「唄ってくれ!」

(櫻井敦司)



2008年12月29日、日本武道館【THE DAY IN QUESTION】。
ラストコーナーは、傑作アルバム『Six/Nine』の「love latter」に続いて、
「唄」の怒涛のグランジ・アタックで、
BUCK-TICKが、日本の誇るオルタナティブ・ロック・バンドたる轟音を響かせる。

ステージでは、定ポジションの5人が、
ソリッドなサウンドで、日本武道館の空気を真っ二つに切り裂く!
櫻井敦司の手短なMCの後、ヤガミトールのカウントで、
ブラック・レスポール・カスタムから星野英彦が、デストローション・リフを刻めば、
ノイズ・アートの魔法の杖、シルバーPODで、今井寿が、カオスの森へ我々を誘い込む。
樋口豊が、重厚なダーク・ロックのうねりを創り出せば、
櫻井敦司は、まるで、十字架に架けられたジーザスの様に、
マイク・スタンドを肩に背負い唄い出す「叫び」!


「どうして生きているのか この俺は」


人間の普遍的な、疑問。
何故?何の為に生きているのか?
人生最大の哲学をいきなり問い質すBUCK-TICK。

考えれば、この時代から、彼らはどうしようもなく“memento mori”だ。



「そうだ狂いだしたい 生きてる証が欲しい」



1995年3月24日、オリジナルとしては2年振りとなるシングル盤「唄」がリリースされた。

これはアルバム『Six/Nine』の先行シングルであり、
3ヵ月連続リリースされると予め予告されたBUCK-TICKの活動再開第1弾のシングル楽曲として発売された。
「唄」は、オリコンチャートで初登場第4位を獲得する。

シングル盤としては9作目の楽曲となり、アルバム・ヴァージョンとはミックスが異なり、
今井寿の作曲が遅れた(もしくは止まらなくなって難航したとも言われる)為、
長引いていたアルバム『Six/Nine』の製作過程では、
「叫び」というタイトルであったらしいが、
櫻井敦司は、“神のお告げがあった”と語り、「唄」に変えられたとされる。

アルバム『Six/Nine』を聴くと納得するのであるが、
暗黒世界を唄うだけではなく、いきなりこの楽曲では、
BUCK-TICKの新たなモチーフが“生命”であると解る。

櫻井敦司による歌詞は、未だに“自己否定美学”を追求していて、
生きる“苦悩”の「叫び」が、「唄」へと昇華していく様が描かれているようだ。
しかし、ただ人生を憂いているのでは無く、曲調とリンクして、
力強く、絶叫し、手繰り寄せ、生きていく“覚悟”を決めた男の唄となった。

サウンドも、その前作『darker than darknessーstyle93ー』から追求した暗く重い、
分厚いデストローションのかかったグランジ・ラウド・サウンドで、
男臭さが漂うパンテラやサウンド・ガーデン、レイジ・アゲインスト・ザ・マシン等の
アメリカのオルタナティヴ・ラウド・ロックの影響を多分に受けた印象がある。

BUCK-TICKのシングル・ナンバーとしても、最もへヴィな楽曲と言えるだろう。

そのザラつくようなサウンドに、
櫻井敦司の“生命の叫び”が、ウェットに載ることによって、
BUCK-TICK独自の重厚なダーク・ロックの代表作とも言えるだろう。

櫻井敦司も、ライヴMCで、「大好きな“唄”を聴いてくれ!」
と、頻繁に、観客を煽る場面でエントリーするライヴ・ナンバーでもあった。




3ヶ月連続で新譜をリリースすると発表していた1995年。
その第一弾「唄」が発売されると、
4月17日からは全国7箇所を周るフイルムギグ【新作完全再生劇場版】がスタートした。
その間の4月21日、第二弾シングル「鼓動」がリリースされる。
(しかし、カップリングの「楽園」のコーラン問題で、一時回収騒動となり、9月21日に、再発売されることになる)

5月14日のリハーサル的なライヴ【Six/Nine'95.5.14】を新宿リキッドルームにて実施後、
明くる5月15日にオリジナル7枚目となるアルバム『Six/Nine』のリリースに至る。

