「ありがとう・・・
これからも・・・
・・・よろしく」
「夢魔-The Nightmare」。
最後の“GOTHIC SHOW”とも言えるこの大舞台。
デビュー20周年記念イベントとして横浜みなとみらい
新港埠頭特設野外ステージ『BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE』本編のトリは、
壮厳な広がりを持つ、この楽曲が、エントリーした。
「ROMANCE」で、血の耽美に酔い、
「DAIBOLO」で、度数の強いアルコールに酔ったような、
そんなほろ酔い気分で、ゆらゆら揺れるように、波打つ客席も、
この一曲「夢魔-The Nightmare」で、覚醒する。
「完璧」である。
「完璧」な“GOTHIC SHOW”である。
たった3曲だけで、これほどの完成度を顕したBUCK-TICKは、
やはり、稀有な価値を持ったロック・バンドであると再認識する他ない。
BUCK-TICK正式聖典アルバム『ONE LIFE、ONE DEATH』のオープニング・ナンバーで、
KEN ISHIIとのコラボレーション。
野外ステージを巨大クラブにしてしまったかと思えば、
アルバム『十三階は月光』に収録されたこの3曲だけで、
この巨大クラブを大聖堂に変えてしまったBUCK-TICK。
なんとも形容し難い、大きく、底の深く、分厚い、そして熱い。
それと同時に、細やかで、タイミング良く、冷たい感触。
それが、渾然一体となって、身体の表面ではなく、
直接、心の「密室」に“WERP”してくるような、呻き、叫び、鼓動。
他の何物にも、代え難い存在感を魅せつける。
そして、他の何物にも、比喩できない“感情”を掻き立てられる。
やがて、彼らは、我々を神々しい光に満ちた荘厳な世界へと導いていく。
「夢魔-The Nightmare」といった独自の世界観を前面に押し出した楽曲を演奏し、
そしてメンバーがステージを去ると我々は白昼夢から現実に引き戻され、しばし呆然となる。
いつもそうだ。
ライヴが終わった瞬間、自分が本当に現実世界の存在しているかどうか、わからなくなる。
それは、存在感という密度の所為かもしれない。
希薄な自身の密度が、圧倒的密度を誇示する彼らの前に、
蒸発し、更に、希薄化して、戸惑うのだ。
もう立ち尽くし、回想するしか我々に術は、残されていない。
己の脳内に残された、記憶の残骸を拾い集め、
今、チョット先に、在ったハズの現実を創り上げるしかないのだ。
「あれ?夢じゃないよね?」
と。
否、寧ろ、夢であったほうが、救われるのかもしれない。
そう認識した瞬間に、また、次に、彼らの姿を見ること恋焦がれるのだから。
“愛”や“恋”といったものの“快楽”と“苦痛”の関係に似ている。
終わった瞬間に、もう次を望んでしまう我々の貪欲さを思い知ることになる。
“また、すぐにでも、逢いたい”。
この感情こそ、“愛”や“恋”といったものの本質であるなら、
それをコントロールする者のチカラが絶大だと言えるだろう。
カリスマ?
