「暑い(笑)!!

・・・でも、そんなの関係ねぇ!」





『ウッドストック・フェスティバル(Woodstock Music and Art Festival)』が再来したかのような、
時空を超えるライヴ・アクトをBUCK-TICKと、そのファン達に垣間見せたTHEATRE BROOKの
芸術的ともいえる25分間の「One Fine Morning」のライヴアクトに続き、

台風一過の『BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE』の横浜みなとみらい
新港埠頭特設野外ステージに、またもや、時空を超えてやって来たかのような、
中世の貴族のような衣装に身を纏った土屋昌巳が登場したのは午後17時を周ったところだ。

海風が心地よく吹き付ける時間に差し掛かってはいたが、
佐藤タイジが、叫んでいた通りに、この日の晴天の青空からは、まだまだ、
強い日差しが降り注いでいた。


その中世貴族の出で立ちを見て、特設会場からは溜息がもれる・・・

なんたる【ROMANCE】か!

その貴族紳士の後に続いて、ライヴツアー【PARADE】の
2007年7月7日(土)の七夕の特別な夜に、東京/Zepp Tokyo公演にゲスト出演したメンバーが、
そのまま、この横浜にも、集結していた。



ロックンロールの雛型に、ガールズ・バンドというカテゴリーが存在する。
ガールズ・バンドとは女性だけで構成されているバンドのことである。

アイドルっぽさとポップさを売りにしているバンドが多いが、
男性だけのバンドに劣らないロックで魅せることもある。
このようなバンドの事を特に「ガールズロックバンド」や「女性ロックバンド」とも呼ぶ。
特にロックのジャンルでは弦楽器、打楽器の演奏者は現在も男性が圧倒的に多く、
女性のみで構成されるガールズバンドは男性のみで構成されるバンド、
男女混合バンドと比べてその数は少ない傾向にある。

アメリカやヨーロッパでは多くのガールズバンドが存在している。
日本ではそれほど多くないが、プリンセス・プリンセスが特に有名であろう。


この日も、土屋昌巳は、4人編成のメンバーの内、
その半数の2名を女性で構成し、堂々とこのステージに姿を現した。


タダモノではない。


なんの音楽的思慮なしに、この土屋昌巳が、こういった編成のバンドを組むとは、考えられない。

そして、それは、彼らが演奏を始めた直後、
誰の耳にも“確信”に似た、解釈が、頭に浮かんだことだろう。

ひとことでいうと、男性には、表現不可能な“ぬくもり”がそこには、存在した。

容姿やファッションだけで、土屋昌巳が、こういった編成を試みたわけではないのだ。
そんな、魅力を振りまくベーシスト:TOKIEとドラムス:ひぐちしょうこのふたり。

ひらひらと可憐に、ワンピース姿で、定ポジションに付き、
楽器を前にした途端に、その顔付きが変化したのが、わかる。

彼女達は、“ぬくもり”と共に、プロフェショナルとしての“きびしさ”を併せ持つ、
ミュージシャンである。

その後ろから、土屋昌巳と同等のキャリアを有するスティーヴ・エトウが、
余裕の笑顔を称えてポジションに付く。

この日、先に登場したATTACK HAUSのMASASHIも言っていたが、
「身体、やわらかくしていこう!」という概念が、
自然と身に携えているかのような、身のこなし。

それが、全身を使って“音”を表現するパーカッショニストの
肉体を表現するような、ステーヴ・エトウの佇まい。

「さて、今日も、いつもどおり、そして、いつも以上に特別のグルーヴを」

そんな、少し肩の力を抜いたような佇まいで、壮絶なリズム・サークルを創り出すことになる。


仏のようなやさしい笑顔を浮かべ愛機フェンダー・ジャズマスターを肩にかける
貴公子=土屋昌巳。


こんなやさしい表情では、あるが、ロックを奏で出すと、
まるで“悪魔”のパワーを引き出すようなミュージシャンの土屋昌巳は、
美女軍団を侍らせて登場する、闇の帝王といった風情すら感じる。

そして、何も、かも、を知り尽くした執事=スティーヴ・エトウが、
その傍らに、一時も離れずに付き添っている。

この日1番の緊張感が漂う中、
鍛え抜かれたリズム感覚を持つサポートメンバー達が原始的なリズムを生み出していくと、
土屋昌巳のギターが加わり強力な磁場が生まれる。

そんな“音楽集団”だ。

独特の威圧感に呑み込まれたかのようにステージ上を見つめるオーディエンス達へ、
土屋昌巳はポジションに付くなり真っ先に、まずスタッフへの感謝の気持ちを述べはじめる。


「今日は、一点の曇りもない、素晴らしいお日和になりました…。

 でもね…。

 実はこの舞台…造るの、あの、あの!台風の中を!

