「人間は、ただ、ほどなくして忘れられると思われる仕事を、
 積み上げていくだけである」

(マイケル・ポラン二ー)




2008年12月29日、日本武道館。


2007年リリースのシングル「Alice in Wonder Underground」で、
幕が開けた【THE DAY IN QUESTION】の聖なる夜。
以前からファンに根強い人気の
「疾風のブレードランナー」「Baby,I want you.」「ANGELIC CONVERSATION」
が立て続けに演奏され、一気に会場内はBUCK-TICKワールドへと“Loop”する。
ステージ上部から吊るされた無数のチェーンに、
怪しくも美しく光り輝く照明と彼らの演奏が見事に融合されている。

中盤に差しかかり、「ORIENTAL LOVE STORY」のセンチメンタルな
『殺シノ調ベ ~This is NOT Greatest Hits~ 』ヴァージョンに続いて、
この時期にぴったりな「Snow white」のパフォーマンス。
まるで雪景色を思わせるかのような幻想的な空間に一変したと思えば、
続く「絶界」では鬼気迫るステージングで空気が様変わり、
改めて彼らの懐の深い表現力を思い知らされた。

最新アルバム『天使のリボルバー』からは、
これで、オープニングの「Alice in Wonder Underground」から
「CREAM SODA」「Snow white」「絶界」がエントリーした。
この『天使のリボルバー』から“自立・自律”を果たしたような楽曲群から、
『天使のリボルバー』の真髄が見え隠れする。

一見、シンプルなアンサンブルのバンド・サウンドをテーマに、
彼らとしては、やや、地味なギミックで演出された天使のロックンロールたちであるが、
そこには、「死して伝説となる」歴代のロック・アーティストたちの魂が、
込められているような気がする。

そういった目に見えないものとの接触のなかから、
今井寿の“ロケン”ブースターを初めとする“生き様”に、
変化が生じたのではないか、とそんな気持ちにさせてくれる一曲が、
「絶界」の存在感であろう。

曲種的には、フラメンコをベースにしたロック戯曲で、
星野英彦の傑作バラッド「幻想の花」のような“諸行無常”と、
「CHECK UP」で唄われるような“サヴァイバル術”が歌詞に盛り込めれた。

ロック以前のテイストを題材に扱った点に於いては、
アルバム『惡の華』の「MISTY BLUE」を始め、
アルバム『狂った太陽』の「MY FUNNY VALENTINE」「エンゼル フィッシュ」
アルバム『darker than darkness -style93-』の「誘惑」
のジャズやタンゴをテイスト的にロックと融合を試みているBUCK-TICKであるが、
そういった意味でも、本当のオルタナティブ・ロック・サウンドの日本のロック・バンドは、
彼らであると言い切れるだろう。

Alternative(オルタナティブ)とは、「異質な、型にはまらない」という意味の英語の形容詞である。

その異形のカタチを示したカルトといえるBUCK-TICKのストレートさの中に、
この「絶界」は一周廻って、彼らの正統路線“楽曲”に仕上がったといえた。

星野英彦のかき鳴らすアコースティックのアンサンブルの中、
全編アドリブといえるような今井寿の歪んだエレクトリックな咆哮。
これこそが、オルタナティブなBUCK-TICKとしての正統なステレオ・タイプなのだ。

それを対比して見せる様なカタチで、アルバム『天使のリボルバー』の
シンプルなキャッチー・ロックが満載されているのは、
正と負が裏返ってしまったような感覚がある。

わかり易く言えば、BUCK-TICKにとって、闇こそ“生”を光こそ“死”を表すような、
そんな感覚だ。
否、解かり辛い。
彼らの基準は、普遍的な物の裏を取る。
異質な歪みのあるモノこそ正統で、
一般的、世間的であるモノこそ異形なのだ。
…だから、益々、解かり辛くなってしまう。

そんな反転した地点に辿り着いたロック・アルバムが『天使のリボルバー』といえた。



$【ROMANCE】



そして「絶界」という“意味深”なタイトル。


歌詞を読めばそれが、「生きること」と同義であることは、すぐにわかる。
そう解釈するのであれば、この現実世界こそが、「絶界」そのものであろう。
それまでも、彼らは現実の厳しさと、
それだからこその愛しさと唄い続けてきた。

そういう意味では、「絶界」は、最高の LOVE SONG である。

人は誰も幸福に生きたいと願う。

だが幸福を定義するのは思いのほか難しい。
ギリシャの哲人のプラトンの答えは簡潔で美しい。
彼にとっての幸福とは、
イデアの世界に秘められた「真善美」を体験することだった。


ニュー・シングルの「天国」とタイトルされるこの最新楽曲「HEAVEN」は、
完全無欠の「真善美」と言えた。

人生はまさに、そういった至高の存在と出会うための長い旅だ。


しかし、そのイデアの真善美的世界が写し出された世界がこの「絶界」なのだろうか?


