「20周年おめでとうございます。
最初にお話しを頂いた時は、結構、ビックリしました、というか。
で、出てる人達も、ハッキリ言って、自分だけ、違う感じかな、みたいな。
ちょっと、ドキドキもありつつ。
この後で、BUCK-TICKさんと一曲セッション演るんで。ソッチも楽しみですね」




そう語るゴッドハンドが、控えていた。


2007年9月8日、『BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE』
横浜みなとみらい 新港埠頭特設野外ステージも時計の針は午後20時近くまで来ていて、
予定終了時刻の21時も迫ってきた。

すっかりと夜の闇が、大観覧車やの横浜の夜景の光を引き立てる時間が訪れていた。

ここに、このフェス最後の参加アーティストを迎えることになる。

冒頭のコメントで、KEN ISHII自身も語っているとおり、
彼のパフォーマンスの後には、今宵のホスト:BUCK-TICKとのセッションも予定されていたが、
それが、どういったカタチのモノになるのか、
この会場に集まった“愛”の大観衆は、まだ、知らない。

しかし、この一大イベントも最後の参加アーティストを迎え、
本命:BUCK-TICKの登場を待つ最終局面へと差し掛かっていることだけは、わかっている。
なにか、惜しいような、それでいて、早く、BUCK-TICKの姿が見たいような、
複雑な心境になってくる。

が、どんなときも“時”は待ってはくれない。

明らかに、主役:BUCK-TICKのものと思われるステージ・セッティングのど真ん中に、
DJブースが、取り付けられ、そこにゴッドハンドが登場した。


・・・あの世界のKEN ISHIIである。


ケン・イシイ(Ken Ishii)は、日本のテクノミュージシャン、DJで、
「東洋のテクノ・ゴッド」などの仮称を持つ。

1970年札幌生まれ、東京に育つ。
筑波大学附属駒場中学校・高等学校卒業、一橋大学社会学部卒業。
その後、広告代理店:電通に勤務する。

ミュージシャンとして活動していなくても、充分、日本のエリート・コースを歩んできた人間と言える。

しかし、音楽を通して、通じあえば、そういったバックボーンも、
真っ白に消えてなくなる。

それが、音楽の良さだ。

生まれも、人種も、何も関係ない。

そこに音楽が、あるだけだ。

まさしく、音楽は、地球をひとつに出来るモノなのかもしれない。


本人も語っていた通り、BUCK-TICKのトリビュート・アルバム
『PARADE~RESPECTIVE TRACKS OF BUCK-TICK~』の話が、
このKEN ISHIIに行ったのは、ある種、意外な展開であったかも知れない。

しかしMCUの記事でも語ったが、こういった異業種的なアーティストのエッセンスを、
躊躇せずに取り入れていける才能が、BUCK-TICKというバンドの、
大きな独自性と魅力になっているのは間違いない。

それは、制限なしに広がっていく音楽的世界観の構築を意味する。

そして、そのモトとなっているのが、
あくまで、BUCK-TICKメンバー達の“リスニング・ミュージック”ということになろう。

誤解されないように、述べておきたいが、
BUCK-TICKのメンバーは、決して、“流行”というものを追いかけている訳ではない。
例え、それが、その時、たまたま、時代のトレンドと合致したとしても、
断じて「今、コレがトレンドだから・・・」「売れるには、コレを取り入れよう」などと言う
発想は微塵もないだろう。

しかし、彼らの“リスニング・ミュージック”は、
いわば、“雑食”であることは間違いない。

言い方を変えれば、“こだわりのない”選択で聴いていると言っていいかもしれない。

その中でも、一番、ロック色の強いヤガミトールは、
ブリティッシュ・ロックの金字塔レッド・ツェッペリン(Led Zeppelin)マニアであることは、
有名な話であるが、それでも、ロックドラマーとしては幅広い音楽のリスナーであるし、
パンク、ニューウェイヴ、ゴシックという基本路線はあるものの、
他のメンバーも、本当に様々な音楽を普段から耳にしているらしい。

こと、コンポーザーのふたり。
星野英彦と今井寿に関して、ロックというカテゴリーについての造詣も深いが、
このKEN ISHIIを代表とするテクノ・ミュージックに関しても、
深く、広く、聴き込んでいる節が見受けられる。

特に、今井寿に関しては、“マニアック”という部類に入るであろう。
彼は、音源を求めるのに、タイトルもアーティストも確認せずに、
一度に50枚単位のCDを輸入盤ショップで買い上げるという。

