“鼓動”が聞こえる。
たしかに、聞こえる。
そう、“愛”は産まれたのだ。
苦しみのこの世界へ、ようこそ。
あなたこそ、降臨する“愛”だ。
ありがとう。
「なぜ生きてる 知らないけど それでも激しく
生きていたいと思う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう」
記念すべき10枚目のシングル楽曲として、シングル盤「鼓動」は、
1995年4月21日3ヶ月連続リリースの第二弾としてリリースされた。
オリコン初登場6位を獲得した。
BUCK-TICK楽曲の中でも、最も感動的な“生命”と“誕生”を唄いあげた作品だ。
「JUPITER」「さくら」から引き継がれる櫻井敦司の最愛なる母への想い、
そして“苦しみのこの世界”を嘆く、「ドレス」「die」から受ける一連の櫻井作品は、
この「唄」で、“どうして生きているのか”もがきながら生き続ける意味を問い、
そして、この「鼓動」にて、それでも、生き続けることを選択するに至る一大巨編だ。
それまで内側に内側に展開してきた“自己否定美学”を振り切る
櫻井敦司、渾身の傑作といえるのではないだろうか?
「die」によって壮絶な“死”を描き切って、
櫻井敦司は、その反対側の“生”とポジティヴに向き合った。
まさに“生命”の“鼓動”を感じるような一曲で、ある。
まるで、デヴィッド・ボウイ代表楽曲「“HEROES”」のような存在感だ。
この2008年【THE DAY IN QUESTION】時、最新のシングル「HEAVEN」が、
この「鼓動」のような楽曲に成り得るのでは、ないか?とキミは言っていたね。
それが、“正解”となったかどうか?
それは、僕には、わからないけど・・・。
それは僕達、リスナーひとりひとりの密室の中に、きっと“正解(こたえ)”があるよね?
僕は、そう、想う、よ。
僕が特に好きなのは、メンバーが楽曲を弾く直前の構えの姿と、楽曲の最後の一音の響きだ。
美しく鳴り渡るスタインウェイの銀色の響きが、
まるでリストやショパンのような最後のノートを響かせ、だんだん消えていく音色を、
耳を澄ませて、また、目を凝らして、味わってきた。
BUCK-TICKの鮮やかな子宮の音色は、
この始まりと終わりのためにあるとまで感じているくらいだ。
特にアルバム『Six/Nine』ヴァージョンの「鼓動」は、
最後の響きが素晴らしく、それを味わいたくて、
ほぼ永久にリピートしても、けっして飽きることは不可能だろう。
メロディアスなリフレインに畳み掛けるようように今井寿のギターが狂おしく重なる。
まさに、胎児が、母親の子宮から目覚める瞬間を切り取った「鼓動」。
これ以上に、感謝と神秘を感じる刹那は存在しない。
ただ、心から、ありがとう。
そう、想うしかないのだ。
この1995年第二弾となるシングル「鼓動」では、いきなりメロディアスなリフレインバラードで、
先行リリース「唄」との対照的な面を見せ付けただけでなく、
次の発売予定アルバム『Six/Nine』が、いかにドラマチックな作品になるのか期待させるに充分であった。
サウンドはへヴィなグランジロック「唄」。そして対照的なアンビエントな演出の「鼓動」。
この2曲は完璧な連作であると同時に、画一的に他者との違いを魅せ付けた。
流行し始めた“DANCE RAVE”感とは全く異なる、その逆を取るストレートなロック。
どれをとってもBUCK-TICKにしか奏でられない音質。空気感。独特な世界感。
しかし、この「鼓動」がそういったBT独自のサウンド面をも意識させないほどに
万人にとっても素晴らしいバラードに仕上がったのは、
やはり櫻井敦司の生々しいまでにリアルな歌詞によるところが大きいだろう。
イメージは母親の子宮の中。
やがて、現実の産まれ堕ち、一人の人間として生きていく、