更に明くる日5月16日よりライヴツアー【Somewhere Nowhere 1995】開始と同時に、
生のBUCK-TICKが活動再開となった。

やや長いオフ期間に、様々の経験をしたメンバーは、
本家BUCK-TICKで、それを実行段階に入ったのだ。

このメンバーで創作することの喜びは、
そのまま、新アルバムの主題“生命”へ悦びと昇華していったのかも知れない。
今井寿は、藤井麻輝とのSCHAFT活動等の為、
メンバーの中では唯一ほとんどオフなしに『Six/Nine』のレコーディングに入ったが、
次から次へと溢れ出す創作意欲に、レコーディングは長期化したと言われる。

この「唄」にも、インダストリアルなSEがイントロと間奏に挿入され、
今井寿本人も間奏でエフェクティヴなヴォーカルを取っている。
これはSCHAFT活動からの影響も大きい。


「神経は落ちてくばかりで “鼓動”はずっとあばれ出しそうだ」


そして、すでに「唄」の歌詞の中で、次作シングルである「鼓動」が登場することからも、
この「唄」と「鼓動」が、重要なリンク、否、“Loop”をしていることがわかるだろう。

この激しいグランジ・サウンドの「唄」から、
アンニュイとも言える独特な音世界を構築したのが、「鼓動」であり、
これにより、BUCK-TICKは、世界でも代え難いオルタナティブ・バンドとして君臨することになる。


「深い森に迷い お前の名を呼ぶ」



この「唄」「鼓動」、そして『Six/Nine』のリリースされた時期より一年前・・・、
アメリカ・シカゴから勃発したオルタナティヴの象徴的人物といえる
カート・ドナルド・コバーン(Kurt Donald Cobain)が、自宅にてショットガンで自殺した。
享年27歳だった。

彼は、ローリング・ストーン誌の2003年8月号のカバーストーリー、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のギタリスト」に於いて第12位。
2007年11月号の企画、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も過小評価されている25人のギタリスト」に於いて第2位。
日本版2009年2月号の企画、
「ローリング・ストーンの選ぶ歴史上最も偉大な100人のシンガー」に於いて第45位を獲得する
伝説のロッカーのひとりとなった。


これは、彼が、望んだだろうか?とひとりごちたくなる。



「抱いて慰めてくれ そう甘く
 だめだ溺れてしまう 優しい君の中・・」




コバーン率いるニルヴァーナ (Nirvana) はグランジを代表するアメリカのバンドといえる。

ジェネレーションXと呼ばれる世代の圧倒的な支持を受け、
彼らの派生はIT革命のマイクロソフトとともにシアトルをワールド・ワイドな存在にした。

ニルヴァーナという仏教用語で“涅槃”という意味で名付けられたロック・バンドは、
ギター&ヴォーカルのカート・コバーンを始め、
クリス・ノヴォセリック(Krist Novoselic)がベース、
デイヴ・グロール(Dave Grohl)がドラムの3ピース・バンドだ。

BUCK-TICKがメジャー・デビューした1987年には、
ニルヴァーナ“涅槃”と名乗りシアトルを拠点として活動を開始している。
BTと同質のロック遺伝子を持つ、
ロック・シーンのミュータントであったと言えよう。

その頃、ヘヴィ・メタルは1980年代後半に商業的なピークを迎えるが、
ポップ・ミュージック化した産業ロックへの反発から生まれたニルヴァーナをはじめとする
グランジ/オルタナティブ・ロックのムーブメントにより、
1980年代的なヘヴィメタル(NWOBHMやLAメタル)は、過去の遺物扱いを受けることになる。

そのような状況下では古典的ヘヴィメタルバンドが従来の活動を続けられるはずもなく、
バンド再編、有力メンバーの離脱、音楽性の変化などが求められた。

当然それに対応できないバンド、あるいは変化の過程でファンの支持を得られなかったバンドは、
メインストリームから消えていった。
1990年初期とはそんな時代であった。
革命の時代というやつだろう。

「逃げ出すことも出来ない 立ち止まることも知らない」

この状況に楔を打ち込んだのがスラッシュ・メタルの代表と目されていたメタリカであった。
彼らはアルバム『メタリカ』(1991年)でスラッシュ的なスピード性を放棄し、
オルタナティヴ・サウンドと通じるような重厚な音楽性を導入してヘヴィメタルの新しい方向性を示し、
2200万枚という大ヒットを飛ばす。