まるで、その業界の業者のような買い付け方であるが、
それを日常生活のなかで、ドップリと浸かる訳だ。

そして、彼の耳に印象に残ったタイトル及びアーティストをチェックするという、
一般のリスナーとは、全く逆の方法論で、聴き込んでいくというのだ。

その中に、KEN ISHIIのような良質のテクノ・アーティストが、入っていたとしても、
なんら不思議ではないだろう。

一般のリスナーが、KEN ISHIIだから、いいだろう、と踏んで購入し、
聴き入る内に、その良さを確認していく、という手順は、今井寿には存在しないのだ。

全く逆で、「オッ!これいいじゃん」と耳にした音が、
「なるほど、この人の音ね」と、再確認するような感覚なのであろう。


そんな妄想は、いいとして、兎に角、このテクノ・ゴッドの降臨は、
また、違った意味で、このフェスの意味合いを幅広いものにしてくれた。

そして、世界レベルでの知名度を誇るテクノ・ゴッド、KEN ISHIIが
のDJプレイは、この夜のメイン・アクターBUCK-TICKの登場を、
ドラマチックに演出するのに、今までとは一風変わった趣向で、観客の目を惹いた。







KEN ISHIIは、1993年、
学生時代に制作したデモテープがベルギーのテクノレーベルR&Sレコーズから採用される。
プリセットがバグ状態になってしまったKORG M1(オールインワンシンセ)を駆使し、
デトロイトテクノの影響下にありつつも独創的な楽曲を製作。

その後リリースされた ファーストミニアルバム『Garden On The Palm』 は、
イギリスの音楽誌「NME」のテクノチャートで第1位を獲得。
当時、日本では全く無名の存在だった為、当初は英国在住の日系人ではないか等、
様々な噂や憶測が飛び交った。

その後、電気グルーヴ等が、このセンセーショナルなテクノ・ミュージシャンを、
逆輸入のカタチで紹介することになる。
一気に、メディアは、それに、喰い付き、日本でもスターダムに伸し上がる。




電気グルーヴ(DENKI GROOVE)は、日本を代表するテクノ・バンドである。

1989年に石野卓球を中心に結成。
1991年、シングル「RHYTHM RED BEAT BLACK (Version 300000000000) / TMN VS 電気GROOVE」
でメジャーデビューを果たす。
その後、アルバム『FLASH PAPA』をリリースし、本格的に頭角を現すと、
YMO以来のテクノ・ブームを引率することになる。

度重なるメンバーチェンジを経て、
現在のメンバーは石野卓球、ピエール瀧の2人。

テクノを中心とした電子音楽による楽曲を音楽的特徴とするサウンドで、
結成当初はヴォーカルスタイルにラップの方法論を取り入れていた為、
ヒップホップグループに分類される事も多かったが、
1993年のアルバム『VITAMIN』のリリース以降、
より純粋に電子音楽を主体としたスタイルへと移行する。
その頃より日本国内での活動と並行し、
MAYDAYへの参加など外国でのリリースやライヴ活動も精力的に行う。
そのため評価は日本だけでなくヨーロッパ圏のテクノ・シーンでも高い。

一方、前身となったインディーズバンド人生に代表される、
かつてのナゴムレコード周辺の「ナゴム系」バンドの傾向・特徴も受継いでおり、
特異な歌詞とパフォーマンス、発言の数々は音楽性と並んでサブカルチャー的な支持を集めている。

日本では逆にそういった部分を苦手と言われる場合もあるが、
一方で石野卓球が細川ふみえや篠原ともえをプロデュースした際はかわいらしい歌詞や、
最高売り上げ記録を持つシングル「Shangri-La」などの、
彼らの普段とは方向性が異なる楽曲も存在する。

彼らの代表的なヒットシングルは「Shangri-La」や「N.O.」であるが、
この「N.O.」にKEN ISHIIが参画している。


1994年2月2日にリリースされた電気グルーヴの3枚目のアルバム『VITAMIN』に収録される
3曲目「N.O. (Ken Ishii Reproduction)」とクレジットされた。
それが、シングルカットされ電気グルーヴの3枚目のシングルとなり最高21位(オリコン) ヒットを記録した。

この楽曲は、もともとは『662 BPM BY DG』に収録されていた「無能の人(LESS THAN ZERO)」のリメイクで、
「人生」解散当時の石野の心情を歌ったもの。
一部歌詞を書き直し、トラックも新規に製作された。
タイトルは歌詞で語られている内容の当時に暮れなずむ石野の心を癒してくれたイギリスのバンド
「ニュー・オーダー」の略だが、
後の「The Last Supper」収録時には「Nord Ost」と改めて付け加えられている。