 …ここまで、築きあげてくれたんですね。

 だから…

(大きな拍手)だから…とってもスタッフに感謝してます!」



と言いながらバックステージの方を向いて、腕を合わせて深く頭を下げる。


昨日までの台風9号が凄かった事、
そして、その中を3日前からスタッフがこの巨大なセットを組んでくれたこと。

BUCK-TICKのメンバーも繰り返し、この日のフェスの妄想を現実化してくれた
スタッフに感謝を述べるコメントを繰り返していたが、
彼は、自身の演奏を始める前に、それに、触れたくてしかたなかった、という。

夜を徹しステージを構築してくれたスタッフ。
本当に彼らに感謝したい気持ちだ、と。

ありがとう、と。

彼らが、いるから、僕達は、音楽が出来る。
“愛”をみんなに、伝えることが、出来る。

それが、いかに、素晴らしいことか。

それを、誰よりも感じているは、パフォーマンスするアーティストに違いないのだ。

そして、それを受け取るリスナーも、それに気付き、“感謝”すれば…

“祝福”という名の“Loop”は、ここに完成を見るのだ。

それは、思惟の世界でもあるかもしれない。

しかし、奇跡というものが、起きるとしたら、そんな土壌が必要不可欠なのだ。


ありがとう。スタッフ。

ありがとう。BUCK-TICK。

ありがとう。お客さん。

ありがとう。遠く何処かで、この音を聴いてくれている、あなた。

土屋昌巳のこんな気持ちが、伝わってくるようなコメントであった。


そう、ひとりで出来る“仕事”など、
なにひとつ、この世には、存在しないのだ。

すべてのステーク・ホルダーに、“愛”を込めて・・・。

この日も、土屋昌巳は、全身全霊の“愛”を込めて、
ギターを、“唄わせる”のだ。

こんな【ROMANCE】を捧いでくれる人物は、土屋昌巳か、ジーザス・クライストくらいだろう。

かつて、この【BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE】出演前の
2006年のYAHOO!『ギターラボ』のインタヴューで土屋昌巳は、こんなコメントを残している。


(以下、『ギターラボ』より引用)






「なんかね、人が多すぎるんですよ。そこに尽きます。
 結局、戦争ってそういうことですもんね。
 食べるものと住むところの略奪のし合いなわけでしょう、要するに。
 それで、自分のところで石油が足りないから、あるところから取っちゃえみたいな。
 単純にそういうことですよね。でもそろそろ神様も決断を下すでしょう。ザーッと整理して。」

■「ジャッジメント・デイ」がくるんでしょうか。

「まちがいなくくるでしょう。やっぱり宇宙はそうやってバランスを取っていますからね。
 地球が勝手にオゾン層に穴を開けたりしちゃったから近くの月とかね、
 火星とか木星とか周りのものにも影響が出てるんじゃないんですか。
 宇宙空間としてのバランス? 要するに人間だってケガしたら治そうとするわけですよね。
 それと同じですよ。要するに、ケガしちゃってる惑星が1個あるわけで。」

■ええ。

「それを治癒しようとするわけですよね。そんでダーッと一回清潔に。
 30人くらいしか残らないんじゃないですかね。」

■30人!?

(一同笑)

「そうしたら、戦争起きないですよ(笑)。楽しくてしょうがないでしょうからね。
 いい世界になると思いますよー、30人で(笑)、平和に暮らして。
 男女合わせて30人、そこはバランスよくね。
 で、バンバン子ども産んでね、30人が60人になって……。」

(一同笑)

「美しいなあ。そのときの地球が一番美しいんじゃないですかね。」



(以上、引用)








その後、土屋昌巳は、

聖書の存在以前(紀元前)から、戦争を繰り返している中近東イスラエルを、
イエス・キリスト=ジーザス・クラストが治められなかったのに、
ジョージ・ブッシュに出来るわけがない。

というような発言をしている。

彼にとっての「綺麗な場所」は、そんな到達点なのかも知れない。


まるで、哲学者のようなミュージシャン=土屋昌巳の存在感と“愛”に、
胸を撃たれ、ジーンと聞き入る特設会場のオーディエンス。

否、土屋昌巳は、哲学者ではなく、素晴らしい常識人なのだ。

このフェスでも、一番のベテラン・ミュージシャンである土屋昌巳は、
後輩ミュージシャンに、人間の“基本中の基本”を教え諭しているかのようだ。
“基本中の基本”こそ、最も難しく、大切な事・・・。

同インタビューでも語っていたが、
彼はミュージャンである前に、まず素晴らしい人間なのだ。


当然、他のミュージシャンもスタッフに感謝している。

しかし、それを能動的な行動に表すことが出来る人間は、素晴らしい。

その気持ちを実際に口に出す姿に、改めて土屋昌巳へのリスペクトを強める他ない。

他のミュージシャンではなく、一番のベテランである土屋の口から
最初にそう言う言葉が出た、と言う事実にも感嘆の意を禁じ得ない。



「だから、僕も今日は…、
 とっておきのよそいきでやって参りました」




しかし、そんな尊敬の眼差しすら、この土屋昌巳というゴシックの旗手は、
いとも簡単に覆して魅せる。


「暑い!!
 ・・・でも、そんなの関係ねぇ!」



と某若手芸人風のMCで会場を和ませてしまったのだ。


「じゃあ・・・いきます!」

と軽快に演奏に入る土屋昌巳。
ピック・プレイから指弾きで妖艶な世界を醸し出していく「Spider & Pirates」。

スリリングな展開に絡みつくようなリズムを鼓動させるスティーヴ・エトウが、
彼もまた、スティック・プレイと素手のパフォーマンスを織り交ぜながら、
大きなグルーヴの波を創り出していく。

