「楽しい夢は終わる
まぶたを閉じて 永遠を感じて
肌に死というぬくもり 」
・・・die!
2007年の12月21日~12月29日【TOUR 2007「天使のリボルバー」追加公演】の3公演
12月21日 愛知厚生年金会館
12月22日 大阪厚生年金会館
12月29日 日本武道館
のサプライズ的エントリー楽曲が「SEXUAL×××××!」 に続いての・・・「die」!
この辺の選曲も、20周年のイベントを、ただの“お祭り騒ぎ”に終わらせずに、
BUCK-TICKのメッセージが込められていると言えよう。
ここで登場する「die」。
「死」をタイトルとするBUCK-TICKならではの、一曲である。
実に、味わい深い・・・。
そして、彼ららしい選曲であった。
恐らく、BUCK-TICK好きには、堪らない名曲であるが、
一見様には、この美しい楽曲が持つ、深遠なメッセージが、
他のどのアーティストの楽曲よりも、新鮮に聴こえる楽曲であろう。
其処にある「死」は、決して悲壮感漂う、有りがちな、お涙頂戴の世界観では、全く、ない。
むしろ逆で。
「死」という“新たなる旅立ち”と唄い上げるBUCK-TICK。
TV番組に出演してコメントを求められた櫻井敦司が、
説明に困った顔をして、
「もっと・・こう・・ファンタジックな・・・」
と語り、
「死?が?ファンタジック!?」
と、会場をドン引きさせ、苦笑している姿が、忘れられない。
しかし、不思議なことに、
BUCK-TICKというバンドをこれほど端的に表現している楽曲も、また、なかった。
メジャーデビュー20周年のアニヴァーサリーな雰囲気一色で、通した2007年。
最期の最後に、この「die」がエントリーしたことの意味は、
長らく、BUCK-TICKを見つめ続けてきたファン達に取っても、特別な感慨を湧き上がらせた。
「やっぱり・・・BUCK-TICKだ!」
そう、我々が見続けて来た“終わらない夢”の主人公:BUCK-TICK。
それは、目に見えない「死」というモノに対しての誤解が生み出した幻想の花。
そして、「死」は決して、終わりを告げるものではない、という真実と、
迫りくる、愛する人との別れという“現実”。
そういった、すべてを内包する世界観がBUCK-TICKの「死」=すなわち「die」だった。
間違いない。
この20年間を見渡しても、遜色ない“美しき死”。
まったく・・・素晴らしい楽曲である。

彼らの20年のキャリアに対する自信と誇りを感じさせる一曲であった。
素晴らしいメロディを持つ、今井楽曲に、
深遠なメッセージとファンタジックな空気観を漂わせる櫻井詞。
このベスト・エンドが、「die」を生み出している。
しかも、他のメンバーの傑出した個性をも同時に牽き出す事に成功した「die」。
星野英彦の専売特許とも言える、美しく流れ出すアコースティックの殺シノ調ベ・・・。
メロディックな美麗シェイプを浮き彫りにする樋口“U-TA”豊のベース・ライン・・・。
そして曲調は、正反対とも言えるようなダイナミックなヤガミ“アニイ”トールのドラミング・・・。
そんな原曲の特筆すべき完成された美しさを残しながら、
天使ヴァージョンとも言えるハウリングしまくる今井寿のギブソンES-335サンバーストの嘶き。
そして、すでに、神の領域へと突入しつつあるカリスマ・パフォーマー櫻井敦司の表現する「死」。
「die」。
こんな楽曲を創り上げていた事実と、
リアル・タイムでも変わらないメッセージの普遍性に、
感動すると同時に、感謝したい。
ありがとう。BUCK-TICK。
この一曲で、一体、何人の「死」に怯える人々を、恐怖から救ったことであろうか!?
そういった意味においても、断言できる。
彼らは、我が“神”だ!
これは、洒落や、酔狂で言っているのでは、断じて、ない!