トラックのコンセプトは、子門'z名義の「トランジスタラジオ」に続いて完全居酒屋対応チューン。
この楽曲はメジャーデビュー後もファンからのリメイクの要望が強く、
石野もそれを望んではいたが、
いささか正統派ポップス歌謡的なその内容は『VITAMIN』当時の電気グルーヴにとって
目指していたベクトルと正反対に位置する楽曲であったのも事実だった。

しかし、インスト楽曲中心で構成された『VITAMIN』の内容に
危機感をもったレコード会社側が急遽アルバムのラストにこの楽曲を収録する事を命じ、
メンバーは「ボーナストラック」扱いで全曲の最後に収録することを条件に
渋々それを飲んだというエピソードが残っている。

同時収録の「Ken Ishii Reproduction」はKEN ISHIIとしては初のリミックス提供作品。
このシングルが発売された当時、すでにKEN ISHIIは、
海外のR&Sや+8といった当時のテクノ主力レーベルから作品を発表してはいたが、
日本ではその情報がほとんど皆無に等しかった時代であり、
石野も渡英した際に現地のテクノファンにその名を知らされた程であった。

帰国後すぐさま電気グルーヴの「オールナイトニッポン」では、
KEN ISHIIのナンバー1アルバム『Garden On The Palm』の収録曲がOAされた。
当初は海外在住であるとか、日系人ではないか?といった憶測も飛んだが、
実は彼がずっと日本に在住していた事が発覚すると、
すぐさま石野はコンタクトをとり、本リミックスの制作が実現した。
初対面の際には石野とKEN ISHII、お互いの当時の彼女が同席して紹介しあったらしい。

のちにダンス・フロア方面に開眼する「EXTRA」以前の実験的なスタイルで、
ほとんどKORG社製M1とAKAIのサンプラーで作られた極めてチープな製作環境ではあったが、
未だ総てのKEN ISHIIの作品においても屈指の出来と評価の高い名仕事である。

一部ノイズが入っているが、このリミックス制作当時、
ギタリストの友人がKEN ISHIIの自宅スタジオを訪れた際に、
ミキサーにギターをつなぎ全開で音を出して以降、ノイズが入るようになってしまったとのこと。

楽曲中のサンプリングフレーズ『We like the music, we like the disco sound, hey!!』は、
イギリスのユニットポップ・ウィル・イート・イットセルフの
1989年のシングル「Can U Dig It?」からのサンプリングボイスである。


アルバム『662 BPM BY DG』製作時の電気グルーヴのスタイルは、
サンプリングを売り物にしていたポップ・ウィル・イート・イットセルフの手法を
参考に確立されたものであるが、
ポップ・ウィル・イート・イットセルフは、
もともと1977年のディスコヒット、ベル・エポック (Belle Epoque) の「Black is black」から
このフレーズをサンプリングしているため、
電気グルーヴの引用は孫引きということになる。
なお、ベル・エポックの「Black is black」は、
スペインのグループ Los Bravosの原曲をディスコ調にカヴァーしたものであり、
『We like the music, we like the disco sound, hey!!』のフレーズも
この時のディスコアレンジで加えられたものである。






このようなカタチで英国と母国日本で、センセーショナルに登場したKEN ISHIIは、
1990年代以降、日本人のテクノミュージシャンで海外で本格的に評価された最初の人物であり、
その道を切り開いた功績は大きい。

続く1995年12月1日リリースのセカンドアルバム『Jelly Tones』は、
その音の美しさ、繊細さと独特なビートで世界を席巻、瞬く間に頂点に駆け上った。
このアルバムでは従来のリスニング路線に加え、
ダンスビートをより意識した作風へと徐々に変化を遂げた。

尚、このアルバムのジャケット及び一曲目の「EXTRA」のヴィデオ・クリップは、
長篇アニメ『AKIRA』等で有名なアニメータークリエーター森本晃司に依るもの。原画は福島敦子による。

1996年はsublime/Flare名義のアルバム『Grip』(sublime/Flare名義)
『Re Grip』(sublime/Flare名義 『Grip』のリミックス盤)をリリース。
1998年1月1日には、アルバム『Metal Blue America』をリリースしている。
同アルバム初回限定盤のみ収録のボーナストラック「drummelter」が、
テレビ朝日「ル・マン24時間レース」のイメージソングに起用された。

1999年5月21日には『Sleeping Madness』を発表。
続いて 2000年8月18日『Flatspin』 、2002年10月30日『Future In Light』をリリースして、
高水準のテクノ・パフォーマンスを提供し続けている。