そこには避けられない別れ、悲しみ、でも生きていくのだ。
そして、それは“痛み”を伴う。
これは、その生々しさが故に感じさせる感覚。
この「鼓動」という楽曲を聴くとなぜか僕は魂を揺さぶられ、
普段は意識さえしない“生命”をありありと意識させられてしまう。
母親との別れ、悲しみ、欲望渦巻くこの現実世界で一度は死も考えた。そして・・・
時代も浮かれていたバブル真っ盛りに登場したBUCK-TICK。
見事に弾けたバブルと不況真っ只中の当時1995年という背景は印象的である。
それまでこだわりを見せてきたヴィジュアルを脱ぎ捨て、
見た目ではなく、本質の“うた”で勝負を開始しようと思いたっても何ら不可思議なことはない。
この頃までにBUCK-TICKが内包しているその負のパワーは独特の高み至っていた。
“シリアスなテーマを直情的に表現しようが、快楽主義エピキュリアンをあらかさまに謳歌しようが、
決して下世話にならない。
簡単にいえば“知的”という事だが、鼻持ちなら無いスノッブなインテリジェンスとは違う。
彼等を「毒のあるカリスマ性と内省的なパンク・アティチュードが常に融合しているのだ」
と表現した音楽ジャーナリストもいた。
日本の音楽シーンにおいて彼等はある意味で、
そうした負のパワーを極限まで上昇させてきた唯一のバンドだとさえ想っている。
負と形容すると非生産的なニュアンスがあるようにも思われるが、
例えば苦悩に身を置き脱却することも、ある種のパワーだと理解しなくてはならない。
つまり、彼等の持つ負のパワーは、常に僕らの魂を揺さぶり浄化してきたのである。
櫻井敦司の
「抱かれてた母星に さよならを告げよう
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ
なぜ生きてる 知らないけど それでも激しく
生きていたいと思う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう」
というフレーズを初めて聴いたとき、愕然としたのを今でも憶えている。
同じ負のパワーでも、はっきりと次のステップへ進むという正への転換がなされている。
これは周知の通り母との別れと覚醒のアルバム『狂った太陽』から一連の流れに対する
彼等のひとつの応えなのだが、実に重く説得力のある意思表示である。
まさしく彼等は自らも浄化し、“Loop”を繰り返しているのだ。
「あらゆる生が、目指すところは、死である。
すべての生命体の目標は死である。
生命のないものが、生命のあるもの以前に存在していて、
生命のあるものは、生命のない状態に還帰しようとしている。
死の本能は、サディズムであり、
生命を保存する本能は愛(エロス)である。
生命の中で、死の本能(タナトス)と、生の本能が対立しているのである」
(ジークムント・フロイド)
それが『Six/Nine』の1995年当時の彼等をして、最も高みを実現したと感じさせるのは、
きっとシンプルが故に、反転した負から正への動きと、
BUCK-TICK自身の持つ、どこまでも純粋“ピュア”な魂の表現となったからであろう。
――このアルバムタイトルですが・・・本作には「Loop」という楽曲があって、
これがひとつのコンセプトだと思うんですが、どこから来ているんですか?
今井寿
「表裏一体というか、あんまり深い意味はないんですけど。
ん・・・・・・SとNを使いたかったら」
――表裏一体の原点って、生と死というのがありますよね。
なぜ「Loop」をコンセプトにしようと?
「“Loop”は最初、あっちゃんが作詞してきて、“輪廻”という言葉を出してきて。
あっちゃんが輪廻だとちょっとなぁって言ったので、じゃあ“Loop”は?って、
それでスンナリ決まった感じ」
――その“輪廻”が直接【ことば】として出るキッカケがあったのだろうか?
