「お前の肌に触れるのさ 永遠が指を掠める
狂おしいほど濡らすのさ 永遠が零れ落ちてゆく」



初め、櫻井敦司が、何を唄っているのか?全く見当も付かなかった。
そして、それは、今を以ってして、実は、まったくひどい見当外れな可能性が大きい。
ライヴツアー【TOUR2009 memento mori】で、髑髏の映し出される“愛の惑星”から、
真っ赤なトレンチコートを着て飛び出てくる。
この「真っ赤な夜」は、“覚悟”だ。
赤に染める覚悟。赤に染まる覚悟。
それは、大抵の場合、同義だ。

櫻井敦司は、己の血で、夜を真っ赤に染め、時を止めようと試みた。

この刹那を永久にするために・・・。


2009年12月29日の日本武道館公演【THE DAY IN QUESTION】。
アンコール2の一曲目にパフォーマンスされた「真っ赤な夜」は、
シングル「HEAVEN」のカップリング・ナンバーとして、ここに登場したが、
「真っ赤な夜-Bloody-」として、
アルバム『memento mori』のオープニング・チューンにフューチャーされ、
同アルバムのホールライヴツアー4月3日~7月2日迄計25本の【TOUR2009 memento mori】でも、
その劇的なオープニングを演出する一曲となった。

実際、アルバムのトップとしてもライヴのトップとしても、
十二分に、そのソリッドな推進力を持ち得る「真っ赤な夜」は、
櫻井敦司のアイデアによって、【TOUR2009 memento mori】が終演するエンドロールとして、
各会場で“Loop”を示唆する一曲にも成り得た。

更に、2009年の続く、9月11日~10月31日迄の14本公演
ライヴハウスツアー【Tour memento mori -REBIRTH-】に於いては、
なんと、ライヴ本編のラスト・ナンバーとして、
「HEAVEN」に代わってエントリーする大活躍を魅せることになる。

まさしく2008年の暮れから2009年を通して、
この美しき翳りゆく世界を次々と真っ赤に染めていくのだ。
アルバム収録ヴァージョンが“-Bloody-”。
すなわち、櫻井敦司の“血”が、この“赤”を示唆することは明白である。

真っ黒な闇「GALAXY」の中で、生まれた真っ白な愛「HEAVEN」は、
櫻井敦司の“血”で真っ赤に染められ、
やがて、「セレナーデ -愛しのアンブレラ-」で、虹色の生涯を終えて逝く。

それは、奇跡でもなんでもなく、とても自然な流れである。

そして、真っ赤に染められた血は、受け継がれる。

ほぼ、永久に・・・。

あなたの鼓動に刻まれながら、その真っ赤な血は、
未来永劫、絶えず、“Loop”するのだ。

今世では、たまたま、あなたの身体の中を巡っていた血は、
前世、誰の血であったのだろうか?
そして間違いなく、あなたは、母親の血液を分け与えられ、この世に生まれ出た。

その血を次に繋ぐこと以外にも、この生命が、真っ赤に燃えるFLAMEになるだろう。
その目撃者こそが、我々だったのかもしれない。


みんな真実を濁らせていた。闇はどこにある濁りのない闇。

それこそが俺だ。場所を間違えた。
雨が大好きで夜が大好きさ。

生きる・自由・死ぬ・自由
ウォォォォーッ ウォォォォーッ ウワァァァーッ ガァァァァーッ

とデタラメ野郎が頭の中で叫び出す。




フランスの片田舎に住む20歳の青年ヴァンサンは交通事故で重傷を負い、9ヵ月の昏睡状態に陥った。

意識は回復した時、彼は全身麻痺し、唯一、親指だけがわずかに動いた。
ヴァンサンは親指を使って愛する母親と会話を交わすようになった。
彼が望んだのは、この悪夢のような人生を終わらせることだった。
ヴァンサンは、三つの計画を立てた。

計画Aは、当時の大統領シラクに手紙を書き、死ぬ権利を与えてもらうことであった。
大統領はその手紙に心を動かされ、ヴァンサンの病室に自ら電話をかけた。
だが、フランス大統領には、彼の希望を叶える権限はなかった。

計画Bは、安楽死を合法化したオランダへ行くことだった。
フランスのメディアは、ヴァンサンの大統領への手紙を大きく報じていた。
彼は、その計画を実行するにはあまりにも有名になりすぎていた。

