「退屈な・・・
陽はまた昇って 陽はまた沈む 繰り返す」
2007年12月29日、最終公演となった【TOUR2007 天使のリボルバー】日本武道館。
このライヴツアー、アンコールの一曲目はすべてこの楽曲。
「楽しんでまっ・・け?
ほんとにぃ~~?
じゃあ、さわやかなヤツをさわやかに演るんで、
さわやかに、アゲ気味で・・・」
今井寿が珍しくマイクに向かってMCを話している。
この光景は【TOUR2007 天使のリボルバー】での恒例行事となっていた。
各会場に詰めかけるファン達も、このアンコールの一曲目で、今井が何をしゃべるのか?
それが、気になって仕方なかった。
この他には、「櫻井さんは、一回、お休み・・・」
等のMCを披露していたが、この日12月29日の日本武道館では、
最終公演ということもあって、それまでの総集編とも言うべきMCを披露した。
そして、これを耳にしたファン達は、「ああ、こういう風に繋がるMCだったんだ!」と、
納得しつつ、今井寿がフルコーラスと取る「Sid Vicious ON TH BEACH」を満喫した。
この「Sid Vicious ON TH BEACH」もアルバム『天使のリボルバー』の、
バンド・アンサンブルというコンセプトに従ったニュー・アレンジである。
初めて全てのヴォーカル・パートを受け持った今井寿も、
その後のソロ・プロジェクトとしては、あまりにも、バンド然とした活動になった
Lucyのプロト・タイプとなった一曲である。
いや、寧ろ、このBUCK-TICKの「Sid Vicious ON TH BEACH」こそが、
Lucyというバンド然の活動を呼び起こし、BUCK-TICK自身としても、
この一連の『天使のリボルバー』の活動に、
シンプルでストレートなロック・アンサンブルを促したと言えよう。
実際「Sid Vicious ON TH BEACH」で、今井寿は、変わった。
ナニカが、弾けて、ぶっ飛んだ。
収録されるアルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』自体も、今井寿のコンセプトでは、
「ロックンロール・アルバムな感じで」
というオーダーを他のメンバーに出して出来あがったアルバムであった。
しかし、其処に展開された世界は、ストレートとは言い難い内容であった。
モロに攻撃性を剥き出しにする姿勢を見せた今井寿は、
ストレートなロックとは、反対に、サイバーで、マシナリーな打ち込みサウンドと、
レイヴと言えるグルーヴの要塞を構築し、パンキーな破壊衝動を実行した。
これぞ、BUCK-TICKのデジ・ロック・アルバム。
と言えるような世界観を構築した暴走する淑女『Mona Lisa OVERDRIVE』は、
BUCK-TICKの正式聖典とも言えるアルバム『ONE LIFE,ONE DEATH』から、
あらゆるウェットな感情を取り除き、
ミキサーにかけた高速なテンポ(140-300BPM。時にはそれ以上)と、
歪んだ機械的なビートと、リズミカルなサンプルを駆使して、
触れると感電してしまいそうな緊張感とともなうロックンロール・アルバムを創り上げたのだ。
ここで実現されたサウンドは、ひとつのBUCK-TICKというバンドの代名詞となり得た。
オールドスクール (Old Skool)とロックの融合を成熟した末に至るミクスチャー・ロックの
完成態ともいえるモノだ。
通常、ハードコアテクノが発生して黎明期にあった90年代初期に、
作成された楽曲を指すオールドスクールのハードコアテクノは、
けたたましいピアノロールと跳ねるようなベースライン、
ブレイクビーツと安っぽい女性ヴォーカルの多用など、
いわゆる古い「レイヴ」的な音などが特徴的だ。
日本国内でもジュリテク、デステクノなどの名称で流通した。
いわゆる何度目かディスコ黄金時代の遺物である。
それを、ロックンロールとミックスしたモノを 「ミクスチャー(mixture)・ロック(rock)」というが、
これは、和製英語である。
よって、基本的に日本以外では通用しないジャンルだが、
韓国や欧州などの一部非英語圏では
「ラップロック(Rap Rock)もしくはラップメタル(Rap Metal)の別名」として
一定の認知度を得ている。