古くは、イエス・キリストなどのカリスマ的人物こそ、
そういった存在であったのかも知れない。
常にそういった存在に触れていたいという欲望。
それゆえに、現代社会でも、新興宗教等のカリスマ・ビジネスが後を絶たない。
「カリスマ(χάρισμα charisma)」は、
元来、古代ギリシア語で「恵み charis」を中性名詞化したもので、「恵み的なもの」を意味した。
この語は、『新約聖書』の諸書簡(特にパウロの書簡)において知られている。
古代キリスト教団の語法では、「カリスマ」は、神から贈られる特殊な能力であった。
この言葉を学術用語として最初に用いたのは、ドイツの教会法学者ルドルフ・ゾームである。
ゾームは、『教会法』(Kirchenrecht)第1巻(1892年)のなかで、
1世紀の原始キリスト教のエクレシア(集会)を説明・分析するために、この語を用いた。
ドイツの社会科学者マックス・ヴェーバーは、ゾームのこの用法に示唆を受けながら、
社会全般に普遍的に妥当する社会学的概念としてのカリスマ(Charisma)を形成した。
すなわち、非日常的・超人格的・超自然的な資質を有する者としての「カリスマ」がこれである。
ヴェーバーは何ゆえに支配は正当化されうるのかという観点から、
合法的、伝統的、カリスマ的支配という正当的支配の三類型を構想し、
カリスマの同時代的意義を強調した。
カリスマ的支配は、偉大な政治家・軍人・預言者・宗教的教祖など、
政治や宗教の領域におけるカリスマ的支配者・指導者に対して用いられ、
被支配者・被指導者は支配者・指導者のカリスマ的資質に絶大の信頼を置いて服従・帰依するのである。
歴史上カリスマを持つと評される人物も、
イエスやマホメット、カエサルやナポレオンやヒットラーのような、
世界史を動かしたスケールの大きい人物が多かった。
なお、ここで注意すべきは、ヴェーバーの言うカリスマは、
善悪という価値判断からは自由な(「価値自由(Wertfreiheit)」な)概念ということである。
その意味で、前述の四者やスターリン等は一様に「カリスマの保持者」と見なされるのである。
「カリスマ」にさえなってしまえば、後は、人の“気持ち”も“お金”も思いのままだ。
やはり、人間は、ちっとも、理性的な生き物ではなく、
「感情」によって動く動物なのである。
どんな理論的な人物も、その根本を見てみるがいい。
必ずや“感情”が支配する心の衝動を掘り当てる事が出来る。
脳科学的には、感情は大脳の表面(大脳皮質)、および脳の深部(辺縁系など)、
身体の密接な相互作用で成り立っている。
また感情と思考や認知は、たとえその人が意識にのぼらせなくても密接に関係し合っている。
いくら「論理」を説いても、「感情」に支配された者は聞く耳を持たない。
「感情」は、「個人的」と読み変えてもいいであろう。
そして、学問は、極めて「類的」なものであると認識する立場からは、
個人的妄想は「エゴ」以外の何者でもない。
「自我(エゴ)」は意識層の中心の機能である。
また「エス」からの要求と超自我からの自己の規制を受け取り、感情を現実に適応させる機能である。
「Es(エス)」は無意識層の中心の機能である。
また感情、欲求、衝動をそのまま自我に伝える機能である。
「エス」は視床下部のはたらきと関係があるとされた。
なおこの「エス」は フリードリヒ・ニーチェが使用し、
ゲオルグ・グロデックの"Gesellschaft"(『エスとの対話)などで使われた用語で、
彼と交流があったフロイトが採用したものだ。
1953年にアメリカ合衆国でフロイト翻訳全集が刊行された際、
ジェイムズ・ストレイチーにより、「エス」はラテン語: id(イド)と訳され以後流布した。
恐らくは、その無意識層の機能「エス」「イド」まで下って行って、
彼らの存在感は、直接、我々に様々なことと訴えかけるのだ。
そこを揺り動かしされて、尋常では、いられないのは当然である。
覚醒中に「見る」夢 は白昼夢(白日夢)とも呼ばれる。
