「暑いぞ…!
死ぬなよ!
死んでも良いぞ!!」
2007年9月8日、横浜みなとみらい 新港埠頭特設野外ステージ
『BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE』は、
再起を賭ける新生ATTACK HAUSによる、BTハイパーテクノアタック「MY FUCKIN' VALENTINE」により、
惰性と披露を吹き飛ばした大観衆の歓声が響く中、
遂に、BUCK-TICK先輩格のカリスマ・ミュージシャンの登場を迎えることになる。
遠藤ミチロウ。
本名は遠藤道郎。
かつて、日本ロックシーンに、センセーショナルなパンクロック・ムーブメントを切り開いた男。
しかし、このパンク・ロックという響きは、
日本のロック・シーンにおいて“悪役”というレッテルで伸し上がったのも事実であろう。
遠藤ミチロウは、1980年6月6日、ドラムの乾純を固定メンバーとして、
【バラシ】、【自閉体】を経て【ザ・スターリン】を結成する。
演劇的とも呼べる派手なライヴ活動で社会的なムーブメントを起こすが、
そのイメージは、そのまま“悪役”。
かつて、櫻井敦司も、「“悪のヒーロー”に惹かれる」とコメントしたことがあったが、
思春期の今井寿にとっても、恐らくは、そんなザ・スターリンの姿に魅せられて、
パンク・ロックに引き込まれて行ったのでは、ないだろうか?
まだ、“ロック”が“刺激”と“暴力性”に満ち満ちていた時代だ。
思春期の少年:今井寿が、こんな刺激に夢中になるのも当然だ。
いい悪いの問題ではないが、ロックは洗練され、清潔に成り過ぎた。
たしかに、誰の耳にも、聴き易いサウンドになった。
ダーティーで、リスキーな“悪役”。
子供が触れては、イケないモノ。
それが、パンク・ロックの魅力そのものだった。
象徴的な例は、遠藤ミチロウとも交流がある映像作家:石井聰亙監督の、
映画『爆裂都市 BURST CITY』に【マッドスターリン】という役名でバンドとして出演している。
陣内孝則率いる【バトルロッカーズ】の敵役バンドである【マッドスターリン】のヴォーカルとして出演。
そこで表現されたのは普段の彼らのライヴの同様に、
観客に拡声器を使ってアジテーション、放尿、豚の生首を投げつける等の
過激なパフォーマンスの数々であった。
映画の中で遠藤は臓物・豚の頭を客席に投げ込むなどのパフォーマンスを行い、
当時の【ザ・スターリン】の過激なステージングを疑似体験させている。
(※また石井聰亙はザ・スターリンのPV、ラストライヴビデオの監督も務めた)
しかし、遠藤本人はこの時の自分の演技力の無さに愕然として、
役者は二度とやらないようにしようと決めたという。
ザ・スターリン時代、ライヴなどで過激で暴力的、破滅的なパフォーマンスを繰り返していた為、
過激な性格だと思われているが、
実際の遠藤ミチロウは知的で普段は朴訥とした東北訛りの喋り口調の気さくで温厚な人物である。
福島県出身で山形大学のフォーク少年だった遠藤ミチロウが上京し、
【ザ・スターリン】を結成したのが1980年。
当時遠藤ミチロウはすでに30歳だった。
2枚のシングルと破天荒なライヴで評判を高め、
1981年12月に発表したファーストアルバム『トラッシュ』は、
当時の自主制作盤としては破格の3千枚を即座に完売し、鳴り物入りでメジャー進出を果たす。
『ストップ・ジャップ』(82年)、『虫』(83年)の2枚のアルバムは
オリコン・チャートに入るほどのセールスをあげたばかりか、日本のパンク史に残る傑作となった。
とりわけ『虫』の、UKハードコアに通じるスピーディでハードなパンク・ロックは、
内外の若いパンク/ハードコア勢に深刻な影響を与えた。
またバンド名に象徴されるシニカルなユーモアと諧謔のセンスに富んだ歌詞の切っ先鋭いセンス、
巧みなメディア戦略もあって、遠藤ミチロウと【ザ・スターリン】は時代の寵児として
1980年代前半のサブ・カルチャー状況をリードしたのである。