日本においてこの言葉が生まれた正確な時期は分かっていないが、背景的にその要因となったのは、
1980年代末期~1990年代以降にかけてオルタナティブ・ロックムーブメントである。
この中でファンクやヒップホップなどの黒人音楽とロックを混ぜた音楽性を持ったバンドが
メインストリームに浮上していくにつれ、
それらを配給会社が日本人にコマーシャルする際に、
オルタナティブ(異質な)・ロックよりも直線的に理解してもらいやすい言葉として、
ミクスチャー(混ぜ合わせた)・ロックというジャンルが生まれたと思われる
当時、ラップは日本人にとっては非常にマイナーな存在であり、
英米で扱われていたラップロックという呼称を、
そのまま採用しにくかったというのも要因として挙げられる。
よって、様々なジャンルを混ぜ合わせたという「ミクスチャー」としての意味合いは薄く、
デジタルロック(Digital Rock)として、90年代に日本の音楽誌上で流行した。
ビッグ・ビートと同義語とも言われる。
一般に、シーケンスと生演奏の同期演奏によるロックを指す。
この用語の本来の意味や音楽性はビッグ・ビートと近似であるが、
日本でのみ通用・呼称される「デジロック」は、しばしばテクノ的なアプローチが強いロックも、
逆にロック的なアプローチが強いテクノも全てくくれる便利な言葉として使用されたため、
同時期に流行したトリップホップやドラムンベース、インダストリアルに
カテゴライズされるべきアーティストさえも「デジロック」と一括りにされることがあった。
さらに、「デジタルロック」という用語は、字面が表す「わかりやすさ」の反面で、
本来かつ純粋なロックを全て一方的に「アナログ・ロック」と相対化してしまう
自己欺瞞に満ちた矛盾を抱えていることもあって、
現在、音楽用語としての「デジロック」は、
本来定義すべき音楽スタイルの実態を的確に言い表わすことが出来ないために形骸化し、
海外の音楽評論の世界では死語扱いとなっている。
その完成形が『Mona Lisa OVERDRIVE』というアルバムの正体だ。
その中でも、特徴的な一曲として収録されたサイバー・パンク「Sid Vicious ON TH BEACH」こそ、
今井寿の“黙示録”とも言える世界観を体現した存在となった。
その後、Lucyでの活動では、盟友Kiyoshiと今井寿との間に、
この「デジ・ロック」禁止宣言を自らに課し『ROCKAROLLICA』『ROCKAROLLICA II』を創り上げた。
Lucyのテーマは「ロケン」。
要はストレートなロックンロール的であることが、
彼らにとっては「ロケン」という言い方に拘りとなり得た。
これは最初から決まっていたわけではなく、Lucyのファースト・アルバム『ROCKAROLLICA』の
レコーディング中に自然と浮かんできたテーマだというが、
バンド“Lucy”結成時、今井寿は、
「デジロックをやると思っていた」とインタビューで語っている。
「デジロック」的なテストのサイバー・パンクであった「Sid Vicious ON TH BEACH」を、
Lucyで言う所の“ロケン”に焼き直したのが、このニュー・アンサンブル、
すなわち、天使ヴァージョンの「Sid Vicious ON TH BEACH」と言えるだろう。
この様な試みが、盛んに行われた背景には、20周年というキャリアに区切りに、
彼らBUCK-TICKが、歩んで来た軌跡に、新たなる意味を持たせる。
新約セルフ・カヴァーのオンパレードとも言えるこの【TOUR2007 天使のリボルバー】のアンコールで、
シングルのカップリング楽曲の「MY EYES & YOUR EYES」「tight rope」の
ニュー・アレンジと共に、多くの楽曲が披露された意義は大きい。
そして、それを印象的に魅せ付けたのが、
今井寿のMCとともに演奏された「Sid Vicious ON TH BEACH」であった。
それは、櫻井敦司と除くメンバー星野英彦、樋口豊、ヤガミトールとの演奏を見ていると、
BUCK-TICK初期のサウンド構成を脳裏に描くことに繋がる。
それによって、オーディエンスは、たまらなくノスタルジックな感覚で、
走馬灯のように、BUCK-TICKというバンドの軌跡を見ることになるのだ。
櫻井敦司を除く、と言ったのは、