この“神”は、我々、人間の胸に宿るナニカだ。
2007年12月29日、日本武道館。
ラスト3曲に迫る場面で登場した「die」。
この楽曲が収録されたDVD作品『TOUR2007天使のリボルバー』は、
2008年5月7日にリリースされたが、特別限定盤と通常盤のその両方に、
この「die」以降のアンコール2が選曲されたが、
それを選曲、制作したスタッフ・メンバーは、本当に苦心したことと想う。
正解は、至極シンプルで、特別限定盤を購入するのが、正解である。
しかし、様々な理由が、購入者にも存在する。
如何に、このライヴの感動を購入者に伝えるか。
それが、使命としてあるはずだ。
リーズナブルかつ充実した内容の最高の商品を生み出す使命。
しかし、このアンコールには、どの楽曲も切り捨てられる要素が存在しない。
発売当時、特別限定盤に収録されたDISC2のアンコール1&2の全曲を、
へヴィー・ローテーションで鑑賞した経験のある、この僕が証人だ。
“ベスト・オヴ・ベスト”と言えるDISC2の内容からラスト3曲のみを選択した、
制作者サイドの想いは、この「die」以降の楽曲の存在感を見れば致し方ない。
だから、我々は心して、この後の3曲を鑑賞しなければならない。
“ベスト・オヴ・ベスト”の中の“ベスト3”と言える存在が、この3曲には集約されているのだから。
この「die」から連想される映画(サントラ盤)と小説が、僕にはふたつある。
ひとつは近代のイエス・キリストを描いた作品だ
『MERRY CHRISTMAS MR.LAWRENCE』 は、
映画『戦場のメリークリスマス』のオリジナルサウンドトラックで、
坂本龍一にとっての初めてのサウンドトラックアルバムでもある。
映画自体のある種の非現実感から影響を受けて、
西洋から見ても東洋から見ても“どこでもないどこか”、
そして“いつでもない時間”をコンセプトに作られた。
タイトル・ナンバーの「Merry Christmas Mr.Lawrence」 は、
坂本龍一の全楽曲の中で最も知名度の高い代表作であり、
後のアルバムやライヴにおいても編成・アレンジを変えて何度も演奏されている。
いわゆるペンタトニック(五音音階中心)の
“オリエンタルなメロディー”+“近代西洋音楽の和声”=“東洋と西洋の高次な結晶”
というような批評が世界中でされてきたが、
坂本龍一自身は
「西洋でも東洋でもない、他のなんでもない、わけのわからないもの」
として“東洋+西洋”という単純な考え方自体を否定している。
主旋律の音色はワイングラスのサンプリングが使われており、
低音ではあえてチューニングがはずれるようにして東洋の雰囲気を醸し出している。
基本的には「四七抜き(ファとシを使わない)」で構成しつつ、効果的にシを入れ込んでいる。
映画『戦場のメリークリスマス』(Merry Christmas, Mr.Lawrence)は、
監督:大島渚の後期代表作である。
第二次世界大戦をテーマにした戦争映画でありながら、戦闘シーンは一切登場しない。
また、出演者はすべて男性という異色の映画でもある。
出演はデヴィッド・ボウイ、ビートたけし、坂本龍一などで、
また映画内の音楽全般も坂本龍一が担当した。
人気漫才師のビートたけし、
人気テクノポップバンドYMO(イエロー・マジック・オーケストラ)の坂本龍一、
そして英国のカリスマ・ロック・アーチストのデヴィッド・ボウイと、話題性十分の出演者だった。
カンヌ国際映画祭に出品され、グランプリ最有力と言われたが、
結局、今村昌平監督の『楢山節考』に賞は授けられた。
賞レースには敗北したが、映画は世界で大絶賛を受けた。
これを機に「ビートたけし」は映画への出演を重ね、やがては本名の「北野武」で映画監督となる。
坂本龍一も映画音楽を数多く担当し、自ら出演もした『ラスト・エンペラー』では