目覚めていながら夢を見ているかのように現実から離れて何かを考えている状態をいう。
夢を見ている自分を自覚できること、夢の内容を自分でコントロールすることができるという点で、
通常の夢とは異なる。
フラッシュバックと混同される場合があるが、
白昼夢は実際には起こっていない空想や妄想であるのに対して
フラッシュバックは過去に体験した出来事を思い出す点で異なる。
彼らに「刺激」された無意識層の自我・エゴは、
この現実世界に、壮厳なる“妄想”世界の白昼夢を描き出す。
それが、もし「狂気」という類のものならば、そうかもしれない。
僕は、狂い。
そして、現実には、ありえないモノを見ていた可能性はある。
フリードリヒ・ヴィルヘルム・ニーチェ(Friedrich Wilhelm Nietzsche)は、
ドイツの哲学者・古典文献学者。後世に影響を与えた思想家である。
デヴィッド・ボウイなども、好んで読んでいた彼の著作には、
『悲劇の誕生』 『反時代的考察』 『人間的な、あまりにも人間的な』
『曙光』 『悦ばしき知識』 『ツァラトゥストラはかく語りき』など余りにも著名な哲学書がある。
そして、彼はその哲学者としての晩年。
1888年に5冊の著作を書き上げた。
これらはいずれも、長らく計画中の大作『力への意志』のための膨大な草稿をもとにしたものである。
健康状態も改善の兆しを見せ、夏は快適に過ごすことができた。
この年の秋ごろから、彼は著作や書簡においてみずからの地位と「運命」に重きを置くようになり、
自分の著書に対する世評について増加の一途をたどっていると過大評価するようにまでなった。
『偶像の黄昏』と『アンチクリスト』を脱稿して間もない44歳の誕生日に、
ニーチェの自伝とも言える書簡『この人を見よ』の執筆を開始。
序文には
「私の言葉を聞きたまえ! 私はここに書かれているがごとき人間なのだから。
そして何より、私を他の誰かと間違えてはならない」
と、各章題には「なぜ私はかくも素晴らしい本を書くのか」
「なぜ私は一つの運命であるのか」とまで書き記すことになる。
自身の内部にこういったカリスマの存在を確認したかのような書きっぷりだ。
これも、白昼夢の一種、言いかえると「夢魔」の存在に所業なのかもしれない。
1888年12月、ニーチェはストリンドベリとの文通を始める。
またこのころのニーチェは国際的な評価を求め、
過去の著作の版権を出版社から買い戻して外国語訳させようとも考えた。
さらに『ニーチェ対ヴァーグナー』と『ディオニュソス賛歌』の合本を出版しようとの計画も立てた。
また『力への意志』も精力的に加筆や推敲を重ねたが、
結局これを完成させられないままニーチェの執筆歴は突如として終わりを告げる。
自意識への絶頂を描いた後のフリードリヒ・ニーチェの晩年は、
まさしく「狂気と死」に彩られている。
1889年1月3日にニーチェの精神は崩壊した。
この日、ニーチェがトリノ市の往来で騒動を引き起して
二人の警察官の厄介になったということ以外の正確な事情は明らかになっていない。
しばしば繰り返される逸話は、
カルロ・アルベルト広場で御者に鞭打たれる馬を見て奮い立ったニーチェがそこへ駆け寄り、
馬を守ろうとしてその首を抱きしめながら泣き崩れ、やがて昏倒したというものである。
数日後、ニーチェはコジマ・ヴァーグナーやブルクハルトほか何人かの友人に短い手紙を送るが、
それらはいずれも狂気の徴候を示すものであった。
ブルクハルト宛の手紙では
「私はカイアファを拘束させてしまいました。
昨年には私自身もドイツの医師たちによって延々と磔(はりつけ)にされました。
ヴィルヘルムとビスマルク、全ての反ユダヤ主義者は罷免されよ!」
と書き、
またコジマ・ヴァーグナー宛の手紙では、
「私が人間であるというのは偏見です。
…私はインドに居たころは仏陀でしたし、ギリシアではディオニュソスでした。
…アレクサンドロス大王とカエサルは私の化身ですし、
ヴォルテールとナポレオンだったこともあります。