恐らく、ミュージシャンの技量として、この20年間に最も、音楽的価値向上を実現したのが、
ヴォーカリスト:櫻井敦司に他ならないからだ。
初期の歌唱とは、比べ物にならないクオリティを向上した櫻井のヴォーカルは、
このようなニュー・アレンジのセルフ・カヴァーに、原点回帰以外の新しい意味と付加した。
それと、今井寿と星野英彦という二大コンポーザーが、生み出してきた
原曲の素材としての価値がモノを言う構図が成り立つ。
驚愕するほどのクオリティー向上を見せた櫻井敦司のヴォーカルに見合うだけの、
原曲素材を、デビュー当時から、持ち合わせた証拠となろう。
そういった観点で、この【TOUR2007 天使のリボルバー】のアンコール楽曲を聴くにつれ、
非常に深い意味で、BUCK-TICKというロック・バンドの“ベスト・オヴ・ベスト”と
言えるような体験をオーディエンスはしていたことになるだろう。
そして、その櫻井ヴォーカルが挿しこまれない「Sid Vicious ON TH BEACH」。
負けじと堂々たるギタリスト:今井寿のロック・ヴォーカルを背景に、
この日初めて、クリスタルの花道へと飛び出した樋口“U-TA”豊。
初期BUCK-TICKに於いても、彼の堅実なベース・プレイが、
パンク・テイストのビート・ロックの下地となっていたのは、間違いない。
溢れるような笑顔をファン達にふりまく樋口“U-TA”豊の表情に、
彼のバンドに対する深い愛情を感じるとともに、
この20年間という長い長い時間の中で、
変化し続けながらも、変わらないモノが存在することを教えてくれているいうでもある。
そんな樋口“U-TA”豊の後ろ姿を頬ましく、眺めるようなヤガミトールと星野英彦。
派手なライヴ・アクションを取り「Sid Vicious ON TH BEACH」を進行する今井寿。
彼ら四人で創り上げたビートに、BUCK-TICKは回り続けた。
4ピースのBUCK-TICKというバンドがもし存在したら・・・、なんて想像も出来ないが、
退屈をぶっ壊せとばかりに、掻き鳴らす4人。
「退屈な・・・
陽はまた昇って 陽はまた沈む 繰り返す
Just a Fuckin' class hero ON THE BEACH」
ドラムに櫻井敦司が入り、アニイがそれを指導している光景が、
頭に、不図、過るのである。
そんな、アーリー・ディズの1コマ。
彼らのビート・サウンドは、此処が永久(とわ)。
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イスカリオテのシモンの子ユダ。
ルシファーは、ユダの事と想い出すと、少し胸が苦しくなる。
“ダムドラの店”と契約を交わしてからも、それは変わらない。
遠い遠い、昔の記憶・・・。
ルシファーのギターを奏でる手が、その時は止まっている。
俺の計画は、ある程度、事の成り行きに任せた部分が大きい。
ユダを仕込んだのは、俺だ。
アイツは元々、小商人だったんだけど、
ケチな男だった。
ただ裏切りができるほどの度量なんかも持ち合わせてはいなかった。
そうだな。人間らしい姑息で、狡猾な考えを巡らせてたのは、
寧ろ、リーダーのペテロの方だろうな。
イエスの真意を知るまで、ペテロは、人間らしく、自分の損得で行動する男だったよ。
その後、“愛”の伝道師なんて言われて、巡業の旅に出るようになったのは、
決して改心したんじゃなくって、こんな矮小な自分に嫌気がさしたんだろうな。
心苦しかったんだ。
それを、殉教という行為で紛らわしていたのかも知れないな。
だから、俺は、ペテロじゃなくて、ユダの方をこの計画の重要な役割にしたんだ。
ユダは、12使徒の中でも、最も地味で、勤勉な、会計係の商人だった。
まあ、簡単に言えば、裏方と言ってもよかった。
そういう目立たないヤツが、真犯人っていうのは、
今でも、推理物のサスペンスの定番中の定番だよな。
そういうモノガタリっていうの物は、すべて、この『ザ・バイブル』がお手本になってるからな。
でも、こういう一番、地味なヤツが、歴史を変えるキー・ポイントになったり、
実際に、計画を運ぶ実行者としては、最高にいい仕事をするんだ。
静かで、何考えてるかわかんないようなヤツ。
居るだろ?アンタの隣にも。
気をつけたほうが、イイゼ。