櫻井敦司
「ん・・・・・・人が死ぬとか湿っぽい話は嫌なんだけど・・・・・・昔、そういうことを身近に感じたもので。
そういうのはいつも自分の頭の中にあるもので・・・諦めっていうのではなく
(死は)自然なもので・・・・・・今、呼吸して、こう・・・・・・・う~ん、もとい!」
≪そして言い直す≫
「あの、ま、母親から生まれて、母親が死んで僕、生きてて。
で(いつかは)僕死んで。
それが繰り返されるだろうと、何処でも、誰でも。
だから、なんていうんだろう、“大丈夫、またどっかで逢うさ”って感じ」
――そこで、あの“人の死があるからこそ生を意識する”っていうのもありますよね?
「ええ、それは逆も言えると思いますけど」
――ええ。で、そのことを例えば、輪廻(Loop)で表現すること自体はかなりポジティヴですよね?
「ああ、そうですね。その辺はちょっと変わったかなと思いますね。
前は、終わりとかフィニッシュとかエンドとかいうのが美しいとかばっかりでしたから、
美学というか、その先っていうのが『darker than darkness -style93-』が終わって、
これじゃ違う、このままじゃいけないっていうのがありましたから」
――僕は終わりの先というのは、ひとつの頂点だと思うんですが、
同時にそれは、原点に帰っている気もするんですよ。
「ああ、“点”という言葉は歌詞にもあるんですが、
終わりと始まり、まあ、始まりと終わりでもいいんですけど。
もし、それが重なるとしたら点ということで、そこが凄く綺麗というか、絶頂というか」
以上は、1995年のBPASS誌のインタヴューでのコメントである。
そして、アルバム『memento mori』リリースを控えるこの2008年の【THE DAY IN QUESTION】で、
感慨深く唄われる「鼓動」。
生と死。
そして、輪廻して“またどこかで逢えるさ”という観念。
そのシェイプが、この『Six/Nine』の正体なのだろう。
そして、愛と死=『memento mori』
櫻井敦司は、いつかテレビのインタヴューで、
「アルバム『Six/Nine』は、暗い長いトンネルを抜けたようなアルバム」
と形容していたが、まるでそのトンネルの出口には愛と死があった、と、
『memento mori』を示唆しているかのようだ。
今井寿の作ったSEに、櫻井敦司がポエムリーディングのように詩を読む
というアイデアで始まる『Six/Nine』。
この「Loop」では、裏で櫻井による“輪廻”というフレーズがループしている。
そして、「HEAVEN」で唄われる「カーネィーション」は、
勿論、花のカーネーションを表すフレーズであるが、同時に“リンカーネィーション=輪廻”だ。
ベートーベンでいえば、交響曲第5番「運命」や交響曲第6番「田園」が、
八分休符から始まりフェルマータ(延長記号)で終わっているのは、よく知られることだが、
その最初の休符と最後の音色を味わうのが、ベートーベンの醍醐味だと思っている。
休符から始まるというのは、時間の流れ上、何処が始まりなのかわからないという比喩で、
時間がまだ生まれていないビッグバンの直前の状態として、対比した。
また、最後のフェルマータは次の楽曲への序章でもある。
人間でいえば、一つの楽曲が人生であり、生まれる前の時間のない状態が最初の休符で、
最後の一息がフェルマータだ。
最後のノートは、輪廻を信じる人には、来世の序章と感じられる。
「見守る母の星 静かに今消えて
胸の音聞こえる 確かに“鼓動”震え出す目醒めだ」
そしてこの誕生は闇=「GALAXY」で行われる。
「HEAVEN」の輪廻は、「GALAXY」へと受け継がれる。
この「鼓動」を繋ぎ目として・・・。
まるで母親の子宮の中のような効果音が加えられたアルバムテイクは、
幻想的であり、まるで、母の胎内で浮かんでいるかのような錯覚さえ憶える。
櫻井敦司は
「歌をうたうことが好きだから、
決して歌詞と言いたい事を差別・・・・・・うん区別して歌ってはいないんです。
1曲の中に・・・・・・自分の詞が1行あるっていうことなんですよ。
たとえば“鼓動”に関しては、“生きていてごめんなさい。ありがとう”という部分かな」
と語っている。
アルバム『Six/Nine』のコンセプトとなる“生と死”と“輪廻”。
そうして、“生命”は未来永劫に続いている。
櫻井敦司の【ことば】を借りれば、母親から僕へ。そして僕からその子供へ。
また、別の“輪廻”で“Loop”している。
僕が死んで、どこかでまた母に出逢い、
そして、また我が子に、何処かで出逢う。
それが、この地球上か?はたまた、どこか知らない惑星か?もしかしたら異次元空間かも・・・。
でも、“大丈夫。また、どこかで出逢うさ”という言葉は、
恐らく、大袈裟に言えば、全人類の心に“救い”の手を差し伸べるに違いない。
恐らくはその“生命”を受け継ぐもの、途切れなく続くものが、
母親から与えたれた「鼓動」なのではないだろうか?