これが、パンテラの『俗悪』などは数々のバンドの手本とするところとなる。
パンテラ (Pantera) は、1981年にアメリカ合衆国テキサス州ダラスで、
ヴィニー・ポール(ドラム)とダイムバッグ・ダレル(ギター)の兄弟によって結成された
ヘヴィ・メタル・バンドである。
1982年にレックス・ブラウン(ベース)が、1987年にフィル・アンセルモ(ヴォーカル)が加入し、
彼らが最も商業的に成功した時期のラインナップが出来上がる。
これは解散までの16年間続く。

初期においては1970年代のキッスやヴァン・ヘイレンに影響を受けた
比較的オーソドックスなへヴィメタルバンドであったが、
1980年代インディーズで活動するうちに音楽性が変わったと見られる。
これにより彼等は後にヘヴィメタルのサブジャンルである
「グルーヴメタル(Groove Metal)」の確立者となる。

1990年、メジャーデビューとなるアルバム『Cowboys from Hell』をリリースするまでの
9年間は大きな成功を収めてはおらず、80年代にリリースした4枚のアルバムは皆酷評されていたが、
これを機に音楽評論家からは「90年代に最も成功したメタルバンドの1つ」と賞賛された。

1990年代以降のパンテラの特徴として、ギターとバスドラムの音が挙げられる。
基本的にはエクソダス等のスラッシュ・メタルの影響下にあるものだが、
さらに極端に過激でありながら聴き心地の良い音を出している。

従来スラッシュ・メタルのギターサウンドでは、
ハイゲインのチューブ(真空管)ギターアンプが一般的であったが、
パンテラはソリッドステート(トランジスタ)アンプのランドールRG-100を使い、
それまでのスラッシュ・メタルよりも切っ先鋭いギターリフを刻んでいた。

またファーマンのパラメトリックイコライザーも重要な役割を担っており、
400~500Hzが持ち上がった(逆に1kHz付近は若干カット)中低域の太いギターサウンドでもあった。

『鉄板の上でゴム鞠をついた様な』とも形容されることがあるバスドラムは、
手数の多い楽曲でも演奏が判別出来るようにアタック音が極端に強調された音で、
さらにドラムトリガーを使用することにより50Hz付近の超低音域を補正、
ギターサウンドに負けない強力な存在感のある音になっている。

なお、これらの音はサウンドガーデンやデフトーンズとの仕事でも知られる
プロデューサーのテリー・デイトと協力して作り上げた。

そのパンテラに強く触発されたへヴィメタル界の重鎮ロブ・ハルフォードが、
ジューダス・プリーストを脱退してFIGHTを結成したことは、
この時期のオルタナティブの流れを象徴するものといえよう。

この動きに呼応するようにしてヘヴィメタルは若手ミュージシャンを中心に、
オルタナティブ・メタルとして復活を始める。

それは、シンプルなリフに重いギターサウンド、冷徹に現代社会を見つめる歌詞のテーマ、
ヒップホップ・レゲエの要素の導入など、
時代に求められた様々な要素を注ぎ込んだ新しいメタル像(ニュー・メタル)であった。

このような流れの中、シャロン・オズボーンは、
夫オジー・オズボーンが時代の半歩先を行く音楽性で常にヘヴィメタルの象徴であり続けたことを活かし、
若手ニューメタル・バンドとオジー・オズボーン擁するブラック・サバスという組み合わせで、
全米をツアーするオズフェストという前代未聞のツアーに打って出る。

これは見事に成功し、マリリン・マンソンやスリップノット、コーンなどのプロモーションに、
大きく貢献し、メタルコアなど後続のムーブメントに大きな影響を与えた。
さらに結果的にはオジー・オズボーンそしてブラック・サバスを、
伝説的な存在へと昇華させることにも成功した。

こうして1990年代は、新しい時代にふさわしい姿に成長したバンド、消えていった旧世代のバンド、
時代に応じて現れた若手のバンドと、世代交代が急速に進んでいった時代であった。
この状況は日本のロック・シーンにも類似が見られて、このようなバンド達を“魚”に例えた、
『Six/Nine』収録の今井寿による「相変らずの「アレ」のカタマリがのさばる反吐の底の吹き溜まり」
に、描かれた。