6枚のアルバムを残して1985年にザ・スターリンは解散するが、
遠藤ミチロウの衰えぬパワーとエネルギーは潰えることはなかった。
そのザ・スターリン以降の活動は、多岐に渡り、
1985年 - 1987年は、ソロ・アーティストとして始動。
【Michiro,Get the Help!】というユニット名で
G.N.P(グロテスク・ニュー・ポップ)をテーマに三部作を発表。
後にTHE ROOSTERZのギタリスト下山淳と共に【ゲイノーブラザーズ】を結成し、
アルバム『破産』をリリースする。
1987年には、【パラノイア・スター】や【ビデオ・スターリン】を結成し、ソロと並行して活動を行う。
1989年、新生【スターリン】を結成し、アルファレコードと再びメジャー契約を果たすが、
1993年に、この新生【スターリン】も解散。
以後アコースティック・ソロの形態で再びソロ活動に入る。
1995年、戦後五十周年のこの年には今井寿らをゲストに【ザ・スターリン】を復活させ(名義は【THE STALIN15】)、
一夜限りのライヴを敢行している。
【ザ・スターリン】はその後、
1996年の元スターリンのベーシストである杉山晋太郎追悼ライヴ、
2001年のスターリンのトリビュートアルバム発売記念ライヴで二度復活を果たしている。
2001年、正月に奄美大島へ向かう飛行機内で、
当時BLANKEY JET CITYのドラマーであり、元【ザ・スターリン】のドラマーでもあった中村達也と邂逅し、
奄美大島のライヴでアンコールにてセッションを行う。
これを機にそれまでソロとして活動を続けていた遠藤ミチロウであったが、
中村達也とのユニット【TOUCH-ME】を結成し、
以降の複数のアコースティックバンド結成へとつながっていく。
その活動の発展形として、
2004年、遠藤を信奉する元thee michelle gun elephantのドラマーであった
クハラカズユキとのバンド【M.J.Q】が始動した。
2005年に入り、東口トルエンズ、MOSTの山本久土が参加し、
より音に厚みを持った“アコースティック・スターリン”とも呼ばれる新たなサウンドを提示した。
2007年の【BUCK-TICK FEST 2007 ON PARADE】に参加した遠藤ミチロウのバンドは、
この【M.J.Q】である。
ランドマークタワーの真上から太陽が照らす中、
絶叫と共に遠藤ミチロウ率いる【M.J.Q】のライヴがスタートした。
彼自身が強く影響を受けたというアメリカのパンク・ロック歌手イギー・ポップ(Iggy Pop)のように、
激しいなかに、アコースティックの温かみ、そして強い信念の下に演奏される“ロック”。
この2007年デビュー25周年を迎える遠藤ミチロウは、
のっけから【ザ・スターリン】時代の楽曲「虫」を奏で始める。
目玉をひん剥きながら観衆を指差す遠藤ミチロウが巨大スクリーンに映し出され、
どよめきにも似た歓声が上がる。
参加アーティストの“J”も「すげえ入ってんな!オイ」と溜息を洩らす、
横浜新みななとみらい。
大規模な会場であろうと観客とミチロウの“精神的なSM関係”は健在のようだ。
特に観客に合わせるでもなく、己のペースで始めて、
あっという間に会場を自分のカラーに変えてしまうパワーは驚愕と言える。
楽曲の歌詞の中で、
「オマエらなんかも知らねぇ!」
と観客席を指差して連呼している。
続く「音泉ファック」では、歌とアコギとドラムスだけで驚異のグルーヴを生み出し、
ぶち切れんばかりのパフォーマンスでアンプラグド・パンクの持つエネルギーを解き放つ。
生きる伝説は、ここにいた。
BUCK-TICKのメンバーも、この偉大なるパンキーな先輩の壮絶なライヴ・アクトに、
息を呑んだことであろう。
しかし、このステージを他の誰よりも、待ち望んでいた男がいる。
他でもない。
BUCK-TICKのギタリスト=今井寿だ。
先立ってのライヴツアー【PARADE】において6月23日(土)の福岡/Zepp Fukuoka公演で、
