうやったらそれができるのか勉強してみることに決めたんです。


セリフをやってサンセリフの書体もやって、
あとは活字の組み合わせに応じて字間を調整する手法を学んだり、
素晴らしいフォントを実現するためには何が必要かを学んだり。

それは美しく、歴史があり、科学では判別できない
微妙なアートの要素を持つ世界で、いざ始めてみると
私はすっかり夢中になってしまったんですね。


こういったことは、どれも生きていく上で
何ら実践の役に立ちそうのないものばかりです。

だけど、それから10年経って最初のマッキントッシュ・コンピュータを
設計する段になって、この時の経験が丸ごと私の中に蘇ってきたんですね。

で、僕たちはその全てをマックの設計に組み込んだ。

そうして完成したのは、美しいフォント機能を備えた
世界初のコンピュータでした。

もし私が大学であのコースひとつ寄り道していなかったら、
マックには複数書体も字間調整フォントも入っていなかっただろうし、
ウィンドウズはマックの単なるパクりに過ぎないので、
パソコン全体で見回してもそうした機能を備えたパソコンは地上に
1台として存在しなかったことになります。


もし私がドロップアウト(退学)していなかったら、
あのカリグラフィのクラスにはドロップイン(寄り道)していなかった。
そして、パソコンには今あるような素晴らしいフォントが搭載されていなかった。


もちろん大学にいた頃の私には、まだそんな先々のことまで
読んで点と点を繋げてみることなんてできませんでしたよ。

だけど10年後振り返ってみると、これほどまたハッキリクッキリ
見えることもないわけで、そこなんだよね。

もう一度言います。未来に先回りして点と点を繋げて見ることはできない、
君たちにできるのは過去を振り返って繋げることだけなんだ。

だからこそバラバラの点であっても将来それが何らかのかたちで
必ず繋がっていくと信じなくてはならない。

自分の根性、運命、人生、カルマ…何でもいい、とにかく信じること。
点と点が自分の歩んでいく道の途上のどこかで必ずひとつに
繋がっていく、そう信じることで君たちは確信を持って
己の心の赴くまま生きていくことができる。

結果、人と違う道を行くことになってもそれは同じ。
信じることで全てのことは、間違いなく変わるんです。

               ◆◇◆

 PART 4 FIRED FROM APPLE

2番目の話は、愛と敗北にまつわるお話です。

私は幸運でした。自分が何をしたいのか、人生の早い段階で
見つけることができた。

実家のガレージでウォズとアップルを始めたのは、
私が二十歳の時でした。

がむしゃらに働いて10年後、アップルはガレージの我々たった二人の
会社から従業員4千人以上の20億ドル企業になりました。

そうして自分たちが出しうる最高の作品、マッキントッシュを
発表してたった1年後、30回目の誕生日を迎えたその矢先に
私は会社を、クビになったんです。


自分が始めた会社だろ?どうしたらクビになるんだ?と
思われるかもしれませんが、要するにこういうことです。

アップルが大きくなったので私の右腕として会社を動かせる
非常に有能な人間を雇った。

そして最初の1年かそこらはうまく行った。

けど互いの将来ビジョンにやがて亀裂が生じ始め、
最後は物別れに終わってしまった。

いざ決裂する段階になって取締役会議が彼に味方したので、
齢30にして会社を追い出されたと、そういうことです。

しかも私が会社を放逐されたことは当時大分騒がれたので、
世の中の誰もが知っていた。

自分が社会人生命の全てをかけて打ち込んできたものが
消えたんですから、私はもうズタズタでした。

数ヶ月はどうしたらいいのか本当に分からなかった。

自分のせいで前の世代から受け継いだ起業家たちの業績が地に落ちた、
自分は自分に渡されたバトンを落としてしまったんだ、
そう感じました。

このように最悪のかたちで全てを台無しにしてしまったことを詫びようと、
デイヴィッド・パッカードとボブ・ノイスにも会いました。

知る人ぞ知る著名な落伍者となったことで一時は
シリコンヴァレーを離れることも考えたほどです。

ところが、そうこうしているうちに少しずつ私の中で何かが
見え始めてきたんです。

私はまだ自分のやった仕事が好きでした。

アップルでのイザコザはその気持ちをいささかも変えなかった。
振られても、まだ好きなんですね。

だからもう一度、一から出直してみることに決めたんです。


その時は分からなかったのですが、やがてアップルを
クビになったことは自分の人生最良の出来事だったのだ、
ということが分かってきました。

成功者であることの重み、それがビギナーであることの軽さに代わった。
そして、あらゆる物事に対して前ほど自信も持てなくなった代わりに、
自由になれたことで私はまた一つ、