その代表格がまさしくニルヴァーナと言えよう。
メンバーの中でドラムはなかなか固定されず、
結成時のドラマーはアーロン・バークハードであったが、
デイル・クローバーは最初のデモテープ収録時のドラマーとして参入している。

このデモの中の数曲(「Floyd The Barber」「Paper Cuts」「Downer」)は、
ニルヴァーナの最初のアルバムである『BLEACH』に収録された。

インディーズ・レーベルであるサブ・ポップと契約を結んで作成された
この最初のアルバム『BLEACH』ではデイルとアーロンに代わり
チャド・チャニングが演奏している。
収録の際には606ドル17セントのスタジオ代をジェイソン・エバーマンに肩代わりしてもらっている。
ツアー中のトラブルのためツアー後、
バンドはジェイソン・エバーマンを解雇し、更に秘密裏にドラムの代わりを探し始めた。
1989年インディーレーベル「サブ・ポップ」よりリリースされたアルバム『BLEACH』は、
サウンドも歌詞も後の作品の完成度には及ばないが、
荒々しくエネルギーに溢れた演奏を傑作と評価する声も多い。

サウンド的にははブラック・サバスやブラック・フラッグなどのヘヴィメタル、
またパンク双方から影響を受けたまさに「オルタナティブ」なロック・アルバムである。
いささかピクシーズやソニック・ユースをリスペクトしたような
ノイズ&絶叫などのスタイルはこの時点で確立されている。

しかし、ロック史的に鑑みても同アルバムの「アバウト・ア・ガール」や「スクール」など、
後の大成を感じさせる名曲も収録されている。

アルバム『BLEACH』は最高位89位、プラチナム(U.S.) 最高位33位(UK)のスマッシュ・ヒットとなる。

ニルヴァーナの本格的なブレイクは、
ゲフィン・レコードよりリリースされたセカンド・アルバム『NEVERMIND』で、
アルバム・チャート1位を記録し(最高位1位、10xプラチナム(U.S.) 最高位7位、2xプラチナム(UK))、
MTVではシングル「Smells Like Teen Spirit」が繰り返し流され、
バンドと当時のロックシーン両方の流れに大きな影響を与えた。

1991年9月24日リリースされた『NEVERMIND』は、1990年から1991年にかけて録音された。
プロデューサーはブッチ・ヴィグ、ミキサーはアンディ・ウォレスがそれぞれ担当。
より広い層にアピールするようヴォーカル/ギターを強調し、
またラジオオンエアの際によりクリアに聞こえるように中音域に音を集めたミックスとなった。
また、シングル「Smells Like Teen Spirit」から始まる楽曲も、
メジャー市場を意識したものからアンダーグラウンド寄りのものまでバランスよく収録されており、
ヘヴィメタルファンからロック/ポップのファンまで幅広いリスナーを獲得するに至った。

結果、『NEVERMIND』はベストセラーアルバムとなったが、
カート・コバーンはこのアルバムに難色を示しており、
また本来のニルヴァーナの音からはかけ離れたものであることは否めない。

特に「Smells Like Teen Spirit」は強烈なメッセージ性と
シンプルでパワフルなリフで新たな若者達のアンセムであるといわれ、
シングルは驚異的な売り上げを示したが、
カート自身はこの楽曲をいわゆる「クールな」若者たちを皮肉ったものとして製作しており、
馬鹿みたいな詞と馬鹿みたいなリフの組み合わせというつもりだった。

それは、この「Smells Like Teen Spirit」のヴィデオ・クリップを観るとその演出に納得できる。

カートはその意図が曲がって伝わってしまったことに不快感を示している。
結果として、ニルヴァーナの最も有名な楽曲であるにもかかわらず、
カートが最も演奏したがらない楽曲となってしまった。

とはいえ、このアルバム『NEVERMIND』はビルボードにおいてナンバー1となり
驚異的な売り上げを示した。
シアトルのローカルバンドに過ぎなかったニルヴァーナを全米トップの人気バンドへと押し上げ、
グランジ/オルタナティブロックムーブメントを全米に広げた。