イデアとは最高度に抽象的な完全不滅の実であり、我々の目の前にある現実はその影であるとする。
イデアが存在しているのがイデア界(本質界)で、
その陰が投影されているのがわれわれ人間の住む現実界となる。

例えば、目の前の現実の世界にも、円形をした物はたくさん存在するが、
いずれも完全な円ではないし円そのものでもない。
しかし、これらの円の背後には永遠不変で、完璧、かつ抽象的な円のひな型であるイデアがあるとする。
また、我々人間が花を見て美しいと感じるのは「美」というイデアが本質界に実在しており、
個別の花に「美」のイデアが分有されているからである。
ソクラテスとアリストテレスは違う存在であるが、共に「人間」のイデアを分有している。

人間の持つ感覚は不完全であるため、五感によってイデアを捉えることは出来ない。
プラトンは、理性で認識することによってのみ、イデアに至ることが出来ると考えた。
イデアが実在する、と考える点で観念論 (idealism) 、実念論(実在論) (realism) の系譜に属する。

しかし、哲学的にも、このイデアの実在に確証は、ない。

例えば「ソクラテス」という個別に対応するイデアとして
「人間」「ギリシア人」「男性」「哲学者」などのイデアが存在するとすれば、
無数(無限)にイデアが存在することになってしまう。
それらのイデア同士がどのような関係にあるのか、
また、イデアと個別はどのような関連性にあるのか、不明確である。

プラトンは最高のイデアとして「善のイデア」について述べているが、
他のイデアとどのような関係にあるのかも不明である。

プラトン自身もこうした矛盾に気が付いており、
中期の思想と後期の思想には違いがあるとされる。
(『ティマイオス』におけるデミウルゴスの想定。
なお、後期のプラトンはイデア説を放棄したと主張する研究者もいる)。

プラトンの弟子のアリストテレスは、イデア論を批判するところから自己の哲学を確立していった。

およそ500年後のプロティノスは、
万物は一者(善のイデア)から流出したという解釈で矛盾を解決しようとした。
これをネオプラトニズムと呼ぶ。

また哲学において、観念論(idealism)とは、存在論についてであるにもかかわらず、
観念論と呼ばれており、物質よりも精神、理性、言葉に優位性を置く理論のことである。
その理論は、思考と外界はお互いにお互いを創造しあうが、
そこでは思考が、決定的な役割を持つ、という主張を含んでいる。

ヘーゲルは、歴史は科学と同じように明確に理性に適ったものでなければならないと考えた。
進んで、ジョージ・バークリのように、
すべて人間が認識するものは思考による観念の所産(表象)であると考えるものもある。

つまり、観念論とは、観念的もしくは精神的なものが
外界とは独立した地位を持っているという確信を表すものである。
この主張はしばしば観念的なものが自存し、実在性をもつという主張に結びつく。

例えば、プラトンは、我々が考えることができるすべての性質や物は、ある種の独立した実在であると考えた。
まぎらわしいことに、この種の観念論は、かつて実在論(観念実在論)と呼ばれた。

実在論(Realism)は、名辞・言葉に対応するものが、それ自体として実在しているという立場。

対応するものが概念や観念の場合は観念実在論になり、
観念実在論は中世哲学において、普遍論争の一方の立場となった。
この意味のときは実念論とも訳す。
「人間」や「イヌ」や「サル」という名辞にそれぞれ対応する概念的な普遍者『人間』『イヌ』『サル』が、
その普遍に属する個物とは別に、それ自体として実在するという立場。