ドラムキットを前にして、キュートな表情も顔付きが変わったひぐちしょうこ。


彼女の姿は、CX系人気番組『堂本兄弟』にも出演して目にしている方も多いと思うが、
「ショーコ」の芸名でspeenaのドラムとして活動し、2005年8月19日にspeenaを脱退した。
speenaは、2000年10月18日、シングル「Calm Soul」で、
周防彰悟プロデュースのもと、avex traxよりメジャーデビューしている。
メンバーはカナコ (ヴォーカル)、シホ(ギター)、
そして旧名:ショーコ(ドラム)で結成されたガールズ・バンドだ。

speena脱退後は、ショーコは「ひぐちしょうこ」名義へ改名し、
堂本剛、清春、扇愛奈などのアーティストのバックバンドメンバーとして活躍している。

男性顔負けのパワフルなドラミングが特徴的で、清春にも“実力派ドラマー”と称されたことがある。

土屋昌巳は、彼女の、パワフルなプレイのなかに見せる女性特有の温かさを、
見逃しはしなかった。
それを、引き出すのは、ベテラン・パーカッショニスト、ステーヴ・エトウ。
彼の先導するグルーヴに、必死に付いていく ひぐちしょうこ の潜在的な温かさに、
今回のバンド編成のアイディアを見い出したに違いない。

老獪なベテランの鼓動に、若き乙女の赤い血が混じり合い、
そこには、奇跡的といえるアンサンブルが誕生する。

穿った見方をすれば、背伸びするひぐちしょうこのドラミングに奇跡を信じた。


見た目に可愛らしいワンピースにジーンズ姿の彼女。

華奢で小柄な印象を受ける彼女の潜在的な能力こそ、
何処にでも良そうな普通の女の子が繰り出す、圧倒的な演奏力と破壊力。

そのギャップこそが、最大のこのバンドの魅力であり、
ジャズマスターを滑らせる魔術師=土屋昌巳のマジックの効果を増幅させる装置だ。

彼女に限らず、女性は、楽器演奏するのに身体的ハンデが存在する。
特にロック系は。ドラムという楽器は、単純にパワーを有する男性の方が有利である。
単なるスピード勝負なら、到底、勝ち目がないかも知れない。

しかし、グルーヴは決して、スピードだけではない。

波打つような、感情の機微・・・。
そして、胸を熱く打つ鼓動の高なりこそが、グルーヴを生み出す。

そうして、魔術師:土屋昌巳に睨んだ通り、ベテラン=エトウとのアンサンブルは、
素晴らしいグルーヴを生み出していた。






そして、もう一人。

美麗のベーシストが、ステージに存在した。

TOKIE。

ドラムに限らず、弦楽器にしても、特にボディの大きなベースは、
単純に、手のひらのサイズが、男性ベーシストとのハンデとなる。

しかし、そこを男性と同じように、力でねじ伏せるのではなく、
しなやかに全身のバネを遣い、素晴らしいサウンドで、魔術師;土屋のギター・プレイに絡み合う。

そんな魅力に、魅入ってしまうような女性アーティストが、TOKIEである。


彼女は中学時代にブラスバンド部に入り、コントラバスをはじめたのが音楽との初め接触であった。
高校時代からエレクトリック・ベースに魅入られる。

1989年8月5日に、ガールズバンド、NORMA JEANのベーシストとして
1980年後半のバンド・ブームの象徴番組『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場する。

このNORMA JEAN(ノーマ・ジーン)は、主に1990年代前期に活躍していた日本のガールズバンドで、
バンド名は稀代有名女優の“マリリン・モンロー”の本名に因んで付けられた。
いわゆるイカ天出身バンドの一つで、
1990年4月25日にBMGビクターからシングル「GET A cHANCE!!」でメジャーデビューを果たし、
オリコンのチャートで最高9位を記録する。
メジャーシーンの人気音楽番組『夜のヒットスタジオSUPER』などにも出演する活躍ぶりを見せた。
その後、バンドとしての活動はメンバーの結婚などもあり、1994年頃に休止している。

1989年8月5日に『三宅裕司のいかすバンド天国』に出場、
「NO PAINS NO GAINS」を演奏し、
イカ天キング宮尾すすむと日本の社長(楽曲は「夏はあきらめた」)との直接対決に
審査員投票4対3で勝って11代目イカ天キングとなる。
この週には当時日本のガールズバンドの代表格だったプリンセス・プリンセスからFAXが届いている。
なお、二回目以降のNORMA JEAN出演にはTOKIEは参加していない。

1993年には、ニューヨークに渡り、
アメリカ人、フランス人、イスラエル人など多国籍の外国人でバンド サルファー を結成、
ニューヨークの【CBGB'S】などで演奏を経験している。

1997年、ロック・バンドRIZE結成し、JESSE、金子、TOKIEの3ピースで、
下北沢を中心にライブ活動を始める。

2000年7月に第10回北沢音楽祭出演し、8月エピックレコードジャパンより、
「カミナリ」でメジャーデビューを果たす。
次作「Why I'm Me」がヒットし、続いてアルバム『ROOKEY 』をリリースした。