幼児が水中を裸で泳ぎ、紙幣に釣られるという印象的なジャケットも特徴で、
パロディや服のデザインとしての使用も多い。

このニルヴァーナの「Smells Like Teen Spirit」及びアルバム『NEVERMIND』の爆発的な大ヒットで、
サブ・ポップは、グランジ界の一流ブランドと変容し、
オルタナティブ・ロック・ムーブメントを燃え上がらせた。
結果として、バンド自身も含めて良くも悪くも多くの人の人生を変えてしまうアルバムとなった。
現在ではロックの歴史における最重要アルバムの一つとして語られるアルバムである。
バンド解散後も『NEVERMIND』は売れ続けその売り上げは現在までに全世界で3000万枚以上とも言われる。

日本では、丁度『狂った太陽』で、BUCK-TICKがサウンド覚醒をした時期である。
パラレル・ワールドでは、こういった突然変異が、時期を同じくして突如、発生する。
ナニカ、見えない力が働いているような感覚がするが、
これが、大いなる「創発」の姿を表しているのは間違いない。

『NEVERMIND』の成功でニルヴァーナは一躍トップバンドの仲間入りを果たしたが、
メジャー市場を意識した作りは後のニルヴァーナの活動に影を落としてしまうこととなる。

ニルヴァーナの大ブレイクとオルタナティブ・ムーブメントの陰で、
カート・コバーンのヘロイン中毒という問題を抱えていたニルヴァーナは一時活動麻痺の状態となり、
1992年にコンピレーションアルバムである『Incesticide』を発表することとなった。
『Incesticide』はオリジナル・アルバムではなく、
ニルヴァーナのB面曲や未発表曲、カバー曲などを集めて
1992年12月14日に発売されたコンピーレーション・アルバムで、
もともとは『NEVERMIND』の大成功で味をしめた発売元のレコード会社ゲフィンが、
なかなか次のアルバムをリリースしようとしないバンドに業を煮やし、
リスナーの興味をひきつけたままにしておくために製作・発売されたものともいわれるが、
「(New Wave) Polly」のパンクヴァージョンなど、
よりニルヴァーナのパンクから影響を受けた面が押し出されているのが興味深い点ではある。

BUCK-TICKもまた、セルフカバーアルバム『殺シノ調ベ ~This is NOT Greatest Hits~』で、
過去の楽曲に新たな意味付けを行い、バンドの初期に終止符を打っている。
彼らも同時期『狂った太陽』のヒット・シングルを同アルバムに収録することを拒んだが、
この初期のアイドル時代との決別のモニュメントとして、大胆なリアレンジに挑戦している。

続く1993年にはニューアルバム『IN UTERO』をリリース。
前作『NEVERMIND』の大成功を受け、
バンドの意向によりアンダーグラウンドへの回帰をテーマに作られた。
プロデューサーにはインディーシーンで定評のあるスティーヴ・アルビニを起用、
楽曲も『NEVERMIND』のメジャー志向からより暗く、カート・コバーンの内面に切り込んだ内容となった。
レコーディングにかかった費用は24000ドル。
要した期間はたったの1週間という短期間であったという。

サウンドはより暗くなった世界観を受けてヘヴィで低音を重視したもので、
ヒット・アルバム『NEVERMIND』と同路線を期待していたリスナーにとっては賛否両論となった。

また、発売直前になってバンドがアルビニのミックスにリミックスを施して
「レコード会社からの圧力」が囁かれたり、
「Rape Me」がフェミニスト団体から「不謹慎である」として訴えられるなど、
図らずもあらゆる面で「問題作」になってしまったアルバムである。
アメリカでは量販店向けに「Rape Me」を「Waif Me」に表記を変更し、
バック・カバーのデザインを中央部を拡大した検閲バージョンが発売された。
同時に収録曲中「Pennyroyal Tea」は、
スコット・リットによるシングル・ミックスに差し替えられている。

この時期もBUCK-TICKとのシンクロを見せる。
1993年の『darker than darkness -style 93-』ではハードロックを軸に、
ジャズやメタレゲエ的な要素などを取り入れたタイトル通り、暗くて濃い世界観に突入していく。
まるで、メジャーであることを呪うがごとくに・・・。