日本人として初めてアカデミー賞のオリジナル作曲賞を受賞した。
つまりこの映画は、映画監督の北野武の、そして映画音楽家の坂本龍一の原点と言える。
当時、ビートたけしと坂本龍一は、俳優経験の少なかった時期であり、
二人で試写のフィルムを見て、たけしが
「オレの演技もひどいけど、坂本の演技もひどいよなぁ」
と語り合い、
ついには二人でこっそりフィルムを盗んで焼こうという冗談を言い合ったという。
また監督の大島渚はできない俳優を激しく叱責する事で有名だったため、
ビートたけしと坂本龍一は
「もし怒られたら一緒にやめよう」
と約束をしていた。
台本を全く覚えずに現場入りした坂本龍一は当然上手くセリフが言えず、
絶対に大島渚監督から怒られるシチュエーションを自ら作ってしまったが、
大島監督はなぜか相手役に
「お前がちゃんとしないから坂本君がセリフ話せないんだろう!」
と怒ったという。
この大島監督の一瞬の配慮により、たけしと坂本は無事クランクアップを迎えることができた。
写会で自分の演技を見たビートたけしは、
「自分の演技がひどすぎる」
と滅入ってしまったが、
共演の内田裕也やジョニー大倉は
「たけしに全部持ってかれた」
とビートたけしの存在感に悔しがった。
一方で、大島渚監督は周辺に
「たけしがいいでしょう」
と漏らし、同席した作家・小林信彦に、滅入っているビートたけしを褒めるよう要請している。
後にビートたけしは
「すぐれた映画監督というのは、
その俳優が一番見せたくない顔を切り取って見せる人を言うんじゃないかな?」
と、自分の演技を引き合いに大島渚監督の力量を絶賛した。
一方、坂本龍一はカンヌ国際映画祭で
本作のプロデューサであったジェレミー・トーマスと共にベルナルド・ベルトルッチに会った。
この邂逅が後の『ラスト・エンペラー』につながる。
また、トム・コンティ演じるジョン・ロレンス英軍中佐役は、
当初、大島渚監督の構想では、ジョン・レノンを考えていたという説がある。
この説の真贋はわからないし、
ジョン・レノン自身がこのオファーをどのように処理したかも分からない。
しかし、残念ながら、1980年12月に起きたNYダコタハウスの悲劇の為に実現しなかったが、
ラヴ&ピース運動の首謀者の出演がもし実現していたら・・・と考えると
とてつもない映画になっていたことは間違いないであろう。
いずれにしろ、1980年代を代表する名画である。
オリジナルサウンドトラックの最後の楽曲は、
元JAPANのデヴィッド・シルヴィアンの楽曲「Forbidden Colours(禁じられた色彩)」で締められる。
「Merry Christmas Mr.Lawrence」のトラックに
デヴィッド・シルヴィアンが歌詞・メロディーを作り、歌を乗せたもので、
タイトルは三島由紀夫の「禁色」から引用だ。
元々シングルで発表されていたが、CD化に際してボーナストラックとして追加収録された。
また同時に1983年ほどデヴィッド・ボウイが成功した年はない。
手始めに1月、長らく契約していたRCAに別れを告げてEMIアメリカと契約したが、
その契約金が1700万ドルとされている。
早速春にはニュー・シングル「Let's Dance」が、欧米でナンバー1の座を獲得。
同名のニュ-アルバム『LET‘S DANCE』 もBowie史上最高のセールスを記録した。
そして7月16日にもなると、なんと過去の10枚ものアルバムがUKトップ100入りすることとなる。
RCAが特別価格で再リリースした過去の傑作を、新たなファン層が、こぞって買い漁ったからだ。
その後は、デヴィッド・ボウイはフランク・シナトラばりに上品な洗練されたムードで、
【シリアス・ムーンライト・ツアー】が世界各地でとんでもない売れ行きを見せた。