…リヒャルト・ヴァーグナーだったことがあるような気もしないではありません。
…十字架にかけられたこともあります。…愛しのアリアドネへ、ディオニュソスより」
とこの世のカリスマが、自身に乗り移ったかの如く不可思議な内容を書き綴った。
1888年1月6日、ブルクハルトはニーチェから届いた手紙をオーヴァーベックに見せた。
翌日にはオーヴァーベックのもとへも同様の不可解な手紙が届き、
友人の手でニーチェをバーゼルへ連れ戻す必要があると確信したオーヴァーベックはトリノへ駆けつけ、
ニーチェをバーゼルの精神病院へ入院させた。
このころニーチェはすでに完全な狂気の淵へ陥っており、
母フランツィスカはイェーナの病院でオットー・ビンスワンガーに診てもらうことを決める。
その後11月から1890年2月まで、医者のやり方では治療効果がないと主張したユリウス・ラングベーンが治療に当たり、
ニーチェの扱いについて大きな影響力をもったが、やがてその秘密主義によって信頼を失い、
フランツィスカは1890年3月にニーチェを退院させて5月にはナウムブルクの実家に彼を連れ戻した。
解説者はしばしば梅毒への感染を精神崩壊の原因とみなしているが、
ニーチェの示している徴候は梅毒の症例とは矛盾しているところも見られ、脳腫瘍と診断する向きもある。
大方の解説者はニーチェの狂気と哲学を無関係なものと考えているが、
ジョルジュ・バタイユやルネ・ジラールなどのように、
ニーチェの狂気は彼の哲学によってもたらされた精神的失調だと考える者もいる。
1900年8月25日、ニーチェは肺炎を患って55歳で没した。
遺体は故郷レッケンの教会で父の隣に埋葬された。
ニーチェは発狂前に
「私の葬儀には数少ない友人以外呼ばないで欲しい」
との遺言を残していたが、葬儀は皮肉にも軍関係者および知識人層により壮大に行なわれた。
ガストは弔辞でこう述べている。
「未来のすべての世代にとって、あなたの名前が神聖なものであらんことを!」
こういった精神的失調が、己の「イド」に直接的に刺激を与える
「夢魔」の所為ではないといえるだろうか。
2007年9月8日、横浜みなとみらい 新港埠頭特設野外ステージに集結した、
多くの人々の「イド」が、BUCK-TICKの「夢魔-The Nightmare」に揺り動かされる。
この日、祝福の気持ちに満ち満ちた大観衆のポジティヴな自我を受け、
「夢魔-The Nightmare」の淫魔も、いつもとは違った“魔”で、
この白昼夢を演出して魅せた。
野外特設ステージに煌々と白いライト・アップがされれば、頭上のビッグ・モニターも真っ白に光る。
この日、“死装束”の“白”で登場していたKNIGHT:櫻井敦司は、神々しく両手を上げ、
この大観衆を受け入れるのだ。
眩しい後光の差すなか、シルエットが浮かび上がる櫻井敦司。
その愛に少しでも、触れようと、オーディエンスは皆、両手を上げて、この光を浴びている。
「夢魔」の強烈な光を浴びて、自ら死の白昼夢へと飛び込んでいくような大観衆。
壮絶な「夢魔-The Nightmare」のイントロに導かれて、
この横浜自体が、なにか、白い光に呑み込まれて行くようだ。
「ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ」
ツンドラでみる白夜とは、こんな白い光をしているのだろうか?
目が潰れてしまいそうな白光に晒されて、自我は、もうほとんどない。
白い光は徐々に上へと上がって行き、
狂気は天に召されて逝く。
「白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ」
己の血で真っ赤に染まった夜を、白が浄化していくように、
舞い上がって行くオーロラ。
大観衆は、まさにカリスマを崇めている。
カリスマの一人、堕天使:今井寿が、テルミンで、ノイジーなサウンド・エフェクトを駆ける。
精神は覚醒しているが、夢を見ているような状態だ。
ひょっとして、僕はラリってる!?