そう、遠い昔、胎内で聞いた、母親と同じリズムを刻む「鼓動」。
だから・・・「鼓動」が誰かの胸で刻まれ続ける限り、
“大丈夫。”
そう思うのだ。
BUCK-TICKにとって、それは…、
“生”と“死”は表裏一体の同質の物というのが本質であろう。
だから、この狂った世界で生き抜く行為も、
死後、の世界を覗きこむ勇気も、
どちらも“真実”を知るという意味合いでは同質と判断しているのだ。
フロイト博士が言うように、“生”と“死”は一対の同線上のものであり、
生命を受けた物の本質として、死を回帰として捉え、
そこへ向かって行くのが“運命(さだめ)”なのかも知れない。
“死”を回帰と考える。
そう考えると、僕達が死して向かう場所は、母親の子宮の中なのか?って。
「呼吸 鼓動 響く 血まみれの愛の中」
もし、そうであるならば、“死”を恐怖することもない。
それが、“輪廻”だ。
「さあ道化師 躍れ躍れそれが運命(さだめ) 光る地獄で泣きながら」
この世は、所詮、道化の塊だ。
もう、踊ってしまおう。
死しても、そこの待つの“愛”だ。
「道化師 歌え歌えこれが運命(さだめ) 闇の真実に帰るんだ」
さあ、道化師達よ、ともに歌おう。
“命”を“運ぶ”のが、運命。
この運命を、そして、限りある運命でも“愛”を探そう。
生命の本能は“闇”の真実へと向かって行くのだから……。
「ゴールのない人生は生きている意味がない」
アメリカのデータで、リタイア(引退)した人の平均寿命はリタイア後18ヶ月という統計がある。
定年退職がリタイアである日本と違って、
アメリカでリタイアといえば、目標のお金を稼いだとか、そういった契機でリタイアすることを指す。
だから、かならずしも、定年でリタイアというわけではなく、
投資銀行でたっぷり稼いで、30代でリタイアという人もかなりいる。
フロリダ州のマイアミなどは、まさにそういったリタイアした人たちの街として知られる。
そういった人たちのリタイア後の寿命が平均18ヵ月とされているのは、ゴールを達成、
もしくはあきらめると、人間は2年も生きられないことだとも言える。
つまりゴールがない人生は生きている意味がないだけでなく、
本当に人生が終了してしまうことを表す統計だと思う。
この2008年の【THE DAY IN QUESTION】
「鼓動」は本編ラストを飾るに相応しい感動を持ってパフォーマンスされる。
新たに大幅に加えられた今井寿の銀河の彼方まで、“WARP”するような、
GALAXYなアレンジが、日本武道館を包みこむ。
この「鼓動」には、他の楽曲にはない、“ナニカ”が存在する。
それは、神秘的な“ナニカ”で、言葉にすることは難しい。
それでも、この楽曲を聴くと、心が浄化され、涙が零れるのだ。
そして、いつも言うことではあるが、
その“理由”を探そうとすること、それ自体が“誤解”なのだろう。
「感じる」のだ。
それしか、道はない。
生まれ、生きている。
それこそ、すべてなのかも知れない。
※
歪んだこの世界に、産まれ出でし、“神の子”。
赤子の“ソラ”は、僕に夢で、話しかける。
僕が、あなたに出逢う理由を教えてくれる。
※
現在の認識は、過去の記憶を利用して成り立っている。
簡単に言えば、過去に見たことの無い物は見えないのだ。
さらに、現在認識している世界は、無意識が重要であると判断したものだけから成り立っている。
フェラーリが大好きな人には、街中を通り過ぎるフェラーリの型番まで認識できるが、
そうでない人には、ポルシェもフェラーリも同じ見えるのです。
奥さんが妊娠して初めて、街に妊婦がいることに気が付くいわれるのは、
男性の認識のまさにいい例である。
ところで、現在、無意識が重要だと認識することは、過去の体験が、何が重要であるかを決めている。
過去に嫌だったことは避け、嬉しかったことを再現しようとするのは、生物として当然のことだ。
だから、目の前の世界は、過去の体験や知識をもとに脳が重要だと判断したことだけから成り立っている。
これは、どういうことかというと、昨日の世界は、一昨日までの記憶でできており。
今日の現在の認識は、昨日までの記憶でできているということだ。
となると、我々は、何のために生きているのだろうか?