メイン・テーマ「Let's Dance」は、楽曲自体も傑作だが、
少なくともデヴィッド・ボウイ最高のシングルはこれに尽きるのではないだろうか。
サウンド的にはシンプルで、ダイレクトで、エモーショナル。
ビック・バンド風なアレンジに、ダンス・フロアの定番にした。
人気のナイル・ロジャースのプロデュース能力が目いっぱい光っている。
歌詞は一見すると単純だが、実は世界の終わりが近いのをにおわせている歌だ。
ボウイがそっと囁きかける。
「Let's Dance e ― for fear your grace should fall
Let's Dance ― for fear tonight is all」
(踊ろう - 恐怖のあまり堕落してしまうよ
踊ろう - 恐怖のあまり今宵がすべてだ)
と。
爆弾が落ちる直前のラスト・ダンスという意味なのだろうか。
ひょっとしてボウイはPrinceの『1999』 を聞いていたのだろうか。
シングル・アルバムともに、
映画『戦場のメリークリスマス』出演などの効果も相まって、
全世界で爆発的なヒットを記録した。
個人的見解になると断っておくが、
このアルバムの前に、恐らくデヴィッド・ボウイは何度目かの“死”を経験している。
それは、今回もボウイのアイデンティティの関するものであるが、
パターンとして、いつもの繰り返しのような気もする。
しかしながら、今回は、少々根が深く、復活までに時間を要してしまうのだ。
80年代の新生David Bowieが過去「“Heroes”」で歌った偶像(アイドル)のジレンマに陥る宿命は、
象徴的な映像『戦場のメリークリスマス』に現れている。
ボウイが、実の兄弟に障害と持つトラウマ悩んでいたというエピソードをさえ、
この映画はモチーフにしてしまうのだが、
この美しい映画には、この映画のあとのボウイの方向性が映し出されている。
そして、偶像化したヒーローは、すべての罪を自身が被り“死”に至るのだ。
それが、デヴィッド・ボウイ扮する英国陸軍少佐ジャック・セリアズの役割だ。
まるで、ジャック・セリアズは、ジギー・スターダストみたいじゃないか!?
それこそが、彼の贈った最高の『クリスマス・プレゼント』なのだ。
「Let's Dance」のヴィデオ・クリップに登場しているのは、
まぎれもなく、植民地時代における『戦場のメリークリスマス』のジャック・セリアズなのである。
そう考えると、このヴィデオ・クリップは、まるで『戦場のメリークリスマス』の続編ようだ。
1970年代の一時代を築いたデヴィッド・ボウイは、死に、
復活したジャック・セリアズとして、シリアス・ムーンライト・ツアーで世界中を周るのだ。
そう、『クリスマス・プレゼント』を世界に贈るために・・・。
大島渚監督の傑作映画『戦場のメリークリスマス』のパンフレットにこんなコメントがある。
「ここに登場する人々はみな、それぞれに何か想念に憑かれている。
憑かれた男たちは狂おしくも美しい。
それは『狂人と聖者と兇賊にしか興味がない。あとは俗衆が』
というユイスマンスの言葉を思い出させる。
そして、このまさしき『狂人と聖者と兇賊』だけの世界の中で、
金髪のデヴィッド・ボウイは、ひとりのエロティックな『受難のキリスト』である。
この映画は新しいゴルゴダの丘の物語である。」
(中島梓氏/『戦場のメリークリスマス』パンフレットより)
やはり、彼:ボウイはキリストであり、ここに死すのだ。
もうひとつ・・・
BUCK-TICKのキーワード“Loop”のタイトルを持つ小説がある。
『ループ』は鈴木光司によるミステリーホラー小説。
鈴木光司の大ベストセラーとなった小説『リング』シリーズの完結編である。
1998年、角川書店より出版された。
世紀末ジャパニーズ・ホラーブームの火付け役となった言える