同時にベースのTOKIEは脱退し、u:zoと中尾が加入している。

2000年、元BLANKEY JET CITYの浅井健一と、
シンガーソングライターのUAを中心とした男女4人で構成されるAJICO(アジコ)に、
椎野恭一とともに参加、
このAJICO結成の切っ掛けは、UAのアルバム『turbo』(1999年)に
楽曲「ストロベリータイムと「午後」を浅井健一が提供し、
レコーディング終了翌日に浅井健一がUAの留守電に、
「バンド組もう」というメッセージを残したことによる。
椎野恭一はUAが希望し、ベースは“女で、アップライトが弾ける人”というのを決めていて、
後日浅井健一がとあるイべントでTOKIEを見つけたというエピソードがある。
(※浅井健一曰く「合わせてみたら、その感触がすごかった」)

2000年末に活動を開始させたAJICOは、
その後数枚の作品を発表するも、
結成翌年の3月20日に赤坂BLITZで行われた「2001年AJICOの旅」ツアーファイナルを最後に
活動を停止した。

続いてTOKIEは2001年、元BLANKEY JET CITYの中村達也率いるLOSALIOSに加入する。

この一連の BLANKEY JET CITY人脈との繋がりが、TOKIEと土屋昌巳を引き合わせた。

このBLANKEY JET CITYも、いわゆる「イカ天」出身のロック・バンドであるが、
1990年8月4日、「イカ天」に出演。
1週目に「CAT WAS DEAD」を演奏、COLLAGEを下し、25代目イカ天キングとなった。
2週目には、「MOTHER」を演奏。
この週は有機生命体を5-2というスコアで下し、イカ天キングを維持した。
そして3週目は、「不良少年のうた」を演奏し、So What!に7-0で圧勝。
4週目は、「僕の心を取り戻すために」を演奏。
浅井健一は、風邪を引いていて声がガラガラだったが、
それでも審査員に好評だったウェザーコックスに7-0で圧勝。
そして最後の5週目は、「狂った朝日」を演奏、CHICK BEにやはり7-0で圧勝し、
見事5週連続勝ち抜きを果たし、第6代グランドイカ天キングを獲得した。
これがメジャーデビューのきっかけとなる。

1991年4月、ロンドンでレコーディングされたデビューアルバム『Red Guitar And The Truth』を
名門東芝EMIからリリース。
このアルバムはオリコン初登場8位と好セールスを記録したが、
製作する中で担当プロデューサーJEREMY GREENとの音楽的な不釣合いがあり、
本人たちにとっては不満の残る仕上がりとなった。

そしてBLANKEY JET CITYはデビューアルバム後からプロデューサーとして迎えた土屋昌巳との共作を始める。

このBLANKEY JET CITYとの出逢いを土屋昌巳は、こう語る。

(以下、『ギターラボ』より引用)






■本当に自分たちの感性と魂込めて、いい音楽作ろうと思ってらっしゃる方を紹介したい、
と思ってこの特集も続けているんですが、そういうアーティストの作品って、
正直実際問題売れないんですよ。本当にその、1万2万(枚)が大変だって言うような……。

「ええ。たぶん……10万人いないんじゃないですか? 
特にロックがホントに好きな人って、日本中で。」

■ああ……。

「僕はたまたま90年代が始まったころに「ブランキー・ジェット・シティ」っていうのを、
ずっと(プロデュース)やってて。」

■ええ。

「僕も全力でやったし、彼らも全力でやったし。
で、これで売れなかったら変だってとこまで作りこんでいって……。
でもやっぱり10万(枚)でしたからね。」

■うーん。

「だから、レコード会社からはかなりの圧力が僕のところに来ましたけどね。
「30万売れ、40万売れ」って。
結局そうなってくると、ある種の社会現象っていうか、
そのロックじゃない部分の要素を入れていって、
俗に言う「わかりやすい」とか「歌いやすい」とか。
カラオケ行って歌いやすいとか。
「ブランキー」なんか、カラオケで絶対歌えないですからね(笑)。」

(一同笑)

「だけど、とってもうれしかったのは、ロックが本当に好きな人は、ほとんど買ってくれてたんですよね。
やっぱり評価もすごい高かったし。
でも結局、世の中を変えていくものってそういうものなんですよ。」

■ええ。

「だからってやってる方は、自分たちが犠牲になって踏み台になってなんて思ってないですしね。
僕も楽しくてしょうがないわけで。
要は、作り手側が、それだけの枚数で生活していけるだけの質素な暮らしをすれば良いわけでね。
何も六本木ヒルズに住みたいとか思ったらロックなんか、やらなければ良いわけだし(笑)。」

存在がロック。あと2、30年は出てこない逸材

■確かにそうですね(笑)。
僕も「ブランキー」は「イカ天」で見ていたんですが、やっぱり衝撃的で。

「ああ、やっぱり。」

■アルバムも買っちゃいましたし。

「まあ、後2、30年は出てこないんじゃないですかね。」

■「ブランキー」に関しては、
たまたま土屋さんが(イカ天)の審査員でいらっしゃったってことも関わりがある…?

