「「CREAM SODA」はポップだけど、
この中ではもしかしたら一番いびつかな?」
(今井寿)
この感覚は、久しぶりなのかも知れない。
ストレートな作風の『天使のリボルバー』の中で、
彼ら特有のドラッグ・センス溢れる楽曲が、
この「CREAM SODA」であることは、間違いないのであるが、
逆に、こういったリスキーなロックが挿入されていることで、
逆説的ではあるが、ファン達は、言い知れぬ“不安感”をなだめることになるのだ。
「ークルワセテ、クダサイー」
とカタコトの櫻井敦司のMCが入った後に、ギターのアヴァンギャルドなアドリブが続き、
この「CREAM SODA」は演奏を開始される。
星野英彦の作曲楽曲ということもあり、連想されるのは、
中期BUCK-TICKの完全無欠なる集大成『ONE LIFE,ONE DEATH』に収録される
「Death wish」(作詞:櫻井敦司 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)であろう。
まるでSM世界を切り抜いたようなこの楽曲のコンポーザーが星野英彦という点が、
更に、ギャップを生み出し、濃厚な櫻井敦司の混濁したドラッキーな世界描写が、
我々のムクリと頭を出した欲情と狂気の衝動に揺さぶられる。
なんともセクシーな“殺意”というタイトルが、表すように、
現実の台詞(セリフ)の境としての“快楽”を求めるものが、
こういった“狂気”を伴うことは、人間という脳幹の肥大した動物に於ける、“すけべ心”を、
どうしようもなく揺さぶってしまうのだ。
そして、きっと、多くの人がわかりきったことではあるが、
“妄想”=イマジネーションほど、この人間の“すけべ心”を擽るモノはないのだ。
どんな、アブノーマルな性交を繰り返しても、ここを満足させない限り、
エクスタシーに到達するのは無理な話だ。
言い換えると、セックスなど、高等な脳内快楽からすると、
くだらない反復運動に他ならない。
人間は脳内、すなわちイマジネーションで快楽を得ているのだ。
それが、正体だ。
相手がどんなことを感じているのか?
それに興味があるから、人間の快楽としての性交は、
種の保存という“愛”とはまた別の方向へと暴走を続けるのだ。
それを人は“狂気”であるとか“絶望”であるとか言うが、
生物としての究極の“死”という衝動へ向かっての快楽が、
根源的に、表面化している姿が、“セックス”や“ドラッグ”の快楽に他ならない。
「アア。。。 甘い密の薫り 腐るほど甘い実よ
“天使”が流す涎 垂れ流せ俺の体に 」
すでに“天使”が顔を出している。
彼のキーワードの中に、天使=快楽という方程式が成り立ちつつある証拠だ。
悪魔=快楽というパラドクスを含む方程式だ。
それがファーストステップのマゾヒズムの象徴なのだ。
櫻井敦司のやり方は科学的だ。
専門家ほどの修行を積んだわけではないのに的確にピンポイントを突いている、
こういうイマジネーションは、例の無謀さが基本となっている。
「何が欲しい 何を望む ギリギリ深くお願い touch me 」
なんて、官能小説も青ざめるような表現を星野英彦のメロディに、
平気で乗せてくる。
星野英彦も確信犯だ。
アルバム『Mona Lisa OVERDRIVE』収録の
「BLACK CHERRY」(作詞:櫻井敦司・星野英彦 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)でも
それは確かであろう。共犯者は櫻井だ。
この楽曲は、作詞が櫻井と星野の共作となっているが、
星野英彦が考えたのはサビの「BLACK CHERRY」というフレーズのみである。
これは櫻井が星野から手紙を渡され、
そのフレーズを活かす指示があったとリリース時のインタビューで櫻井敦司が語っているが、
明らかに、そういったセクシャルなイマジネーションを誘導する仕掛けが、
星野の手紙にはあったのかも知れない。
「お前は Honey 溢れ出す蜜 俺は跪いて
夢中で喰らう まるで犬みたい 涙さえ流す」
メンタルにもフィジカルにもかなりの部分で理解してサディストとしての修行をし、
どんなに控えめに言ってもこの国でサディストとして
ベストテンに入ることであろう櫻井のイマジネーションに彩られる星野楽曲は、
それが、星野自身に、望まれているかどうかは別にして、
やはり、ポルノを凌駕するエロシチズムに彩られているのだ。
「ちょっと変か?オレには正直になっていいんだぞ」