「見ると死ぬ呪いのヴィデオ」に始まる不条理な恐怖を描いたホラー小説『リング』、
その後日談を医学的視野から描いたサスペンスタッチのホラー大作『らせん』。
この日本の鈴木光司の作品は、のちにジャパニーズ・ホラー映画を、
本場ハリウッドの制作スタッフがリメイクするというムーブメントにまで、膨れ上がった。
この快挙は、黒沢明監督以来の出来事でもあった。
が、しかし、そのストーリーで、もっとも意味深い内容の三作目は映画化されていない。
『ループ』はこれら一連の物語の完結編で、
主人公は二見馨という20歳の青年である。
「リング」「らせん」で描かれた一連の物語は、
実は超巨大コンピュータ内にプログラムされた
「生命の進化を科学的に検証するための仮想世界の出来事であった」という、
意表を突く壮大なスケールのSFとして描かれており、
三部作のなかで最後の『ループ』はすでに、いわゆる「ホラー小説」の範疇ではない。
これまでの登場人物だった浅川や高山、貞子などは
「すべて仮想世界で生活していた、プログラム上の生命」であったという驚くべき事実が明らかにされるが、
仮想世界「ループ」でのシミュレーション中に突如発生した
「呪いのヴィデオ」によるループ内に生存する人類絶滅の危機が、
驚くべき理由によりコンピュータプログラムと現実の境を超え、
現実世界に波及していく様がスリリングに描かれる。
恐怖小説として始まった一連のシリーズは、
人類の誕生と生命体の進化に言及した物語に帰結し、その飛躍の激しさから話題を呼んだ。
ヒトガンウィルスの真相に迫る二見馨。
そんなとき、彼の前に、「ループ」プロジェクトの最高責任者クリストフ・エリオットが現れ、
一連の事件の驚くべき真実を馨に告げる。
『進化は偶然に左右されるはずだから、二つと同じものは出来ないはずなのに、
ループの世界の進化は、現実世界とあまりにも酷似し過ぎていた』こと、
『プログラム「タカヤマ」は仮想世界内で死ぬ直前、自分たちの世界のカラクリに気付き、
「そっちへ連れて行ってくれ」と懇願した』こと、
そしてこの訴えにエリオットが触発されたこと・・・
そして、仮想現実の世界が、現実世界と“Loop”していく。
その入口が、「死」で、ある。
スケールの大きさ、第1作『リング』の怖さの現状維持を望んだ観客、
それに呼応して恐怖映画のジャンルにこだわった映画会社の思惑、
そして何よりもストーリー上の決定的な事情などにより、
数多く映像化された「リングシリーズ」の中では、現時点で未だに映像化されるに至っていない。
しかし、まるで、鈴木光司が、
BUCK-TICKの「die」や「“Loop”」を聴いて描いたような世界観ではないか!
しかし、その作品内で描写される“Loop”は、「die」そのものである。
この楽曲を唄い終わった後、我らが“神”:櫻井敦司はこう言った。
「今日は・・・みなさん、どうもありがとう」
今井寿のギブソンの高級セミ・アコースティックがハウリングの悲鳴を上げると、
この「die」はスタートする。
客電の点灯された状態の日本武道館は、タキシード姿の櫻井敦司が歌詞の通り
その両手を広げると暗転し、やがて優しい“青の世界”に包み込まれる。
続く、星野英彦のアコースティックのメロディに、大観衆の動きが、と、ま、る。
「僕は両手を広げ 全てを許したいと願えば
君は空から降り立つ 」
やや唐突にヴォーカル・パートに突入する「die」。
日本語をよく聴かせるために、研ぎ澄まされた訓練の模様が想像できる櫻井敦司のヴォーカル。
最高の状態である言えよう。
大観衆もまるで祈りを捧げるように両手をあげ、揺れる。
やや歪んだハウリングをそのままに、ギブソンES-335を奏でる今井寿。
幻想的な樋口豊のベース・ワークが、星野英彦のアコギと混ざり合い、