目の前の現実世界が、すべて過去の記憶と、
その記憶をベースとした無意識の判断で成り立っているとしたら、
明日の体験は、必要ないことになってしまう。
我々は未来のゴールのために生きているのだ。
もし、未来のゴールがあれば、目の前の出来事は、
過去の記憶がそれを重要であるか否かを判断するのではなく、
目の前の出来事が未来のゴールに貢献するか否かで、重要か否かを判断することになる。
その判断の基準が、過去の経験によるものではなく、
未来のゴールによるものであるならば、見えてくる世界は、
ゴールに合わせて日々変わってくるはずである。
では、未来のゴールがないとどうなるのか?
ゴールがない場合は、目の前の日常は、昨日までの記憶と、
その記憶を根拠とした昨日までの重要性に合致したものだけから成り立つ。
それ以外は見えないのだから……。
それでは、明日を生きる必要性がなくなる。
怖いのは、そうすると、我々は生命体として、実際に生きるのを辞めてしまうのだ。
それがリタイアしたアメリカ人はリタイア後平均18ヵ月しか生きられないという数字が示唆するところだともいえよう。
逆に、年をとっても若々しく強い免疫力を維持している人たちは、
まさに、人生のゴールを、年を取ってからもしっかりと更新、維持して、
臨場感を持って感じている人たちだといえるのではないか。
人生の最後のフェルマータに、ゴールの味わいの音色を響かせるのだ。
だから、これから、僕に、とっても、あなたに、とっても、
本当に未知の世界への旅立ちだ。
せっかく、生まれ堕ちたのだ
さあ 羽ばたけ。
さあ、飛び立つんだ。
このネット上では、明ける2009年初頭リリースの「GALAXY」のヴィデオ・クリップが、
すべての話題を攫って、いた。
鼓動
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
完璧な幸せ いつも包まれていた
苦しみのこの世界 ある日生まれ声を上げた
抱かれてた母星に さよならを告げよう
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ
なぜ生きてる 知らないけど それでも激しく
生きていたいと思う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう
この世に生きるあなたの鼓動 儚い だけど美しく
この世に生ける全ての鼓動 儚い だけど輝いて
絶対の安らぎ あの日抱かれていた
悲しみのこの世界 ある日あなたに包まれた
見守る母の星 静かに今消えて
胸の音聞こえる 確かに鼓動震え出す目醒めだ
なぜ生まれた 解らない それでも激しく
生きていたいと思う 愛されているなら
生きていたいと願う 愛されているなら
ごめんなさい ありがとう
この世に生きるあなたの鼓動 儚い だけど美しく
この世に生ける全ての鼓動 儚い だけど輝いて
この世に生きるあなたの鼓動 悲しい事は何もない
この世に生ける愛する人 悲しい事は何もない