2003年9月24日、計画Cが実行されたヴァンサンは、
「事故後の人生で最高の日」と母親に伝えた。
母親は、致死量の鎮痛剤を息子に投与した。

『僕に死ぬ権利をください 命の尊厳をもとめて』ヴァンサン・アンベール(NHK出版)

ヴァンサンの母親は、愛する息子に幸福を与えたのだ。
しかし、現実世界では、これは罪とされてしまう。

【愛】と【死】の論争は、この美しい世界で尽きることは、ない。


日本の自殺者数は年間3万人に達している。

その多くが中高年の男性であるため、リストラや借金苦との関わりが注目を集めたが、
動機のトップは常に健康問題であり、毎年1万人近い日本人が病気を苦に死を選んでいる。
自殺の手段の7割は「締首及び窒息」である。
日本はフランスと同じく、安楽死を厳しく制限している。
それは、①患者の死が避けられず、
②耐えがたい肉体的苦痛があり、
③その苦痛を除去・緩和する代替手段がなく、
④患者本人の明らかな意思表示がある場合に限り、例外的に認められるに過ぎない。

ヴァンサンは全身が麻痺しているものの、意識を保つまま生き続けることが可能だったから、
この安楽死の四要件を満たすことが出来なかった。

「尊厳死」は末期医療での延命治療を拒否する権利で、
リビング・ウィル(生前発行の遺言書)の普及によって、
日本の医療現場でも広く認められるようになってきている。

それに対して「安楽死」は、
本人の意思に基づいて第三者(主に医師)が安らかな死を与えることを言う。
これは法的には嘱託殺人の一種である。

「自殺する権利があるか?」は宗教や倫理学の重要なテーマだが、
本人に実行能力がある場合、この問いは実質的に意味をなさない。
権利がなくても、人は勝手に死んでいく。

ヴァンサンは、違う重い問いを僕たちに突きつけた。
安楽死の要件を満たせないというだけで、人はなぜ安らかな死を奪われなければならないのだろうか?


生きる・自由・死ぬ・自由
ウォォォォーッ ウォォォォーッ ウワァァァーッ 




この日本武道館での、ライヴアクトも、文句の付けようがないBUCK-TICKの新曲が、
まるで、翌年のライヴツアーの充実を予言させるかのように、繰り広げられる。

この12月29日の演奏も、凄ましい峻烈さを感じさせるのと同時に気化し、
この手の平の上で、消え去って逝ってしまうな感覚で時が進み、
瞼を閉じた瞬間に、2009年がそこまで来ていることを感じさせずにはおかなかった。

「真っ赤な夜」が演奏されているその刹那だけが、
恐らく自身には、リアルなモノとして、この手の平に残る。
そして、すべてが疾走し気化し、そのあと瞼を焦がすのは、
真っ赤に染まった彼らの残像と、ロックンロールを標榜した【愛】と【死】の残像だけである。


威勢良く飛び出す今井寿のギブソン・セミアコースティックからのギター・リフに、
重なり合うように、ハーフ・ポジションずらして星野英彦のソリッドなフェルナンデス・サウンドが、
後を追い駆けると、櫻井敦司の近年、聴いたことのないようなほど、
気合いのヴォーカルが、ど真ん中に突っ込んで来る。


「このまま 俺は夜になる 何もない 夜という名前さ」


夜になる?
そんなことが可能なのか?
いや、櫻井敦司なら、出来るかもしれない!
俺は星を包み込む闇になる、と言った男だ。
そう、これは“覚悟”・・・イヤ、“決意”というべきか!?


「このまま 俺は深くなる 果てしない 夜と愛し合うさ」


そうして、男は、深い夜=深夜になるのだ。
すべてを捨てても、愛死合うために・・・。
目的は、たった、ひ・と・つ。


「お前の肌に触れるのさ 永遠が指を掠める」


重厚なリズム隊=樋口“U-TA”豊とヤガミトールのグルーヴが、
このブレイクをキッカケに演奏に参加する。
そうだ。夜という“時”になれば、俺は毎晩、お前に逢える。
お前の肌に触れ続けていられる、だろう?
その時、刹那は、永遠になる。
お・ま・え・と・ひ・と・つ・だ!