という櫻井敦司のリスナーへの囁きにオルガズムを感じるようになれば、
この星野楽曲も、櫻井敦司の優秀な奴隷としての機能を果たし出す。
その“死”に近づくようなエロシチズムの無謀さは、“麻薬”の魅力に似ている。
こういうイマジネーションはパリやニューヨークやヴェニスで、
死ぬほど麻薬をやったような“無謀さ”で、様々なノウハウを得た感覚だ。
例えば、ヘロインは麻薬のキングでダウナー系なのだが、服用するとほとんど睡眠がとれないとか、
ディスコにもっとも適した麻薬はLSDであるとか考えてみると下らないことだが、
それらは未知の海に出て航海術を習得するのに似ているかも知れない。
こういった楽曲の主人公達は、得てしてサディストだ。
お前は無力だ
お前は無力だ
お前は無力だ
お前は無力だ
と、いう暗示を、例えば部屋で一人きりで音楽を聴いていても、
多くの人が猥雑な会話で溢れかえる街の雑踏の中にいても、
繰り返し、囁かれる時期が、家族という人間組織から群れを離れる雄の人間に到来する。
無力感の前に、“絶望”を自覚して、それから脱却を図る為に、
いつしか、男は皆サディストの道を迫られるのである。
それは、その男の経済状態には、関係なく巻き起こる現象だ。
親から与えられたフェラーリを、そんな無力感を微塵も感じずに生きる男や、
大半のそんな無力感に慣れ合うこと憶える男達を別にして、
そんな男の快楽の象徴は、“セックス”や“ドラック”がわかりやすいのだ。
モデルのような女性を引き連れて、プライベート・ビーチを歩くような妄想や、
高級な高層ホテルのスウィート・ルームに長いコークのラインを引いて吸い込み、
それをモエ・エ・シャンドン・キュベ・ドン・ペリニヨンやシャトー・ラトゥールで流し込む。
実現に必要なものは、ある程度の経済的勝利となる。
それには、自分の通貨を市場に食い込ませ、マーケットの一部を占有する必要がある。
その為に、多くの男は、サディストになる。
マゾヒストは楽だ。
衣服と運動と名前と意味を棄てて赤ん坊のように、
奴隷のように生きればいいから楽なのだ。
一方、サディストはストイックである。
朝日の差すニュー・ヨークのホテル・プラザ・アンバサダー・スィートの
ビクトリア風のソファの上でサディストは身体を丸めて極度の緊張状態に耐えている。
許容限界をはるかに越えてコカインを摂取したものにしかその緊張と不安は理解できないという。
コークブルーと呼ばれるその失墜の感覚はLSDで落ちていくよりも辛いといわれる。
LSDでバッドになった時はヘロインを打てはすべて丸く収まる。
コークブルーの時にヘロインを打てばほとんどの場合心臓が持たない。
だからただ震えるだけで助けを求めないサディストがたまらなく愛しくなって
モルヒネをごく薄くして暖めたものをゆっくりと血液に混ぜてやると、
サディストは立ち上がり何度もオルガズムに達していく。
無謀なのだ。
その無謀さで行き着いた地点から戻ってくる時に、男はイマジネーションの芽を拾うらしい。
言うまでもなくそれは、“死”へ一歩近づくことだ。
その無謀さを伴うサディズムと対峙する時の櫻井敦司は、
徹底的に自身の身体を痛めつけるが、自身が言うようなマゾヒストなどではない。
最後まで、自身を放棄しない態度は、その対極に位置するからだ。
「CREAM SODA」にも、そういったサディスティックなファクターが多分に注入されている。
BUCK-TICK特有のドラッグ・ナンバーである。
「狂いそうだ!狂いそうだ!狂いそうだ!
お前に夢中!!」
2007年12月29日にも、この「CREAM SODA」の前には、
「ークルワセテ、クダサイー」
と断りを入れながら“無謀”なる“死”の境地へと櫻井敦司が立ち上がる。
漆黒の「リリィ」の羽を毟り取り、星野のJASSMASTERと共に立ち上がる。
トレードマークの赤マイマイをテルミンに翳して今井寿が、イマジネーションの向こう側へと誘う。
ブレイクをイントロから激しくキメるアニイのタテガミが揺れる。
トランスしたかのように樋口“U-TA”豊が髪の毛を振るわせる。
覚醒した感覚がビンビンと日本武道館に充満していく。
これこそ、BUCK-TICKのドラッグ・ソングの真髄だ。
「ねぇねぇ君って何てチャーミング
ねぇねぇ君って何てキュート!
大 大好きさ大好きなんだ
大 大好きさ 大好き!」
と繰り返し吼える櫻井敦司であるが、ひとつも好意を表明していないのが、お分かり頂けるだろうか?