ヤガミトールのドラムは激し目に打ち鳴らされる。
その中で、漂う様に、浮かぶ櫻井敦司。
オーディエンスは、我を忘れ、この「die」の世界へ入り込んで逝く。
「真実なんてものは 僕の中には何もなかった
生きる意味さえ知らない 」
これは、櫻井敦司のホンネであろう。
今井寿のスクラッチからスライドされるブルージーな調べに溜息が洩れる。
星野英彦のアコギと樋口豊のベース・ラインが溶け合う。
ヤガミトールのドラミングがリズミカルに“Loop”する。
「なんにも ・・・・
あー 星が海泳ぐみたい
あー 楽しげに誘う様に 夜は優しくて・・・ 」
そこには、死の瞬間を切り取った体感のみが表現される。
あえて、それに意味付けは成されていない。
イルカになって海を行き、彗星の様に天まで昇る魂。
そこは、初めてのはずなのに、なぜか、なつかしい綺麗な場所。
夜の闇が「死」を優しく包み込む。
その情景は、まるで、母の子宮へと還るような螺旋を描く。
月だけが、それを見ている。
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「あの雲さえ越えてゆく キラメクまでこの夜に
何処まで まだ飛べるだろう 疲れ果てたこの体 」
二人なら・・・飛べるさ。
君は誰?僕は誰?
初めてなのに、なつかしい。
この身体を夜が突き抜けていく。
視線の先に、薔薇の花園が・・・。
ここは地獄か?それとも夢?
こめかみ響く、針が突き刺さる。
こんな体験も初めてのはずなのに、僕は憶えている。この感覚を。
ひょっとすると、遠い過去に、僕は、何度か「死」と経験しているのかも知れない。
その記憶が、何者かに、消し去られても、僕の遺伝子が憶えている。
琥珀色の陽炎が、いつまでもこのまぶた焦がす。
僕の身体は【ソラ】と混ざり合って、粒子化し、分子になり、さらに原子になる。
いつしか気体に変化した僕の身体は、どこまでも高く天空を目指す。
「死ぬまではばたいていく」
そうか。僕は「死」には、まだ、至っていないのかもしれないね。
だって、こんなにも、鮮明に意識が、思惟が残ってる。
このいまわの際に、見せてくれるこの感覚こそが、神様のご褒美だろうか?
「これが君だよ」って、優しく微笑みかける。
嗚呼、何もない。
この惑星にただひとり
愛する人が見えた。
この惑星に・・・。
でも、きっと、【REBIRTH】しても、この記憶は、また、僕には、ないのだろうね。
そして、また「死」を経験する時に、想い出すのかも知れない。
「ああ、こんな感覚だった」って。
それが、神様のご褒美だ。
僕が、生きたんだ、っていう実感。
これこそが・・・きっと。
「ここでお別れしようよ 悲しい事は何もないはず・・・
軽く最後のKissして 」
愛しい君は、泣いている。
もう、泣かないでも、いいよ。
僕は、君に出逢えて、本当によかった。
それだけで、実は生きる意味を達成していたのかもしれないね。
だから、また、綺麗な場所で、逢えるはずなんだ。
君は名前をLove youそう告げた。
もう何も欲しくない。
全ては目の前にある。
嗚呼、手足を目を無くし・・・心が・・・君の胸に触れた。
その胸に 。
それは、宿命と、言えるものかも知れない。
だから・・・だから・・・泣かないで。
僕に最後のKissして・・・。
「夢じゃない ・・・・
嗚呼 目覚めには 遠く深い
嗚呼 ここは何処 僕だれなの? 僕は突き抜ける 」
これは、誰かの夢なのかも知れないね。
生きることが夢ならば、僕は何処に還るのだろうか?
それが、本当の現実?
この現実が夢じゃないって言い切れる人は存在しない。
でも、君に逢えた実感だけは信じたいんだ。
夢じゃなきゃいいな、って、心から想うよ。
嗚呼、もう僕は、僕では、ないのかも、しれない。
目覚めた時に、僕は、何処の誰になってるのか?