「それでもいい 夜ならいい
 俺にはそう  お似合いだろう」



その為ならば、自身の存在を気化して、お前に触れ続ける闇そのものになろうという覚悟。
たしかに、聞く人が聞けば、異常な心理状態かもしれない。
しかし、熱い櫻井敦司の「叫び」とともに、この愛は止まらない。
この愛は「慈愛」か?それとも「愛欲」か?
どちらともとれるような地点に、今、我々は立っている。



「さあ真っ赤に染まるんだ」



さあ、あなたなら、どうする?
夜にさえなって、相手を愛せるか?
もちろん、自らの血を流すことになる。
さあ!真っ赤に染まるんだ!


日本武道館も真っ赤に染まる「真っ赤な夜」の間奏ブレイク。
ショッキングといえる星野英彦のカッティングの嵐の中、
今井寿は、絶望を表現するかのような旋律をSHOOTINGしている。
一回転すると櫻井敦司とともにステージ前面にランデヴーを決める今井寿。



「このまま 俺は雨になる 音も無い 雨という名前さ
 このまま 俺は降り続く 終わらない 雨と愛し合うさ」




アルバム『Six/Nine』収録の「デタラメ野郎」で櫻井敦司が唄うように、
彼にとっての友人は“夜”と“雨”だ。
「友達が欲しいたった一人だけ “雨”が大好きで“夜”が大好きな」
そして、その“夜”と“雨”に自身が溶け込むことで、
愛する者との接触を試みる姿が描かれている。
降り止まない雨の中で、夜となった俺は、お前の濡らし続ける。


「お前の肌を濡らすのさ 永遠が零れ落ちてゆく」


モニターに足をかける櫻井敦司と編み上げの今井寿。
まさしくジーザス・クライストとルシファー・ディアボロの僥倖である。
ドライヴするギター・リフの向こう側に、カミソリ・カッティングのヒデが見える。


「それでもいい 雨ならいい
 お前にきっと 似合うだろう」



大好きな夜に俺はなるから、お前はそれを濡らす雨になってくれだなんて、
吐き気がするほど、ロマンティックな情景を、描き出すのは、櫻井敦司くらいのものだろう。


「さあ真っ赤に染まるんだ」


そう、真っ赤に染まって、時を止めろ。
永久に、刹那を刻み込むのだ。
その傷口から、迸る真っ赤な血液こそが、
此処に、俺とお前が、存在した証。

そう、真っ赤に染まるんだ!
触れ合い続ける為に、夜になって。
狂おしいほどふたりを濡らす、雨になって。
その時、刹那は、永遠になる。
お・ま・え・と・ひ・と・つ・だ!


【夜】と【雨】は・・・

【愛】と【死】に、似ている。





2001年4月、オランダで積極的安楽死を認める法案が成立した。
それによれば、本人の意思が明らかで、治癒不可能な耐えがたい苦痛であれば、
医師が患者の生命を終結させても刑罰を科せられることはない。
安楽死の案件から「避けがたい死」が除外されたことで。
病気や障害で苦しむすべての患者に安らかな死を選択する権利が与えられた。

オランダでは、精神的苦痛による理由で健康体の老人を安楽死させた医師や、
二人の子供を失って生きる意欲をなくした女性の自殺を幇助した精神科医に対し、
刑事責任を問わないとの判決も下されている。
オランダ自発的安楽死協会は「『人生は終わった』と感じる人が死を選択する権利」を求めている。
これが認められれば、すべての自殺志願者に安楽死の道が開かれることになる。

欧米の安楽死推進論者は「死ぬ権利」を主張する。
誰もが苦痛なく自らの意思で人生の幕を下ろすことができるべきだ、と彼らは言う。
高齢化社会を迎え、我々は、この問題から目を逸らすことが出来なくなってきた。
アメリカでは認知症と安楽死が大きな論争になっている。

やがて日本でも、経済力に恵まれた自殺志願者が海を渡って安らかな死を迎えるようになるかも知れない。
だが大半の自殺志願者は、現在と同様に、縊死や溺死、墜落死を選ばざる得ないだろう。