遠藤ミチロウ【M.J.Q】のステージにゲスト出演した今井寿は、
アコースティック・パンクの鼓動のなかに、一人、エレキギターを持って飛び入りし、
愛機スタビライザーを駆って、スペイシーなノイズを放出していた。
遠藤ミチロウが印象的なMCを観客に投げつける。
「暑いぞーー!」
「イエーイ!」
「オマエら死ぬなよー!」
「イエーイ!!」
「死んでも良いぞー!!!」
「イエーイ・・っておい(笑)」
そして始まる【ザ・スターリン】時代にライヴのオープニング・ナンバーとして欠かせなかった
「ワルシャワの幻想」
この日2007年9月8日も、白シャツに着替えた今井寿の乱入が決定していた。
「ここで、スペシャル・ゲストを紹介します!
BUCK-TICK!・・・今井寿!」
二度目の今井寿登場!
すでにスタビライザーがハウリングしまくっている。
先のAGE of PUNKの時とは衣装がまた違い、
白いシャツの上から、真っ赤なスカーフを巻きつけている。
しかし、そんな衣装より、登場する時の嬉しそうな表情ったらありゃしない!
バックステージでは、すでに櫻井敦司に、「金魚の顔してる」と言われるくらいの上機嫌。
巨大なスクリーンモニターに、今井寿の顔がアップで映し出される。
オーディエンスも、この表情に、今井寿の気持ちが充分理解したようだ。
「間違いない!今井サンが一番、このフェスを楽しんでいる!」
それは、この後、繰り広げられる彼のパフォーマンスを観れば、確信に至る。
今井寿は遠藤ミチロウとハイタッチを交わすと、
まるで、それが、自分のバンドの定ポジションかの如くにミチロウの左手に付く。
アルコールのせいもあるかも知れないが、
自身の憧れの“スーパーヒーロー”とこの【FEST】の大舞台での競演。
【ザ・スターリン】をコピーしまくった、アノ少年時代にハートは舞い戻る。
そんな、表情だ!
そして、根源的な“叫び”をアコースティックに乗せる生きる伝説:遠藤ミチロウとの、
生とエレキのコンピレーション!
アコギを肩から降ろし、拡声器のサイレンを鳴らす遠藤ミチロウも、
【ザ・スターリン】のパンク全盛期に舞い戻ったかのようだ。
クハラカズユキがそれに合わせるかのように、カウントを始める。
原始のリズムを奏でるような山本久土の重厚なアコースティック・ギターがグルーヴする。
拳を振り上げながら「飯食わせろー!!」と叫ぶ遠藤ミチロウに、
負けじと今井寿はスペーシーなアーミングで応えてる。
この「ワルシャワの幻想」。
同タイトルのデヴィド・ボウイの幽幻なインスト・ナンバーを連想する方も、多いと思うが、
この遠藤ミチロウの「ワルシャワの幻想」は、貧困と現実に向き合ったリアルな、
そして、生きることに根源を見い出すようなパンク・チューンだ。
日本で初めてのストリート・パンク・ムーヴメントだった東京ロッカーズの季節が一段落し、
いささか閑散とし始めていた80年代初頭の東京のライヴ・ハウス・シーンの主役に躍り出たのが、
江戸アケミ率いる【じゃがたら】と、遠藤ミチロウ率いる【ザ・スターリン】だった。
豚の頭や臓物を客席に投げつけ、爆竹や花火を投げ込み、
挙げ句は全裸になりステージから放尿し、観客にフェラチオをさせるといったスキャンダラスなライヴで
脚光を浴びた【ザ・スターリン】は、完全に一時代を築いたと言えるだろう。
そして、この【ザ・スターリン】の代表楽曲は、「ワルシャワの幻想」は、
作家:町田康が旧名町田町蔵で活動していたパンクバンドの【INU】の。
『メシ喰うな』というアルバムのアンサーソングであるという。
雑誌『BUZZ』で以前、町田町蔵と遠藤ミチロウを比較していた記事があったが、
両者とも1980年初頭パンクバンドで活躍。
その後、一方は作家業を開始して芥川賞受賞。
もう一方はギター一本で全国各地を転々とするアンダーグラウンドな唄い人になった。
「お前らは全く自分の空間に
耐えられなくなるからと言って、
メシばかり喰いやがって、メシ喰うな!」
「俺の存在を頭から消してくれ!