「誰も泣きたいはずだろ 優しくきっとされたいはずさ」


『IN UTERO』には特にカート・コバーンの意向が強く反映されており、
ニルヴァーナもよりダークな世界観となった。
発売当初は前作と同路線を期待するリスナーからの拒否反応もあったが、
実際には『NEVERMIND』のニルヴァーナの姿こそが作られたものであり、
こちらの方がより本来の姿に近いといえよう。
サウンドデザインに関しては「インディーの鬼才」と呼ばれたアルビニの貢献が大きい。
特にこの『IN UTERO』でのドラムの録音は伝説に近くなっており、
リスナーの期待を良くも悪くも裏切りセールス的には前作ほどは振るわなかったアルバム自体に対して、
アルビニの名声は一気に高まった。
また一曲めの「Serve The Servants」は最初の音が不協和音であったり、
「Very Ape」の狂気染みたハウリングから「ノイズと言う名の芸術」と言う異称を持つアルバムでもある。

ここらへんのサウンド・アプローチも今井寿を彷彿させるシンクロを魅せる。
やはり、同時代の存在する天賦の才は、同質の「創発」を生み出していたといえよう。
それこそが、“時代の空気”というものだ。

結果的に『IN UTERO』がニルヴァーナ最後のオリジナルアルバムとなってしまい、
ニルヴァーナを語る上で欠かせない作品となっている。
予想された程の売れ行きではなかったがアメリカとイギリスのチャートのトップに輝くなど
依然商業的な成功を収めた。

しかしながら、
巨大な成功から来る重圧に耐えられなくなり次第にドラッグにのめりこんでいったカート・コバーンは、
自殺未遂や奇行が目立つようになり、
ついには1994年4月5日にシアトルの自宅にてショットガンで頭を撃ち抜き、自殺した。
グランジ・ブームは急速に終焉を迎える。


「消える事はできる 生きてゆく意味知らない
 この手伸ばしている」




もうひとつシアトルのオルタナティヴ・ロック・シーンで、
BUCK-TICKと同質の空気感を感じるバンドがある。


クリス・コーネル(Chris Cornell)率いるサウンドガーデンがソレであるが、
クリスの声域は4オクターブにも及ぶ。
父はアイルランド系カトリック教徒の薬剤師エド・ボイル、
母はユダヤ系の計理士カレン・コーネル。兄ピーターとパトリック、
妹ケイティ、スージー、マギーがいる。

オルタナ・バンド、サウンドガーデン(1984年から1997年在籍)から、
オーディオスレイヴ(2001年から2007年在籍)にてヴォーカリストを務めた。
2000年10月に活動休止した元レイジ・アゲインスト・ザ・マシーンの
トム・モレロ 、ティム・コマーフォード、ブラッド・ウィルクの3人に、
レイジのプロデューサー、リック・ルービンの薦めでクリス・コーネル (Vo)が加入し結成される。
2007年2月、レイジ再結成発表の3週間後にクリスがバンドを脱退し活動を休止する。

クロスビート2006年1月号の「100人が選ぶ史上最高の名曲」という特集で、
クリス・コーネルはデュラン・デュランの「ワイルド・ボーイズ」をピックアップしている。
ここら辺のニュー・ウェイヴ/ニュー・ロマンティックの影響が類似しているのかもしれない。

クリスのオリジナル・バンド=サウンドガーデン (SoundGarden) も、
シアトルで結成されたロック・バンドである。
後にブームとなるグランジの先駆けとされ、
攻撃的かつうねりの激しいギターサウンド、重低音の利いたベース・ドラムのリズム隊、
そして高音、低音と使い分けるエモーショナルなヴォーカルが特徴。
ニルヴァーナのカート・コバーンにも「こんな奴等にかなうわけがない」と絶賛されていた。

1984年に、シアトル出身のクリス・コーネル が、
シカゴ出身ギタリストであるキム・セイル (Kim Thayil) と
日系人ベーシストのヒロ・ヤマモト (Hiro Yamamoto) とともに結成。

活動当初はクリスがヴォーカルとドラムを担当していた。
後にドラマーのスコット・サンドクイスト (Scott Sundquist) が加入し、
活動を精力的に行っていく。

1985年レコードデビュー。C/Z RECORDより「Deep Six」というコンピレーションアルバムに
グリーン・リヴァー等と共に参加。
スコット・サンドクイストが脱退し、代わりのドラマーにマット・キャメロン (Matt Cameron) が加入。
1986年、ジョナサン・ポーンマンとブルース・パビットが立ち上げたインディーズレーベル、
サブ・ポップ (SUB POP) と契約をする。
切っ掛けはジョン・ポントマンというスカウトマンが仕切っていたサウンドガーデンのライヴを
キムがブルース・パビットに見せたことだった。
当時パンクシーン関わっていたパビットは契約を決める。