もちろん、すべての自殺志願者に安楽死が与えられるべきだ、というわけではない。
自殺を考える人の多くは鬱病の可能性があり、それは適切な医学的治療で改善可能だ。

すべての人が生きる権利を持っている。
だが誰も、生きることを強制することは出来ない。

生きる・自由 ! 死ぬ・自由 !
ウォォォォーッ ウォォォォーッ ウワァァァーッ ガァァァァーッ

友達が欲しいたった一人だけ。
雨が大好きで夜が大好きな。

存在理由 お前が死ねば なんの意味もない軽い言葉だ。
軽薄な俺さ酷い顔して「存在理由」「存在理由」と。

ガデムモーター超フル回転胸の鼓動が俺を呼び止める。

生き延びてくれいかせておくれ。

黄色い泉 黄色い泉へ




「真っ赤な夜」の間奏は、ギターソロならず、BUCK-TICKというロックバンドらしい、
バンド・アンサンブルで、ドラマチックに、展開される。
花道へとすすみギターを掻き鳴らす今井寿は客席を見上げ、なにか言いたげだ。
「さあ、今年ももう少しだ・・・真っ赤に染まろうぜ」
モニターに足をかける樋口“U-TA”豊が頭を乱暴に振りまわし、髪の毛を乱す。
クールなトレンチ・コートの星野英彦は、真っ赤なライトで後光を照らしながら、
ファンたちに大量のピックをばら撒いている。
夜のカオスともいえるオカズを駆使してヤガミ“アニイ”トールが、
最後のブレイクを高らかに打ち鳴らせば、櫻井敦司のシャウトが再び炸裂する。

「お前の肌に触れるのさ 永遠が指を掠める
狂おしいほど濡らすのさ 永遠が零れ落ちてゆく」


まるで、ぽとぽとと手の平から零れ落ちて逝ってしまう“赤い雫”を、
掬い取り、拾い集めるかのような仕草で唄う真っ赤なシンガー。
黄色い泉へ逝かせておくれと、叫んだ彼は、
そういったあらゆる「残骸」を踏みしめてこの地点に立っていた。

この俺の血で、時が止められるなら、どんなにいいことか?
そう、想いながら・・・。

だから、夜になって、だから、雨になって・・・、
赤い雫で、みんなを真っ赤に染めてやろう、と覚悟した。
そう、決意した。




この時、日本武道館に集結した9,000人のオーディエンスは、
バケツ一杯の赤い雫に撃たれて、真っ赤に染まっていた。

だから、優しくと夜と雨が言った・・・。




「真っ赤に染まれ!」







『TOUR2009 memento mori PIX』のインタヴューで櫻井敦司が語っている。



――ひとつ具体的な意味で印象的であったのが、終演直後。
アンコールがすべて終わってメンバーが姿を消すと「真っ赤な夜」が流れて会場が明るくなる。
あれも単なるBGMではなく、ライヴの一部だったと想うんです。
あれは櫻井さんの発案だったですよね?


「ええ。あの曲がライヴの一曲目だったんで、
そことのループ感みたいなものも意識してたわけなんですけど、
それ以上に、やっぱりアンコールで盛り上がって・・・・・・言葉は悪いですけど、
予定調和で“わーっ!”となって終わる感じというのを、あの曲で壊してしまいたかったんですよね。

あの尖ったソリッドなギターをもう一度鳴らすことで、
“ほら、一曲目はこれだったんだよ”と言いたかったし、
同時に“もう一度観にきてくれよ!”というのもあったし(笑)」




そうして真っ赤に染まったまま、時を止めたオーディエンスは、
再び、BUCK-TICKの帰還を懇願することになる。



もう、真っ赤に染まる覚悟は出来たか?



2009年は、もう、そこまで来ていた。



$【ROMANCE】





真っ赤な夜 (3:32)
(作詞:櫻井敦司 作曲:今井寿 編曲:BUCK-TICK)


このまま 俺は夜になる 何もない 夜という名前さ
このまま 俺は深くなる 果てしない 夜と愛し合うさ

お前の肌に触れるのさ 永遠が指を掠める

それでもいい 夜ならいい
俺にはそう  お似合いだろう
さあ真っ赤に染まるんだ

このまま 俺は雨になる 音も無い 雨という名前さ
このまま 俺は降り続く 終わらない 雨と愛し合うさ

お前の肌を濡らすのさ 永遠が零れ落ちてゆく

それでもいい 雨ならいい
お前にきっと 似合うだろう
さあ真っ赤に染まるんだ



お前の肌に触れるのさ 永遠が指を掠める
狂おしいほど濡らすのさ 永遠が零れ落ちてゆく

それでもいい 雨ならいい
お前にきっと 似合うだろう
さあ真っ赤に染まるんだ
真っ赤に染まるんだ
真っ赤に染まるんだ
真っ赤に染まるんだ
真っ赤に染まれ


$【ROMANCE】
$【ROMANCE】