メシ喰うな!」
中産階級のガキに言及する歌詞もあるので、金持ち批判の歌詞ともとれる町田町蔵の「メシ喰うな!」
一方の遠藤ミチロウは、
「俺の存在を頭から輝かさせてくれ!
メシ喰わせろ!
お前らの貧しさに乾杯!」
と貧困層の視点から唄っていて印象的だ。
ミチロウの歌詞と町蔵の歌詞はどちらに共感できるか?
無駄に生きてるこの人生、たまには存在を輝かせたいときもある。
あーでも、消え去ってもいいやって思うときもある。
結局、どっちもどっち。
それは、聴き手のハートに任せるしかない。
そして、これは、社会的な背景が関係しているだろう。
1980年代という時代。
アメリカとソ連の冷戦関係と、資本主義と社会主義の対決。
こういった構図が、少なくとも彼らふたりのアタマの中に渦巻いていたのだろう。
社会主義とは何か?
タイトルの“ワルシャワ”はポーランドの首都で、ワルシャワ条約機構のことを指す。
第二次世界大戦後、アメリカとソ連は冷戦に突入するわけであるが、
ソ連を中心に東ヨーロッパの社会主義国家の間で締結された軍事同盟。
アメリカと西ヨーロッパ諸国の資本主義国家による北大西洋条約機構に対抗する形で結ばる。
ソ連型社会主義は豊かな生活が待っているというのは“幻想”だったのか?
細かい資本主義・社会主義のイデオロギーは、マルクスの『資本論』などを参考にして欲しい。
しかし、現在はカタチ無く崩壊を迎えたソ連型社会主義というものは一党独裁に陥りやすい。
現在の北の国を想像すると良い。
そこに“自由”という概念は存在しない。
ほとんどがすべてが国営で、国民生活に国家が介入する。
国家の言い成りになるしか生きる道はない、一個人が輝けるシステムは存在しない。
貧困をなくして平等な社会を実現するというのは素晴らしいイデオロギーのように見るが、
1970代にはソ連国民の生活が貧困に陥った。
理由は地形的問題等、多岐に渡るが、
すべてが“平等”な世界に“競争”は存在しない。
どんなに頑張った人間も、サボった人間も“平等”。
これほどの“不平等”はない。
すべてが皆、同じ給料だから。
隣の店に負けないように、より良いモノを作ろう!という意欲も当然湧かない。
すなはち、新しいモノやサービスが生まれる世界ではなかった。
結果、1980年代には東側諸国の経済が停滞、食料に困るほど国民の生活は苦しくなってしまう。
だから「メシ喰わせろ!」と。
遠藤ミチロウは唄う。
この楽曲が製作された10年後の1991年にソビエト連邦は崩壊する。
現在の北の国で聞けば、ひょっとするととてつもなくリアルに響く楽曲かも知れない。
社会主義とか資本主義のイデオロギー云々を抜きにしても、
人間の根源を揺り動かされるような、そんな楽曲である。
それは現代に生きる我々にも何かしら感じられるモノがあるハズだ。
抑圧される気分に追われる資本主義の金融崩壊。
確かに、今、なんらかの“価値”の変換期を迎えているようだ。
それは、「メシ喰わせろ!」という根源的な生命の鼓動なのかも知れない。
遠藤ミチロウが叫ぶ。
「豚ども!働け!!」
激しくアコースティックギターを掻き鳴らす山本久土の長髪は、
プレイ前には、ピックを加え髪を後ろで束ねているが、
その猛プレイのパワーのあまり、ゴムが弾けて、髪が解けてしまう。
構わず、髪を振り乱して演奏を続ける山本久土。
ドラム・キットが壊れてしまうんじゃないか?と思えるくらい激しいクハラカズユキの演奏。
ドラム自体が鼓動するかのように揺れ動く。
今井寿のスタビライザーは、すでに、エレキギターという形態の楽器ではない。