現在では、「KEN ISHII」名義および別名義「FLR」での活動は、
日本のサブライムレコーズからのリリースが中心となっている。
また、楽曲制作と並行してDJとしての活動も精力的に行っており、
2004年のIbiza DJ awardのテクノ部門においてグランプリを受賞した。
毎年恒例のREEL UPというイベントをサブライムレコーズのDJ YAMAと主催している。


2007年9月8日、『BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE』
横浜みなとみらい 新港埠頭特設野外ステージに登場したKEN ISHII。
モニター・スクリーンに映し出されるターンテーブルさばきに注目が集まる。
ストイックでありながら、
じわじわと高揚感を増していくセンスとクオリティは彼ならではのものであった。








1990年代からアーティスト、DJ、プロデューサー、リミキサーとして、
日本のシーンを牽引してきたKEN ISHIIの
実に4年ぶりの待望のニューアルバム『SUNRISER』を2006年11月1日リリース。

テクノは極論するとリスナーの生理に合う合わないが評価の分かれ目だが、
彼の作品からは音響の快楽とともに男気が感じられるのがポイントだ。

1年間の2/3にも及ぶ世界中を駆け巡るDJツアーを敢行し、
自身のルーツとなるデトロイト・テクノのスタイルをさらに昇華させつつ、
オリジナリティ溢れるアイディアを盛り込み創られた数々の新曲を披露した。

様々なアーティスト達との交流の中で生まれたコラボレーションが収められた全11曲収録された。

「自分なりのテクノをこのアルバムでやり切ろうと思った」
とKEN ISHII本人がコメントしているが、

このアルバムのキーワードでもある「日はまた昇る=Sunriser」は、
日本のテクノ・ゴッドの堂々たるテクノ・アルバムだ。
同アルバムは、彼が理想とする、テクノ本来のヴァイブをシーンにリプレゼントする内容で、
7th Gate、ファブライス・リグ、ブライアン・ゼンツ、ファンク・ディヴォイド
との共作を含む各トラックからは、明るく開放感に満ちたシンセと、
ポジティブなダンスビートが聴こえてくる。

テクノに対するストレートな想いを託したこのアルバムについて、KEN ISHIIが語っている。

(以下、インタヴューより引用)







“テクノ=太陽”を、もう一回昇らせたい。

—今作は“日はまた昇る”がキーワードとなっていますね。この言葉を思いついた経緯を教えてください。


「前作は“自分のつくりたいものを素直につくる”というところからスタートしたんです。
自分なりに一回プレーンな状態に戻って、ある種まっさらな状態でアルバムをつくり、
4年間くらいずっとツアーをしました。
で、そのツアーを通して、シーンは変わっていないようで少しずつ変わっていて、
自分が本来好きだった、デトロイトに起源をもつようなテクノが弱くなっていると感じたんです。
ヨーロッパはもちろん、アジア、南米、アメリカで、似たようなことを感じました。
だから、“自分が好きな、本来の意味でのテクノに、もう一回帰ってきてほしい。
あるいは、自分自身が、そういったテクノが帰ってくる力になれればいい”と思ったんです」

—それで“Sunriser”というタイトルなんですね。

「“テクノ=太陽”をもう一回昇らせたい、ということですね。
もしくは、帰ってくるスピードを加速させたいということです」

—そんな意味合いを含んでいるからだと思いますが、今作にはネガティブな雰囲気は一切なく、
ケン・イシイさんらしい明るさが全体を支配していますね。

「そう思います。
実際に、ここ数年の精神状態は一貫してポジティブだったんです。
だんだんリラックスした状態でいられる方法もわかってきましたしね。
そういう意味では、ずっと明るいトーンできていたので、
今回はそれがストレートに出てるんじゃないかな。
昔からそうなんですが、その時々に自分が持っている気分が、曲にすごく出るんですよ」

—ここ数年、ネガティブな気分になる要素は、あまり見当りませんでしたか?

「世の中的にはいろいろありましたけどね。
だから、そういう中に、何か明るく照らすものがあってもいいだろうと、前作のときから思っていました。
僕は性善説に立っているというか(笑)、どちらかと言うと希望を見ていたいタイプなんです。
普通、人は放っておいたら何となく不安になるものかもしれないけど、
そうならずに、常に自分を奮い立たせ、何か明るい材料を持って生きたいと思っているんです。
それは、この仕事が終わったら休みをとってどこかに行こう、といったシンプルなことでもいいんです」

—なるほど。それはポジティヴな姿勢ですね。新作の話に戻りますが、サウンド面では、
ダンスビートの上で奏でられるシンセの音色やメロディがとりわけ印象的です。
先ほど“デトロイトに起源をもつようなテクノ”という言葉がありましたが、
やはりデトロイト・テクノを継承したサウンドをやろうという意識があるのですか?