1987年10月、サブ・ポップからシングル「Screaming Life」をリリース。
1988年8月には、サブ・ポップからシングル「Fopp」をリリースしたのち、
1988年11月、インディーズレーベル「SST」からファーストアルバム『Ultramega Ok』がリリース。
グラミー賞にノミネートされる。
これが話題を呼び、翌1989年にA&Mレーベルからメジャーデビューを果たす。
1989年9月A&Mからセカンドアルバム『Louder Than Love』をリリース。
発表直後に「大学に戻るため長期的なツアーには参加できない」ことを理由にヒロ・ヤマモトが脱退。
友好的な脱退とされる。
サポートベースとしてジェイソン・エヴァーマン (Jason Everman) が参加し、
ライヴツアー【Louder Than Love】を続行している。
1990年、ギタリストのベン・シェパード (Ben Shepherd) が加入。
ベンは加入と同時にベーシストに転向した。
1991年、クリス・コーネルの親友で、ドラッグの多量摂取により、
死亡したマザー・ラヴ・ボーンのヴォーカリスト、アンドリュー・ウッドの追悼アルバム
「Temple Of The Dog」にクリス・コーネルとマット・キャメロンが参加。
1991年10月8日 サードアルバム『Badmotorfinger』リリース。
ガンズ・アンド・ローゼス、スキッド・ロウのなどのメジャーへヴィメタルの前座を務める。
1992年4月、「Temple Of The Dog」の収録で知り合った面々が結成したパール・ジャムと共演。
1993年、ニール・ヤングのツアーに同行。ツアー同行の為アルバム制作を中断したという逸話がある。
1994年2月に初来日公演。
5月8日4枚目のアルバム『Superunknown』でビルボードで全米1位を獲得する。
「ブラック・ホール・サン」のヴィデオ・クリップがでグラミー賞も獲得した。
彼らの暗くうねるようなサウンドはまさしく『Six/nine』のBUCK-TICKの姿とシンクロする。
深い闇の中に存在するキャッチーなメロディが、光のように輝くのだ。

1996年5月14日に5枚目のアルバム『Down on The Upside』リリースし、
再度グラミー賞にノミネートされるが、
1997年2月9日、ホノルルで行われたライヴが結果的にラストライヴとなる。
4月9日に「やれることをやり遂げた」と解散表明。
11月4日に、キャリアを総括するベストアルバム『A-Sides』リリースした。


同時期にBUCK-TICKは、アルバム『COSMOS』をリリースし、
ナニカ振り切ったが如くに、ダークロックからキャッチーなポップ性を前面に押し出し、
メジャーデビュー以来所属したビクターを離れ、新天地を求めている。



「逃げ出す事もできない 立ち止まる事も知らない
 聞いてくれこの声 お前を愛しているのに」






$【ROMANCE】




 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)



どうして生きているのか この俺は
そうだ狂いだしたい 生きてる証が欲しい

神経は落ちてくばかりで 鼓動はずっとあばれ出しそうだ

深い森に迷い お前の名を呼ぶ

逃げ出すことも出来ない 立ち止まることも知らない
聞いてくれこの声 お前を愛しているのに

抱いて慰めてくれ そう甘く
だめだ溺れてしまう 優しい君の中

誰も泣きたいはずだろ 優しくきっとされたいはずさ

熱い肉の軋み お前にこの愛

生きる事はできる 消えていくすべを知らない
この手伸ばしている お前を愛しているのに

ああ この世で美しく ああ 限りないこの命
ああ この世で激しく ああ 燃えろよこの命

どうして生かされてるのか この俺は
そうだ叫びだしたい 生きてる証が欲しい

神経は落ちてくばかりで 鼓動はずっとあばれ出しそうだ

熱い皮膚の裂け目 吹き出すこの愛

消える事はできる 生きてゆく意味知らない
この手伸ばしている

逃げ出す事もできない 立ち止まる事も知らない
聞いてくれこの声 お前を愛しているのに

ああ この世で美しく ああ 限りないこの命
ああ この世で激しく ああ 燃えろよこの命




$【ROMANCE】