アーミングを駆使する別のナニカだ。
そんな幻想を抱くくらい、【M.J.Q】アコースティックと混ざり合い一体化している。
今井寿のプレイ・アクションもギタリストとか、なんとか、そんなの関係ない。
ミチロウ幻想に突き動かされる“思惟”そのものが、演奏しているかのよう。
遠藤ミチロウが感謝の言葉をコールする。
「今井寿!!!
M.J.Q!!!サンキュー!!」
そんな怒涛の魂の激流の中、会場も最高の盛り上がりの内に惜しまれつつも演奏は終了し、
ステージを去る遠藤ミチロウ、クハラカズユキ、山本久土、そして今井寿。
ここで気付く。
この日の【M.J.Q】は、この「ワルシャワの幻想」で、今井寿も含んで【ザ・スターリン】となった。
紛れもなく、この日【ザ・スターリン】は復活したのだ。
ここで時刻は16時を周り、炎天の狂った太陽も、ようやく和らぎ、
海風が心地よく吹き続ける。
ありがとう!ミチロウ!
【遠藤ミチロウ(M.J.Q)SETLIST】
1.虫
2.音泉ファック
3.先天性労働者
4.ワルシャワの幻想(with 今井 寿)
※付録として、この【FEST】参加前にリリースされた
【M.J.Q】のアルバム『unplugged punk』リリース時の遠藤ミチロウの言葉を伝えよう。
どうして、彼がアコースティックを志向したのか?なぜソロ活動に拘るのか?
ミチロウにとって、イデオロギーとは?パンクとは?ナニカ!
M.J.Q『unplugged punk』発売記念特別対談
遠藤ミチロウ×平野 悠
ミュージシャンの最後の砦はライヴしかない
ルーフトップ編集長から「今回は遠藤ミチロウさんと対談して欲しい」と突然に言われた。
私は「嫌だよ。だって、新人ロック評論家が対談するには大物過ぎるし、自分がロックに無知なところがみんなに判ってしまうのはごめんだ…」と駄々をこねた。
私の今の“ロック評論家”としての楽しみは、若く勢いのある表現者(ロッカー)と勝負して、若さが勝つか俺の61年の年輪の老獪さが勝つか、どうやって若い連中の“無知”を曝け出して奴らを狼狽させるかというところで悦に入っているのだから。
編集長は実に面白い対談だったって言うけどわたしゃ、「同じ時代を共有してきて、酸いも甘いも理解している偉大な男とは勝負できない」と思って、この対談って“ロックンロール”しているのかな? と疑問符が付いて回った対談だったな(笑)。
(interview:平野 悠)
アコースティック・スタイルの可能性を追求したM.J.Q
平野「ミチロウとの関わりで思い出深いのは、やっぱり共同アピールの会('01年3月に上程された『個人情報保護法案』に危機感を覚えたジャーナリスト、作家、フリーライターを中心とする組織で、平野も参加していた)なんだよな。5年前に野音で行なった“個人情報保護法案をぶっ飛ばせ! 2001人集会”にミチロウにも出てほしかったんだけど、ミチロウは「イヤだ」と言って僕達の依頼を辞退したんだ。でもその立ち位置はよく理解できたし、僕は凄く正しいと思ったわけ。」
遠藤「決して政治的な関心がないわけじゃないんですよ。ただ、ああいう共同幻想的な集会の場で歌を持ち出すことは、歌の自殺行為だと僕は思ってるんです。仮に自分がそういう場所へ行く時は、あくまで一市民として参加しますよ。」
平野「うん、凄くよく判るよ。僕はイラクの反戦デモや下北沢の再開発問題とかにも首を突っ込んできたから判るけど、歌というものが抗議活動のための歌舞音曲(華美な遊芸)として利用されることに対してミチロウは反発したわけでしょう? 要するに、自分の歌が政治的なメッセージにすり替えられることへの怒りだよね。政治集会で歌舞音曲を途中に入れて如何に集客するかっていうのは、昔から散々やられてきた常套手段だからね。」