ソイツは、すべてを動かしていたりするのが、物事の真理なんだ。
イスカリオテのユダの裏切りの理由については、
様々な議論が繰り広げられたよ。
イエスの処刑はユダヤ流の石打ちではなく、ローマ式の磔刑で、
ローマでは磔刑は反逆罪などを対象としていたという点を根拠として、
一般的にはイエスがこの世のメシアを目指していた武力革命家であったという解釈で、
処刑されたわけだけど。
俺の計画はそんなちっぽけじゃない。
イエスは、自分はテロリストと見做されてると知って、
また、アノ哀しげな顔をして、十字架での死を覚悟したが、
イスカリオテのユダを除く弟子たちはイエスが、
この地上でのメシア=支配者になってくれることを期待し続け、
イエスの真意をまるで理解しなかったんだ。
使徒たちはイエスがローマ人の支配を覆す軍事的な英雄であることを強く望んでいたが、
イエスが実行しようとしていたのは『心の革命』だった。
その目に見えない誤解が、この遠大なストーリーの素晴らしいところだ。
こんなストーリーを巻き起こせるのは人間ならでは、だ。
天使や悪魔には、到底、無理だ。
だから、俺は、流れに任せたんだ。
俺とサキュバスの女の役割は、じっくりと状況を見守ることだけだった。
たぶん、イエスは、事の成り行きを知っていたんで、そういう風に行動してたんだろうな。
ユダが愛国主義的な人物であったとする理解は、
マグダラのマリアがこの世に伝えてくれた。
彼女はユダのことを「絶望に駆られた革命家」なんて言ってた。
彼女は本当の戦友は、ユダだけだと想ってたんだろうな。
まあ、彼女のことは、また、あと、だ。
ユダは、そんな静かな革命家としての顔と同時に、
「イエスの奇妙な理解者」としての顔も存在していた。
でもイエスの生前から世間は、イスカリオテのユダを「盗人」と罵り、
「彼は金入れを預かりながら、中身を誤魔化していた」と誹謗中傷した。
マグダラのマリアは、俺にこんな風に言ってた。
「仲間の中からこんな罵りの言葉が出て来るのは悲しいことね。
ユダは仲間の金を自分のためにびた一文たりとも使ったことなどないのに。
正確にいえば、彼は金入れを2つ持ってたのよ。
そして、今すぐに使わない金は来るべき反ローマ闘争のための資金として蓄えていたの。
可愛そうなユダ!」
云々と。
だから、俺は言ってやった。
「そうだ!ユダこそ、本当の弟子だよな!使徒の鏡だ!」って。
でも、サキュバスの女は、ゲラ笑いしてこう言ったよ。
「悪魔サタンのあなたに、そう言われて、ユダも、ビミョーな心境よね!(笑)」
そうするとイエスは目を瞑ったまま、こう言ったんだ。
「人の子を裏切るものは災いである。その人は生まれてこなかった方がよかった」
でもイエスがそう言ったのは、本心じゃないって、
俺もサキュバスもマグダラのマリアも、すぐにわかったよ。
なにしろ、その「裏切り」がなければ、イエスは十字架の上で死ねないし、
この計画事態が、実現不可能だったからな。
イエスは、そんな哀しい役割を果たすべく生まれて来たユダを、
憐れんでいたのさ。
でも、俺はイスカリオテのユダを選んで裏切らせたというのではなく、
弟子たちの誰もがユダと同じ立場になり得たんだ。
たまたまユダが裏切る役になっただけさ。
実際、使徒たちはイエスの捕縛に際しては蜘蛛の子を散らすように、
イエスを置き去りにして逃げちゃったからな。
「あんた、イエスと一緒にいただろ?」
と疑われたペテロは
「そんな人は知らない。わたしには関係ない」
と呪いの言葉まで口にして烈しく否定したからな。
「あなたにどこまでもついていく覚悟です」
と普段、口癖のように言ってたペテロがだぜ。
ホント笑えるよな、人間って。
そう考えると、
やっぱり使徒の中の使徒は、ユダだったんじゃないかな?
そうすると必然的に、この重要な役割は、ユダがやるしかなかったんだ。
でも、世間はユダを「盗人」と罵った。
イエスから使徒団の会計を任されていたユダには、
他の使徒たちにはわからないお金のやりくりの上での大変な苦労があった。
世間はそんな事情はまるで理解してない。
世間のユダを憎み非難する態度も、
「他の方法があったのに、あいつが裏切ったから、イエス様は十字架にかけられなくてはならなくなった。
まったく何てことをしてくれたんだ」
という嫉妬から生まれたものって、よくわかるだろ?