これは、サディズムらしい自意識の倒錯なのだ。
かつてナルシチズムを唄った櫻井/星野コンビの“いびつさ”は、
鬼才:今井寿をも震撼させる迫力を有している。
ストレートなロック・アルバムといわれる『天使のリボルバー』に、
この楽曲の存在感は極めて大きいといえるだろう。
そう、この『天使のリボルバー』の世界では、すべてが逆説的なアプローチが起動しているのだ。
だからこそ、僕はこのアルバムが上級者向きだと感じたのだ。
この『天使』の世界では、今井寿こそがストレートで、異端的な味付けは星野英彦が担っている。
そして、そのストレートさが、パワフルであればパワフルな出来であったからこそ、
櫻井敦司の“無謀”なる快楽の境地を、極限まで突き詰めているといえよう。
そして、この“歪さ”こそが、BUCK-TICKというバンドの正道といえるのではないか?
だからこそ、この「CREAM SODA」のいびつさは、我々リスナーの安堵を誘うのだ。
「CREAM SODA」は“麻薬”そのものといえよう。
「ねぇねぇ歌ってアイスクリーム ねぇねぇ僕って何てFUCK!
さあさあ狂って踊りだそうぜ この世は狂ってるんだろう?」
フラッシュバックの映像を見るような演出も、監督:林ワタルの才覚が光る。
目を瞑ってループするフレーズを繰り返す樋口“U-TA”豊。
彼は、かつて、SMプレイを音楽に封じ込めたようなアルバム『SEXY STREAM LINER』の
主題「MU FUCKIN' VALENTINE」のレコーディングにDATサウンドとの生グルーヴの融合に為、
遠くの一点を凝視して、力を抜いてプレイした、と述べていたが、
生サウンドを標榜する今作『天使のリボルバー』の「CREAM SODA」では、
すでに、彼自身がマシナリーなDATサウンドそのものになってパフォーマンスしている。
今井寿のサイケデリックなフレーズに、ジャイヴする櫻井敦司。
すべてはマシンと化した樋口“U-TA”豊のサイン通りに動く狂気の人形だ。
「イカレテル 俺は貴女の中
イカレテル 俺はお前の中 狂いそう」
-イカレタノハオレダケ キミハスコシマトモダ-と唄っていた櫻井も、
遂には、ミクロ化して彼女の血液の中を巡るドラッグそのものとなる。
肥大した妄想が、無謀なるイマジネーションの芽を死の底から拾いあげる。
「大 大好きさ大好きなんだ
大 大好きさ 大嫌い!」
彼の中のマゾヒズムが、姿を現し始める。
まさしく、殺したいほど愛してる。
あなただけを、愛していた。そして憎んでる、深く。
星野英彦が、中央のクリア花道を進む。
カオスなギター・ソロが、悲鳴を上げている。
完全なるオーバー・ドーズ状態だ。
一瞬、背後霊のように櫻井敦司が星野英彦に後ろに写ると、
くるくると回りながらポジションへと戻っていく。
当然、この時までに大観衆は、欲しく欲しくたまらない、
マゾヒズムな救いを祈るような表情で発情している。
「もう、いつでもイってしまっていいんだよ」
というように櫻井敦司が腕を股間に挟みしゃがみ込む。
客席に何割かは、早くもオルガズムに達したことだろう。
サディスティックなフレーズをクールに決める赤マイマイの今井“ルシファー”寿。
彼の毒々しいロック・ソウルも、
この「CREAM SODA」のアイスクリームが溶けて地面に滴り落ちるようなアウトロを奏でつつ、
櫻井敦司の“死”に一歩近づいたようなイマジネーションに、
妄想とも絶望ともいえない表情を残して暗転する。
そう男は、“狂気”と“絶望”の果てに、“安堵”を求めているんだね。
「これでぐっすり眠れるわね。
もう、不安に怯えることなく、寝たままで過ごせるわね。
でも、こうやってこの声を聴いているのだから、
一回だけ、起きたのね。
おやすみなさい」
CREAM SODA
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:星野英彦 / 編曲:BUCK-TICK)
狂いそうだ 狂いそうだ
狂いそうだ お前に夢中
ねぇねぇ君って何てチャーミング ねぇねぇ君って何てキュート!
大 大好きさ大好きなんだ 大 大好きさ 大好き!
とろけそうだ とろけそうだ
とろけそうだ お前に夢中
ねぇねぇ歌ってアイスクリーム ねぇねぇ僕って何てFUCK!
さあさあ狂って踊りだそうぜ この世は狂ってるんだろう?
イカレテル 俺は貴女の中
イカレテル 俺はお前の中 狂いそう
狂いそうだ 狂いそうだ
狂いそうだ お前に夢中
ねぇねぇ君って何てチャーミング ねぇねぇ君って何てキュート!
大 大好きさ大好きなんだ 大 大好きさ 大嫌い!
イカレテル 俺は貴女の中
イカレテル 俺はお前の中 狂いそう
ねぇねぇ歌ってアイスクリーム ねぇねぇ僕って何てFUCK!
さあさあ狂って踊りだそうぜ この世は狂ってるんだろう?
イカレテル 俺は貴女の中
イカレテル 俺はお前の中 狂いそう