遠藤「だって、法律を封鎖しようっていう明らかな政治集会なんだから、そこに歌は関係ないでしょう? 次元の違う話なんですよ。人が集まらないから歌を唄うっていうんじゃ単なる客寄せの道具だし、そんなことをしなければ人が集まらない政治集会なんて情けないもんですよ。」
平野「今、ミュージシャンの多くはどういうふうに自分の政治的意見を発信すればいいのか、相当迷っていると思うんだ。そんな中でミチロウのように己の政治的姿勢を貫いて臆することなく発言すること、そして歌を唄うってことはどういうことなのかを考え抜き体現することは凄く重要なことだよね。ところで、ミチロウは地球を守る意識を共有しようというアースデイとかにも出演はしないの? 」
遠藤「そういうのも余り出ないですね。ああいうイヴェントだって一種の政治集会ですよ。極端なことを言えば、本気で地球を守りたいんだったら人間が居なくなるのが一番でしょう? 人間が地球にとって一番の害なんだから。」
平野「そりゃ確かにそうだよな(笑)。」
遠藤「もっと言えば、そういうイヴェントも地球を守るんじゃなくて、第一に人間の生活を守るためのものですからね。一度だけ、ダブル・ブッキングで出られなくなった三上寛さんの代わりにそういうイヴェントに出たことがありますよ。多摩市日の出町の廃棄物処分場でやった環境イヴェントだったかな。そこは単なる義理人情でね。驚いたのは、ああいうイヴェントって僅かな額だけどギャラがちゃんと出るんですよね。こっちはギャラのことなんて全然考えていなかったのに。そこで問題なのは、ギャラを受け取ることによってその運動を批判することができなくなっちゃうこと。ギャラが発生した時点で仕事になるわけだから。」
平野「今から9年前かな、ミチロウがプラスワンに出てくれてその歌声を聴いた時に“あ、ミチロウはもうパンクから完全に脱皮したんだな…”って思ったんだよ。“これからはこうして一人でアコースティック・スタイルでやっていくんだな、いいところに行ったな”って。それが今回、M.J.Qなるユニットで『unplugged punk』というアルバムを発表したわけだけど、“unplugged punk”という言葉の真意は?」
遠藤「'93年にスターリンを活動休止して、僕はいわゆるパンクと呼ばれる音楽とバイバイしたんだけど、アコースティック・ギターを弾いて一人でやってみると「フォークですか?」って周囲から言われるようになって。そうじゃなくて、単純に僕は一人で音楽をやるためにアコースティック・ギターを持ち始めたんですよ。そこで何かいい呼称はないかと考えて、一人でやってもパンクだよってところで“unplugged punk”という言葉を便宜的に使うようになったんです。今やもう、別にパンクじゃなくてもいいんですけどね。」
平野「ソロになってからのミチロウのステージを何度か観てきたけど、あなたは一貫して鎮魂歌を唄ってきたと僕は見てるんだ。でも、今回のM.J.Qはまた違う趣きでしょう? このユニットがミチロウの最終的な帰結なのかな?」