自分の人生で最もクリエイティブな時代の絶頂期に
足を踏み出すことができたんですね。

それに続く5年のうちに私はNeXTという会社を始め、
ピクサーという会社を作り、素晴らしい女性と恋に落ち、
彼女は私の妻になりました。

ピクサーはやがてコンピュータ・アニメーションによる
世界初の映画「トイ・ストーリー」を創り、今では世界で最も成功している
アニメーション・スタジオです。


思いがけない方向に物事が運び、NeXTはアップルが買収し、
私はアップルに復帰。

NeXTで開発した技術は現在アップルが進める企業再生努力の
中心にあります。

ロレーヌと私は一緒に素晴らしい家庭を築いてきました。


アップルをクビになっていなかったらこうした事は
何ひとつ起こらなかった、私にはそう断言できます。

そりゃひどい味の薬でしたよ。

でも患者にはそれが必要なんだろうね。
人生には時としてレンガで頭をぶん殴られるようなひどいことも
起こるものなのです。

だけど、信念を放り投げちゃいけない。

私が挫けずにやってこれたのはただ一つ、自分のやっている仕事が好きだという、
その気持ちがあったからです。

皆さんも自分がやって好きなことを見つけなきゃいけない。

それは仕事も恋愛も根本は同じで、君たちもこれから仕事が
人生の大きなパートを占めていくだろうけど自分が本当に
心の底から満足を得たいなら進む道はただ一つ、
自分が素晴しいと信じる仕事をやる、それしかない。

そして素晴らしい仕事をしたいと思うなら進むべき道はただ一つ、
好きなことを仕事にすることなんですね。

まだ見つかってないなら探し続ければいい。

落ち着いてしまっちゃ駄目です。

心の問題と一緒でそういうのは見つかるとすぐピンとくるものだし、
素晴らしい恋愛と同じで年を重ねるごとにどんどんどんどん
良くなっていく。だから探し続けること。落ち着いてしまってはいけない。

               ◆◇◆

 PART 5 ABOUT DEATH

3つ目は、死に関するお話です。

私は17の時、こんなような言葉をどこかで読みました。確かこうです。

「来る日も来る日もこれが人生最後の日と思って生きるとしよう。
そうすればいずれ必ず、間違いなくその通りになる日がくるだろう」。

それは私にとって強烈な印象を与える言葉でした。

そしてそれから現在に至るまで33年間、
私は毎朝鏡を見て自分にこう問い掛けるのを日課としてきました。

「もし今日が自分の人生最後の日だとしたら、

今日やる予定のことを私は本当にやりたいだろうか?」。

それに対する答えが“NO”の日が幾日も続くと、
そろそろ何かを変える必要があるなと、そう悟るわけです。

自分が死と隣り合わせにあることを忘れずに思うこと。

これは私がこれまで人生を左右する重大な選択を迫られた時には常に、
決断を下す最も大きな手掛かりとなってくれました。

何故なら、ありとあらゆる物事はほとんど全て…外部からの期待の全て、
己のプライドの全て、屈辱や挫折に対する恐怖の全て…

こういったものは我々が死んだ瞬間に全て、
きれいサッパリ消え去っていく以外ないものだからです。

そして後に残されるのは本当に大事なことだけ。

自分もいつかは死ぬ。
そのことを思い起こせば自分が何か失ってしまうんじゃないか
という思考の落とし穴は回避できるし、これは私の知る限り最善の
防御策です。

君たちはもう素っ裸なんです。自分の心の赴くまま生きてならない
理由など、何一つない。

               ◆◇◆

PART 6 DIAGNOSED WITH CANCER

今から1年ほど前、私は癌と診断されました。
朝の7時半にスキャンを受けたところ、私のすい臓にクッキリと
腫瘍が映っていたんですね。

私はその時まで、すい臓が何かも知らなかった。

医師たちは私に言いました。これは治療不能な癌の種別である、
ほぼ断定していいと。

生きて3ヶ月から6ヶ月、それ以上の寿命は望めないだろう、と。

主治医は家に帰って仕事を片付けるよう、私に助言しました。
これは医師の世界では「死に支度をしろ」という意味のコード(符牒)です。

それはつまり、子どもたちに今後10年の間に言っておきたいことが
あるのなら思いつく限り全て、なんとか今のうちに伝えておけ、
ということです。

たった数ヶ月でね。それはつまり自分の家族がなるべく
楽な気持ちで対処できるよう万事しっかりケリをつけろ、ということ
です。それはつまり、さよならを告げる、ということです。