「あ、あのね。僕はある事情で、かなり初期に(イカ天の審査員を)辞めていて。

だから、吉田健さんとか、あのころ出てきたんじゃないですか。」

■あ、そうでしたね。

「だから僕は、「イカ天」では、会ってないんです。
後で聞いて「ああ、出ていたんだ」って知ったのね。
僕は80年代は日本とロンドンを行ったり来たりしていたんですが、90年に引っ越しちゃったんです。
そのときに、たまたま知り合いのディレクターが「ブランキー」の担当になっていて。
で、話は聞いてたんで音をまず聴かせてもらって。
「あ、これはおもしろい」って。
だから、ファースト(アルバム)は僕じゃないんですよ。
ファーストをとりに、向こう(海外)のプロデューサーでレコーディングしてたらしくって。
「僕だったら100倍良い環境でやってあげるよ」って僕は言い切ったんです。」

■ええ。

「で、本人たちがもうすばらしくて。
スタジオに遊びに行ったら、もう「ん?」ぐらいしか言わないんですよ。あいさつもしないし(笑)。
「あ、こりゃいいなあ」って。要するにもう「本物のロック」なんですよ。」

■ええ。

「「ああ、どうもどうも初めまして」。そういうあいさつ、一切ない(笑)!
 なんか「う?」ぐらいしか。フッフッフフ(笑)」

(一同笑)

「まぁ、出会いとしては真っ当なんですけど。
そのディレクターの人と、僕がたまたま知り合いで、音を聴いてっていう。
そっから始まったんですけどね。」


(以上、引用)




土屋昌巳とBLANKEY JET CITYについては、また、後日にしよう。(正直、終わりが見えない)

そうやって、TOKIEと土屋昌巳の繋がりは、運命の糸を手繰り合わせて行く。


2007年7月7日のBUCK-TICK20周年アニヴァーサリー・ツアー【PARADE】の、
東京/Zepp Tokyo公演に参戦した土屋昌巳バンドは、
トリビュート楽曲「見えない物を見ようとする誤解 全て誤解だ」で、
櫻井敦司との“奇跡”の融合を披露してみせた。

「見ないと、一生後悔するぞ」という土屋の言葉の通り、
これは、まさしく、一夜限りの“奇跡”となり、この2007年9月8日に、
再度、櫻井敦司が、土屋昌巳のステージに登場することはなかったが、
特設会場の大観衆を前に、これぞ、ジャパン・ゴシックのルーツというパフォーマンスを、
魅せつけていたのは、間違いない。





土屋昌巳のPASSIONと言える「Spider & Spanish Pirates」に続き、
ワイルドに展開する「Snafkin'」では、手元のエフェクターを自在に操りながら演奏し、
圧巻のテクニックを魅せる土屋昌巳。

高強力なテクニックでバンドのグルーヴを引率したステーヴ・エトウ。
それに、挑み掛かるかの如く、自身の新境地を切り開いた ひぐちしょうこ。
そして、美しい土屋の戦慄に絡み合う繊細な輝きを見せたTOKIEが、
この特設ステージを去り、

ひとりステージに残る土屋昌巳。

そして、演奏始める前に



「最後に、人間も虫も動物も全て生命は平等なんだ、
と言った気持ちを込めた歌を聞いて下さい。

そう・・・あと一つだけ・・・。

猫は人の気持ちが読める、ってことが最近、判りました。
最近、僕は猫と暮らしてます。じゃあ・・」




そして始まった新曲は・・・本当に素晴らしかった。
ストラト1本による弾き語りでの新曲「光はみんなに同じだけそそぐ」。
大観衆の1人1人に語りかけるように歌う姿が印象的だった。

楽曲に合わせて、ステージ上にあるモニタースクリーンに、
この特設会場周りの風景が重ね合わされ、
パフォーマンス前にコメントしていた“感謝”の気持ちが、再び、舞い戻ってくる。
この会場全ての人が優しい気持ちになれた、そんな時間であった。



演奏が終了しても、
ステージを去る土屋昌巳への拍手が鳴りやむ事はなかった。


ステージ登板前のコメントで、彼は、

「土屋、全身全霊の“愛”を込めて頑張ります」

と語っていたが、またもや、このベテランは、自分の発言に嘘がないことを、
ここに、証明して魅せたのだ!


土屋昌巳は『ギターラボ』のインタヴューで、BUCK-TICK:櫻井敦司についても語っている。

すこし長くなってしまうが、このインタヴューを再び引用しよう。

(以下『ギターラボ』より)






やる側には使命がある

■音楽の将来、というお話をしたいのですが、いかがでしょう。

「音楽なんて余剰産業ですから。
本当に困ったときに真っ先に切り捨てられる産業ですからね。
だけどね、音楽は人類の歴史から途絶えてないんですよ。」

■ええ。

「話が戻りますけど音楽をやる側はもう少し考えるべきですよね。
(やる側は)ある種使命を持っているんですよ、大げさにいうと。」

■はい。

「ちゃんとしたすばらしい音楽を奏でないといけないっていう。
で、それは何をターゲットにするか、どういう音楽をするかはべつとして、
要するに音を発するっていう責任。それはもう少し考えてほしいと思いますね。」

■ええ。

「要するに「売れりゃいいじゃん!」じゃなくて。
悪いですけどそれが売れちゃったことによって利益を得ているのはほんの一部の人で、
それを聴いた人たちにとって、とても弊害になるような無責任な……。
たとえば僕が大好きな友だちにBUCK-TICKの櫻井(敦司)くんがいるんですけど。」