物質や外界や客観の場合は、素朴実在論や科学的実在論になる。
素朴実在論は認識や観念に対応する客観的なもの、
外界が実在するという、一般的に人間が生活する上で前提している立場。
さらに科学的実在論では、科学的理論・認識が記述し、
そうした理論に制約を課す独立した対象が存在するという考えとなる。



僕たちは、この理想的ともいえるBUCK-TICKという存在が実在するのか?
と考える。

それこそが、「絶界」じゃないか、とさえ思えてくる楽曲だ。


この張り詰めた空気の中に、存在する今井寿のエレクトロニック・アタックと、
星野英彦のアコースティック・グルーヴに身を許して、
彼らの「真善美」のイデア世界へと挑むように突入する「絶界」。


この絶対的「真善美」を奏でるギター・アンサンブルをバックに唄う櫻井敦司。



「無常だ 無常だ 無常だ 絶界
 蠢(うごめ)く 渦巻く 荒れ狂う 絶界」



まるで、荒れ狂う海のような絶対的な情景を前に、ひとり立ちはだかる人間。
(そのひとりひとりは、気が滅入ってしまうほど無力のなのだ)
この何か巨大なモノとの対峙こそが、人間に宿命なのかもしれない。
それが、“狂った太陽”なのか、逃げて逃げまくる阿修羅の森なのか、わからないが、
その人生の嵐のなかで、我々が生き抜く意味はなんなのだろうか?


「沈みゆく太陽 空に煌く星
 波の音と 俺とおまえ Baby ,I Love You.」



あなたは、太陽に背を向け、やり続けろ振り返るな、と。
意味などに囚われるな、というが、
それは、やはり、僕たち人間には無理なようだ。
こんなにも、美しく陰りゆく世界の下で、感情というパンドラの箱を開け放った人間には、
ここにいては、わからない“真理”をこの胸に抱くことは出来ない。
だから、だから、ただ、触れていて欲しい・・・。
あなたの実在を確認するために・・・。


「いいか忘れるなよ いいさ忘れちまえ
 この世は全部 おまえの夢 Baby ,I Love You.」



真実なんてモノは、僕の中には、何もなかった。
でも、だからって、無常を恨んだりはしない。
例え、これが、すべて夢だったとしても、後悔はしたくない。
だから、そんなに叫んだり、踊ったり、して。
アスファルトを蹴り上げて、お前と一緒ならゾクゾクするぜ。


「無常だ 無常だ 無常だ 絶界
 退くか 戦闘か 生き抜け 絶界」



無常?そんなことは、何世紀も昔から、わかっていたこと・・・
でも、だからって、逃げ出すことも出来ない。立ち止まることも知らない。
前進するしか、な、い、じゃ、な、い、か。
聞いてくれこの声。お前を愛しているのに。
これが、“本能”ってヤツか!?


「流れる血は赤く ひどく紅く紅く
 あなたが好い あなたじゃ解らん I Love You.」



ひどく感じる。これこそが愛と死だ。
傷を付けてやる・・・。
ひどく震える。俺こそが愛と死だ。
刻み付けてやる。
この「絶界」に・・・。


「流るる涙何故、もろく果敢無い夢
 あなたが好い あなたが好い Baby ,I Love You.」



迷い子なら乗りなよ独りきり・・・
孤独だろうが生まれた日から。

歩けるだろう生きなよ独りでも・・・
孤独だろうよ死ぬ時でさえ。

この「絶界」を・・・ひとり歩く。


その先に、何が生まれる・・・。


「創発」するのだ。



創発(emergence)は、部分の性質の単純な総和にとどまらない性質が、全体として現れることを指す。
局所的な複数の相互作用が複雑に組織化することで、
個別の要素の振る舞いからは予測できないようなシステムが構成される。

この世界の大半のモノ・生物等は多層の階層構造を含んでいるものであり、
これは階層構造体においては、仮に決定論的かつ機械論的な世界観を許したとしても、
下層の要素とその振る舞いの記述をしただけでは、上層の挙動は実際上予測困難だということだ。

下層にはもともとなかった性質が、上層に現れることがあるということだ。
あるいは下層にない性質が、上層の"実装"状態や、マクロ的な相互作用でも現れうる、ともいえるだろう。

これは突然異変か?予定調和か?