夜が流れる。
月が満ちてく。
人身蛇尾の神々舞い降り。
僕を誘いに闇を纏って、あふれる程の愛を掲げてる。
剥がれ落ちた 鱗は ひとつずつ この肌祝う
素晴らしい 破壊 そして誕生 果てる事の無い宇宙
美しい まるで母の内へと 尽きる事の無い愛
僕は、僕を超越する。
そうか・・・。
僕こそが、神だったのか・・・。
僕こそが、夢だったのか・・・。
「体はもう ちぎれそう この声も この愛も
遠く消える 青い星 みつめては うつむいて 」
黒の悪魔が愛呑み込んだ。
目には見えない全てを真実とした。
嗚呼 何もない この惑星に。
そう真っ赤な花が一輪、咲いた。
そう真っ赤な花が一輪、咲いた。
この惑星に。
この惑星に。
だんだん全ての感覚が、“無”へ向かって行くのがわかる。
僕は、もう存在しない。
肉体も、声、感情も、なにもない。
君の好きなサソリまであと少し・・・。
君の好きな十字星輝いた・・・。
僕は、【SORA】と混ざり合い、【YORU】そのものになる。
神は、そういったモノすべてだ。
もう、僕も、他人も分け隔てする境界線は存在しない。
そう、僕は、すべてだ。
すべてが、僕だ。
「もう二度とは帰れない 生まれてきた あの海へ
遠く消える 青い星 みつめては うつむいた 」
次に産まれる時に、何になるか?
同じ人生じゃないってことだけは、・・・わかるよ。
いつまでも琥珀色の陽炎がこのまぶた焦がす。
剥がれ落ちた鱗が、ひとつずつこの肌祝う。
素晴らしい 破壊 そして誕生
果てる事の無い宇宙【SORA】
美しい・・・
まるで母マリアの内へと・・・。
尽きる事の無い愛。
怖がらず君は神になるだろう。
終る事の無い宇宙【SORA】
美しい・・・。
尽きる事の無い愛で、全て輝けるだろう。
嗚呼、君の居る惑星が見える・・・。
アソコは、“愛の惑星”だ。
棲んでる時には、気付かなかったけど・・・。
あの青い惑星は、君のいた“愛の惑星”だ。
どうして、今頃、気付くのかな?
・・・やっぱり、僕は、アソコに帰りたい、よ。
・・・君のいる“愛の惑星”へ。
君に還りたいんだ。
僕は、ね。
君を、愛していたんだ。
・・・だから、正直にいうよ。
もし、生まれ変わっても・・・。
「サヨナラ 全てのものよ・・・ 」
僕は、“神”になる。
我が名は、イエス・キリスト。
・・・メシアと言われた、男。
此処に、君のこころの「密室」へと入りて、
・・・君の“神”になる者。
我が名は、イエス・キリスト。
・・・君の“神”になる者。
常に、君とともに、在ろう。

die
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
僕は両手を広げ 全てを許したいと願えば
君は空から降り立つ
真実なんてものは 僕の中には何もなかった
生きる意味さえ知らない
なんにも
あー 星が海泳ぐみたい
あー 楽しげに誘う様に 夜は優しくて・・・
あの雲さえ越えてゆく キラメクまでこの夜に
何処まで まだ飛べるだろう 疲れ果てたこの体
死ぬまではばたいていく
ここでお別れしようよ 悲しい事は何もないはず・・・
軽く最後のKissして
楽しい夢は終わる まぶたを閉じて 永遠を感じて
肌に死というぬくもり
夢じゃない
あー 目覚めには 遠く深い
あー ここは何処 僕だれなの? 僕は突き抜ける
体はもう ちぎれそう この声も この愛も
遠く消える 青い星 みつめては うつむいて
サヨナラ 全てのものよ・・・
もう二度とは帰れない 生まれてきた あの海へ
遠く消える 青い星 みつめては うつむいた
サヨナラ・・・全てのものよ