■ええ。

「かなり過激なことを歌っているんですけども
「僕は自分で責任が取れないことは歌いません」って、
はっきり言ったんですよね。
「すごいなあ、この人」。
日本中のボーカリストがみんなこの人みたいな考えで歌ったら、
絶対売れたことによって弊害になるようなことって起こらないはずなんですけどね。」

■うーん。

「誰も責任取ってないですからね。
本当にいい加減なこと言って。
「売れればいいじゃん?」みたいな。」




BUCK-TICKの櫻井君はすばらしい

■ええ。

「結局ね、これは極論なんですけど
「責任」が「自己顕示欲」よりも上に行ったミュージシャンが「すばらしいミュージシャン」なんですよ。
だから、時間もかかっちゃうしお金もかかっちゃうんですよ。
だからほとんど99%の人はまだまだ「自己顕示欲」と「エゴ」なんですよね。
向かっている方向がね。
でもね、それをもう一段踏み越えるとね、今度は自分に対する「責任」になるわけですよね。
櫻井くんは、自分の発している言葉に対してちゃんと責任は取るって言い切っているんです。
音を作る側にとっては「責任」なんですよ、本当に必要なことは。」

■はい。

「そうするとね、そんな半端な音でお金取れないと思うんですけどね。
「いいじゃん、どうせMP3で聴くんだから」
っていうところで作っちゃってるのが現状ですから。
それはイカンですね。」

■はい。




マイケル・ジャクソンは誤解されている

「本当によい例はね、みんな誤解しているんですけど、たとえばマイケル・ジャクソン。
あの人がなんであんなバカなことをしているかっていうと、
あの人のあの行動こそ責任の「重圧」ですよ。
もう「自己顕示欲」なんかとうの昔にないですから。
むしろもう知ってほしくないわけでしょう? もうとっくに通り越しちゃってて。
で、なんであんなにジタバタして裁判やったり、
レコーディングにやたら時間をかけたりしてるのかなって、ふと考えたんですけど。
「ああ、あの人は責任を取ってるんだな」っていう。
あの人はとにかく知らないんですよ。
世間がどんなふうになっているかとか……。とにかく子ども大好きだし。
だって10歳とか11歳でトップスターだったわけですよ、アメリカで。
誰も想像できないし。
で、お金持って街で買い物したことなんかないわけですよ。」

■ええ。

「要するに知らないんですよ、すべてを。
だから、そういうものを知らない人をだましてお金を取ろうっていうことは簡単なわけですよね。
ずーっとそれが続いているわけですよね。
本当にかわいそうだなあと思うし。
それでもちゃんと音源作って、浴びせられた罪状に関してはちゃんと立ち向かっているしね。
偉いなあと思う。本当に偉いなあと思う。」

■なるほど。

「周りでは「目立ちたがっている」とか言っている人がいますけど、大間違いですよ。
そんなのおそらく20年前くらいになくしちゃって、むしろ「迷惑でしょうがない」っていうか。」

■そっとしておいてほしい、くらいに。

「うん。だけどなんでやり続けているかっていうと、
自分の責任で「これ以下の作品は世に出せない」とか、
「これ以下の振り付けはできない」とか……。
立派な人ですよ、ほんと。すばらしいと思いますね。
あれくらいのレベルのアーティストっていうのは、なっかなか日本だと出てこないですよね。」

■そうですねー。




最終的にはアーティストの責任

「ある種のエゴの固まりっていうのは、それはそれでカッコいいんですよ。
自分も倒錯するくらい、勘違いするくらいに変な人格になって。
僕は大好きなんですよ、そういう人は。
逆にそういう人は少ないなと思うんです。
あまりにも今、英語だと「ボーイ・フロム・ネクスト・ドア」って言うんですけど、
「隣の兄ちゃん」ですよね。それが音楽家になって。
で、見る方も「あ、もしかしたら僕らもできるんじゃないか」とか、
「あの人ができるんなら自分にもできるんじゃないか」とか
そういうレベルでここ何十年かきちゃっているでしょう?」

■ええ。

「あれがもう、徹底的に音楽業界が動かない理由ですね。
やっぱりアーティストに責任がありますよ、最終的には。
だから状況がどうなろうと、本当にCDがほしいと思ったらやっぱり買いますしね。
そこまでカリスマがあって、魅力のあるアーティストがいないんでしょうね。」

■そうでしょうね。なんかアメリカが確かにCDの売り上げが再び伸びてきている、という話になっていて。

「うん。」

■やっぱり最終的に、MP3の音じゃ我慢できない人がパッケージも欲しくて、買いに行っちゃうっていう。

「だからパッケージングのアートにしても、やっぱりカッコいいじゃないですか。
ジャズとか聴いてらっしゃるから分かると思うけど、あの「名作」っていいんですよ。
これはね、悪いけど正解の結論ですね。
あるときまで僕も映画とか本当にオタッキーに、
もう本当に変なカルトものばっかり見てたんですけども、
最終的にたどり着いたものは何かというと、「名作」と呼ばれるものでしたね。」