今、表面化している現実なんて、そんなもんだ。
真実は、闇に包まれる。
それが、真理だ。
だから神が最初からイエスが十字架にかけられて死ぬことで人類を救うという道を決めていたのなら、
イスカリオテのユダがイエスを裏切ったのも救いの計画の一環であり、
ユダは神から召されてそういう役を与えられたのだと理解する他なくなる。
そうなれば、伝統的なキリスト教会においてイスカリオテのユダが悪し様に罵られていることは
全くおかしな話となるよな。
だから、真実は闇に包まれるんだ。
結局、ユダの罪は彼が絶望して首をくくったということで丸く収められた。
その後では、生き残った使徒たちが、
ユダはイエスを売り渡して得た銀貨で土地を買って高いところから落ちて内臓が全部出て死んだ
っていう事故死に書き換えられた。
生きて悔い改めるのではなく自殺したのがイスカリオテのユダの罪だ。
っていうのは、使徒たちのフィクションだ。
ユダには、まだ、俺との契約の重要な仕事が残ってたからな。
まだ、おっ死んでしまう訳にはいかなかったんだよ。
最後の晩餐の時、
イエスが再びこの地上のメシア(解放者=すなわち覇王)になるつもりがないことを、
使徒たちに繰り返し告げた後、
その場に残ったペテロらわずかな人数の使徒たちも、
イエスの真意を理解していたかというと、相変わらず誤解したままだった。
言ってわかんないヤツらには、何度、言っても無駄だったんだよな。
残った弟子たちはイエスが地上のメシアとなってくれるものだと信じて込んでいた。
典型的な他人依存症ってヤツだ。
「牢獄へもついていくし、死も恐れません」
とまでいっていたペテロは結局
「こんな人(イエス)のことは全く知らない」
と否定する。
実は、使徒たちと祭司長たちの間で取引が行われてて、
イエスと一切縁を切る代わりに、自分たちの助命を願い出てたのさ。
ペトロらもイエスを売ったのさ。
使徒たちは自分たちの弱さ、ふがいなさに情けなくなり、
だから、使徒たちは烈しく泣き始めたんだ。
別にイエスの為じゃなくって、情けない人間である自分たちの為に涙が出たんだ。
人間って、ホント、面白いよ。
見てて飽きないよな。
でも、ユダだけは、違う理由で涙を零していたのさ。
そういう人間もいるって、ことだ。
ペテロ初め使徒たちは、
イエスが裏切り者の自分たちをさぞかし恨んでいるだろうと思ってた。
自害しそうな勢いで、自己嫌悪に陥ってたのは、寧ろコイツらだよ。
ユダは、涙を流しながらも、慎重に計画を進めたんだ。
十字架の上で息絶えるまでにイエスが何を言い遺すか
他の弟子たちはびくびくしてた。
でも当然、イエスは使徒たちを呪ったりはしなかった。
教えを授けたのさ。イエスはコイツらを赦したんだ。
ペトロたちはショックだったろうな。
こんな人は見たことがない。
いや、人間の歴史を振り返っても、こんな人の話は聞いたこともない。
「まことこの人は神の子であった」
とは弟子たちは、その“愛”に初めて気が付いたのさ。
でも、時はすでに遅し。
人間は、いつもそうだ。
喪失してから、その重要さに、気付くのさ。
でも、もう遅いのさ。
ペテロも、自分たちがイエスの真意をいかに誤解していたのかを
ようやくぼんやりと、わかるようになったんだろうな。
でも、ペテロが“愛”を貫いて死んだイエスの姿に衝撃を受けたとしても、
それだけで弱虫で卑怯者だったヤツらが弾圧に屈しない信仰者として
伝道の旅に出たとは思えない。
イエスはそこまで、考えてた。
人間は弱いので、一時は心を動かされても、そう長続きはしないものだ。
ヤツらが不屈の伝道者となったのには、もっと別の理由があるはずだ。
そう考えたイエスが、俺に言ったんだ。
「・・・ルシファー。
君は、僕を、“復活”=【REBIRTH】させることが、出来るかい?」って。
すぐに俺は理解したね。
イエスが、何を考えているかを。
「おい、・・・イエス。
お前は、この俺と“契約”したいといってるのか?
それが、どういう意味か、お前は、わかってるよな?
なあ、イエス。
本当にいいのか?」
イエスは、強い眼差しで、俺を見て、コクリと頷いた。
俺は、その時の顔を、わすれられないんだ。

Sid Vicious ON THE BEACH
(作詞・作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
どこか見かけた 例のあのVenus
転がるように飛んでく天使
愛を振りまくAphrodite
風にそよいでいるアンダーヘアー
CoolなDesignその角度がとても絶妙だ
コバルト60打ち上げ花火
愛より深く世界を飲み込む
CoolなDesignその角度がとても絶妙だ
懲りてない救えない うまくいかないこの星
混乱こそ我が墓標と呟いた
退屈な星が狂々回る merry go round
Just a Fuckin' class hero ON THE BEACH
Fuckin' class hero ON THE BEACH
瞬き光もくずと消えるコバルトブルーだ
吐き気がするほどロマンティックだぜ Wonderful world
笑えないくだらない
Fuck you never come here again
水平線 南風が吹いていた
退屈な陽はまた昇って 陽はまた沈む 繰り返す
Just a Fuckin' class hero ON THE BEACH
陽はまた昇って陽はまた沈む Let me go
Just a Fuckin' class hero ON THE BEACH
Fuckin' class hero ON THE BEACH