身体中の血液が、ヘロインとコカインとエクスタシーに人工透析されてしまったみたいだ。
こめかみが、小刻みに震えている。
容赦のない「夢魔-The Nightmare」。
樋口豊が、また目を瞑って身体を揺らしながらへヴィなグルーヴを創り出している。
櫻井敦司は、嘆くメシアのように、大観衆へ手を差し伸べ唄う。
ルシファー今井寿は、下手花道へと愛機シルバーPODを鳴らしなから進む。
ヤガミトールがダイナミックなオカズを打ち鳴らす。
白夜の白い光が天に召されると、ステージは、血染めの真紅に戻り、現実世界に引き戻されたようだ。
櫻井敦司は一心不乱に唄い続ける。
花道では、今井寿が、独特の狂気のフレーズで暴走し始めている。
七色の発光する大観覧車を背に、レッド・バニーを掻き鳴らす星野英彦も、
やや興奮を抑えきれずにオーバーアクションでトランスしている。
今井寿が花道の最先端まで辿りつくとメインステージは暗転し、
左手花道のみが、白色にライト・アップされる。
青く染まったメインステージでは、魔王:櫻井敦司が再び降臨し、
それを祝うような旋律をルシファー:今井寿が奏でるのだ。
打ち込みのDATサウンドに身を委ねて堕天使は、客席を盗み見ながら身を揺らし、
ヤガミトールのオフ・ビートで演出する“降魔の儀式”。
次の瞬間、星野英彦側から“黄色い光”が、一勢放射され、ヒデが“黄色い光”に包まれてバニーを掻き鳴らす。
樋口豊の印象的なスライド・ベース・プレイで、降臨した魔王:櫻井を見て今井寿は再びシルバーPODを駆る。
珍しく髪の毛を振り乱してヒデが、壮厳なリフを聴かせている。
一方、神に謀反を起こしたルシファー:今井は花道で独奏体制だ。
ステージ中央では、魔王:櫻井が、唄いながら跪いてしまう。
この魔王を護るかのように、気が付けば、ルシファー:今井、執事:星野は、布陣を取り直し、
両脇を固め、ギターを響かせる。
そして、背後からは、強力な二人の天使兄弟が、魔王を支えるかのように寄り添う。
「完璧」なる布陣。
誰も、この五角形を突き崩すことは、出来ないだろう。
彼らは・・・BUCK-TICKは「無敵」だ。
そう想わせてくれるくらいの毒気を放つ「夢魔-The Nightmare」。
人生が、壮絶なる戦いの連続であることを我々にも想い起こさせてくれる。
いつまでも、白昼夢は、続きは、しないのだ。
闘いにも、終わりはないのだ。
しかし、チカラを合わせて前に進んで逝こう。
そうして、誰も、現実世界にへと帰って行く。
決して、立ち止りはしない。
例え、これが、“死の行列”であったとしても。
ノイジーな殺シノ調ベが響き渡るなか、
魔王の顔面右半分がモニター・スクリーンに映し出され、少し笑って、こう語った
「ありがとう・・・
これからも・・・
・・・よろしく」
【BUCK-TICK SETLIST】
SE (with KEN ISHII)
1.Baby,I want you(with KEN ISHII)
2.RENDEVOUS~ランデヴー~
3.Alice in Wonder Underground
4.ROMANCE
5.DIABOLO
6.夢魔-The Nightmare
~ENCORE~
1. スピード(with MCU)
2. JUPITER
夢魔-The Nightmare
(作詞:櫻井敦司 / 作曲:今井寿 / 編曲:BUCK-TICK)
ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ
亡霊を追い駆けて 狂人となり走る
白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ
郷愁を想い涙 盲人となり喚く
満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ
幻影を追い駆けて 狂人となり走る
ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ
貴方を夢想い 盲人となり叫ぶ
ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ
ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
白夜の空を 我 朱に染め逝く魂よ
満天のオーロラ 我 切り裂いて逝く魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ
ツンドラの大地 我 死装束の魂よ
黄泉彷徨える 我 百鬼夜行を逝く魂よ