■ええ。




ゴッドファーザーのすごさって

「すばらしい! 
それこそ(ビル・)エヴァンスとマイルス(・デイヴィス)がやってるやつなんか、
千年たったってできないでしょう。あの二人がいない限り。
そういうものなんですよ。
なんだかんだいって、たとえば昔の映画だと、「第三の男」とか「風と共に去りぬ」とか。」

■はい。

「で、「ゴッドファーザー」とかね。すばらしいですよ、すべてが。
たとえばあのときのアル・パチーノにしろ、ロバート・デ・ニーロにしろ、
何がすばらしいって、そういう年齢だったんですよね、一番美しい。
だからあの前でも後でもダメなんですよ。」

■ええ。

「だからかわいそうに、はっきりいってあれ以降のデ・ニーロって全然いいと思わないんですよね。」

■ああ……。

「だから「ゴッドファーザー」がPart3までいって、やっぱりコケちゃったっていうのは、
歳を取りすぎちゃったんですよ、アル・パチーノが。」

■ええ。

「「ゴッドファーザー」と「ゴッドファーザーPart2」は、もうそういう設定にしているんだけど、
でもあのピリピリするカッコよさは、あれより若かったらダメだろうし、あの両者にいえることで。
で、マーロン・ブランドもボロボロになっちゃってて。
まさにあのボロボロさがもうたまらない。
ああいう映画って、作りたくても作れないですよね。
で、名作って分析していくと全部そうなんですよ。」

■なるほど。




ビートルズも必然だった

「結局ロックだってビートルズでも、寄せ集めじゃないでしょう? 
あんなちっちゃなリバプールの、しかも街のほうじゃないんですよ。
たまたま僕、ツアーで生まれたところとか行ったんですが、
ジョージ・ハリスンとリンゴ・スターの生まれた家なんか本当に近いんですよ。」

■ええ。

「「なんで人類史上最大のロックの天才が、こんな近所に住んでたんだ!?」みたいな(笑)。
だからそういうものなんですよ「名作」ができあがる瞬間っていうのは。
そこにジョージ・マーティンという類稀(たぐいまれ)なるプロデューサがいて。
ブライアン・エプスタインっていうとんでもないマネージャーがいて。
近所のレコード屋かなんかやってて(笑)。ありえないでしょう、そんなの!?」

■ええ。

「だからあの現象が、世界中でオーディションしたりして優秀なミュージシャン、
キレイなルックスの人を集めても、ダメでしょう?」

■ですね。

「だけど、偶然ではないんですよね。必然なんですよ。「名作」を生むための必然なんです。
だから「名作」としてスタンダードとされているものは、
とりあえず有無をいわさず、映画だったら見ろと。音楽だったら聴けと。」

■ええ。

「絶対に理由があるから。
だからね、そっちの作業をしていくと無駄なこととかできないはずなんですけどねー。」

■そうですね。




名作をコピーすること


「インタビューを始める前に、お聞きしたいと言っていた
「これからギターを始める人にアドバイスを」ってまさにそれですね。
まず「歴史に残っているやつをひと通り聴いてごらん」って、
それで自分の感性で合うものと合わないものが当然出てくるから。
でも聴いたことは絶対、無駄にはならないんですよ。
「何これ?」って思ってもそれには絶対、理由があるし。
でもそういう「名作」といわれているなかでも「これカッコいい」と思ったらまさに宝箱ですよ。
そのなかにおそらくすべてがありますね。

次にそれをコピーすることですね。
マイルス(・デイビス)なんかも盛んに言ってましたけど「うまくなりたかったらコピーしろ」と……。
で、できませんから、完全なコピー。
できない理由には技術的なこともあるし、自分だけが持ってる感性とか個性があるんですよね。」


■ええ。

「そのなかで、まあ大げさですけど自分なりのスタイルなり、自分の持っていきたい方向……、
そしてその辺までいくと、才能がある子は自動的に掘り下げ出すんですよね。
「何でかな?」って。
だからまずは自分の衝撃を受けた「名作」をだまされたと思ってコピーして。
でもそれができなかったら、その時点であきらめた方がいいですね。」

■ああ……。

「やっぱりそれが才能ですから。
絶対、神様が理由をつけて全部つくっていますからね。
もしかしたらものを作ったり、絵を描いたりという別の才能があるから。
なんらかのきっかけで音楽カッコいいなって思っても、まちがった道だなって感じた時点で、
僕はそこで「無理してがんばれ」って言いたくないんですよね。
だって、人生を棒に振っちゃいますからね。苦しいですもん。
だからそういう作業をやっていて「うわあ、めんどくせえ」とか「
あ、イヤだな」って気持ちの方が強かったら、そのときにすっぱりあきらめた方がいい。」

■うーん。




ジェフ・ベックだって練習する

「自分のことをいえば、そういう作業がもうおもしろくてしょうがなかったんですよ。
そりゃ大変ですよ。
「天才」っていわれてる人たちだって、もちろん努力してやっているわけですから。
たまたまジェフ・ベックっていうギタリストが大好きで。
「JAPAN」のときに大きな練習スタジオでツアーのリハーサルをしていたんです。
隣の小さいスタジオでジェフ・ベックがリハーサルをやってたんですよ。
ジェフ・ベックが練習するってこと自体が、僕の概念にはなかったんですよ(笑)。
あの人こそ、スタジオに現れて「こういう曲ね」ってミュージシャンに言って、
バーっとあのギターが弾けると思ったら、コージー・パウエルと一緒に同じフレーズを延々とやっていて。
それが聴こえてくるんですよ。」

■へえー!!