しかし、ひとつ言えるのは、「創発」が起こりうるのは、
我々の極限状態を情景と作り上げられた時に限る。

きっと時空が歪むのだ。
そこに、新たなるナニカ、別レベルのものが生み落とされる。
それは、下層に棲んでいた時代には、解決不可能であった問題を一瞬にして解決してしまうパワーを持つ。
そう、自転車に初めて乗れた時を思い出せ。
なぜ、それまで、上手く乗れなかった自転車に、ある日、突然、乗れるようになるのか?
レベルの差こそあれ、我々に解決出来ない問題など、起こり得ない。
それが「創発」だ。


生命は創発現象の塊である。


例えば脳は、ひとつひとつの神経細胞は比較的単純な振る舞いをしていることが分かってきているが、
そのことからいまだに脳全体が持つ知能を理解するには至っていない。
また進化論では、突然変異や交叉による遺伝子の組み合わせによって、
思いもよらぬ能力を獲得することがある。

進化論においては個々の個体による相互作用のほかに、
環境との相互作用という側面も加わっている。

この孤独なカオス世界のなかで、個々では意味を成し得ない事象が、
世界を変えるのだ。

カオス理論(Chaos theory)は、決定論的な動的システムの一部に見られる、
予測できない複雑な様子を示す現象を扱う理論である。カオス力学ともいう。

ここで言う予測できないとは、決してランダムということではない。
その振る舞いは決定論的法則に従うものの、積分法による解が得られないため、
その未来(および過去)の振る舞いを知るには数値解析を用いざるを得ない。
しかし、初期値鋭敏性ゆえに、ある時点における無限の精度の情報が必要であるうえ、
数値解析の過程で出る誤差によっても、得られる値と真の値とのずれが次第に大きくなっていく。

そのため予測が事実上不可能という意味である。


このカオスこそがカタストロフィーを生み出す原動力となる。
混乱こそ我が墓標だ。

カタストロフィー理論(Catastrophe theory)は、
力学系の分岐理論の一種を扱う理論で、不連続な現象を説明する、画期的な理論を指す。
周期的な秩序だった現象の中から不意に発生する無秩序な現象の総称が、
この「絶界」のカタストロフィー。

このような混沌の規則性の中に、きっ我々も実在してる。
ある日、突然、「創発」が目に前に、無が有を生み出す瞬間を求めて。

だから我々は「愛し合う」。

個人では、「創発」出来ないからだ。

この「絶界」は、その「創発」を生み出す為の試練なのだ。


組織をマネジメントする立場からは、
組織を構成する個人の間で創発現象を誘発できるよう、環境を整えることが重要とされる。
一般的に、個人が単独で存在するのではなく適切にコミュニケーションを行うことによって
個々人の能力を組み合わせ、創造的な成果を生み出すことが出来ると考えられている。


それは、僕の組織にも・・・。

それは、あなたの組織にも・・・。

この荒れ狂う「絶界」の海原で、「生命」は生まれたのだ。

それは、何億分何兆分の一の奇跡であったはず。

この宇宙の誕生すら、偶然の産物なのだから・・・。




でも、いつか君は、言った、ね。




「偶然は、すべて、必然なのよ」と・・・・。



その通り、・・・だった、ね。




ありがとう。



あなたのお陰で、・・・僕は、ここに、在る。






$【ROMANCE】


絶界
 (作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)


無常だ 無常だ 無常だ 絶界
蠢(うごめ)く 渦巻く 荒れ狂う 絶界

沈みゆく太陽 空に煌く星
波の音と 俺とおまえ Baby ,I Love You.
いいか忘れるなよ いいさ忘れちまえ
この世は全部 おまえの夢 Baby ,I Love You.

無常だ 無常だ 無常だ 絶界
退くか 戦闘か 生き抜け 絶界

流れる血は赤く ひどく紅く紅く
あなたが好い あなたじゃ解らん I Love You.
流るる涙何故、もろく果敢無い夢
あなたが好い あなたが好い Baby ,I Love You.

無常だ 無常だ 無常だ 絶界
蠢(うごめ)く 渦巻く 荒れ狂う 絶界

沈みゆく太陽 空に煌く星
波の音と 俺とおまえ Baby ,I Love You.
いいか忘れるなよ いいさ忘れちまえ
この世は全部 おまえの夢 Baby ,I Love You. 

無常だ 無常だ 無常だ 絶界
無常だ 無常だ 
無常だ 
絶界

$【ROMANCE】