遠藤「違いますよ。一人でずっとアコースティックをやってきて、アコースティック・スタイルの可能性としてどういうことができるんだろう? っていう試みのひとつなんですよ。今まで何処にもないアコースティック・サウンドを創りたいんです。でも、まず曲がなかったんですね(笑)。だったら自分がやってきた音楽の中で好きな曲をピックアップして、それを素材として今までにないアコースティック・サウンドを創ってみようっていうのがこのM.J.Qのアルバムなんですよ。やっぱり、アナログ的なもの…肉体を持った人間というものに凄くこだわりたかったんですよね。だからこそ等身大の音楽をやりたいと思ったんです。」
明るい歌を唄ったらそこで終わり
平野「今回、この『unplugged punk』と『ROCK is LOFT』に入ってるスターリンの2曲(「ストップ・ジャップ」「ロマンチスト」)を自分なりに聴き比べてみたわけ。それで僕なんかからすると、スターリンはキラキラして艶があるように感じるんだよ。リズム感も凄くいいしね。『unplugged punk』も決して悪くない作品なんだけれども、ちょっと僕には重過ぎるんだな。今の閉塞した時代の影響もあるんだろうけどね。」
遠藤「そうですか。実際は平野さんと逆の反応のほうが多いんですけどね。若い連中に感想を聞くと、「『unplugged punk』は何度でも聴けるけど、スターリンはヘヴィ過ぎる」って。」
平野「そうかなぁ…。同じスターリンの曲でも、『unplugged punk』のほうが僕には圧倒的に暗くて重く感じたんだけどな。」
遠藤「明るい歌はいずれ滅びる歌ですよ。暗いうちはまだ滅びないんだから(笑)。」
平野「はははは。僕はこのアルバムを聴いて、ミチロウの雄叫びだと解釈したわけ。暗いことが悪いというわけじゃないんだけど、その雄叫びをここまで暗くするのはどうかと思ったんだよ。書き下ろしの2曲(「自滅」「結末」)以外はほとんどがスターリン時代の曲ということなんだけれども、僕はかつてのスターリンがなんて凄かったんだろうと逆説的に思ってしまったんだ。気を悪くさせてしまったら申し訳ないけれど。」
遠藤「いや、そういう捉え方をする人もいると思いますよ。そりゃ昔のほうがエネルギーはあるし若いから、昔と同じようには唄えないですよ。今回、それでも「負け犬」とか昔のスターリンの曲を選んだのは、一人じゃできない曲をやりたいと思ったからなんです。」
平野「だったら尚更、ミチロウはもう一度バンドを組むべきだと僕は思うけどな。」
遠藤「うーん。ここまでアコースティックでやってきて、エレキの音が体質的に受け付けなくなっちゃったんですよね。平野さんがM.J.Qのアルバムを聴いて重く感じ取ったのは、僕が初めて日本人の感性に徹底的にこだわったからかもしれないですね。アルバムの半分以上がラヴ・ソングでもあるし。それと、アコースティックでノイズがないぶん、言葉が剥き出しになるんですよ。剥き出しになるぶんだけドロドロしたものにもなる。そういうのがアコースティックの面白いところだと僕は思ってるんです。」
平野「なるほどね。あとこれは、いずれも50代で亡くなった高田渡や西岡恭蔵にとっても課題だったと思うんだけど、これだけCDが売れない世の中で、50代になってたった一人でギターを抱えて全国のライヴハウスを隈無く回って生計を立てることは可能なんだろうか? 例えばさ、僕を含めた5人のお客さんの前で唄って下さいとお願いしたら唄う? もちろんギャラはお支払いするし、アゴアシ付きだとして。」
遠藤「唄いますよ。でも、「こういう歌を唄ってくれ」という要求には一切応えない。“俺の歌を聴きたくて呼んだんだったら、俺の唄いたい歌を聴け!”って思うからね。」
平野「なるほど。芸人じゃないんだから、と。」
遠藤「いや、芸人ですよ。芸人だけどこっちにも選ぶ権利があるから、最初から平野さんみたいな人達の前で唄うと判ってたら行かないかもしれないけどね(笑)。」