「いや、意識はしていませんね。
デトロイト・テクノは自分が影響を受けた音楽ではあるんですけど、
作品は、いわゆるデトロイト・テクノではなくて、自分の色になっています。
黒でもなく、白でもなく、黄色に(笑)。
全体的に黄色やオレンジ、そういう明るい暖色系の色になる感じがします。
たしかに今作では、シンセというか、キーボードのサウンドを中心にして、
曲をつくろうという気持ちはありましたけどね」

—7th Gate、ファブライス・リグ、ブライアン・ゼンツ、ファンク・ディヴォイドの
4アーティストと共作していますが、これはどのような経緯で実現したのでしょうか?

「今回一緒にやったアーティストとは、本当にごくごく自然に、
いわゆるインターナショナルな活動をする中で知り合って、友達になったんです。
だから、“じゃ、なんか一緒にやろうぜ”ってところからスタートしています。
音楽的にもある種共通する想いを持っている、“ちゃんとしたテクノ”がやりたい人達なんですよ」

—ところで、今回のアルバム・ジャケットにタコがあしらわれているのは、どうしてなんでしょうか?

「タコが好きなんですよ。食べるのがね(笑)。
今回のアルバムは、本当に自分が好きなように好きなものをつくったという感じなので、
アートワークもそうしたいと思ったんです。
実は、ここ4、5年くらいで一番DJプレイしている国はスペインで、
本当によくスペインに行っているんですけど、
スペイン北部ガリシア地方には
プルポ・ア・ラ・ガジェーガ(Pulpo a la Gallega)というタコ料理があるんです。
それを食べて、あらためてタコの美味しさに気づいたんです」

—ケンイシイさんの性格は、スペインのラテン的ムードと合うんでしょうね。

「なんかね、合っちゃいましたね。
十代の頃は、自分は東京っぽい、セカセカした感じの人間だと思っていたんですよ。
でも、スペインとかフランスの地中海沿岸あたりによく行くようになったら、
そこが妙に合ってしまいました。
10年前とは違って、今はのびのびとした環境でゆっくりしているのが楽しいんです」

—では、今後の活動予定を教えてください。

「年内は、基本は国内で、ちょこちょことヨーロッパ、という感じです。
久しぶりのアルバムなので、まずはそのツアーをしっかりやりたいですね。
アムステルダムのゴッホ美術館でも、ビジュアルと音楽のアートイベントをやることになっているんですよ。
普段やっているところと違って、非常に敷居が高い場所でのプレイになるので、楽しみですね」

—新プロジェクトの構想はありますか?

「相変わらずいろいろと旅が多いので、より旅に密着したプロジェクトをやってみたいですね。
例えば、ブラジルでもアジアでもいいんですけど、行った先々の地域で愛されてる音楽を取り入れて、
旅日記的なアルバムをつくってみたいと思っています」

(interview & text FUMINORI TANIUE)

(以上、引用抜粋)








KEN ISHIIは、リズムから緻密に音を重ねていくことでその場で創られたとは思えない程、
質の高いサウンドを構築していく。
モニターにはDJプレイに集中するISHIIの姿が映し出され、多くの観客は真剣に見入っていた。
会場の照明と美しい夜景によって、贅沢なクラブ空間が創り上げられるとオーディエンスは、
ゆっくりと身体を揺らしながら、彼の創り出すサウンドに溺れて行く。


音楽のセンスとは、タイミングである。


彼のクリエイトするサウンドは、適材適所。
そう、あるべきところに、それが存在するといった凄みを感じる。

一寸、早くなく、一寸、遅れず、ジャストのタイミングで、サウンドをすべり込ませていくKEN ISHII。
そのサウンドの洪水に、なにか、現実に夢を見ているような感覚で、
オーディエンスが引き込めれて行く。

KEN ISHIIは、恐縮したコメントと相反して、漲る自信のプレイで、
微笑んで見せるのだ。


そして、彼の登場こそが、BUCK-TICKのドラマチックな、
アニヴァーサリー・ライヴの狼煙となるのだ。






【KEN ISHII SETLIST】

1.The Cooky Factory Ltd 9 “What The Fuck”
2.The Cooky Factory Ltd 10 “I Just Want To”
3.Pedro Delgardo "Alzir On (Marko Nastic Remix)"



$【ROMANCE】