私はその診断結果を丸1日抱えて過ごしました。

そしてその日の夕方遅く、バイオプシー(生検)を受け、
喉から内視鏡を突っ込んで中を診てもらったんですね。

内視鏡は胃を通って腸内に入り、そこから医師たちはすい臓に
針で穴を開け腫瘍の細胞を幾つか採取しました。

私は鎮静剤を服用していたのでよく分からなかったんですが、
その場に立ち会った妻から後で聞いた話によると、
顕微鏡を覗いた医師が私の細胞を見た途端、急に泣き出したんだそうです。

何故ならそれは、すい臓癌としては極めて稀な形状の腫瘍で、
手術で直せる、そう分かったからなんです。

こうして私は手術を受け、ありがたいことに今も元気です。


これは私がこれまで生きてきた中で最も、死に際に近づいた経験と
いうことになります。この先何十年かは、これ以上近い経験はないも
のと願いたいですけどね。


以前の私にとって死は、意識すると役に立つことは立つんだけど
純粋に頭の中の概念に過ぎませんでした。

でも、あれを経験した今だから前より多少は確信を持って
君たちに言えることなんだが、誰も死にたい人なんていないんだよね。

天国に行きたいと願う人ですら、まさかそこに行くために
死にたいとは思わない。

にも関わらず死は我々みんなが共有する終着点なんだ。

かつてそこから逃れられた人は誰一人としていない。

そしてそれは、そうあるべきことだから、
そういうことになっているんですよ。

何故と言うなら、死はおそらく生が生んだ唯一無比の、
最高の発明品だからです。

それは生のチェンジエージェント、要するに古きものを一掃して
新しきものに道筋を作っていく働きのあるものなんです。

今この瞬間、新しきものと言ったらそれは他ならぬ君たちのことだ。

しかしいつか遠くない将来、その君たちもだんだん古きものになっていって
一掃される日が来る。

とてもドラマチックな言い草で済まんけど、でもそれが紛れもない真実なんです。

君たちの時間は限られている。
だから自分以外の他の誰かの人生を生きて無駄にする暇なんかない。

ドグマという罠に、絡め取られてはいけない。

それは他の人たちの考え方が生んだ結果とともに生きていくということだからね。

その他大勢の意見の雑音に自分の内なる声、
心、直感を掻き消されないことです。

自分の内なる声、心、直感というのは、
どうしたわけか君が本当になりたいことが何か、
もうとっくの昔に知っているんだ。

だからそれ以外のことは全て、二の次でいい。

               ◆◇◆

 PART 7 STAY HUNGRY, STAY FOOLISH

私が若い頃、"The Whole Earth Catalogue(全地球カタログ)"と
いうとんでもない出版物があって、同世代の間ではバイブルの一つに
なっていました。

それはスチュアート・ブランドという男がここからそう遠くないメンローパークで
製作したもので、彼の詩的なタッチが誌面を実に生き生きしたものに
仕上げていました。

時代は60年代後半。パソコンやデスクトップ印刷がまだ普及する
前の話ですから、媒体は全てタイプライターとはさみ、
ポラロイドカメラで作っていた。

だけど、それはまるでグーグルが出る35年前の時代に遡って
出されたグーグルのペーパーバック版とも言うべきもので、
理想に輝き、使えるツールと偉大な概念がそれこそページの
端から溢れ返っている、そんな印刷物でした。

スチュアートと彼のチームはこの”The Whole Earth Catalogue”の
発行を何度か重ね、コースを一通り走り切ってしまうと最終号を出し
た。

それが70年代半ば。私はちょうど今の君たちと同じ年頃でした。

最終号の背表紙には、まだ朝早い田舎道の写真が1枚ありました。
君が冒険の好きなタイプならヒッチハイクの途上で一度は出会う、
そんな田舎道の写真です。

写真の下にはこんな言葉が書かれていました。

「Stay hungry, stay foolish.(ハングリーであれ。馬鹿であれ)」。
それが断筆する彼らが最後に残した、お別れのメッセージでした。

「Stay hungry, stay foolish.」 

それからというもの私は常に自分自身そうありたいと願い続けてきた。

そして今、卒業して新たな人生に踏み出す君たちに、それを願って止みません。

Stay hungry, stay foolish.

ご清聴ありがとうございました。


The Stanford University Commencement address by


CEO, Apple Computer
CEO, Pixar Animation Studios