「なにかものすごい勇気をもらいましたね(笑)。
「あ、ジェフ・ベックも練習するんだ」って。そういう作業が苦じゃないんですね。
おそらく、しょっちゅうやっていたいんだと思いますよ。そういうことなんですよ。
「いやあ、コピーしろって言われたけど、コピーめんどくさいや」って思ったら、
その時点であきらめると。
だってそれを端折っちゃったらもっと大変ですもの。まったくゼロからでしょ。」

■ええ。




記憶

「いわゆる「芸術」、音楽だけじゃないんですけど、映画も絵画も。
最も大事なのは「記憶」なんですよ。
実態はないんだけど「どこかで見たことある」「どこかで聴いたことある」っていうのが、
実は根っこなんですよ。
だから本当に優れたものって、必ず「元」がありますしね。
映画なんてはっきりしていますね。
自信のある監督などは全部しゃべっちゃいますしね。
そういうのを聞いてからそれを見ると「なるほどな、これなんだ」っていう。
ジョージ・ハリスンの名言に
「マイ・スイート・ロード」が何かの盗作なんじゃないかってたたかれたときに
「ポップスってそういうもんじゃないの?」って一言ね。
「うわ、カッコいい!」って。
「記憶」なんですよ、要するに。」

■はい。

だから、その人の記憶を再現してその人なりのカタチを付けたものが、
ポップスであり、ロックンロールであり。必ずルーツがあるわけでしょう?」

■ええ。

そこを面倒くさいと思わず、おもしろがってどんどん探求していけるかいけないかが、
僕は「才能」だと思うんです。
だから今のロック聴いても、
ハードロックだったら絶対レッド・ツェッペリンとジミ・ヘンドリックスにはぶつかるわけだし。
じゃあ、あの人たちがなんでこうやったのか? をちょっとさかのぼって、ヤードバーズ。
なんでこんな時代にこんな音楽やってたんだ? で、当然ブルースにいくわけですよ。
そのときにジェフ・ベックが聴いてた人「あ、ロカビリーも聴いてたんだ?」で、
ブルー・キャップスとかビル・ヘイリー(&ヒズ・コメッツ)とかにいくわけですよね。」

(以上、引用)









この後、延々とマニアックなギター談義に花を咲かせる土屋昌巳。
結論は、

「ギターを弾くこと事態、すでにオタクですからね。
オタッキーなんてかんたんに言うけど、もうオタクじゃなきゃ無理ですから。
音楽をやること自体がオタクですから。」

(土屋昌巳)

ということらしい。


その中で、櫻井敦司が

「僕は自分で責任が取れないことは歌いません」

と発言している事に対し、賞賛している姿が印象的であるが、
櫻井が、次作の歌詞に対して「いつも慎重になる」と語るのは、この為であるし、
それを土屋も、「最終的にはアーティストの責任」であるとしている。

確かに櫻井敦司は“死”や“狂気”“闇”に付いて、
詩作をする上で様々な過激な言葉を駆使して楽曲を作り上げる。

これを読んだファンが例えば悪い意味で影響を受けてしまったら、と悩んだ時期があった事を
櫻井敦司自身も語ってた。


しかし、悩み抜いて、もがき、足掻いた、その結果
楽曲「ASYLUM GARDEN」にもあるように、

「悪魔になれ 子羊を酔わせるのさ
 羽を翳し 暗闇を繰り広げろ 」


「やり続けろ いつまでももがきながら
 振り返るな 意味などに囚われるな 」


などと自壊的な歌詞に表現し、

「胎児」で唄われているように、

「人を傷つけ、生きていくんだ」

と己の“闇”を宿命付けているのだ。

“どんな事になろうとも、それを背負っていこう生きて行こう”
とそう覚悟を決めた櫻井敦司の生き様は、
そのまま、土屋昌巳の言う「責任を取る」という事に繋がっていったのであろう。



「すごいなあ、この人。日本中のボーカリストがみんな
この人みたいな考えで歌ったら、絶対売れたことによって
弊害になるようなことって起こらないはずなんですけどね」


この言葉こそが、櫻井敦司の本質を表現している。

櫻井敦司は、今井寿が、遠藤ミチロウとの競演後に、
「ありがとうございます」と抱き合っていたのと同様に、
ステージに登る土屋昌巳をハグして、送り出す。
言葉は少ない「いってらっしゃい」とだけ告げて・・・。

自分の事を分ってくれる存在が、いかに、貴重であることか。
そんな光景を目にしたような気がする。




もし、あなたがこの土屋昌巳という人物に興味を持ったのならば、
是非この『ギターラボ』の彼の言葉を読んで頂けたら幸いである。



土屋昌巳。


あなたにこそ、最大の“感謝”を。





【土屋昌巳 SETLIST】

1.DAN・DA・DAN
2.Spider & Pirates
3.Snafkin'
4.光はみんなに同じだけそそぐ



$【ROMANCE】