平野「はははは。問題はね、生活を賭けて音楽をやっている今の若い人達が、年月を経て今年56歳になるミチロウのような局面まで音楽をやれるのか? ってことなんだ。そんな覚悟もなく、やれないんだったら今から音楽なんてやめちまえ! っていう思いはない?」
遠藤「いやいや、そんなことは思わないですよ。5人の前で演奏するのも、1万人の前で演奏するのも、何ら変わりはないんです。自分の中では同じワン・ステージであって、そのワン・ステージに対してどれだけエネルギーを込められるか…そこに来てるお客さんの数は全く関係ないですよ。」
平野「そうは言っても客は入ったほうがいいし、表現に向かう根源的な欲求がある一方で、生活を維持することも避けては通れないでしょう? その表現と生活の軋轢みたいなものはないのかな?」
遠藤「確かにね。でも、僕はそんなことを若い人に説教したくないし、威張りたくもないですよ(笑)。初めて行く所ならまだしも、何回もやってるようなハコでいつも客が10人くらいだと惨めな気持ちにはなりますよ。“俺の歌ってその程度のものなのか…”と落胆することもあるけど、でも1回のステージは変わらないわけだから。1回のステージで自分が手に入れるものっていうのは確実にあるし、やっぱり手は抜けない。金の問題も確かに避けて通れないけど、僕はスターリンをやり出してから歌以外で金を稼がないって決めたんですよ。AV監督をやって小銭を稼いだことはあったけど(笑)、基本的にバイトをせず、借金をしてでも歌で生活していくんだ、って決めてからもう25年経ちますからね。」
平野「それが今日一番のキーワードのような気がするね。四半世紀もの間、唄い続けることが如何に困難だったかという…。まして50代半ばを迎えた今もこうして現役を貫いているわけだから。」
遠藤「とにかくライヴが第一。CDが売れなくたって、ライヴが最後の拠り所、砦としてあれば大丈夫なんです。以前、吉本隆明さんと対談した時に聞いたんですけど、今の文学の世界で書き下ろしの原稿料だけで食えてる人はいないんだって。みんな単行本や文庫になったりした時の二次使用で食えてる、と。それをミュージシャンに置き換えると、CDの売り上げは関係なしに、ライヴのギャラだけで食えてるミュージシャンが今どれだけいるか? っていう話なんです。僕はそのライヴのギャラだけで食いたいわけですよ。そういう部分は芸術家じゃなくて芸人だと自分でも思いますけどね。」
平野「この先、老いていくことに不安はないの?」
遠藤「そりゃありますよ! ここ数年で2回も入院したりしてると、自分の身体がいつまで持つかっていう不安は常に抱いてますからね。保険も何も入ってないし、年金も払ってないしね。」
平野「若い世代に向けて何かメッセージはある?」
遠藤「やりたいことをやれよ、って言うしかないなぁ…。自由やスリルを享受するには、色々とリスクは背負うでしょうけどね。今の世の中、何でもキッチリとし過ぎていて、曖昧なものを排除する傾向にあるじゃないですか? 昔はもっと牧歌的で、曖昧さが許されていましたよね。だから個人の生活は昔に比べて明らかにキツくなってると思いますよ。そりゃ平野さんが言うように、僕が唄う歌も暗くなるわけだよ(笑)。明るくなんて唄えないですよ。僕が明るい歌を唄っちゃったら、それこそそこで終わりだなと思いますね。」
(本文構成:椎名宗之)
ワルシャワの幻想
(作詞作曲:遠藤ミチロウ)
俺の存在を頭から輝かさせてくれ!
メシ喰わせろ!
お前らの貧しさに乾杯!
豚ども!働け!
